gock221B

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『機動戦士ガンダムNT』(2018)/ガンダム本体がヒロイン🐥

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監督:吉沢俊一 脚本&原作:福井晴敏 製作国:日本 上映時間:88分
シリーズ:「機動戦士ガンダム」シリーズ

 

 

今まで観たガンダム宇宙世紀だと、1st、1st劇場版三部作、Ζ、逆襲のシャア0080F91、G、08小隊、∀、Ζ劇場版三部作、UC、BF‥それくらいか?漫画はクロボンシリーズやオリジンなど読んだ。ΖΖとVは速攻で飽きて話題の回や最終回だけササッと観ただけ。そんな感じで熱心ではない。
一番好きなのはF91、次に逆シャアかな。Gガンも放映当時の18歳くらいの時、今川監督ファンだったしリアルタイムで観て楽しかった。実写化するならポケ戦が一番合ってると思う。好きなモビルスーツはMk-II。好きな戦闘は逆シャアアムロがギュネイを路上の石ころをどかすかのようにササッと即死させたシーン。好きなガンダムのゲームは連ジ。
富野に対しては凄く好きだった時もあるし嫌いだった時もある。今はと言えば、特に好きでも嫌いでもない無関心という状態だ。だけど富野特有の変な喋り方は魔力があると思う。それと物語終盤のオカルト展開は好き(僕は映画の「カンフーハッスル」「キャプテン・マーベル」などや漫画版「ゲッターロボ號」など、地道に泥臭く頑張ってきた主人公がラストで急に100倍くらい‥神の如く強くなって殲滅して終わる話が好きなので)
ガンダム絡みで一番大きな個人的トピックといえば初期にある。小学校の時、TV放映していた1stを姉と観ていた(本放送だったのか再放送だったかは覚えてない)。姉はガルマを気に入って半月くらい夢中になったがシャアに速攻殺されて姉のガンダムは早くも終わった。それ以降、姉は醒めたようだが一応一緒に観ていた。だが当時の幼児だった俺にとって他の児童向けアニメと比べるとガンダムの内容は難しすぎた。戦争の状況もサッパリわからなかったがMSがカッコいいのでとりあえず観ていた。中でもニュータイプとかいう概念が何なのかサッパリわからなかったので、姉に「ニュータイプって何なの?」と訊くと姉は「何の役にも立たない事をベラベラ喋る何の役にも立たない人のことよ」と答えた。恐らく幼児に対して適当に答えただけだったんだろうが、その説明はブラウン管の中でグダグダと要領を得ない事ばかり言っているシャアやすぐ鬱状態になるアムロ、彼らは状況をなかなか好転させることが出来ないので、この説明はピッタリに思えた。納得は事実に勝るもので俺の中で深い「わかりみ」が発生し、そのせいか未だに記憶に残っている。それが「俺とガンダム」の最初の思い出であるために、その後もガンダムや富野に対して神!などとは思わず、楽しめるところは楽しんで駄目なところやキャラ同士が議論を始めると無視するかもう食えないパンの耳みたいに捨てる‥というヲタの人から見ればかなり不真面目な一歩引いた鑑賞態度で観てきたガンダム生活だった。
そういえば逆襲のシャアも中1くらいの時、観に行った。サイコフレーム共振現象は何が起きてるのかサッパリ分からなかったが何となくはわかったので、その何となくに対して感動した(もっと言うならミノフスキー粒子の効果とかも30歳過ぎるくらいまで一切知らなかった)。
本作はUC少し後の続編。ネタバレあり

 

🐥

 

主人公の少年ヨナ、少女リタ、少女ミシェル‥三人の幼馴染。
強力なニュータイプであるリタはジオン軍コロニー落としを事前に予知して街を救う。ヨナとミシェルもリタの影響を受けてニュータイプになる。
戦災孤児となった三人は地球連邦軍のNT研究所で強化人間の処置を受ける。その実態は実験動物のように扱われ、発狂したり死亡する子供も多くミシェルはこの場所に居たら殺されるという危機感を覚える。
ミシェルはヨナを言いくるめて一人だけラオ商会へ貰われる画策をして占い師となる。
リタは非人道的な手術を繰り返されユニコーンガンダム3号機フェネクスの起動実験中に行方不明になる。ヨナは、よくわかんないけど多分、普通に強化人間パイロットになり、ミシェルに拾われてナラティブガンダムパイロットになる。
大人になったミシェルとヨナは連邦軍を利用して、フェネクスの捕獲作戦に乗り出す。
ミシェルは、全身サイコフレームで出来ているフェネクスを手に入れたい。ミシェルはフェネクスで奇跡を起こし、人類に死や偽りを超越させて進化を促したい。ヨナはリタを救えなかった罪悪感からフェネクス内部に残るリタの魂を求め、不死鳥刈り作戦にのめり込む。ミシェルがシンギュラリティを起こしたがってるのはラオ商会のじじいの悲願でもあるがミシェルの場合、その奥には自分のせいでリタへの贖罪の気持ちもある。
彼らの邪魔をするのはネオ・ジオンの強化人間ゾルタン。彼はシャアの再来として強化された強化人間の一人だがフル・フロンタルに負けた。ゾルタンは失敗作と言われた自分にコンプレックスを持っており自我が崩壊しかかっている。終始キレ顔で暴走して悪い事だけする厨二病の塊のようなキャラ。ゾルタンはリアクションがデカいし感情が全て顔に出るしハイテンションで説明セリフを言ってくれるので、めちゃくちゃ観やすいアニメになっている。「フレディ vs.ジェイソン」で、全くリアクションしないジェイソンのせいでフレディが一人で回し続けてた時を思い出した。そういう意味で良いキャラだと思った。
そんな感じで、主人公三人の関係性や悲壮な青春、ゾルタンの鬱屈‥という凄く思春期っぽいエモ要素が本作の内容といっていいだろう。
宇宙世紀という広い世界での位置づけ的には「サイコフレームとかいう人知を超えたオーパーツを封印する」という目的に向けて走る「UC NexT 0100」というシリーズの序章。UCとUC2の橋渡し的な、ちょっとした中編といった雰囲気。

 

 

何というか本作は映画一本で終わる話ではあるが、まるでTVシリーズの最後の三話くらいを合わせたストーリーに回想シーンを足したかのようなF91みたいな総集編っぽさがある。
主人公機は〈ナラティブガンダム〉という、目的に応じてパーツを換装するタイプの痩せたMS。「痩せたガンダム」という素体も何だか頼りないし生肉を身体にくっつけてるみたいな外見もプラモを買う気にならないカッコ悪さがある。だがそれはヨナの微妙な強さ同様、作品的に意図されたものとして機能している。サイコフレーム試験機なので強力な機体らしい。
搭乗する主人公ヨナもまた、乗り込んだ戦艦のMS隊リーダーおじさんに「操縦技術は中の上くらい」と明確に操縦技術はあまり高くない事が語られる。要はサイコフレームを搭載したナラティブとNT能力があるおかげで何とか強キャラだが実際には並のパイロットということか。天才揃いのガンダム主人公の中でもかなり普通のパイロットという珍しい主人公。そして主人公機のナラティブもまた敵のⅡネオジオング(セカンド・ネオジオング)や捕獲対象のフェネクスより遥かに劣る機体(今検索したらνガンダム以前に作られたサイコフレーム試験機らしいので下手したらνガンダムより弱いのかもしれん)そういうのは結構目新しい。
後半、NT-DやゾルタンのⅡネオジオングによって、意に沿わぬ戦闘をさせられて「こんな事をやりたいわけじゃないのに‥!」と苦しむ様などは、若者が観たら共感できそうでいいなと思った(実際に観てるのはおっさんばかりな気はするが)。
ちなみにサイコフレームは人の魂を吸ったり時間や空間を操ることが出来るという物らしい。インフィニティストーン数個分だと思った方がいいかも。驚異のオーパーツとなっている。何か後付けで随分たいしたもんになっちゃったなという感じだが最初に言ったように自分はガンダムに思い入れもないので面白ければOK。本作も含む展開中のガンダムストーリーはミネバやバナージが「人知を超えた人の手には余るサイコフレームを封印する」というのが大まかな目的らしい。まぁ確かにF91とかVの時代にはサイコフレームなんてないもんね。
ミシェルはフェネクスを捕え、その力を使って人類全体に肉体さえ必要としない進化をもたらそうとしているのだが、彼女はその目的のためなら「どうせ全部チャラにできるから多少の犠牲は仕方ない」という思想のため、ヨナは幼い時のミシェルの裏切りも合わさって彼女に不信感を持っている。
ヨナとミシェールは内心「自分たちのせいで死んだリタに会って償いたい」と思っている。どちらかというこれが本当の目的なんだろう。
実際リタは髪を剃られて全身切り刻まれるという強化人間実験の末に、恐らくNT能力を飛躍させすぎた結果フェネクスサイコフレームに溶けてしまった模様。いわばリタがフェネクス本体と同一化してしまったに等しい状態。
UCとか本作を作ってる福井氏のストーリーは、面白いとは思うが異常に露悪的なところがあり、連邦軍の野蛮な残虐行為や戦争の悲惨さを伝えようとするあまり「多くのキャラクターには異常に悲惨な過去がある」みたいな背景をやたらと語ったり「ガンダムとか観てるお前らの好きな宇宙世紀の戦争はこんな悲惨な事を生み出してるんだぞぉ」と突きつけてくる露悪的なところがある。戦争が悲惨なのは確かにそうだろうし、連邦軍を現実の汚い大人たちになぞらえたい気持ちはわかるが、いつも「過剰な語りだなぁ」とうんざりする。何というか「この宇宙世紀の人たちを苦しめてるのはアニメを楽しんでるお前らだ」みたいな感じでファンを断罪したがってるかのような雰囲気を感じる。そういうのってゲームなどでもよくある露悪的な表現だけど正直、幼稚に感じるしノイズになってるのであまり好きじゃない。
ではつまらないか?と言うとそんな事はなく結構面白かった。普通に面白いから過剰に露悪的な主張は別にしなくてもいいと思う。

