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映画の感想ブログ 😺 おしずかに‥〈Since.2015〉

「アイリッシュマン (2019)」最高だったが本作の素晴らしいラスト観たら他のギャング映画のラストが全てゴミに思えてきた‥🍉

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原題:The Irishman 監督&制作:マーティン・スコセッシ 主演&制作:ロバート・デ・ニーロ
原作:チャールズ・ブラント「I Heard You Paint Houses (2004)」 脚本:スティーヴン・ザイリアン
制作会社:Netflix 製作国:アメリカ 上映時間:209分

 

 

 

実在の殺し屋フランク・シーランの自伝を元にして、フランクの半生やジミー・ホッファ失踪事件に焦点を当てて第二次大戦後のアメリカ裏社会の盛衰を描き出す。
デ・ニーロ、ジョー・ペシハーヴェイ・カイテルなどが主演してアル・パチーノがスコセッシ映画初主演もしたスーパースコセッシ大戦。最近こういう映画に出資してくれる会社が少なくて困ってたところNetflixが出資して作れたという「ROMA / ローマ」と似た経緯で制作された大作。
スコセッシと言えば本作公開の少し前に、コッポラと一緒にMCUを「観てないけど、映画じゃなくてテーマパークみたいなもんだ」と軽んじた発言が取りだたされて話題となった。僕はMCU始まった瞬間からファンだけど、スコセッシの言いたいことにもまぁ一理あるなと思った。シネマティックユニバース形式は本来の一作一作に懸けた映画製作とは違う‥みたいな事が言いたかったのかな。そもそもスコセッシやコッポラが「ファンタスティック・フォーの前フリはブラックパンサー2とアントマン3かな?」「単純にカマラちゃんのドラマが楽しみ」とか言い出しても困る。「MCUはコミックの連載やクロスオーバーを映画で行ったもの」だと思ってるし。だけどこれは誤解される要素しかない台詞だなぁと思ってたら案の定メディアが観覧数目当てでMCUキッズを煽るような、まとめサイトっぽい見出して対立構造を作って乗せられたMCUキッズが思慮の浅い声を上げて冷えさせるというしょっぱい空気がしばらく続いた。ましてやスコセッシとかコッポラなどのあの辺の人らは全員口下手だからフォローのつもりで付け加えた言葉で更に荒れたりしてどうしようもない(喋るの苦手だから映画で表現してるような人ら)。国内外の映画ライターなら彼らのキャラや発言の意図はわかるだろうし何度か観覧数を稼いだならさっさと収束させろや、とイライラさせられた。
話をスコセッシに戻すが、僕は中学生の時、深夜テレビで「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を観てビデオに撮って何度も観返した。それで他のスコセッシ映画とかデニーロ主演作をよく観るようになった。ただし観た時がコミュ障でかなり捻くれた思春期だったのでデニーロ演じる男をイカれたサイコパスではなく「普通にカッコいい男」と、ヒーローとして観ていた。僕はバットマンのジョーカーとか、ただのイカれたバットマンの相手役としか思っていないのだが若者がジョーカーに憧れる気持ちって俺が少年時代にサイコウォーリアーを演じてたデ・ニーロに憧れてたのと同じ気持ち?などと最近思う。映画は完全にデ・ニーロを狂人として描いてるので、これは完全に間違った観方なんだけどIQの低い中高生だったので仕方ない。スコセッシ映画以外でもデニーロは空気を読めないコミュ障の男を演じることが多い。そんな役をしてる時のデニーロは、そのコミュ障ぶりや仕草や顔などが日常会話を全くしない自分の父親に似ており、父との欠けたコミュニケーションを劇中のデニーロに求めていた感じがある(中でも「みんな元気」と「ジャッキー・ブラウン」のデニーロが特に似ている)。こういうと自分の父がおかしな人に思われるかもしれないが僕の父は至って真面目な良い人です。ただ他人と会話とかコミュニケーションをしようという気持ちがないというだけ(おはようとかいただきます以外の自分が思っていることを口にしようという意思が最初からタイプの男性)。

 

 


