gock221B

映画その他の感想用ブログ

「哭声/コクソン (2016)」めっちゃ面白いのだがキリスト教と儒教の素養がないせいか凄くピンと来ない👼👿

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原題:곡성 監督&脚本:ナ・ホンジン 製作国:韓国 上映時間:156分

 

「チェイサー」とか「哀しき獣」のナ・ホンジン監督による三作目(と言いつつ「哀しき獣」観てないけど‥)
オッサンが活躍するバイオレンスを撮る人という印象で本作もまたオッサンてんこもりだが予告観てもどういう内容なのかサッパリ想像つかないし國村隼が出てくるのもあって観たかったが、そのうち忘れてしまっていた。そんな忘れてた今、Huluで配信されてて「そーいえばコクソンとかいうやつ観てなかったな」と思い出したので昨夜観た。
結構前の映画だし今回は完全にネタバレスタイルでいく(未見かつ途中まで読んで観たくなった人は読むの止めて映画観ればいい)
それと、このブログは自分の個人的な感想だけを書く感じでやってるんだが、本作は非常に奇抜な映画だったので書きながら考えたいので、あらすじ殆ど書いていく系という僕の嫌いなスタイルで考えたい

 

 

Story
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韓国の田舎の村コクソン。いつの頃からか山の中の一軒家に日本人國村隼)が住み着いていた。
この、よそ者に対する不気味な噂が広まるにつれ村人が自分の家族を惨殺する事件が多発していく。
そして殺人を犯した村人は、濁った眼に湿疹で爛れた肌になり正気を失うのだ。
気のいい村の警官ジョング(クァク・ドウォン)は、自分のの肌に殺人者と同じ湿疹を見つけ、更に娘は殺人者たちのように正気を失っていく。。
ジョングは娘を救うため、仲間の牧師謎の女ムミョン(チョン・ウヒ)、祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)らと出会いつつ、山の日本人を追い詰めていく。
この山の中の國村隼‥。彼がいつ、そして何故この村に来たのかを誰も知らない――

 

 


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👿國村隼演じる山に住む謎の日本人(以下このキャラのことは「國村隼」と表記)がキーマン。
國村隼が村に現れて以降、殺人事件が増えた」
 ↓
「だから國村隼が何らかの手段で村人を狂わせてるのでは?」
そんな風に思わせる黒沢清の「CURE」みたいな感じで話が進んでいく。
術にかかったものは原因不明の湿疹が身体を爛れさせて性格も凶暴になり、行き着く先は永遠の発狂状態と家族皆殺し。
その事件を成り行きで何となく追う田舎の警官ジョング。
事件の真相を知ってるっぽい不思議な女性とバッタリ会ったりしつつ、どんどん事件を捜査していくジョングは「やはり、國村隼が真犯人だろう‥」と睨み、彼の山小屋を探ると、黒山羊の頭蓋骨を祀った祭壇や今までに死んだ人達の写真があり、そして何と自分の娘の靴もあった!この怪しい男に娘も狙われているのか?
ジョングは、帰宅してきた國村隼に対して「この村から出て行け!」と脅した。
「何で脅すだけなのか」というと何の証拠もないからだろう。
だけど「殺人事件の死体を間近で撮った写真がいっぱいあるから、とりあえず警察署に引っ張って行ってばいいのに」とは思った。
だけどまぁ國村隼はどうやら「クリーピー 偽りの隣人」に出てくるサイコパスキャラの様に、誰も手出しできない存在っぽいから警察に連れて行ったところで何の意味もなかっただろう。本作はちょいちょい不自然なところもあるが「その辺は目を瞑って観てくれ」という雰囲気が充満してるので気にせず観る事にした。
帰宅すると娘は既に凶暴になりかけており、翌朝ジョングの家の前に黒山羊の死体がぶら下げられていた。どうやら既に呪われたようだ。このままでは破滅が待ってるだけだ。
ハッキリ言って最初から終盤までめちゃくちゃ面白い。
そして「ただのサスペンスミステリーなのかホラーなのかSFなのか判断できない」というノリでこの中盤辺りまで来た。だがここで悪魔と関係する山羊の頭と呪いが出てきたことで。どうやら本作はキリスト教的な価値観のホラー‥もしくはホラーに見せかけたサスペンスなのかのどっちかのようだ。
👿全然関係ないが主人公ジョングはアラフォー中年男性っぽいけど、長年連れ添った安藤サクラ似の妻と未だにしょっちゅうSEXしてる。妻の台詞からも「男はいつまでもSEXするもの」みたいな感じが伺えるし、しかも妻が誘うスタイルって「M字開脚ウンコ座りで、手コキのリズムで洗濯しながらメス顔で夫を見る」という、あからさますぎて長年連れ添った女性にやられるとウンザリしそうな挑発。それで次のカットでは、もうカーセックスしてる辺り「この夫婦仲いいな」「韓国人って精力旺盛なんだな」と思った。やっぱり肉いっぱい食ってるのが良いのかな。