 

 

話は逸れたが色々やってるうちにヨナやミシェールフェネクスと合一したリタに会うことが出来た。
ネオジオングのマリオネット戦法によって武装や手足をもがれたナラティブガンダムからコアファイターがスポーンと飛び出し、そこから更に搭乗してたヨナがスポーンと飛び出し、リタが溶けた‥というよりもはやリタそのものなったフェネクスの大事な部分akaコックピットにズボッと入ってヨナとリタは一つになり巨悪のⅡネオジオングと戦う‥というクライマックスは異常に気持ちよかった。映像も気持ちよかったし、もはや観たまんま、主人公が昔から好きだった幼馴染にやっと再会してSEXして一つになり困難と戦う‥という構図なので性的なカタルシスもあった。
まぁとにかくサイコフレーム全開となったフェネクスは難なくIIネオジオングを倒す。
IIネオジオングの背中のサイコシャードも確か「刻の可視化」なる何のことやらよくわからん凄い事が出来たと思うが、フェネクスはそれ以上の何でもありなので敵ではない。何しろリタはもう肉体がないのでGなどを気にすること無く加速して光速に近いスピードで移動が可能。
‥なんかもう真ゲッターロボくらい強くない?ここまで強いと、後の時代に出てくるサイコフレーム積んでないガンダムとかが、しょぼく思えて少し寂しい。だけどこういう神のような力を持ったロボは好きだしガンダム最終回のオカルト要素は好きなので別に構わん。UCのラストバトルでもユニコーンが空手の抜き手みたいな技を繰り出すのも好きだったし。
ちなみにクライマックスではバナージがサポートしに来る。UC2ではまたバナージやミネバ達が主人公なんだろう。ヨナとか飛んでいったフェネクスが出てくるかどうかはよく知らん。
だけど「閃光のハサウェイ」が先だっけ?ハサウェイの後に本作の続きをしたら、もう皆この話忘れてるんじゃないかという気もするのでUC2を先にした方がいい気がするが‥。

 


とうとうガンダムそのものが比喩ではなく本当にヒロインとなってしまい、主人公がそのヒロインにインサートするという‥そこに不思議なカタルシスを感じた。フェネクスもまた黄色い機体とか不死鳥っぽいヒラヒラとかが可憐でだんだん女の子に見えてくるし。
そういえばヨナをMS隊の隊長であるオールドタイプおじさんがサポートしてくれるのだが、会ったばかりの彼が親切すぎて意外だった。会って数日で殆ど喋ってもないのに命がけで助けてくれるという‥、何て優しいおじさんだ。
だけどコロニー内で戦闘が始まった時は「一般市民が死んじゃう」とかなり焦った。昔のガンダムだとあまり気にならなかったけど本作だと気になるのは単純に画が精密だからかな。F91とか、主婦の頭にMSの空薬莢がゴーンと当たって死んでも牧歌的な雰囲気だったからあまり気にならなかったしな。
話の内容的にも、ガンダム好きの中高生とか大学生~20代くらいが一番楽しめそうな気がする。‥だけど自分は中年なので果たして実際のところ本当にそうなのかはよくわからない。「中年が『若者に響きそう』と感じた」と形容するのが正しい。よく知らんが、ヨナの「辛いことを我慢したって良いことなんか何もなかったじゃないか!」みたいなシンジくんっぽいエモい叫びやメインキャラたちの悲痛な心の叫びは、自分の中のエモ若者が目を覚まして少しじーんとした。ラストも希望が持てるだったし何だかんだ爽やかで良いガンダムだった気もする。
今回はいつもと違って、大したことないNTパイロットが最強ではないガンダムに乗ってどんどん武装が剥げて更に弱くなっていき、最後に裸になった時に神の力を得て巨悪を殲滅する‥という流れが武侠ものや神話っぽくて良いなと思った。
話はよかったが、MSはアレンジ違いみたいなのばっかでイマイチだった。だけどフェネクスは「全身イエロー+青いオーラ」という他にないカラーリングや不死鳥っぽいデザインなど他のガンダムと被らないしユニコーンタイプの中でも優れたデザインだと思った。出そうと思えばいつでも出てこれるし。あとバナージのシルヴァ・バレトも「ビームマグナム一発撃つたびに腕が壊れるから腕ごと交換」という漫画的なハッタリが素晴らしかった。
UC2が公開されても観るかどうかわかんないけど、その時にこのブログまだやってたらまたお会いしましょう。

 

 

 

そんな感じでした

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(2021)/革命はいつもインテリが始めるが夢みたいな目標をもってやるから過激なことしかやらない、007っぽいラグジュアリーさを持った童貞ガンダム🌏 - gock221B

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『機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)』公式サイト
www.youtube.com

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「ラッキー (2017)」どうやって死をポケットに入れて今までどおり自分らしく過ごすか?という全人類必見の映画🐢

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原題:Lucky 監督:ジョン・キャロル・リンチ 製作国:アメリカ 上映時間:88分

 

 

 

2017年に亡くなった名優ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作。
Harry Dean Stanton - IMDb
ハリー・ディーン・スタントンといえば「パリ、テキサス」「レポマン」‥らしいのだが実は僕どっちも観てなかった。だから自分にとっては〈デヴィッド・リンチ作品によく出てくる人〉という認識、「ストレイト・ストーリー (1999)」はこの人が出てくるというのが大オチだったし「ツインピークス (2017)」にもギリギリ出れた(だが遺作を調べたらツインピークスではなくTVの歴史ドラマみたい)。あとはジョン・カーペンター映画にもよく出てたし「エイリアン (1979)」とか。「アベンジャーズ (2012)」一作目で落下したハルクにパンツを与えたキャラとして出てきたので、このじいさんもMCUキャラの一人だ。
おじいちゃんっ子だった自分の早くに死んだ祖父が、こういう感じの若い頃ハンサムだったであろう男が筋だけになった感じに萎びた老人だったので、この人とかイーストウッドを失われた祖父として尊敬視している(あとSWのターキン総督もか)。
とにかく見た目と雰囲気がカッコいい老人として認識していた。20年前の時点で既にジジイだった。
John Carroll Lynch - IMDb
監督のジョン・キャロル・リンチはこれがデビュー作みたいだがベテランが撮った映画みたいで凄い(それにしても俳優が監督作したら荒野が舞台の老人映画が多いのは何故だろう?)。知らないが名字が「リンチ」なので「デヴィッド・リンチの親戚か?」と思って検索したら全然違った。頭の薄いバイプレイヤーの人。 映画好きなら顔見たら「あぁ、この人ね‥」と気付くだろうが目立つ役あまりしないガチの脇役俳優なので出演作がパッと出てこない人。僕的には「グラン・トリノ (2008)」でイーストウッドと憎まれ口を叩きあう仲の良い散髪屋の親父の役が印象的。あと「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ (2016)」のマクドナルド兄弟の兄役。本作も、そんな感じで主演のハリー含めて脇役老人アベンジャーズ状態となっているが、これは仕事で書いた記事とかじゃなくて自分の只の感想なので自分が知ってるジジイの事だけ書く。