2000年代、老人ホームにて最晩年の主人公が自分の半生を振り返る形で描かれる。
1950年代、フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は第2次大戦に出征していた頃、命令されるがまま投降した敵兵や捕虜を無情に殺しまくっていた男だった。退役してからはトラック運転手となり、偶然仲良くなったギャングの大物ラッセル・バファリーノ(ジョー・ペシ)の依頼で ”壁の塗装(暗殺)”に手を染めるようになる。
ラッセルの期待通り邪魔者を殺しに殺しまくっていたフランクは、全米トラック運転手組合のトップ、ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)とも知り合う。大統領の次に人気があった男ジミーは、手段を選ばずギャングとも癒着して組合を大きくしていく男だった。
ジミー・ホッファ - Wikipedia
フランクはジミーの依頼も請け負うようになり、2人は仕事だけでなく家族ぐるみの付き合いをする兄弟のような親友となる。
本作はこの暗殺者フランク、大物ジミー、ギャングのラッセルの三人を中心に、アメリカ社会の移り変わりを数十年間に渡って描き、やがては全米を騒がせたジミー・ホッファ失踪事件の顛末を(フランクの告白を元にして)最後まで描く。
数十年に渡って描く中で、メイン三人はCGで本人たちより若くしたり逆にもっとジジイにしたりしている。だが三人とも最も若い歳に加工してもなお老け顔のオッサンでもあるせいか途中までCGの事は忘れて「あれ?そういえばこの回想シーンのデニーロ若いな」「あれ?このぺシよく観たら老けてない?CG?」「というかジジイの時と若い時どっちが加工してるんだっけ」と、観てる間によくわからなくなってくる。だからCG加工のことは途中から忘れて普通に観てた。それってある意味、贅沢なCG加工だね。その辺は同時に配信されたスコセッシ、デニーロ、パチーノ、ペシによる座談会でも語られてる(関係ないけどここでデニーロが後ろ髪を伸ばしてる髪型がカッコいい)。
他のキャラの話。フランクの話は後でするとしてフランクの次に出番が多いジミー・ホッファは「パットン将軍みたい」にまくしたてる姿が印象的(興奮すると両手を猫のニャー的な形にする)一番好きな食べ物がアイスで二番目は「ビールで蒸すのが決め手の『ラムズ』が作ったアメリカ一美味いホットドッグ」というガキ舌の男。色んな美味そうなものが出てくるが咥え煙草のオッサンが作るラムズのホットドッグは最も美味そうだ。フランクとはパジャマ着て一緒に寝たり、すねたフランクをジミーが必死になだめたりとイチャイチャが多い。フランクの最初の”親父”といえるラッセルを演じるジョー・ペシも半引退状態だったけど本作で復帰したんだっけ。今まで多かったキレる役ではなく常に静かなインテリヤクザ役だったが、ハッキリ言って怒ってないシーンでも目がめっちゃ怖い。これはペギーが懐かないのもわかる。そんな「フランクが家の外でしてる事を幼い時から常に悟っている」という、時空を超えて彼らを見る我々視聴者の分身かのような物語内で脇に追いやられている女性たちの集合体かのようなフランクの娘ペギー、このペギーの成長後の姿を演じていたアンナ・パキンもまた久々に観た。フランクが殺しをしてそのニュースを家で見てると、それを背後からペギーが見ている。同じく久しぶりに観たハーヴェイ・カイテルも、90年代に映画出まくってたので20代の時はまってた。彼の出番は少ないのでもう少し多めに出て欲しかった。彼は出番が少なく末路が描かれてないがゆえ最初から最後までクールなギャングだった。あとはアントマンの元妻の新しい夫役の人も序盤の肉屋系ギャングで出てたね。
俳優は知らないが「自分の耳がクソデカいと気にしすぎてるオッサン」ことビッグ・イヤーというキャラは何か凄く「ツイン・ピークス」に出てきそうなキャラだったので一瞬だけど印象に残った。
ジミーと犬猿の仲であるリトルガイとの争いは字幕だと「イタ公」ってところが吹き替えだと「お前らのようなもん」、吹き替えなら「クズ」って言ってるところが字幕だと‥何て言ってたか忘れたけどマイルドな表現になってて、どちらも一長一短あった。どちらもキツイ表現にしてくれよ。まぁ字幕、吹き替えどちらも楽しめる(だけど字幕では言ってる「イタ公」を吹き替えではカットしたのは、聞こえなければ子供が新たに覚えないだろう蔑称を音にしたくなかったのかなとも思いました。まぁ大人は柔らかい翻訳を読んだり聴いても「本当は多分蔑称で言ってるんだろうな」と想像つくから別に汚い言葉をわざわざ使わなくてもいいかと最近思う。そんな事言いだしたら英語リスニングするのと字幕&翻訳も違うし)。
あと酒を飲まないし部下にも飲ませないしスイカが嫌いなジミーの前で酒を飲むために酒をぶっ込んで染み込ませたスイカをジミーの前で爆喰いする組合のおっさんも良いキャラだった。「ジミーは酒を飲まねえ。そして最悪なのは側じゃ誰にも飲ませねえってこと!そしてもう一つ大事なこと‥ジミーは!スイカが!大嫌いなのさーッ!w(酒ズボー)」と非常に景気が良い。「ジミーにバレたら怖いし、会議が終わってからバーに行けば?」などとTwitterみたいなつまらない正論を吐いてる場合ではない。このようなキャラが居ないと映画も浮世も面白くない。何より景気が良いという事が一番大事だ。