 

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ジョングは祈祷師を呼ぶ。
この祈祷師もキャラが強い。佐藤浩市が演じそうな猿系髭面イケメンで態度がデカいし祈祷料金も高いというブラックジャックタイプの拝み屋だ。
だがキャラの強さに比例して呪いに対しても強そうな霊的頼もしさがある。
祈祷師は「娘にかかった呪いは國村隼が原因だ。あんた奴を挑発しただろ?國村隼は人間ではない。悪霊だ」と言う。
ジョングは「でも國村隼には実体もある人間でしたよ?肉も骨もある人間が悪霊だなんて変じゃないですか?」と疑問を口にする。
祈祷師は「國村隼は普通の人間だったが悪霊に憑かれてるうちに悪霊になった」と、ゴニョゴニョと曖昧な感じで言う。
このジョングが言う「肉も骨もある者が悪霊って変じゃないですか?」という疑問は結末に関係することなせいか丁寧に何度も口にする。
祈祷師は娘に憑いた悪霊を取り除くため國村隼に「殺(サツ)」の呪いを飛ばす。
一方その頃、國村隼もまた山小屋で拝みまくっている。ジョングの娘への呪いか?
帝都物語」の陰陽道合戦みたいなものが始まってしまった。
この祈祷師の祈祷‥韓国のこういうの初めて見たけどお国柄が出ていてめちゃくちゃうるさい。炎をおこして音楽家たちに演奏させ、自分自身はシャウトしまくって踊りまくる、そしてそこら辺にある肉とかに包丁ぶっ刺したりして最終的には悪霊に見立てた藁人形的な役割の木製呪具に何本も刃をぶち込む。
韓国に本当にこういう祈祷があるのか、それともこの監督が考えたオリジナル祈祷なのかはわからん。ただ見た感じ、祈祷師は自分の理性的な意識を飛ばしてチャネリング状態に持っていき、むき出しになったソウルパワーを対象に飛ばして悪霊のケツを蹴り上げる術のようだ。
「映画まだ中盤だし、こんな祈祷が國村隼に効くわけが‥効いとる!?」
何と、祈祷師の祈祷で國村隼は血まみれ。致命傷を負って倒れた。
祈祷師の勝利は目前だが、同時に苦しむ娘の様態に耐えきれなくなったジョングは暴れて祈祷を止めさせ、娘を病院に連れて行く。
山小屋では祈祷によって瀕死だった國村隼が復活‥!「殺(サツ)」の祈祷、失敗!
病院で何も分からんから祈祷師に頼んで効いてたのに‥「娘への影響が心配で祈祷を止めさせる」って事は「祈祷に効果があるとわかってる」って事だし、そんな効果がある祈祷を止めさせて効果がなかった病院に連れて行くって‥行動が矛盾してるな。祈祷師も特に反論したりしない。
ジョングは「神や奇跡を信じきることができない凡人。人間の代表」って立場を表現するためのキャラクターのようだ。

 