 

🐢

 

ハリー・ディーン・スタントン演じる90歳の独居老人ラッキー。
目覚めると自己流のヨガ体操をして煙草吸ってコーヒーを飲み、カウボーイハットを被って行きつけのコンビニエンスストアで煙草を買い、行きつけのダイナーに行きクロスワード・パズルを解く。日が暮れたら近所の不良老人が集まるバーに行きブラッディ・マリーを飲む。
趣味嗜好や特技としては、煙草と音楽が大好き。ハーモニカ吹いたり音楽番組観たり時には歌うことも。従軍経験のおかげかスペイン語が少し話せる。
詳しい過去は謎だが、若い頃はイケメンだったこと、第二次大戦中は海軍に従軍していた(ハリー・ディーン・スタントン自身もそうで沖縄戦も経験したみたいだし、このキャラは色々とハリー・ディーン・スタントン自身にダブる部分が多く、あて書なんだろうね。まぁポスター見ただけで当て書感がバンバン出てるよな。だから観たんだが。そうでないとジジイの日常を描いた映画とか中々観る気になれない)。
無神論者で現実主義、シニカルな個人主義者。同年代の老人や女性や犬には優しい。時代に取り残されたジジイなのでゲイとか見かけると「やれやれ世も末だ」的な反応を見せる。
だが時代に取り残されて風化寸前の頑固ジジイなのにも関わらず、ボディがジジイって以外は若者の時からずっとこうなんだろうなって感じに見えて、嫌な年寄り臭さを感じない。「ワシはこれでいいんじゃ!」という嫌な自我の維持じゃなく、「俺はこう、70年後も70年前から変わらずこう」といった普遍的な自我の維持をしてきた感じ。
一言で言うとどっからどう見てもジジイなんだが彼がイケメンだった若者の時に見える瞬間がある。英語なので一人称は一つしかないが、もし日本語だったとしたら歳取ったから「ワシ」と言うようになるんじゃなくて何時までも自分のことを「俺」と言いそうなタイプ。だからといって幼いわけではない。
いわば不朽の老人。そんなジジイ。
そんな何時もの日課をこなしていたラッキーだが、ある朝突然倒れる。
病院に運ばれて?検査の結果、、、特に異常は何もない。
煙草を吸い続けているが健康には影響なかった。‥ちなみに自分の祖母も子供の時から90代で安らかに亡くなるまで煙草を吸い続けてたせいか煙草が‥まぁ健康に良くは無いだろうが政府が急に言いだしたほど異常に悪いというイメージもない。俺はハイライト。
医者は「遺伝子が良いのかな?医者としては煙草を止めるよう言うべきだろうがアンタの場合もう吸ってた方が良さそうだ」と言う。
ラッキー「それで俺が倒れたのは何でだ?」
医者「精密検査してもいいが多分わからんだろう。一言で言うと‥歳だから?」
どうやら単なる老衰寸前。病気じゃないのは良かったが逆に言うと治療の方法はない。人類はまだ不老不死を得てない低レベルの科学力だからな。ちなみに俺は「あと40年以内くらいにシンギュラリティによって不老不死が実現しないかな~」と半ばガチで思っている。電脳化による擬似不老不死とかでもいいや。人生って短すぎないか?寿命があってもいいが少なくても400年くらいは生きたい。そんな感じで最近シンギュラリティがどうの電脳化がどうの「現世は仮想現実説」がどうのって話ばかり好きなのって、自分が中年になったので昔の年寄りで言うと、やたら仏壇拝みだしたりする現象の現代版?と思ったりもする。身近なものだとVRとか「全編主観視点で撮った映画」とか異常に好きだし。まぁ無害なのでいいだろう。
話を元に戻そう。
一言で言うとラッキーの身体は充電が切れる寸前のスマホのような状態らしい。
自分の死がすぐ近くまで来ていることを実感し、さすがのラッキーもナーバスになる。

 

 

 

そんな感じで、本作はハリー氏本人を思わせるラッキーの日常を描いたもの。
ドラマ性のあるトピックと言えば、序盤にラッキーが倒れたこと、デヴィッド・リンチ演じる親友のジジイが飼ってるリクガメが逃げてリンチはそのリクガメに遺産相続させようとしていること、後半ラッキーはコンビニエンスストア店主のスペイン系おばさんに誘われてホームパーティに行くことくらいしかない。
あとはバーで友人の老人達と喋ったり、ケースワーカーのお姉さんと一緒にマリファナ吸ったり、ひたすら散歩したりしているだけだ。
だけど凄く面白い。これ観る前にスターが多く出ている派手なエンタメ大作とか冒険映画映画を観ようとして冒頭の10分だけでおもんなさすぎて途中で観るの止めてしまった。同じ10分でも本作の場合、ハリー氏の事が好きだとはいえジジイが起きて運動したり歯磨きして散歩に出かけてるだけなのに「これは良さげだ」と観る気になって最後まで集中して観れた、この差は何なんだろう。
昔から思ってることだけど「第一幕→第二幕→第三幕と進んで観終わった後で「面白かったな」と後から判断する事もあるが、自分に凄くはまる映画の多くが、冒頭の風景とか主人公が目覚めたりするだけでもう面白いとわかるのは何故なんだろうね?別に好きな人物が関わってるからと言って最初から贔屓目に観てるわけじゃないんですよ。死ぬほど好きな監督やお気に入りの俳優の関わった作品や、貶しにくい大人気上映作でも「こりゃ全然ダメだ‥」とハッキリ思う方だし、友だちや知り合いが創った作品や文章や音楽とかでも「あまりそう思いたくないが良くないかもしれない‥、頭の中で1から数でも数えてた方がマシなくらいには‥」と思ったりする。もちろん大人なので「お世辞は要らない!忌憚のない意見を訊かせてくれ!」などと真剣に迫られない限りそんな事は言わず皆と同じ様に笑顔で「良かったよ」と言うだけだが‥。
そんな感じで不思議だが、シニカルな独居老人の日常映画だが映画が開始してすぐにそして終わるまで楽しむことが出来た。

 

 


‥と「じいさんの何もない日常」とか散々書いたが、本作は全編ラッキーが死に向き合う映画でもある。映画が一番数多く描いてきたテーマは〈死〉なので本作は映画ど真ん中と言えるし、〈死〉は、食や睡眠同様どんな人間にも等しく最後に訪れる現象なので、逆に言うと本作は全人類対象映画と言っても過言ではない。
〈死〉というのは究極のリアル。自分が死ぬとは思ってない20歳くらいの子にとっては〈死〉はファンタジーと大差ない、おっさんの俺でも未だに「宇宙の特異点や時空の歪みが偶然、奇跡的に俺と重なって何とか死なないようになるんじゃないか?」と1%くらい本気で思っている。そんな事少しでも思うのも我ながらアホだな~と思うが、そんな空想したり映画観てブログを更新する楽しみもなく毎日、世界や日本や自分の現実などだけ見つめるようにしたら多分自殺するしかないと思う。日本人は戦時中並の異常な数の人が自殺してて、借金苦や精神的な病気以外で自殺しちゃう人の多くは現実を見つめすぎたんだと思ってる。
どんだけ金儲けしても有名になっても友だち百人作ったりSEXしまくっても人を殺したり支配しても、どんだけ盛っても柔軟剤やボディクリーム塗って良い香りさせてもTikTokでいい波乗っても死は必ず訪れる。腐った肉になるか焼かれるかという、ただのクソリアル(孤独死の場合〈死ぬほど臭くて真っ黒い水になる〉という更なるリアルがある)。
人がホラー映画とかを怖がるのは当然ホラーの殆どは〈死〉を扱ったものだからだ。
これが邦画だったら、異常にウェットでサブキャラがしくしく泣き始める嫌な感じの映画になりそう、また逆に「これはどこの現実なんだよ」と思うくらい殺伐とした純文学めいた映画になりそうだが本作は至って自然で、知らない間にポケットに入っていた死を取り出して、そしてまたポケットに入れる、みたいで丁度いい映画だった。もう本作があるから老人が死を見つめる映画は観なくていいや、そんなに見つめたくないし。
ラッキーは、俺が映画や本などのアメリカ文化の中で最も好きな部分‥シニカルだがユーモアを持った個人主義、の塊のジジイであるため、そんなジジイを乾いた感じで描いてるというのが丁度いい。ラッキーは家族が居ないことを寂しがる場面はない。
割と序盤でラッキーは「『孤独』と『一人』は違うぞ」と言う。
ラッキーは、どうしようもなく一人暮らしになってしまったのではなく好きでやってるから憐れむな、と言いたいんだろう。中年や老人じゃない若い子でも「クリスマスや誕生日を恋人と過ごさなくても十分楽しいんだけど、恋人が居ないことより憐れまれるのがキツい」と思う人は多いと思う「辛いわけじゃないよ?」と言っても強がってると思われて余計に憐れまれるので自分を擁護することもできない。そして不幸とは選択肢が減ることだと俺は思ってるので、この場合〈発言する〉という選択肢が減る、恋人が居ないことは不幸じゃなくても第三者によって不幸にされてしまう。アンラッキー。
僕は割と孤独が好きだが、逆に大勢の友だちと騒いだり誰かと住んで他人のためばかりに何かしたり不自由だったりするのも好き、別に孤独も孤独の真逆も好きで、孤独の場合「さみしいよ~」と思ったりするのは30過ぎたら無くなった。まぁ無いのもそれはそれで問題だと思うがそれは置いといて、孤独そのものは好きであっても、それが他人に知られた時「あの人孤独なんだ‥うわぁ~カワイソー」みたいな憐れみは避けようがない。僕は大勢で騒がしくするのも孤独で過ごすのもどっちもやって自分はどっちもいけるとわかった後で「両者は同じようなもの」という結論を得たので、納得を得た俺は孤独でもその逆でもどっちでも良いのだが他人がどう思うのかはコントロールできない。そこが問題だな。まぁ最終的には別にどう思われてもいいから好きなようにする、という結論に達するが。
何か今回は話がよく脱線しますね。まぁとにかくラッキーの居様(いざま)が気持ちいい映画です。
 

