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gock221B

映画その他の感想用ブログ(2015年開設) http://gock.flavors.me/

「尻に憑かれた男(2007)」中年がメソメソしてもどうしようもないだけという事がよくわかる映画

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原題:O Cheiro do Ralo 監督:エイトール・ダリア 制作国:ブラジル 上映時間:101分

文学小説が原作のブラジル映画。
映画を観に行くにしろ借りるにしても、自分が知ってる監督とか制作に口出しできる大物俳優主演とかSNSで評判の映画とか見がちだ。
確かにこれでハズレは減るが、内容が大体想像できてしまう。
それで面白かったとしても「なんだか思ってた通りだったね」と思うだけでつまらない。
そんな状況はTVで偶然、映画を観る機会がなくなったせいかもしれん。
そう思うとこちらが選択するわけではない‥ケーブルTVとかの映画チャンネルを流しっ放しにしてると似た状況になるかもしれない。これはギャオでやってたから観た。それがTVで偶然変な映画を見かけた、みたいな状況を生んで結構面白かった。

骨董屋をやっている中年男が主人公。
ガラクタばかり持ってくる客の物を突き返したり、二束三文で買い叩いている。
男はまずいハンバーガーを出すダイナーに通い詰めている。
そこの顔馴染みのウェイトレスのケツを見るのが趣味のようだ。
ウェイトレスは30代半ばくらいの女性で確かに凄いケツをしている。パツパツの白いパンツを履いていたり異常に短いスカートを履いている。
そして主人公には婚約者がいたが、おそらくウェイトレスの尻に恋したため婚約を破棄。包丁沙汰になるが何とか別れる事に成功。
骨董屋の下水の調子が悪く、事務所が臭い。
こうしてケツ、骨董品、下水の三本柱で話が進む。

ケツ
男は
ウェイトレスと順調に仲良くなり、ウェイトレスの方からデートに誘われるが男は躊躇する
「女と付き合うと、すぐ結婚したがるし。身動きができなくなる。彼女と付き合うより、金を払ってケツだけと付き合う方がいい」と考える男。どうやら女性に心を開けないようだ。
実際に彼女に「金を払うからケツだけ見せてくれ」と言ってしまう。
ウェイトレスは当然激怒して店も辞めてしまう。
後日、店に行くと辞めてるので違うウェイトレスがいた。
だが主人公は別人なのに「この前はすまなかった」と言うので「ああ、本当にケツだけ見てたのか」とわかった。主人公はケツだけ好きと言いつつウェイトレスの事が本当は好きなんだろうと思ってたが本当にケツしか見てなかったのか。正直、主人公はそこまで変な人に見えないので後半までよくわからなかった。

骨董屋
主人公はろくに買い取らないくせに、義眼や義足などはすんなり買いとる。
そしてそれを自分を捨てた父親代わりにする。
どうも父に捨てられたという思いがこの男の歪んだ人間性を作ったらしい。
そして義眼や義肢といい女のケツといい、他人を求めても裏切られるのでは?という恐れからパーツのフェチになったって感じか。
骨董屋の客たちも、値打ちのあるものは持って来ず身内の形見とか逸話のある物しか持って来ない。他人の親族への思い入れを理解できない主人公はそれを追い返す。そして女だったら裸を見せてもらう代わりにガラクタを大金で買い取る。
どうやら骨董屋という舞台が、主人公の社会性や他人への関わり方を表現しているらしい。
骨董屋と聞くとこじんまりした印象を受けるが町ではなかなか権力者のようだ。
これはアメリカ映画だったら骨董屋じゃなくて、そこそこデカい会社の社長役とかにしたんだろう。
とにかく権力者らしい主人公が、自己の空虚さゆえに他人の尊厳を軽視してやりたい放題してるっぽいのだが、コメディタッチだし骨董屋だし主人公もあまり悪い人にも見えないのでわかりにくい。終りまで観ると何となくわかる。
この事務所は異常にカッコいい。妙に広い部屋は男の空虚さを表現してるんだろう。

下水
「下水の匂いが臭い」という会話が死ぬほど連発する。
というか本作の邦題は最初「下水って、匂う。」だったらしい。このタイトルで観たがる人はいないだろう。尻推しに変えて正解だ。
金持ちの癖に業者には修理させず、自分で穴を塞いで余計に壊れたりする。
その癖たまに下水から匂いを嗅いで安心している。
どうやら女の尻の話と下水の話は男の内面の歪みを表現してるようだ。

それからどったの
そんな三つの要素が最後に絡み合って終わる。
仕返しされるラストを見ると、どうやら主人公は思いのほか恨みを買っていた事がわかるので、本当はひどい男なんだろうと思ったが、それがあまり表現されてないので唐突に感じた。
あまり主人公がひどい男に見えない理由は、思春期の少年みたいに見えるからなんだろうな。実際にひどい事はあまりしないし。
オッサンの体の中高生という事は、歪んではいるもののある意味純粋な男だったんだろう。
起きる出来事やクローズアップされる事象どれも‥下水道とか義眼とか、暗喩まみれでディフォルメされすぎてて文学的すぎる。それが妙に恥ずかしい。それなら逆に、売らんかなって感じのハリウッド商業映画の方がまだ恥ずかしくないなと思った。
それでいてラストだけ妙に現実的なので変な映画だな~と思いました。
アメリカ映画だったら‥きっと女性との恋愛をメインに据えて心無い経営者が、女性や客との関わりで善人に変わっていくという「恋はデジャブ」みたいなラブコメになるんだろう。そうなるともう全然別の映画だが。。

メソメソするなよ
尻に憑かれたというより、人に心をうまく開けない主人公が金でパーツだけ買ったりして更に空虚な気分になるという、中年メソメソ系映画だな。
というか例えば大作家が書いて大御所が濡れ場多めに映画化してた昔の邦画とかってこんな感じで中年がメソメソしながらSEXする邦画ばっかりだった気がする(子供の時、濡れ場を観るためだけにTVでやってる邦画を殆ど観てた)
子供の頃は子供だから「何かSEXばかりしてるけど、偉い年寄りの作家が書いた深遠な話なんだろうな」とか思ってたが、自分が年取ってそれらを思い出してみると「やっぱりどれもこれもどうしようもない話だったな」と思うしかない。
メソメソするのは青年までじゃないとダメだろう。中年がメソメソしてもどうしようもない空気になるだけだしマジでどうしようもない。
そういう自分もアラサーくらいまではかなりメソメソした人物だったが上記の事を思って「やばい!中年になってメソメソしてたらすげえダサい!」と危機感を覚えたらピタッとメソメソしなくなった。。という事は、それまでメソメソしてたのも本気のメソメソじゃなくて、ただ単に世間に甘えてただけなんだなと悟った。カッコ悪いね
だから本作を観てても苦悩する主人公に「ジョギングでもしろよ」と思ってしまった。
そんな事よりもっと女の尻を追いかけて欲しかった。尻よりも下水道への執着が多いくらいで「下水なんか執着してもウンコしかねーだろ!」とイライラさせられた
とりあえず新鮮なことは新鮮だった。

そんな感じでした
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