原題:Incredibles 2 監督&脚本:ブラッド・バード 制作:ディズニー/PIXAR
製作国:アメリカ 上映時間:117分 シリーズ:「インクレディブル」シリーズ
【一作目】
前作「Mr.インクレディブル (2004)」は当時めちゃくちゃ好きで何十回と観ました。
勿論CGやストーリーも素晴らしかったし「ファミリーアニメだけど、敵が子供達をガチで殺しに来る」という殺意を強調してたのが好感触でした。
当時、アメコミ映画はパッとしないものが多くティム・バートン「バットマン」シリーズやサム・ライミの「スパイダーマン」シリーズやブルース・ティムのDCアニメを繰り返し観る日々でした。
本当は原作っぽさを残したまま明るい展開でヒーローを肯定したような映画が観たかったのですが‥早い話、今のMCUとか「ワンダーウーマン」「アクアマン」以降のDCEUみたいなのを待ってたんですが「Mr.インクレディブル」はその願いを擬似的に叶えてくれたものでした。
「ウォッチメン (2009)」より先にヒーローが法で禁止された世界を映像化し、どこも未だにやってないファンタスティック・フォーみたいなヒーロー一家や子供ヒーローを描き、ゴムの身体が伸びるヒーローをMr.ファンタスティックより先に描き(FOXは「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット] 」を製作中に「伸びるヒーローなんて馬鹿みたいだから控えめにしよう」としてたけど「Mr.インクレディブル」の大ヒットを見てMr.ファンタスティックの身体を多めに伸ばしたとか伸ばさなかったとか)。
更に同じくFOXはX-MENのアイスマンが氷のアーチを作りながらスケートのように移動する移動法も恥ずかしがってやらなかったので「Mr.インクレディブル」のフロゾンが代わりにやってくれた。「Mr.インクレディブル」の音速ヒーローダッシュもフラッシュやクイックシルバーといったスピードスター観たい欲を満たしてくれた。
要するに我々が今現在、楽しんでいるヒーローのアクションやノリを、サム・ライミ以外の映画製作会社は「荒唐無稽で子供っぽい」と恥ずかしがってやらなかったのを全部やってくれたのが嬉しかった。
他にそんなアメコミ映画はなかったので4年後の「アイアンマン (2008)」から始まるMCUまでの期間は「Mr.インクレディブル」を繰り返し観てました(悪い言い方すれば、内容も良いし来るかどうかもわからないMCUの代用品として観てた感じ)
そして本編では、当時あまり流行ってなかったスパイ映画っぽい展開や音楽なども独自性を出し、人妻を描くのが妙に上手いブラッド・バードが創ったゴムの身体を持つママの、出産後に尻のデカさが戻らない経産婦の魅力も見せつけてくれました。本作まで14年も経ってしまったので当時は「熟女っていいな」「子育てに邪魔だからという合理的理由で髪短くした骨盤が戻らないせいで尻がでかい経産婦って魅力的だな」などとすっかり経産婦にフェティシズムを感じるようにさせられたが、今ではママより年上になってしまい「普通に可愛い女性だね」っていう感じに思ってしまうあたりに自らの加齢を感じた(ママの年齢は謎だけど30代半ばだと思ってる)
「PIXERって色んな作品の続編作るならインクレディブル作れよ」と2000年代の間はずっとMr.インクレディブル続編を待望してたけど、今となってはMCUや(最新の体制の)DCEUなど明るく原作っぽさを活かしたアメコミ映画が飽和状態で、僕の中で完全に役目が終わって正直どうでもよくなっていた去年、続編が来た。
完全にネタバレありで
Story
スーパーパワーで街の平和を守ったパー一家とフロゾンだったが、再びヒーロー活動を禁止されてしまう。
そんな時、伸縮自在のゴムの身体を持つ元スーパーヒーロー〈イラスティ・ガール〉であるパー一家の母、ヘレン・パーのもとにヒーロー復活をかけたミッションが舞い込む。
留守を預かることになったヘレンの夫であり怪力と鋼鉄の身体を持つ元スーパーヒーロー〈Mr.インクレディブル〉でもあったボブは、スーパーパワーを持つ子供達、フォースフィールドと透明化能力を持つ長女ヴァイオレットや超音速で動ける弟ダッシュ、未だスーパーパワーが未知数の赤ん坊ジャック=ジャックの世話に奮闘するも、慣れない家事と育児に悪戦苦闘の連続。
一方、再びヒーローとして活動を再開したイラスティガールは一連の事件の容疑者、スクリーンで催眠術にかける犯罪者スクリーンスレイヴァーを追うが――