 

 

ラッキーはハリー・ディーン・スタントン同様、第二次大戦中は海軍に従軍しており我々の先祖と闘っていた。ハリー氏もそうなのかは知らんがラッキーは揚陸艦でコックをしており、飛んでくる戦闘機に恐怖する日々だったらしい。
行きつけのダイナーで、やはり第二次大戦中に従軍経験のあるジジイと知り合い、ラッキーにしては珍しく笑顔で戦争の思い出を話す。
このじいさんを演じてるトム・スケリットとかいう俳優、誰だろう観たことあるような‥と思って検索したらロバート・アルトマンの僕の好きな戦争コメディ映画「M★A★S★H マッシュ (1970)」の主人公の一人デューク役の人だった。そして「エイリアン (1979)」でノストロモ号のダラス船長役の人だった。こんなに総白髪になったらわかんないもんですね。というか「M★A★S★H マッシュ」から50年も経ってるんだから、こうなるとほぼ別人やろ!「エイリアン」の彼とも人相が違ってて同一人物だと認識できん。
ハリー・ディーン・スタントンはエイリアンの抜け殻を発見して殺される役だったしノストロモ号の同窓会でもあったのね。調べてよかった。
とにかくトム・スケリットは戦時中、フィリピンだかどこかに上陸したら「米兵にレイプされるくらいなら死んだ方がマシ」と思った島民が次々と崖から投身自殺した話をする。また死を前にして笑顔だった少女の話をする。あまりの壮絶さにラッキーも絶句する。
その少し前にラッキーが何者かに電話するシーンがあった。
ラッキー「幼い頃、俺は空気銃で遊んでいて鳥を脅かそうと撃ったら鳴き声が消えた、人生最悪の日だった‥」という独白、それだけだった。
あまりに凄い雰囲気だし、恐らく従軍中のラッキーが戦地で脅かそうとして子供を誤射した時の懺悔をしているのかも。ひょっとすると、もっと口に出せない事実だったのかもしれない。最初は不思議なシーンだと気に留めなかったがトム・スケリットが少女の話を後でしたから、やっぱそういう事かなと思った。そういえば自分が知ってたお年寄りが死の直前、唐突に僕に戦地の人‥特に女性や子供は軍人を恐れたが自分たちは恐れられず一緒に仲良く食卓を囲んで食事をしたという話を何度もし始めて、話そのままの話だったのかもしれないが何か奇妙な違和感を感じ、割と頻繁に思い出して「あれって俺に懺悔する気持ちで事実とは全く逆の事を話したのでは?」と何度も思うことがある。死んだから訊けないし、また生きていたとしてもそんな事は訊けないのでどっちにしてもわからない。理屈でなく何か潜在的なセンサーに引っかったのできっとそういうことなのかな、と思う。現代はネットの発展で「1か0か」と、事実の在る無しがハッキリ別れて周知されている事が多いが、実のところ現実の世の中というのは濃霧のようなもので霧が薄い部分がたまに月明かりに照らされて垣間見えるだけのことだ。だから、そんな部分ばかりを見て「色々わかっちゃったな!」などと世の中を見切ってはいけない。見切れば自分では気づかないうちに、ただ堕ち続けるだけだ。この「自分では気づかないうちに」というのが一番恐ろしい。
とにかく友だちや知り合いは大勢居て知らない人とも溶け込めるラッキーに家族が居ないことや彼のシニカルさ虚無性は、そういった「人に言えない過去から起因するもの」から来てるのかも知れない。その辺を匂わすだけなのが良いですね、つまんない邦画ならクライマックスで号泣しながら全部口に出して独白してしまいそうだ。そうなると「あーうるせえうるせえ!穴掘ってそこに喋れ」と思いかねない。俺が言ってるラッキーの過去もあったかどうかはわからない推測しただけなので無いかもしれない、だが推測するように映画を作っている。そこがいい。
ところで聞き逃したのかも知れないがラッキーは誰に電話してたのかよくわからなかった。かかってくる事もあったが相手の声は聞こえなかった。ひょっとすると電話はどこにも繋がっておらず懺悔として電話に向かって話してただけなのかもしれない。まぁ神に話してたのかもしれない、そうすると掛かってきたのは死が迫ってきているという事かな。この電話がオモチャみたいに真っ赤だし、その映画的なサインは「この電話は非現実のアイテムだよ」というサインだったのかもしれない。そういえば行きつけのバーのイケメンじじい(彼も元スターが演じてるのだが俺が知らんから割愛)が急にふらっと外に出て赤い建物に近寄りラッキーも近寄るが入らない謎のシーンがあった。あの謎の建物も〈死〉のメタファーなんだろうね。ラストに出た庭園も‥。
またラッキーは、心配して訪ねてきてマリファナまで吸わせてくれる親切なケースワーカーに、ブリったついでに、ここだけの話として彼女だけに自分の独白を聞いてもらう。それは、
ラッキー「‥怖い‥
という一言だった。
ラッキーは、診断の直後にちょっぴりナーバスになっただけで全編(ラストまで)飄々としていて、ここだけ〈死〉への恐怖をむき出しにするのでハッキリ言って、このシーンめっちゃ怖かった。ラッキーの表情、雰囲気‥「地獄の黙示録 (1979)」ラストでも同じセリフがあったが、こちらの方が何倍も響いた。我々がホラー映画を全編観て「怖いな怖いな~」と感じる2時間を2秒に凝縮して叩き込まれたようなもんだ。
その後は、コンビニエンスストアのおばさんに誘われたパーティに出かける楽しいシーンや行きつけのバーでラッキーが自分なりの結論をジジイ&ババア仲間に口にする暖かいシーンがクライマックスになる。

 

🐢

 

