gock221B

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「ゼロの未来 (2013)」テリー・ギリアム/主人公に凄く共感してヤバみを感じた

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原題:The Zero Theorem 監督:テリー・ギリアム
製作国:イギリス/ルーマニア/フランス/アメリカ 上映時間:107分

 

テリー・ギリアムといえば中学生の時に「バロン」「ホーリー・グレイル」「バンデッドQ」「未来世紀ブラジル」とか観て思春期の頃はまっていた。
中高生の頃、ディックとか筒井康隆、ついでに押井守などの「現実vs.虚構」みたいなテーマのフィクションばかり好きでギリアムもその一人だった。
そういうものが一番カッコいいと思ってたしそれがその時の自分にとってリアルだったんだろう。
成人して以降は、中高生の時ほどじゃない普通の感じで観てるけどラスベガスをやっつけろ」とかが好きだった。

クリストフ・ヴァルツ演じる若干人格が壊れている印象の主人公。
アミューズメント施設みたいな会社に行って、アーケードゲームみたいなマシンで仕事している。色のついた液体の入ったものをどんどん置いてったり、それを切符売り場みたいにマシンの向こうの誰かが受け取ったりする謎の仕事で使うPCも、松本人志の架空の匠コントみたいで面白い。
この映画のギリアム的近未来管理社会もブラジルっぽくハマってた思春期の頃を思い出したせいか、本作を観てる間、里帰りして故郷の町の建物を見てるような懐しい気分になった

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この近未来像はあまりに風刺的すぎてダサさスレスレだが、嫌いじゃない。
主人公は在宅で「ゼロの定理」という数式を探す仕事に抜擢される。
彼の自宅は廃墟になった教会で、教会にPCが置いてあって居住空間にしてるのってめちゃくちゃカッコいいなと思った。
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教会に行ったことなく、キリスト教にも興味はないが教会のカッコよさを改めて感じた。

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教会のキリスト像の首の代わりに監視カメラが付いてるのは恥ずかしさギリギリだった

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教会だから大仰なドアを開けると荘厳な室内から外は、すぐ喧騒とした大通り‥というのがめちゃくちゃカッコいい。ここが人里離れた場所ならそうでもないが大通りに面した荘厳な廃墟に住んでるのがたまらない。昔、活発な街の中心にあるひっそりした物件に住んだ事あるが町のエナジーみたいなもんを感じて24時間興奮していた(逆に山奥に住む友人の家に点った時は真逆の山のエナジーを感じて朝まで寝れなかった)。今でも新宿とか渋谷の真ん中とか住めるもんなら住んでみたい。本作のこの家住んだら引きこもりにもなるわ


会社でやっていたのと同様、ゲームをしているようにしか見えないのが面白い
この仕事が一体何なのかは具体的には語られないが「虚無はやっぱり虚無だった」みたいな無駄な作業なんだろうなというのは雰囲気的に明らか。
ずっと一人で閉じこもって仕事してるためか主人公は精神的に疲弊してきて、主人公の担当管理官は主人公がパーティであったコンパニオンみたいな仕事している女性を派遣する。主人公は仕事に疲れると、彼女と浜辺でイチャイチャするという幻想の中でデートを繰り返す(彼はツルッパゲなのに幻想の中ではフサフサ)
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こういうバーチャルマシンなのか、彼女とチャットとかしてる間の主人公の妄想なのかは正月に酔っ払って観てたせいでよくわからない。が、どちらでも同じ事なのでどっちでもよし
仕事人間が水商売の女にハマってるようにも見えるし、ひきこもりがアニメやゲームの萌えキャラに逃避している様にも見える。
そんなこんなで割と誰が見ても刺さる映画に思える(やりがいがあって替えの効かない仕事をしていて好きな異性と付き合って心底充足してる人にはピンと来ないかもしれない)
後半、主人公と同じくゼロの定理に取り組んでいた天才少年も訪れるようになってくる
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この少年との触れ合いは、この映画の中で一番、暖かみを感じた。自分も、ここ10年くらい同世代の友人が居なくなっていき遊ぶのは後ろめたいせいか一周り下の青年と遊びがちなので何かわかる。この少年も会社に派遣されたのかな
主人公は少年に「自分も若い時は普通に恋愛したりしてたよ」というので「こいつ最初からキチガイじゃなかったんだ」と驚いた。

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コンパニオンの女も家に実際にやって来て「仕事で相手してただけだけど、貴方のこと好きになっちゃった、一緒に逃げよう」と言ってくれるが主人公は断ってしまう。
断る理由が無いので「えっなんで?」と思ったが主人公は、彼女と一緒に演じていたわかりやすい幻想が好きだっただけなのかなと思った。正直気持ちはわかる。同時に唯一の友人である少年も壊れてしまう
本作ラストで主人公はゼロの定理という只の巨大な虚無に自ら飛び込んでいってしまい、いつもの幻想の浜辺に行く。彼女はもう居ない。主人公は諦観したようなボンヤリとした笑顔を浮かべボールで遊びながら画面が暗くなって映画が終わる
自分には彼女も少年も仕事も無くなって何もなくなってしまった。寂しい状態だが、もう今後は自分を煩わせるものはない、という意味の笑顔だろう。自分の意志で行けるところまで行った満足感もあるかもしれない、いやそれはないか
虚無の中の孤独に気持ちよく耽溺して後は緩やかな死を迎えるだけみたいな状態。
そんな事に共感する自分が嫌いだわ。


映画の冒頭で「多分こういう内容だろうな」と予想したそのまんまの内容で、わかりやすすぎるくらい風刺が強く、ディックや筒井康隆の数ページで終わる超短編を無理やり長編にした感じで、その辺のわかりやすさに難色を示す人も多い気がするが、主人公の中に凄く自分を見てしまい忘れられない一本になった
ヴァルツの演技も良かったのだが、やっぱヴァルツはベラベラ喋って欲しいなとも思った

そんな感じでした
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www.imdb.com

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