まずPIXERなので美術‥CGは何度も一時停止してスクショしてしまったほど美しく素晴らしいです。というか前作の時点で「濡れた髪の表現とかすげええ!」と驚いてたのを思い出した。
基本的に前作と絵柄は全く同じなんだけど画素数だけが数十倍に上がってる印象。
そして前作同様、表情や仕草が素晴らしい。
内容はというと‥まず前作は「スーパーヒーロー禁止法でヒーロー活動できなくなり、普通の仕事をしてフラストレーションを溜めていた、かつてのヒーローであるパパとママとフロゾンが、色々あって成り行きで子供達も含めたヒーローチーム状態になって敵を倒して再び社会に認められる」というストーリーだった。
本作はと言うと「ママが仕事に出てパパが育児と家事をする」という要素以外、前作と全く一緒だ。ご丁寧に、前作で社会に再びスーパーヒーローとして認めてもらったのだが、本作では再び強引にヒーロー禁止社会に戻されてしまう。
前作のラストで地底から出てきた「ファンタスティック・フォー」のモールマンをパクったような地底の敵アンダーマイナーをやっつけるぞ!って感じで終わったのだが、14年経った本作は丁度その数秒後、アンダーマイナーとの闘いから始まる。なるほど、ここから始まれば前作を観てない人に、コスチュームを着たパー一家&フロゾンの能力や性格を全部見せることができるからな。
パー一家&フロズンはアンダーマイナーの銀行強盗を止めるのだが、街の被害も甚大だったため政治家に責任をなすりつけられ再びヒーロー禁止法が出来てしまう。
政治家の「何もしなくて銀行が破壊されても保険が降りたから何もしなくて良かったのに!『正しいこと』なんかするな!」という言い分が可笑しかった。
だけど何だか前作の展開が全て無に帰したようで盛り下がる展開だ。シリーズというのは2作以上作れば雰囲気が見えてくるものだが、どうやら、このシリーズはヒーロー一家ってだけではなく「ヒーロー禁止社会でアングラにヒーロー活動する」という要素が必須のようだ。
そこでスーパーヒーローに憧れる大金持ちの経営者と技術部担当の妹がパトロンとなり、元スーパーヒーローのパー夫婦とフロズンに非合法でヒーロー活動させて、強引に社会に認めさせようという目的。
そんで全体的な流れは
スーパーヒーローが禁止の社会で非合法にヒーロー活動を行う
↓
ママ一人だけ異常に活躍するアクションを見せる前半
↓
ヒーローに思うところのある一般人の悪役にハメられてピンチ
↓
デザイナーのエドナの家に行ってスーツを作る
↓
一家とフロズンが力を合わせて敵を倒し社会に認められる
↓
街で楽しんでると悪者が現れ、マスクを付けてニヤリとするエンディング【完】
という、さっきも言ったが前作と全く同じ流れ。
元通りになってしまったヒーロー禁止法もそうだが、前作では長女ヴァイは陰キャだったがラストで明るい娘になったのだが、本作では好きな男子と上手くいかずパパに反感を抱くので目の下にクマを作って再び陰キャっぽいキャラに逆戻りしている(ヴァイは陰キャの時の方が可愛いので凄く可愛いんだけど何だか折角進めた歩みを後退させたようで盛り上がらない)
前作でも盛り上がったママが一人だけゴムアクションで隠密アクションするシーンも大幅に増えてるし、ママの事は大好きだったので嬉しいし基本的には面白いっちゃ面白いんだが、これでは続編というより拡大してない再生産的セルフリメイクだなぁと思った。
セルフリメイクっぽい続編‥というと早い話が
「死霊のはらわた (1983)」に対する「死霊のはらわた II (1987)」みたいな感じ。
はらわたの場合、色々と洗練させたりコメディ色を増加させたりと色々あったが、本作の場合、個人的には「パパの育児」以外、全く拡大していないセルフリメイクで、停滞感を感じた。
だが勿論、新しい要素もある。
パー夫婦に憧れる味方のヒーロー軍団、赤ん坊ジャック=ジャックの17種類のスーパーパワー、一家の凄い車インクレディビール‥などの新要素。(こう書くと割と全部どうでもいい)。
前作ではママのアクションが大評判だったのを反映してか非合法ヒーロー活動はママが延々と行う(勿論ここは前作同様スパイ映画っぽいノリ)。
前作でパパが大はしゃぎしてたように本作ではママが大はしゃぎする。
ママの性格を考えると「ママが非合法活動で大はしゃぎするかな?」と一瞬思ったが、前作でヒーロー復帰して正しいことをしたのに政治家によって不当に貶められたから「いっちょやったるかい!怒」と思ったとしても不思議じゃないか。「若い時はモヒカンだったくらい強気だった」事も明らかになるし(ママは語るたびに本当に最高の女性ぶりが明らかになるな)