何か今回は妙に長くなったが割と核心などのネタバレはしなかった気がする。というかリクガメの話や本作を観ての感想すら殆ど書いてない気がする!記事タイトルの感じかな?あまり個人的すぎる事は書かない方が良いかなと思ってラッキー同様、周辺をウロウロしていたような感想になりました。何もかも全部書いたらだせーし。
かなり好きな映画だった。映画好きなくせにソフト滅多に買わないんだが本作はブルーレイ買うかもしれん。何しろ主人公が90歳だから90歳になるまで目上の話として観れるしね。
だけど僕は主演や出演者、監督の一切気取らないがカッコいい語り口、孤独な男が死と向き合うというテーマなどが個人的にヒットしたが誰もが観て面白いわけではないと思う。20歳くらいの若者が観ても「自分のおじいさんを思わせる」などの理由がない限り面白くはないんじゃないかな?わかんないけど。
「孤独」映画というよりも「孤立」映画と呼びたい感じ。
イーストウッドの「運び屋 (2018)」の主人公は、彼が演じたにしては人間らしいキャラにした方だがそれまでまだまだ〈常人では到達できなさそうな個人主義者ジジイのキャラ〉だったが、ラッキーはもう少し現実的に〈自分たちが心の持ちよう次第で近づける個人主義者ジジイ〉として認識した。
憧れの孤立ジジイと寄り添える孤立ジジイ。ジジイ孤立映画はこの2本できまり!
自分の中で尊敬する「ジジイ四天王」として〈チャールズ・ブコウスキー水木しげるクリント・イーストウッド。リック・フレアー〉らが四柱だったが、本作も良かったのでハリー・ディーン・スタントンも入れて「ジジイ五神」にしようかな。
「さほど興味ないけどハリー・ディーン・スタントン死んだしリンチも出てるし、葬式代わりに観てみるか」と軽い気持ちで観たけど思いのほか面白かった。老衰寸前のジジイがウロウロしてるだけの映画なのに観た後、世界や生きる事に希望が湧いてくるというというのもポイント高し。
それにしてもラッキーがいつも飲んでるブラッディ・マリーだが、ウォッカ+真っ赤なトマトジュースに凄くデカい緑のセロリがぶっ刺さってる様が‥彩りが良すぎてめちゃくちゃうまそうだった!次にバー行ったら絶対飲もうと思った。あと家で酒飲む時も野菜や果物を刺すなどの精神的経済的ゆとりがあった方がいいのかも。
アメリカン年寄りが死を見つめる映画は必ずジョニー・キャッシュが流れるが、カッコいいのでまあいいか。
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※追記
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‥と映画の感想をUPした後で、ブラッディマリー飲みたさMAXになったが明け方(AM4:00)に出かけたくないな~と思ったがコンビニにあるもんだけ(ウォッカ、トマトジュース、タバスコ、セロリ)で作れるじゃんと思って作った。味は‥ウォッカ入れ過ぎの感があるがまぁいい。あと劇中に出てくるコレ見て「セロリかじりて~」と思ってたが実際かじってみると何だか巨大百貨店の綺麗な御手洗いを食ってるような味だった。だけど、この酔いが覚めるような味は毎日、現実や暗闇を見据えるラッキーの気持ちに近づいた気がしなくもない、ラッキーは齧ってなかったけど。とりあえずクリエイティビティを満たせて満足した🍅🍹
※追記2
‥と書いた直後、お友達のセンセーに「ウォッカは30ccで粗挽き黒胡椒を入れたらいいよ」と言われたのでそうしたら美味くなった(画像右)。どうやらさっきのはウォッカが多すぎたようだ。ブラッディマリー作ったおかげで死ぬ前にまた一つ賢くなれた。
死!チーン

 

 

そんな感じでした

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映画『ラッキー』公式サイト

Lucky (2017) - IMDb

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『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018)/ポップカルチャー陰謀論ミステリー。子供達をブン殴るシーン最高!🐾

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原題:Under the Silver Lake 上映時間:140分 製作国:アメリ
監督&脚本&制作:デヴィッド・ロバート・ミッチェル

 

 

不思議なテイストでヒットしたホラー映画「イット・フォローズ (2014)」の監督による不思議なサスペンス‥‥サスペンスといっていいのかな?デヴィッド・リンチ映画のような、ハリウッドを舞台にした不思議なミステリー映画。
監督は、富裕層やセレブの考えややってる事いきつく先が全くわからないので妄想したストーリーらしい。
「イット・フォローズ (2014)」の時「SEXした時点から追いかけてくる死のメタファー」としてのイット・フォローズ・ゴーストが面白かったが、それは置いといて「キャラクターが妙に個性あって、映像や小物がどれもホラー映画には不必要なくらいお洒落で目立ってるな~」と気になって「面白かったけど、ホラー映画は定形のお約束が多いからこの監督はジャンル映画じゃない方が合ってるのでは」とか思ってたのでホラーじゃない作品だったのは丁度良かった。既存の映画監督で言うとタランティーノとかウェス・アンダーソンみたいな、それの現代っ子版という印象。「イット・フォローズ」の小物といえば主人公の友だちの一人が持ってる「貝殻の形をしたスマホ?もしくは電子書籍バイス」みたいなやつが可愛かった。でも調べても市販品ではなくわざわざ作ったらしく、またその友だちも本当にただ居るだけ「主人公の友だちの一人」ってだけでしかない可愛い子で、その子のためにわざわざこんな物作るか?と思って「面白い監督だな」と、ホラー要素以外の部分が気になってました。本作でも色んなパーティ会場やクラブ、部屋の内装や小物などどれもめちゃくちゃ可愛かった。

 

 🐾

 

シルバーレイク。ロサンゼルスとハリウッドの中間に位置していて、クリエイターや流行に敏感な者が多く住みたい街の上位に挙げられる街‥日本だと恵比寿とかか?
アンドリュー・ガーフィールド演じる主人公サムは30過ぎてもフラフラしている。
めちゃくちゃ家賃高そうな物件に住んでいる。仲の良さそうなママからたまに電話がかかってくる。どうやら親は業界の人間らしく金持ちっぽい。しかしサムは家賃を滞納しており、それなのに仕事を始める雰囲気もない。女優志願の女の子が毎回違う衣装を着てきて頻繁に訪れSEXしているが恋人ではなくセフレ(ちなみに本作出てくる女の子は全員ハリウッドに行きたがってる女優志願)。特に説明はないが、サムも何かエンターテイメントに関わる仕事をしたかったが上手く行かず、都落ち寸前の無職になった感じなんだろうね。
街のあちこちには「犬を殺せ」的なメッセージが落書きされていたり、犬の迷子ビラが貼られている。だが終わりまで観た後で思い返すと「視界に入るものの中から犬に関するものばかりをサムの脳が選択し、そこばかりに焦点が合って脳の記憶フォルダに入れてただけだろう」と思った。サムが歩いてるとリス的な小動物が落ちてきて内臓がはみ出て息も絶え絶えだ。本作への期待度が高まる。
ある日サムは双眼鏡で隣人の熟女ヌードを見てると、違う部屋に犬を連れた美人が住んでるのを見つける。演じてるのは「ローガン・ラッキー」にも出てたプレスリーの孫娘の女優。
サムは翌日、彼女が飼っている犬に(何故か持っていた)犬の餌をあげて彼女‥サラと仲良くなる。美人なだけでなくウィットに飛んで凄く楽しそう。サラに一目惚れするサム。恋愛対象として惚れたと言うよりも「俺の虚無的な日々も、キラキラしてる彼女と付き合えば輝く日々になるかも‥」という感じだと俺は思った。しかしサラは翌日、部屋を引き払ってしまう。
たまたまだが自分がサムくらいの年齢の時にそのままサラという名のミステリアスな美人に出会ってサムみたいな感じで追いかけたことあるので「わかる」と思った(最近このくだり多いが全部ほんと)。というかガーフィールドのような長身イケメンである事を除いては、サムに色々と共感できるので(主に悪いところばかり)サムに感情移入するのは容易だった。
その日からサムによる彼女の行方探しが始まる。
サラの部屋に描かれていた謎の記号。そして彼女部屋の残り物を持って帰った女。手がかりはこれだけなのでサムはとりあえず女の後を追う‥。
サムは元々、アメリカによくいる「ポップカルチャーや製品に隠された暗号を見つけ出して『アメリカに隠された陰謀』を解き明かす」というポップカルチャー陰謀論者だったので陰謀論に絡めてサラ探しに没頭する。
具体的に言うと、TVに出てる出演者が右を何度向くか全部数えたり、雑誌や食料品の成分表示などから「秘密結社によって隠された暗号を見つけ出せる」と思ってる人。そして「上流階級やセレブの者たちはそういった暗号のやり取りによって自分たちしかわからない情報共有をしている」と思っている人たち。そういう人はアメリカに大勢いる。たとえば「ルーム237 (2012)」というドキュメンタリー映画は「シャイニング」をむちゃくちゃな観方をしてありもしない隠された暗号を探すサイコウォーリアー(キチゲェ)ばかりを集めた映画だった、こういうと面白そうに聞こえるかも知れないが丸っきりサイコウォーリアーの人の発言だけ集めたものというのは「風の音だけ集めたCD」と大差ないので実際観たら全然面白くなかった。
話を戻すがサムは、まぁ妄想癖が強い人とキチゲェの中間にいる人。このまま頭のおかしいサイコ・ウォーリアーになって真っ白い部屋に入れられてしまうのか、それとも健常者に戻って就職して結婚するか、まだどちらでも選べる状態にいる人。
サムはサラと談笑しただけだし、一目惚れしたとも僕は思ってないし「仕事や家賃の事は考えたくないが、やりたい事もないし今はサラ探しに没頭しよう」と思ってそうしてると俺は思った。