 

 

フランクの、戦時中の殺人も、ラッセルやジミーの依頼によって”壁の塗装”を行う暗殺も、ライバル会社への破壊工作も、どれもまるで雑草でも抜くかのように無感情だ。
「殺しが好き」だとか「心を殺して無情に殺しを遂行」などというロマンも一切なく、本当にただ「朝起きたから歯磨きするか」といったフラットな感じで殺しや悪事を行う。戦時中も、敵兵に墓穴を掘らせて撃ち殺してその穴に落としていた。別にサディストだからでもなく単純に合理的だからそうしたのだろう(もし敵兵が拒否しても怒らずに撃ち殺して自分で穴掘って埋めるだけだろう)。
戦争で命令どおりに殺しまくってるうちにそうなった可能性もゼロではないが、本作を観てる限り多分もともとそんな男だったように見える。
最初に言ったように自分の父親は至って真面目な善人だが、何となく流れで合理的に何でもやる本作のデニーロにもまた父と似たものを感じた。よくわからないがフランクのそういった感じ‥特に深く考えず流れで合理的に何でもやる、という部分は、昭和‥戦後の人にそういったノリが多かったんじゃないかという気がした。若い時から死にものぐるいで働いてお見合いで結婚してお育てしてそのまま年取って死ぬ、特に世間に向けて主張したいことゼロみたいな(本当はあったのかもしれないが今のように手段がないし又は自己主張しようという発想がなかったので僕が聞いたことないだけかもね)。
とにかく、フランクはそんな感じだから全てを見通すフランクの娘ペギーはフランクに懐かなかった。ギャングのラッセルもまた表面上ペギーに無視されても怒らず常に優しく金や物品を与える、だがペギーは、ラッセルが弱者を踏みつけて稼いだ金を仲間の娘である自分にくれてるだけなのを本能で見抜いたのか一切懐かなかった。しかしペギーはジミーとは大の仲良しになった。ジミーの半分はカタギだったからなのかジミーは温かい部分があったのかそれとも子供のガードを打ち破るほどの人たらしだったのか、それはよくわからない(個人的にはジミーの人たらし能力によるものだと思った)。
ペギーにぶつかったという理由で‥本当は自分のメンツのために町のパン屋の頭を踏みつけるフランク、深夜”壁の塗装”に出かけるフランクなどを逐一くもりなきまなこで見ていた娘は仲良しのジミーが失踪したのに彼の妻に電話しようとしない父を見て、父の犯行を見抜いた。そしてそのまま一生口を利かなかったという。「良いところに就職して元気にやってるらしいが、ペギーはあの時に消えたよ。私の人生から」としんみり語るフランク。「自分を切った人間は、自分の人生から消えてしまう」というのは当たり前の事だが、改めて口に出して言われるとハッ!とするものがある。俺の人生から何人消えたか‥逆に何人の人生から俺が消えたか‥考えても仕方ないので俺は考えるのをやめた。さすがのフランクも、娘に見放されたら狼狽したが時既に遅し。妻も死んだし家族は誰もフランクの面倒を見ようとしなかった。いつもおとなしかった妻と娘たちだったが彼女達はただフランクに怯えていただけだったのだ。
さすがのフランクも娘たちに見放されたことは哀しんだようだが、次のカットではすぐさま自分の棺桶を買いに行って霊廟の段取りを決めるあたり、さすがフランク。「だって家族に見放されたんだから死ぬ前に自分で自分を葬らなきゃ仕方ないじゃないか。他にどうしろってんだ?笑」とでも言いそうだ。人間性の欠けた場面のはずだが彼のこういうところは嫌いになれない。自分にそういう部分があるせいなのか、それとも自分の死に対して感情を持ち込まず合理的に向き合う感じが僕の好きな猫や象の死に方に似てるせいなのか。。どちらにしてもあまり良い傾向とは言えない。