そしてママの仕事中、三人の子供はパパが育児する。
このパパとママの役割の逆転は、本作で唯一新しい要素だった。
‥というか他は全て14年前の前作と同じことやってるだけだから、観ていて新鮮さを感じる本作の面白いポイントは、このパパの主婦業パートだけと言っても過言ではない。
シングルマザー子育てホラー「ババドック ~暗闇の魔物~ (2014)」を観るまでもなく、一人で子育てするのは悪魔と闘うくらい大変な仕事。やる前は「子育てなんて留守番と大差ないさ」と舐めていたパパは再起不能寸前にまで追い込まれる。
だが何とかやり遂げて、最初はパパに文句ばかり言っていた子供達からの再評価を得ることにも成功。
最初はパパとして上から目線の子育てだったが最後はヴァイに弱音を吐くなどして子供と対等の目線になる事によって、反抗していたヴァイもパパに寄り添います。
しかしママ大好きな俺がママが期待通りの活躍してるのを見て「まぁ‥うん」という、ややウケ状態で、あまり好きじゃなかったパパの主婦業に盛り上がるとは思わなかった。
それにしても、このパパは主人公格にも関わらず前作では魅力無かった。
「体育会系のアメリカ金髪白人。能力は腕力と屈強さ」‥などとキャラを構成する要素の組み合わせがあまりにマッチョ過ぎる。こんなキャラ、現在では敵じゃないと出せないキャラだ。WWEのいけすかない現在のブロック・レスナーみたいなキャラ造形。
このシリーズは「ヒーロー一家が社会に直面する」という話だから、パパのマッチョ要素は作品内で削減される。前作では「活動を去勢されたスーパーヒーロー」本作では「主婦業に直面するスーパーヒーロー」というウィークポイントを与えられてギリ見れるキャラだ。
もし、そういったメタなテーマじゃなくアベンジャーズみたいに最初からガチなヒーローものとして作るのなら、このパパは絶対に黒人になってるだろう。もしくは「一家の中で一人だけスーパーパワーを持たない」というバットマンみたいな非メタ・ヒューマンなキャラにするとか、マッチョ要素を減らさなければいけなかったでしょうね。
パパは性格の良いナイスガイなんだが、そういったマッチョ要素満載だし、顔や仕草が単純に怖い。本作の前半、ママの仕事を応援すると言うより自分がヒーロー活動したいもんだからママの活躍を見ると「グググ‥!」とキレそうになってて‥勿論キレたりはしないのだが身体や顔がマッチョすぎるので今にもDVしそうな雰囲気があって怖いんですよね。主婦業を超えると和やかな感じになるが前半マジで怖かった。
非常に今的で、ディズニーが如何にも好みそうなポリコレ展開だった。
「ポリコレ」を口にする人は、女性差別主義者とポリコレババアという両極端な人達が多いせいか、何か今「ポリコレ」って言うと何か僕が嫌味を言ってるみたいに見えるね。そうじゃなくて普通の意味で言ってます。マッチョ要素が多すぎたパパが、育児して子供達やママとより深く繋がれたのは良かったんじゃないでしょうか。
それで皆で力を合わせて最初から自作自演丸出しだった一般人ヴィランのラスボスを叩いて、国民からの尊敬を勝ち取るという14年前と同じ結末を迎える。
ヴィラン、前作は「Mrインクレディブル達スーパーヒーローの大ファンだったが、色々こじらせてヴィラン化して大資本で武装した一般人」という、くりぃむしちゅー有田哲平そっくりな顔の敵シンドロームがラスボスだった。一言で言うと「アンチ化した大ファン」。
本作では、ヒーロー活動を援助してくれる兄妹‥彼らの父はスーパーヒーロー禁止法のせいで犯罪者に殺された「だから世界にはヒーローが必要なんだ!」と言うヒーロー大好きな兄と、イラスティガールと「進歩的な強く賢い女性像」で意気投合した妹、二人共がラスボスかと思いきや妹だけだった。
前作のシンドロームのことがあるからヒーローヲタの兄が如何にも怪しいのだが、この兄は本当に純粋にヒーローが好きなだけの「政府が不当にヒーローを禁じなければ父は生きていた」派。
ラスボスは他人を催眠装置で操るリアリストの妹の方だった。彼女は兄とは逆で「ヒーローに頼ってるから父は死んだ!自分達で自己実現しなければダメだ」と言う。