 

 


サムはサラの家から出てきた女を追って、セレブが開く色んなパーティで聞き込みしたり、友だちとダラダラしたり、シルバーレイクについての陰謀論のジン(同人誌)の作者に会ったりして調査を進める。
「イット・フォローズ」を観ていた時に感じた「面白いけど、この映画、ホラー場面じゃない時の方が面白いのでは‥」と感じた予感が当たった感じで面白い。
ちなみにジンの作者は「マルホランド・ドライブ」で「ファミレスの裏に住む地獄みたいな顔をしたホームレスを見て即死する男」役の俳優。新しい「ツインピークス (2017)」にも出てたし、監督はきっとリンチ作品観てキャスティングしたんだろう。
ある夜、サムの車が傷つけられていた(チンコの形の傷が大きく刻まれていた)。ふと見ると小学生くらいの悪ガキ数人が違う車にも小便かけていた。なんつー悪ガキだ!
サムはどうするのかと観てたら、サムの中で獣が目覚めた!いきなり小学生を全力でブン殴った!BOOM!(ブーン)。ガキ「ぐほおおおおお!」。ガキは地面に転がった。釣り上げられた魚のように。後は息ができなくなって死ぬのを待つだけだ。だがまだサムの怒りは収まらない。
間髪入れずサムは悪ガキにマウント・ポジションを取りスーパーで買った生卵をガキの口に突っ込む!サム「これでも喰らえ!」
この映画、最高!
「おいオッサン何するんや!」と仲間を助けに来た悪ガキ小学生、サムはそいつにもボディ・ブロー!BOOM!(ブーン)。ガキ「ぐふうう!」二人目のガキも哀れ、屠殺された豚のように地面に横たわった。泣きわめく悪ガキ達。地獄絵図。生き残ったガキは逃走!
サム‥完全勝利。お前がナンバーワンだ。
こっちは身長180cmくらいある成人男性、相手はか弱い悪ガキ小学生‥、普通なら親を呼び出すか、いきなり警察を呼ぶかの楽しい二択を選ぶところだがサムは隠された三択目を選んだ。子供?当然ボコボコでしょう!むしろ子供を殴らないで一体誰をぶん殴るんだ?大人の男なんて怖いし殴るわけがねえ!
まさかサムが突然、子供に比類なき無慈悲な暴力をチルドレンに対して振るうとは思ってなかったので一気にテンションMAXになり、冒頭から楽しく観てたが更に本作に期待持てるようになり本腰入れて観る構えになった(その構えになってない時と俺の心境以外何ひとつ変わってないが)。
‥と書くと今のSNS的では「子供が暴力振るわれる場面が好きなんですか?!」とソーシャルジャスティスウォーリアーに突っ込まれがちだ(あと映画あんまり観てない人とか?)勿論そんなわけはないし後で何も悪い事してないサムが女の子にボコボコにされるシーンも最高なのだが、そういう事を言ってくる人に一体何故この場面が良いか説明するのは難しいし面倒くさいのでいっそ説明しないことにする。というか実際に文句言われてないうちから言われた時の事を考えて自粛していったらアホになっていくのでそもそも最初から気にするのはやめよう。
さっきも言ったが、サムがサラの部屋から出てきた女をパーティで見つけ、女子トイレで問い詰めるといきなり金的されて今度はサムが屠殺された豚のように床に転がってると、入ってきた女達に犬の吠え真似される場面や、サムが突然スカンクにションベンかけられてサムが終盤までずっと他人にクサがられ続ける様なども似たテンションで最高だった。突発的な暴力が思いもよらないタイミングで挟み込まれるし、そもそも暴力のセンスがめっちゃ良い。僕は中原昌也氏の小説が大好きなんだが、中原作品に出てくる暴力に似てるなと思った。

 

 


パーティでサムは、バンドのLIVEに誘われるのだが、そのチケットが「クッキー、しかも食べちゃダメ、入場時に食べる」というのが凄くお洒落だし可愛いしこの監督っぽくてよかった。
LIVEに行ったサムはエントランスでクッキーを食べる様に言われて全部食う。
中では、先日のパーティで見かけたバルーン・ガールと共に地下にあるクラブ(このクラブもめちゃくちゃ行きたくなる感じ)で踊る。凄く楽しそう。だがエントランスで食ったクッキーにはドラッグが入ってて、知らずに全部食ったサムは具合悪くなり、翌朝クラブの前のハリウッド墓場で目覚める。凄くクラブで起こりそうな楽しい失敗談だ。ところでこのハリウッド墓場も本当にシルバーレイクにあるらしい。
サムは、そこでGETしたバンドのレコードの謎を解き明かすとホームレスの王様と出会い、賞品として防空壕みたいなところに連れてかれる。出口から出るとスーパーマーケットの冷蔵庫?的なところで、サムはとりあえず無表情でミルクを飲む‥って場面も「サムは今一体どういう気持なんだろ」ってくだりも楽しかった。
サムは何か起こると「おぉ‥」と一応は驚くのだが、驚きすぎず何とか速やかに対応するので観てて面白い。人生全体としては迷ってる青年なんだが全然ウジウジしてないカラッとしてる感じなので観てて不快にならない。
そのまた翌日サムは「何故レコードにこんな暗号を入れたのか?」ということをバンドのリーダーから聞き出すためにバンドのパーティに行き、バンドのリーダーがウンコしてる時にトイレを強襲!フルチンのリーダーをボコボコにして聞き出す!
というか普通に会話して訊くのかと思ってたのに突然サムの中の獣が目を覚ましスーパー暴力が吹き荒れたので驚いた。しかもウンコしていたリーダーを便器から引き離した後に「便器にひり出された長めのウンコ」を2秒間くらいしっかり映すのが面白かった。そんなにじっくり不必要なウンコを映すとは‥(そしてウンコや便器をこしらえた美術スタッフの気持ち)。

 

 


そんなサムの冒険や調査の結果、幾つかの真実にたどり着く。
こういった関係妄想みたいな思い込みが出てくる映画は「全部間違いだった」という結果に落ち着きがちなので本作の「むしろサムの妄想は全部本当だった!」という結論こそが本作のツイストだった。
だが本作は「現実の描写と、主人公の妄想が全部同じトーンで描かれてる」映画だし、実際のところサムが本編で出くわす信じられない真実や出来事は全部サムの妄想だろう。
そしてサムが終盤、自分を囚えたホームレスの王に語る「別れた彼女と犬の餌」の話が、それまでの全編ずっと夢の世界でボンヤリしてたサムじゃなくて急にリアルな感じで喋ってたので「ああ、サムが無職でTVばっか見て陰謀論を妄想してたのも、ちょっと知り合ったサラを美女とはいえ大して好きでもないのに異常な熱意で追ってたのも、犬の餌をずっと持ち歩いてたのも全部、失恋の痛みがそうさせてたんだな」と思った。犬というキーワードがやたら劇中に出てきたのも元カノの犬にさっと餌をやれればヨリが戻るかもと思ったサムが一日中「犬‥犬‥」と思っていたからだろう。
ラストシーン、隣の熟女とファックして煙草を吸いながら「妄想のグッズでいっぱいで例の記号が書かれた狂った自部屋(あっちの世界)」に大家が突入する様を、それまでの混乱した様子のサムとは打って変わって自信有り気なクールな感じで見てたのは「昨日までの俺、キチゲェだな‥ww」という自嘲スマイルと共に、陰謀論妄想の世界を卒業したんだろう。だからハッピーエンドなのかな。
だけど正直、陰謀論の幾つかの結末、作曲家が出てくる方はまぁ良いけど、アセンション集団の方は見せない方が神秘的で良かった気もする。まぁこれも多分妄想なんだろうから良いのか‥。だけど事故を偽装した男の娘は何で殺されたんだろ?‥と思ったけどそれもサムの妄想だろうし、妄想の中でサムの「初めて抜いたPLAYBOYの表紙」のビジョンが混在しただけだろう。この「湖に沈む女」と子供ボコボコにするシーンは本当に素晴らしかったね。
もう少しわかりにくい方が好みだけど全編楽しかったし凄く楽しめました。
※というか今知ったけど「イット・フォローズ」がこの監督のデビュー作なんじゃなくて「アメリカン・スリープオーバー」っていう青春映画がそうだったらしい。しかも本作の野外上映で上映されてたのがそうみたい。そっちも観てみよう。