本作は三時間半近くあって長い。僕は近年のスコセッシの映画の妙な長さはあまり好きではないのだが(たとえばめちゃくちゃ面白い「ウルフ・オブ・ウォールストリート」も長くて後半すっかり飽きてしまった)それでも本作は凄く面白かった。スコセッシ映画が久しぶりなせいなのか、それともデニーロやペシが久々に帰ってきたせいなのか、あるいはその両方か。ダレそうになるとフランクの鮮やかな暗殺シーンが挟み込まれたりして飽きさせない。Netflixなので「長いな」と思えば分けて観ればいい。僕も長いから初見ではドラマみたいに三回に分けて観て、最後まで観た結果「やっぱこれ一気に観るもんだな」と悟って四日目は最初から最後まで一気に観た(とはいえやっぱ長いので途中で食事休憩を入れた)。「いや映画は当然全部劇場で観るべきだ!」という人は、東京なら吉祥寺アップリンクで上映中なので行けばいいし。それぞれ好きに観る時代だ。
本作の構成「成り上がって→不協和音が鳴り始め→花火が消える」という流れは「グッドフェローズ」と同じ段取りで(というか映画は大抵そういう流れだが)、そういう感じでギャング映画の終盤では「成り上がってる最初は景気良かったけど破滅する後半は辛気臭いな」と思いがちだが、本作の後半そしてラストはめっちゃ良かった。本作も辛気臭いがフランクの合理的なキャラが渇いてるのでメソメソした感じがしなくて良い。どちらかというとラッセルの方は娑婆に居た時は常に絶好調だったのに獄中で歳取るとヨボヨボになりジミーを殺害した事などを悔いたりとメソメソする役割だった。ジミーは別に良い人間でもなんでもないが自分のやった事やそれによって惨めになった境遇などを全て受け入れていた。ただ死後に何か救いを求めてる哀れさを最後に見せてるあたり最高のラストだった(フランクとは理由は違うが僕も昔からドア少し開けてから寝るし‥理由は猫が通れるようにだけど。むしろ少し開いてたらお化けが出そうで怖い。だが猫が通るから仕方がない)。本作のラストは恐らく哀れなラストとして撮られてるんだろうけど、アスペっぽいフランクの性格に自分や自分の父に通じるものを感じてか僕は少し痛快というか好感を持った。本作のラストがあまりに良かったせいか、今まで観た全てのギャング・ヤクザ・犯罪映画の、ロマンや情感を伴って終わるラストが全てゴミに思えてきた。これは一過性のものではなく今後もずっとそう思いそう。だがスコセッシは「若い時はブイブイいわせてたが皆、孤独な最期を迎えた」というつもりで撮ってる気がするが貧困の独身日本人男性の俺からしたら「家族に縁切られたけど、思い出があるし最後まで自分の面倒見れるだけ金持ってていいなぁ」と羨んでしまうという誤った感想を抱いてしまいどうしようもない。フィクションを正しく味わうには観る側も余裕がないとダメだなと思った。
これは何度も観れそうなので新しい友だちが出来たような気分にもなった。

 

 

そんな感じでした(ドアは少し開けておいてください)

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The Irishman (2019) - IMDb

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