「他人から与えられるものだけでいいのか?スクリーンのヒーローを安全圏から観てばかりで自分で行動しようと思わないのか?」と、ヒーロー好きには耳の痛い事を言うヒーロー否定リアリストのヴィラン。ヒーロー映画‥いや映画とかフィクション好きの観客への娯楽否定にも聞こえる。その主張は凄く良かった。‥というか兄よりも説得力ある‥のだが、やってる事は罪の無いものを操って犯罪させたり&ヒーローの評判を落とすという犯罪なので完全に100%悪人。「人間は自然破壊ばかりしていてダメだ(わかる)→だから人間は絶滅するべきだ!(え?)」という、出発点は正しいが結論がめちゃくちゃ系ヴィラン。
一方、説得力にかける兄だが最終的に、共に戦闘機で脱出しようとする妹にNO!と言って街に特攻する船に残り憧れのヒーローたちを信じて命運を共にする地味だけど勇気ある姿を見せてくれました。妹は面白い思想を持ってた一般人ヴィランだったがラストバトルでは催眠装置はあっさり解かれ、ママとのタイマンも、勝てるわけないので「低酸素症でママを戦闘不能にする」というハンデが与えられ、だがママに発煙弾で撃たれて戦闘機から上空に投げ出されて死んだ‥と思ったら結構時間経ってからママも戦闘機外に飛び出して助けた。「妹、まだ落ちてなかったの?」と「戦闘機から投げ出されて空中でしばらく待っていた妹」を想像した。ブラッド・バードは「明確な殺意」を押し出したい人らしく、前作のシンドロームは愉快なアニメにもかかわらずグシャグシャになって無残に死んだ。本作の妹は助けた。ヒーロー的には助ける方が正しいので作品の成長と言えなくもない。
途中までは「ヒーローの活躍をただ観ているだけの僕たち観客を否定する面白いヴィラン」だと思ったのだが、何か話の都合で微妙なヴィランになって終わった印象だった。
もちろん作品自体のクオリティは凄いし本当に目が釘付けになるほど美しい画面だし一定以上の面白さは保証されてるのだが、やっぱり何度も書いたようにインクレディブル・ファミリーが、前作と同じことを再演しただけだなと感じた。前進したと感じたのはパパの主婦業だけだ。
何だか今ひとつ盛り上がらなかったのでパパとママの事しか書かなかったが、そもそもヴァイオレットはめちゃくちゃ可愛いので好き。めちゃくちゃ表情が変わるので変顔中心に全部スクショしたくなる。鼻から水を噴射する場面は一番楽しいし。
それにしてもヴァイが好きな男子トニーの記憶を全削除したまま終わったので驚いた。
記憶を消したヒーロー後見人じいさんはラストでもう一回出てくるべきでは?
というかトニーの記憶を元に戻して「スーパーヒーローだとは驚いたけど好きだよ」とか、タニーに真のヴァイ(スーパーヒーロー)を肯定させて終わるのが筋では?
新スーパーパワーお披露目要素としてはイラスティガールに憧れてる若手ヒーローが多く登場する。その多くはキャラ的にもパワーもあまり面白くないのだが、次元ポータルを開くエモい髪型の若手女性ヒーロー、ヴォイドの能力は面白かった。アメコミでいうとX-MENのブリンクだが、ブリンクと違って激しい戦闘中にポータルを超連発して四次元的な戦闘を繰り広げたり、超音速で逃げるダッシュを無限ポータル地獄で閉じ込めたり、戦闘機に取り付きたいママをポータルでワープさせ、ママが成功するまで何度もワープさせる様もゲームっぽくて楽しかった。
👨👩👧👦何か割と否定的な事を多く書いた気もするが前作観ずに本作から観た人は凄く良いと思うだろうし、否定的な僕も最後まで楽しく観れる程度には面白かった。ただ前作は作品の素晴らしさプラス、アメコミ映画がやってない事を大量にやってくれたのもあって何十回と観たけど本作は1、2回観ればいいやという感じなだけ。
だけど、画面やキャラの挙動は本当に素晴らしかった。
近年のヒーロー映画で言うと「ジャスティス・リーグ (2017)」とか「ヴェノム (2018)」を観た時の「悪くわないし、これが10年前に公開されてたら良作って言えてたけど色々アメコミ映画が発展してる最中の2010年代後半に作ってこの感じ?」という感覚に近い。
本作もせめて前作の数年後に公開してたら、せめて最低でも6年前ならまだ楽しめた気がする。
そんな感じでした
ブラッド・バード監督作品
「トゥモローランド (2015)」幼女ターミネーター大活躍スチームパンクで終盤までは良かったのだが‥👧 - gock221B
「ミッション:インポッシブル (1996)」「M:I-2 (2000)」「M:i:III (2006)」「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル (2011)」「ミッション:インポッシブル/ローグネイション (2015)」💣 - gock221B
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