この監督の映画は、クレヨンしんちゃん映画で一番絶賛されてる「オトナ帝国」しか観てない。これは原作漫画が好きだったので凄く期待していた。
今では浮世絵師・葛飾応為として知られるお栄。その父・葛飾北斎の話。
原作読んだのも20年前だから殆ど覚えてないけど、お栄がサバサバしていて凄く好みの女性だと思ったのと父の北斎の人間的魅力と幻想的なシーンなどが好きだった。
メインのストーリーはなく小噺みたいな一話完結の短編集って感じだった気がする。
この映画も、小さいエピソードの集合体だった。
そこは、まあまあ‥いい感じだった。
映画一本を貫くストーリーめいたものとしては、北斎の末娘、お栄の妹である生まれつき目が見えない お猶の体調の変化。
そしてお栄の恋の行方が繰り返し何度か出てくるので、一応この2つがストーリーの軸になってる感じだった。
だけど正直、この少女が死ぬ死なないとかお栄の恋のくだりはしょうもなかった。
どちらもいらない。
元々は、北斎父娘の面白さや画描きとか怪談や細かいエピソードとか江戸の描写などのディティールを楽しむ原作だったと思うのだが。
とりあえず、この少女の死と主人公の恋で映画全体を引っ張ろうとしたのは、せっかく面白い話を俗っぽい地点に引きずり下ろしている感じになってしまったように思う。
だってそんな誰にでも起こるようなドラマチックな出来事よりも、父娘の私生活の方がずっと面白いからね。
とにかく画や動きが綺麗。
杉浦日向子の味のある絵柄を、破綻なく綺麗なアニメ画にした感じ。
俳優による棒読みと言われがちな吹き替えも、いいと思った。
他にも、実在の浮世絵師がいっぱい出てくるから色んなネタが入ってたんだろうが詳しくないからその辺は知らない。
他に、すずめを大勢閉じ込めていて金を貰ったら解放するという謎の男が、やってることがネガティブ過ぎて怖かった。
麻生久美子が声優してる幽体離脱する遊女とか、男とも女とも寝る美青年の遊女とかも出てきて興味深かった。
こういうちょっとしたエピソードはどれも楽しかった。
また、北斎父娘の家に居候している善次郎が、画がヘタで有名絵師の真似ばかりしてるのだが、女好きなせいか春画を描いたら下手だが色気があって人気があるというのが、エロ漫画家とかでそういうのよくあるなと思った。
「x年x月」みたいな日付は画面に出てこないが長屋に居ついてる子犬が大きくなっていくので、何となく「数年経ったんだな」というのがわかるのもよかった
聞き慣れない単語が出てきたら「ととや。‥魚屋は‥」と、繰り返しわかりやすい言葉を続けてくれるのも親切だった。
いや、むしろこの映画自体が凄く親切すぎる気がした。
お栄が好きな男に会ったらすぐ頬が赤くなるとか、誰が見ても感情が一発でわかる漫符みたいな記号が張り巡らされていて、お栄の魅力が減った気がした。
ラストは、各メインキャラのその後の人生を語って終わる。
なるほどね、と思って観てたら最後に「このx年後、江戸は東京という名になる」という説明文が出たら何故か泣きそうになって、キャラが死んでもなんとも思わなかったのに何でこんな何でもない説明文に泣きそうになったのか不思議だった。
自分は映画観て泣く時、主人公が能動的に何かを卒業したり大人になったり大事なものを失う時だけジーンとする傾向があるので、これは「(杉浦先生がユートピアみたいに描いてた)江戸が失われて東京になってしまう」事に泣きそうになったのかなと思った。
つまり、この映画の主人公はお栄と北斎というより江戸の町の方だったのかもしれない。
そんな感じで、期待してたものじゃなかった。
どうでもいいエピソードの連打によるグルーヴ感は良かったのだが、製作者がドラマチックに見せたい要素がことごとくその流れを断ち切ってしまった気がした(この逆はよくあるが‥)
というか、はっきり言って
「ドラマチックな要素を入れてジブリっぽく仕上げてヒットさせたい」
「江戸LOVEなクールジャパンアニメを作って外国人に売りたい」
という嫌な雰囲気が制作側から漏れ出すぎていて、そのために杉浦日向子を引っ張り出した感じが嫌なのかも。
何度も言うが美術や演技やどうでもいいエピソードは良かったです
そんな感じでした