原題:Jodorowsky's Dune 監督:フランク・パヴィッチ 原作:フランク・ハーバートのSF小説『デューン砂の惑星』(1965) 製作国:アメリカ 上映時間:90分
当時、「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」等のカルト映画で一躍イケてる映画監督の仲間入りしたアレハンドロ・ホドロフスキーが「人の意識を永遠に変えるような凄いSF大作を作るぞ!」と、フランク・ハーバートの大河SF小説「デューン 砂の惑星」の映画化に乗り出す。
本作にはとにかくホドロフスキーの人間的魅力が溢れていた。
この映画で喋ってる現在のホドロフスキーも活気に満ち溢れてるせいか、もう老人なのにも関わらず中年にしか見えず、息子とは親子というより兄弟に見えるほどホドロフスキーには活力が漲っていて魅力がある。
彼はそのチャームで共にデューン創りをする仲間たち「魂の戦士達(ウォーリアーズ)」を探し、次々と仲間に引き入れる。
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
プロデューサー: ミシェル・セドゥー。ジャン=ポール・ジボン。
衣装デザイン: メビウス。
建造物デザイン:H・R・ギーガー。
宇宙船デザイン:クリス・フォス。
特殊効果: ダン・オバノン。
音楽: ピンク・フロイド。
ハルコルネン家の音楽:マグマ。
武術指南:武道家ジャン=ピエール・ヴィニョー - ブロンティス
出演者: ミック・ジャガー。ウド・キア。オーソン・ウェルズ。デヴィッド・キャラダイン。ホドロフスキーの息子ブロンティス。サルバドール・ダリ。アマンダ・リア
という錚々たるメンツを、様々な面白エピソードと共に仲間にしていく件は、七人の侍や三国志や水滸伝や西遊記やファンタジー小説などで豪傑を味方にしていくような痛快さがある。
当時、少年だったホドロフスキーの息子も劇中でヒーローを演じさせるために、武道家の元で2年間、武術の修行を行わされた。
現在のホドロフスキー父子やウォーリアーズが当時の様々な逸話を思い出して語る彼らの様子はあまりにもキラキラしているし、彼らによって語られる「ホドロフスキー版デューン」も凄く面白そうに聞こえる。
それを、美術やラフなどをアニメーションで動かしていく映像を音楽や語りと共にどんどん見せてくるので、本作を観終わった後にはすっかりホドロフスキーのデューンを観終えたような錯覚に覚えた。
豪華スタッフと出演者を集め、SFXや美術なども全てギリギリ実現可能なものに細かく設定する計画もクリアして、それを電話帳3冊合わせたくらい分厚い企画書にまとめた。そして各映画会社に持ち込み。
どの映画製作会社も「この映画は凄い!この企画書も!」と興奮したのだが、当時はSF映画が発展しておらず、あったのはキューブリックの「2001年、宇宙の旅」か、もしくは子供騙しで安上がりSFという二通りしかなかった。
だから「哲学的な要素を内包した大作娯楽SF映画」などという前例がなく、どの会社も二の足を踏んだ。
更に、今まで前衛的な映画ばかり創ってきた破天荒な人物ホドロフスキーの事も恐れ、結局このホドロフスキーのDUNEは制作されなかった。
結局この企画は制作会社が小規模にまとめて(それでも大作だが)、天才だがSFに興味のないデヴィッド・リンチに映画化させた。
失意のホドロフスキーは、リンチの「デューン 砂の惑星」を「天才リンチのデューンが俺のデューンより凄かったらどうしよう‥」と恐れながら観に行くがリンチ版「デューン」の微妙さに歓喜して元気を取り戻した。
ホドロフスキー版「デューン」のストーリーは簡単に言うと「ヒーローが闘って死ぬが、その魂は全人類に飛び散って惑星を覆い宇宙を飛翔して全宇宙を革新する!」というものだった。
ホドロフスキーは「僕のデューンは作れなかったが各映画製作会社に置いてあるデューンのあの凄い絵コンテは映画界全体に影響をもたらした」と、様々な具体例を出して語り「失敗してもいいから自分の思う事をやろう」と叫ぶ。
ホドロフスキーは、本作の頓挫がショックすぎて映画を数十年間も撮らなくなり、メビウスとコミックを何冊か制作する(日本でも数多く邦訳されている)
最後に、この「デューン」失敗以降会ってなかったプロデューサーと久々に会って作ったのが「リアリティのダンス(2013)」。これで監督として復活して今後は映画を撮っていくようだ。
この「ホドロフスキーのデューン」が実際に完成していたらどうだったのか?
それは結局、完成に至らなかったので実際のところ、わからない。
本作にしても彼らウォーリアーズの主観で語ってるだけだし。
色んなメンツと大金をブチ込んだ末、凄い事は凄いが映画としては曖昧で捉えどころのない……邦画でいうと『帝都物語』みたいになってたり、あるいは連携が上手くいかず駄作になっていた可能性もある。その逆で傑作になってた可能性もある。
しかし本作を観て、楽しそうに話すホドロフスキーやウォーリアーズの話を聴いてたら、傑作か駄作かはわからないが「凄いもの」が出来てたであろう事は間違いないと思った。
存在しない「ホドロフスキーのデューン」については考えてもわからないが、ドキュメンタリーである本作はあまりに面白すぎるし元気も出た。
本作のホドロフスキーは最初に書いたように一目でわかるほど人間的魅力が凄かった。
一緒に仕事したくなる感じのじいさん。
もしタイムスリップして過去に行き、最終的にデューンが創らせてもらえない未来は知っていても誰もがバイトさせてもらいたくなりそう。
インタビュー中
「ちょっと待て!猫ちゃんが来た!」と猫を抱くホドロフスキー
この意味のないシーンに時間を割いてる、このドキュメンタリーの監督の事も好きになった。色んな映画に影響を与えた。
また彼が言う「私が死んだ後、このホドロフスキーのデューンの企画書‥映画化でもアニメ化でも誰でもすればいい。自由だ」と語ってる様子などを見て、「永遠に宇宙を生きる方法は、やはり何かを創るしかないんだな」と心底思った。
だからこそ人は芸術を創り、または仕事を通して何かを残そうとしたり、単純に子供を作ったりするんだろうな‥と、人生の意味‥のようなものを感じた。
何ひとつ成し遂げていないし残していない自分だが、とりあえず何か頑張ろうと思える映画だった。
そんな感じでした
〈アレハンドロ・ホドロフスキー監督作〉
『リアリティのダンス』(2013)/」アレハンドロ・ホドロフスキー/爽やかな鑑賞後感で次回作が楽しみになった - gock221B
『ホーリー・マウンテン』(1973)/そんなに色々捨てんでも‥と心配してたら高次元に抜ける爽快なラスト🗻 - gock221B
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