 

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そんな感じでした

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Under the Silver Lake (2018) - IMDb

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『search/サーチ』(2018)/パソコンの画面だけで映画が進む、割と誰が観ても面白いと感じそうなミステリー💻

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原題:Searching 監督&脚本:アニーシュ・チャガンティ 製作国:アメリカ 上映時間:102分

 

 


主演は韓国系アメリカ人のジョン・チョー氏。一番有名なのはJJ製「スター・トレック」シリーズのヒカル役か。今度作られるNetflixのドラマ版「カウボーイ・ビバップ」でスパイク役するのはこの人らしい。スパイクにしては雰囲気が真面目そう過ぎる気もするが‥まぁそれはその時に考えよう。童顔のイケメンなので若いのかと思ってたら中年の俺より更に年上だった。本作はずっと眉間に皺を寄せてモニター見てるのでベテラン漫才師みたいな般若っぽい顔になっている。
全編、パソコンのモニター上でストーリーが進む。だが主人公が外出時などはスマホや監視カメラの画面も入るが、この主人公は〈全編PC上で映画が進む〉を実現したいがためにスマホを極力使わず、家で電話をかける時は必ずPCからFaceTimeなどで通話する。「普段の生活でここまで頑なにスマホを使わずPCを多用しまくる奴が居るか?」という気がしなくもないが、そんな意地悪な考えは捨てて「この人はパソコンで色んな事するのが好きなんだな。入力スピードも早いし」と思って観るのが吉だ(その姿勢が真の面白さを掴み取る秘訣)。劇中98%くらいはパソコン画面なので謳い文句に偽りはない。そして主人公がPCやスマホなどのデバイスに触れてない時間は劇中で一切描かれない(その間の主人公の行動は、他人が撮ったスマホ映像やニュース番組のカメラ映像などで見れる)
ネタバレ無し

 

 

 

主人公には優しい妻と愛娘がいた。金持ち‥ではないんだろうが立派な家も持ってるし貧乏日本人の自分からしたらかなりの金持ちに見える。
思い出の写真や映像が流れて家族3人の事がスムーズに知れる。
妻はピアノと料理が得意な女性だった。この奥さん昔付き合ったことあるピアノが得意な女性に似てるな‥奥さんの活躍も楽しみだY、とか思ってたら奥さんは難病にかかって1分くらいで死亡した。お、奥さん~! 突然の別れ(そして無言の帰宅)。
父子家庭になった主人公一家。良い子の一人娘はピアノ教室に熱心に通っている。主人公はマリファナ好きだがナイスガイの弟と仲がよくビデオチャットでよく世間話をしている。そんな冒頭。
自分も主人公と年齢近いので家庭はないが感情移入して観やすいな。というかアメリカ映画やアメコミは主人公が大抵中年だから全部観やすいな。自分がジジイになったどうしよう。だがジジイになった時にはジジイの風が吹くさ。
一人娘は徹夜の勉強会に行くが何度電話しても出ないし家に帰ってこない。
やがて警察に通報し、女性刑事ヴィックが指揮を取り捜索が始まる。
主人公も、娘のSNSやメールなどから手がかりを得ようと調べる。
娘はTwitterやインスタはほぼやってない、Tumblr‥には自然の写真ばかりで手がかりがない。そこでFacebookでフォロワー90人近くに片っ端から電話して聞き込みする。
やがてわかってくるのは、娘には実は友人が殆どおらず、あんなに好きだったピアノ教室もしばらく前にやめていた。何故だ?そして映像生配信もしていた。他人とのコミュニケーション、理解者を求めているかのような行動が目立つ。
主人公は、自分が思っていた優等生の娘像と現実世界の娘との乖離に距離がある事に気づき、何もわかっていなかったショックを受ける。
そして、わかった事は逐一ヴィック刑事に教えて捜査していく。彼女もまた主人公の娘と同じくらいの息子がいるし親身になって熱心に捜査してくれる。
娘の行方不明が全米に知れると、電話で聞き込みした時に娘と親しくも何ともないと言っていたはずの同級生たちは、YOUTUBESNSでまるで娘と親友であったかのように嘆き始めた。無論アクセスやイイネ!を集めるためだ。

 

 

 

という感じで、SNSやその他のサービス、PCにあるファイルなどを調べて娘の内面や行動を調べて彼女の行方を探っていくミステリー。
観る前は「表示されてるのがPCのモニターだけって面白いのかな?」と思ってたけど、むしろ情報量が多い普通の映画画面よりも、1か0、過程と決定しか画面に表示されていないデジタル情報しか表示されてない本作の方がわかりやすかった。
主人公の顔がカメラに映ってない時間も多いが、カーソルの動きやクリックによる決定によって主人公の心理や感情が、顔を見せる以上に表現されていた。「自分がAIや機械だったら世の中がこんな0か1で可視化された風景として見えるんだろうか」と思った。
自分が知らなかった娘の私生活を知れた後の主人公は、意外な容疑者を見つけて監視カメラを仕掛けて尋問する。ここは、デジタルな映画だと思ってたら随分アナログで意外な容疑者が現れたことで第一の捻りがあった。‥と思うとその後3個か4個くらいどんでん返しが続くし、これまでの全編で色々見せてきた情報が伏線となって全て終盤に収束していって事件は終わりを迎える。とても面白かった。
凄い見事なミステリーじゃないですか?これ。だからといってコレが普通の劇映画だったとしたら「うーん地味だな」と思って最初から観なかっただろうし「全編PC画面」は絶対に成功だなと思った。
そして娘のことが全くわからず暴走気味だった主人公も捜査と共に変わっていく。映画が始まった時と終わる時では大きく違っている。立派な父親に成長だ。それも会話とかじゃなくて行動や写真などの「結果」のみで表現してるのが気持ちよかったですね。
面白い映画の中には、映画的リテラシーや専門的知識が必要なものも多いが、本作の場合、映画なんて普段観ない人にいきなり観せても楽しる映画な気がする。あまり興味なく観始めるが「このプロットどうなるんだ?」と気になって観てるとラストまでいって値段分の満足をくれるタイプの映画というか。脚本も書いたこの監督凄いな。
とある自白する男が突然出てくる周辺だけ凄く強引だったけど、その時間は既に「一体どうなるんや!」と前のめりに観てる佳境だったので少々の豪腕展開は気にならなかった。突飛な展開を「凄味」でねじ伏せた感じか。
あまり面白くないページになったが自分で捜査の進展を観ていかないと面白くないので内容にあまり触れない‥感想というより只の紹介って感じのページにしてみた。

 

 

そんな感じでした

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👨💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱💻📱👧

Searching (2018) - IMDb

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『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013)/20歳のまま時が止まった系おじさんの苦しみに共感&ロック・ボトムの有用性🍺

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原題:The World's End 監督&脚本&製作総指揮:エドガー・ライト
主演&脚本&製作総指揮:サイモン・ペッグ 主演&製作総指揮:ニック・フロスト
製作国:イギリス 上映時間:109分 ※スリー・フレーバー・コルネット3部作の完結編

 

 

 

エドガー・ライト監督&主演のサイモンペッグ&ニック・フロストというトリオによる「ショーン・オブ・ザ・デッド (2004)」「ホットファズ 俺たちスーパーポリスメン! (2007)」に続く三作‥通称スリー・フレーバー・コルネット三部作の完結編。
三部作といってもストーリーが繋がっている映画シリーズではない。このトリオで制作したB級コメディ映画3作の俗称。監督が言うには「集団の中の個人」や「思春期から抜け出せてない男の成長」などが共通のテーマで、あとは「走るシーン」「庭のフェンスを飛び越えるギャグ」なども共通している。
Netflixで配信されてたので観た。これは当時観たのだが、映画の内容と被ってるがめちゃくちゃビール飲んでベロベロの状態で観たのでハッキリ言って殆ど覚えてないので改めて観た。
ネタバレあり

 

 

 