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祈祷をやめてしまい國村隼も復活したので娘は悪化するばかり。
ジョングは仲間と共に國村隼を直接ぶっ殺しに行く!
國村隼を殺しに行くって事は呪いを信じてるって事だし、それならこないだの事を謝って祈祷師にまた祈祷を頼めばいいのに何故こうなるんだろ。
「祈祷すれば娘にもダメージがある」と思ったのか、それとも「自分の手で相手を殺さないと安心できない」という確実性のためなのか‥または単なる物語上の都合なのか‥
結末から逆算して考えると、ジョング自身が「疑って」「殺す」という罪を重ねる必要があったので物語的理由によって、こういう流れになっただけか。
とにかくジョング達が山小屋に行くと、今までカリスマ的な強い印象だった國村隼はビビって山奥に隠れる。無敵の國村隼ではないのか?
そして山には、前半に出てきた不思議な女性が出てくる。前半ではアホっぽかったこの女がカリスマっぽい雰囲気になってて國村隼とは雰囲気が逆だ。
まぁ色々あるが、とにかくジョング一行は國村隼殺害に成功。それを丘の上から見る謎の女‥。
しかし何故か娘や村人に憑いた悪霊は一向に去らない。殺ってはいないのか?
混乱するジョングの前に女がいる。そこへ祈祷師から電話がかかってくる。
祈祷師「俺の判断が間違ってた!國村隼は悪霊じゃなかった!國村隼は悪霊から村を守ってた良い祈祷師だった!それを殺してしまった!女が悪霊だ!
ここで終われば、アメリカのホラー映画でよくありそうなわかりやすい話だ。
しかし女はそうではないと言う。
(というか映画内で「悪霊👻」って言ってるから「悪霊」って記述してきたが、どう考えても「悪魔👿」を取り扱ってるので以降は悪魔と書くことにする)
そして國村隼と女、双方に「聖人っぽい部分」「悪魔っぽい部分」がある、映画内の描写も、わざとそう見えるように撮ってるので観ててもどちらか片方だと断言できないまま観ていくことになる。
僕の、そんな気分が最大限になったところでジョングは叫ぶ。
お前は一体何者なんだ!答えろ!
この映画は全編「もっと相手を詰めて問いただせよ!」って場面が凄く多い。
しかも登場人物はすぐキレてそれを台無しにしたり、訊かれた相手も超然とした顔で問いに答えない‥という場面が多いので観てるこちらにストレスがたまっていた頂点で、ジョングが「問いに答えるまで許さん!」という態度にやっと出た。
視聴者と主人公の気持ちが一つになったので気持ちいいシーン。
一方、ジョングの仲間の牧師は、実は生き延びて洞窟に潜んでいた國村隼の元に居た。牧師もまた「お前は悪魔なのか?お前の正体は何だ!?」と問う。「悪魔なら殺す!そうじゃないなら黙って立ち去る」という。
國村隼は「お前は既に俺のことを悪魔だと決めてるのに何故わざわざ訊くんだ?笑」と笑う。牧師は速攻で國村隼に呑まれてしまった。
女と國村隼は別々の場所で今までと同じ様に似たような思わせぶりなことを言う。
今は「女が悪魔」っていう流れで進んでるので「女が悪魔としての正体を表し、國村隼は聖人としての正体を明かすのだろう」と思って観ているがどうも様子が変だ。國村隼もまた恐ろしい雰囲気を発している。國村隼は聖人ではないのか?そしてまた悪魔だと思われた女もまた「ジョングの家族を助けようとしている」と言う、そしてガチで心配した顔をしている。
國村隼が悪魔なのか?女が悪魔なのか?あるいは二人とも悪魔なのか‥。
電話で祈祷師は「女が悪魔。國村隼は善」と言った。
普通、映画のクライマックスで祈祷師みたいなお助けキャラがあんな雰囲気で断言したら、それはイコール真実なのだが、この辺まで来ると「本作の登場人物の台詞は信頼できない類のもの」って雰囲気が充満してるので祈祷師も信じられなくなってる。
女はジョングが罪を犯したと言う。
その罪とは「疑うことなかれ」と「殺すなかれ」‥つまりジョングが國村隼を疑って殺したから原罪がジョング家族(そしてコクソン全体)に降り注いでいるという事らしい。
一つ言えるのは、女の前にいるジョング、國村隼の前にいる牧師‥どちらも相手の正体を問いただしている。だが女も國村隼も自分の正体を明かさない。明かさないっていうか自分の正体とは「お前の」心だ、と言ってるように見える。
後の描写を見ると女が神で、國村隼が悪魔に見えるが、それもそう決まったものでもなさそうだ。
きっと女も國村隼も、二人とも神で二人とも悪魔なんだろう。
ジョングは彼を助けようとしていると自称する謎の女を信じず家に帰ってしまう。
牧師は形式上、正体を問いだしてはいるが既に「國村隼=悪魔」だと魂の中で断言してしまっている。そして國村隼もそれに気付いている。
その結果、ジョングは神を無視した報いを受け、國村隼は牧師が決めた通り悪魔としての正体を見せて牧師の写真を撮る‥というバッドエンドになった。
(ここまでの展開とか國村隼の顔の怖さを思えばそうなるとはとても思えないが)もしここでの牧師が國村隼の事を本気で神だと思っていれば、國村隼はきっと神としての正体を表してくれたのだろうと思う。
‥などと思っていたら今まで完全に人間だと描写されていた祈祷師が、ジョングの家にやってきてジョングの写真を撮り、彼らを助けるでもなく殺すでもなく立ち去る。「写真を撮る」‥悪魔と化した時の國村隼と同じ行動だ。
写真を撮るという行為の意味はよくわからないが今までの推移を観た感じでは「死」とか「良くない結果にピリオドを打つ」という感じで描写されてるので良くない事なのは間違いない。
そして祈祷師の車のトランクには、國村隼の家にあった被害者たちの写真が大量にあった。
祈祷師もまた、女や國村隼と同様「神もしくは悪魔」という人外の存在だった事が明らかになり、ジョングは娘を助けることを呟き続け暗転。話が終わる

 

 

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そんな感じで最初に言ったように、あらすじ書きながらどういう話だったのか自分でも考えようとするうちに内容ほぼ全部書いてしまった。
クライマックスの10分はそんな感じで「こうだ」という真実がコロコロと、どんでん返しで入れ替わる。
‥いや、どんでん返しではなく本編ラストの「牧師が見る國村隼の正体」同様に、真実の見え方がコロコロと変わっているだけだったんだろう。
とりあえず最初に、バカの好きな考え方‥強さ議論で考えてみよう
祈祷師:「祈祷で國村隼を退治寸前だった」→「しかし國村隼の正体がわからなかった」
國村隼:「祈祷師に敗北し、女を見て逃げた」「だが誰にも殺すことができない」
  :「一瞥しただけで祈祷師に完全勝利」「怖いキャラが居ない」
強さだけで見ると 女>>>祈祷師>國村隼
こう書いてると女が神で、祈祷師が天使か何か?國村隼が悪魔に思えてくるが、勿論そんな単純なことであるわけないだろ。
そもそも神/悪魔という焦点が2人もいるのはまだついて行けてたが、最後に祈祷師がぶち込まれて手に負えなくなる。
監督はクライマックスで観客を、劇中ラストの牧師やジョングと同じ気持ちになってほしくて、観客の意識を安定させないために視点を揺さぶったり3人目の人外を入れたのかなと思った。
‥と思っていたが、聖書を読み込んでる方と話したところ「三位一体(さんみいったい、神と父と精霊)を表すために三人なんじゃない?」と言われた、きっとそうなんだろう。
だけど三位一体もそうだけど聖書や各種キリスト教については、アメリカ映画やアメコミやアメリカ文学などのアメリカのメディアで匂いだけ触れてるだけで一度も聖書を通して読んだことないので「三位一体」の事すらよくわからない。
そして、ジョングの娘に悪魔が憑いたあたりで「あ、これはキリスト教テーマの映画だな」と思った。
しかもキリスト教のざっくり要素(神、悪魔、聖痕、原罪、裏切り等‥)だけを話に入れた程度なら、人間としての普遍的な概念に置き換えて楽しめるのだが、映画のテーマにここまでガチのキリスト教を入れて来られるとちょっと僕にはよくわかんないです。
僕は無視論者だし聖書のことも「ベストセラー世界記録継続中の古い小説」程度にしか思ってないので、ここまでガチで聖書を元にした映画にされると作中で起こる事象や言いたげな方向だけがわかったところでピンとこないので乗り切れず理解が進まなくなる。
アメリカ映画に入ってるキリスト教要素はさっき書いたように普遍的な要素へと咀嚼されてるものが多いので飲み込みやすいのだが、パク・チャヌクの「渇き」などを始めとするキリスト教を扱った韓国映画は、それ以外にもキリスト教より更によくわからん「儒教」とやらの考えも入ってくるので余計に理解しがたくなってくる。
ストーリー自体はどれもわかりやすいのだが、登場人物が「何でここでそんな事するの?」「理屈はわかるが何でそこまで‥?」などと疑問に思うことが多い。
比較的分かりやすい部類のパク・チャヌクオールド・ボーイ」のラストの主人公ですら「知らなかったんだから別にそこまで気にしなくても良くない?」と思ってしまう。そう言うと自分のことがアスペに思えてくるが、そう思うんだから仕方ない。

👼👿そんな感じで感想というより、ただあらすじ追っただけで真の理解はできなかったしキリスト教に興味ないのでこれ以上理解する予定もない、一瞬知った気になれても意味ないので他人の解釈も聞く気もないし‥そんな理解できない事への長い言い訳になってしまい何時にも増して価値のないページになった。
恐らくリテラシーが必要で、‥たとえばデヴィッド・リンチ作品を全然観てない人が「ツインピークス a Lomited Event Series (2017)」の最終回いきなり観るとか、黒沢清一本も観てない人が「LOFT」や「叫」観るとか、「アイアンマン」すら観てない上にアメコミリテラシーゼロなのにいきなり「インフィニティ・ウォー」から観るとか‥それくらいのリテラシー不足から来るピンと来なさ加減だった。
真の理解はできなかったが本作が面白い映画だったのは間違いない。
理解出来ずにこれだけ面白いんだから、キリスト教儒教に通じてる人は、きっとめちゃくちゃ楽しめたことだろう‥見えない枠の端を思いました。

 

そんな感じでした

gock221b.hatenablog.com

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