アル中のアラフォー無職のゲイリー(サイモン・ペッグ)は、学生時代はイケてた不良だったが落ちぶれてしまった自分と違い社会的に成功した4人の幼馴染と20年ぶりに再会し、高校卒業の時に達成できなかった「一晩に5人で12軒のパブ・クロール(パブでハシゴ酒)」という記録に再挑戦することを決め、故郷の街へと戻ってきた。
彼らはゲイリーに強引に誘われるままパブクロールを始め、12軒目となるパブ「ワールズ・エンド」を目指して飲み歩きを開始する。その途中で彼らは故郷の町に異変を感じる‥という話。
一件、ジョッキ一杯だから「町を一周しながら12杯」ってことで、歩くのはしんどいが出来なくもなさそうに思えるが初挑戦時の18歳なら確かに途中でリタイアするのもわかるわ。
5人は再会が20年ぶりだったため最初はぎこちなかったが思い出話などして、だんだん酔っていくのと合わさって徐々に打ち解けていく。
途中で仲間の一人(マーティン・フリーマン)の妹サム(ロザムンド・パイク)も加わる。彼女は高校卒業時のパブクロールの途中でゲイリーとトイレでファックした。そして仲間の一人が彼女に惚れている。
「昔からいたパブの奴らに話しかけても誰も俺たちを覚えてないな~まぁ20年前だからな」などと話しながら町の異変を感じつつ、ゲイリーはトイレで若者と喧嘩になる。
若者は転ぶと頭が取れて青い血が‥、なんとロボットだった。
ゲイリーと幼なじみたち〈五銃士〉は、他にも同じ様に町の人と身体を入れ替えていたロボットと戦い破壊する一行。
ちなみにロボットはヘッドロックして捻ったり、ぶん殴れば割とあっさり倒せる。
なんと青春思い出しコメディかと思いきやSFボディ・スナッチャー映画だったとは‥(‥というか一度観て知ってるんだが、知らない体(てい)で書いたほうが組み立てやすいのでそのように書いてる)

 

 

五銃士&サムは「俺たちがパブ・クロールしてるのは大勢が知ってるし今急に辞めて町を出たらボディ・スナッチャーロボットに怪しまれて追いかけられる」という苦しい理由でパブクロールを最後まで続けることにした。
それと、ゲイリーがパブ・クロールに固執している。
ゲイリーは幼馴染たちと違い、イケていた18歳の時のまま時間が止まっている。
言動や喋り方や行動、ファッションや乗るクルマ、聞く音楽まで全てが当時のまま。
若者のまま止まってしまった系おじさんだ。というか僕もそうなので身につまされるものがある。四人の幼馴染はどこかでいい加減な生活を切り上げてキチンとした仕事をして家庭を持っている。若者の時と同じ嗜好や行動してるのはゲイリーだけだ。僕もそうだが年相応に家庭を持たず、こういう生き方をしてると周囲とどんどんズレていく。友だちが結婚したり子供が出来たらどんどん会いづらくなってくる。友だちというのは(特に家庭を持ったり順調で精神が安定している友だちは)優しいので「いやw遠慮せずいつでも来いよ」と、社交辞令でなく本気で言ってくれたりもするが、優しくされるのもそれはそれで別の気まずさがあり結局会わなくなっていきがち。「それなら10歳くらい若い奴を友だちにしたら?」というのを試したところで、若者も年取れば結婚するので同じことだ(ちなみにゲイリーもラストで若者を友だちにしていた‥なるほど、どこの街にも一人はいる若者しか友だちがいない変なおじさんはこうして出来上がるのか‥)。
明るく振る舞ってるがゲイリーも恐らく生きづらさを感じているだろう。彼はアル中を抜け出す施設から抜け出してきていたようだ、パブクロールを達成したところで何もならないのだが他にゲイリーに出来ることは何もないので何とかパブ・クロールを達成しようとしている。ヤケクソだ。俺がアフィリエイトとか付けてないのにこのブログをやたらと更新しまくるのも似たようなもんだ。
そして、そんな風に「若者の時と同じノリでずっと生きてたら社会と完全にズレてしまった」ゲイリーが「何か、周り‥変じゃね?」と思った瞬間に、そのまま「周囲の者が本当にボディ・スナッチされていた!」と、本作はそれをメタファーじゃなくそのままSFギャグに落とし込んだのが一番面白いところだ。
だから僕は、この「町の人がロボットに入れ替わられてる」と判明する中盤が最も面白かった。後はぶっちゃけオマケだ。

 


知らない間に仲間も一人また一人とロボットに入れ替わられている。
たぶんゲイリーが「俺と違って大人になっちゃったな~」と思った幼馴染が変わってる気がする。
最終的に残ったのは、ゲイリーと一番仲良かったが疎遠になった事を恨んでいるニック・フロスト演じるゲイリーの元相棒。ゲイリーと高校時代にトイレでファックして「当時はカッコいいと思ったけど大人になった今あなたと付き合うのはちょっと‥」とキチンと相対して会話してくれるサム。そのサムの事がずっと好きで突然告白する幼馴染。
‥など、ゲイリーと腹を割って接した者はボディ・スナッチされず生き残った事に気付いた。つまりゲイリーが「こいつロボットみたいに意図が読めなくなった‥」と思った者がロボットに入れ替わったんだろう。
あ、「物理的にゲイリーと通じ合わないやつが入れ替わられた」と言ってるんじゃなくて、比喩ね。「作品内容を何かの比喩だ」と説明する時、学歴とかもないしそういう比喩について、どうやって文章化すればいいか未だによくわからん。でも、まぁ‥わかるだろ。
クライマックスは パブ・クロールを達成し、人類を進化させようとする優れた宇宙人と言い合いして、呆れた宇宙人は地球を後にする。
この言い合いが正直長過ぎる!アクションせず言い合いしてるだけだからな。数ターン話すだけでいいやろ。
ゲイリーが言う「人間は反抗する生き物なんだ!上から目線でお前らのやり方を押し付けるんじゃねえ!」という言ってる内容は全くもって共感できるのだが、そういう意見を受けたエイリアン側は「な、なんてめちゃくちゃな奴なんだ!」というリアクションをする。それも自然な流れなのだが呆れたエイリアンが地球から去るまでに三往復くらいこのやり取りが続く。ここまで長いと〈脚本を書いてるのはエドガー・ライトアナーキーな台詞を言ってる2人。この3人が本作を制作している〉という背景が頭に浮かんできてゲイリーとアンディが反抗的なことを言うたびにエイリアンが「な、なんという奴らだ!私は良くしようとしてるのだぞっ」と、悪役になってリアクションしてくださってるのが徐々に恥ずかしくなってくる。「このやり取り一言づつでいいだろ‥早く次言ってクダサイヨ‥」と赤面させられた。

ラストは、ハッピーエンドになる。ゲイリーや仲間を好きなのでその事実は嬉しいが、こういった映画でハッピーな終わりだとインパクトが薄れるな。それこそ本作のロボットがパクりまくってる「SFボディ・スナッチャー」のラストが最高だったわけだし、ジョン・カーペンターB級映画群のように「死にはするが敵の体制には敢然と反抗したまま死ぬバッドエンド」の方がより心に残るというものがある。本作を当時観てすっかり忘れてしまった理由の一つはこのハッピーエンドだなと思った。しかも「ゲイリーが断酒に成功して酒飲まなくなった」というのも良い事なんだけど何だか別人になったみたいで寂しい。
映画とかってフィクションなのでハッピーだろうがバッドだろうが上映時間の終わりと共に終わるんだから、それならホラーとかSFは〈よほど良いハッピーエンドのアイデア〉が浮かばない限り、とりあえずバッドエンドにしといた方がいい気もする。

 


最終的には「学生時代はイケてたが落ちぶれてアル中になった中年が、疎遠になっていた幼馴染と会った。飛躍的な幸運があったわけではないが何人かとは心を通じ合わせることができ断酒も出来たからがんばるぞい」って内容の映画だったのかな。
それとボディ・スナッチャー映画自体、最近カッコいいと思ってたとこだったので観れて良かった。あと前からサイモン・ペッグは好きだがおとなしい男の役をやる事が多い、本作の不良‥じゃないけどちょいワル高校生がそのままオッサンになった感じは凄くカッコよかった。ファッションも「いい歳して当時みたいな格好して‥」という痛々しさだけじゃなく細身にロングコートでカッコいいし、なんならハゲ方までカッコよく見えてくる。
それとロボットを倒す時や、ゲイリーとニック・フロストとの喧嘩などでやたらとロック・ボトムみたいな技を使ってたのが可笑しかった。ロボの頭を何かに当ててロボの首を飛ばすもよし、力を加減して受けを取るつもりの相手を背中から落とせばダメージ少なく見た目は派手に、喧嘩も演出できるし万能な技だな‥と地味に思った。
本作は当然ビールを飲みながら観た🍺。これを観てビール飲まずにいられねー奴はいねーだろ🍻

 

 

 

そんな感じでした

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