原題:Destination Wedding 監督&脚本:ヴィクター・レヴィン 製作国:アメリカ 上映時間:87分
キアヌ・リーヴスとウィノナ・ライダーという「二人とも90年代を代表する元カリスマ的な俳優だったが私生活が荒れたり昔ほど大ヒット作に恵まれなかった二人だったが、どちらも近年、老若男女に大人気かつ大ヒット作に出演した」そんな2大スターの共演作。‥何か今、文章としてキャッチーだと思って「低迷してたが再ブレイクした2人」って雰囲気で書いたが、二人の出演作はずっと観てたし、あんまりそういう冷たい言い方はすべきではなかったかも。この2人のダブル主演での共演と言えばリチャード・リンクレイターがフィリップ・K・ディックの小説を原作とした「スキャナー・ダークリー」とか、コッポラの「ドラキュラ」が思い浮かぶ。どっちも好きだわ。特にスキャナーはディック小説で一番好きだったし思い出深い。
そんな2人が本作ではアラフォー独身者を演じ、共通の知り合いである新郎のリゾート・ウェディングに参列して出逢うという話。
キアヌは仲の悪い新郎と異父兄弟で、ウィノナは新郎に少し前に捨てられたばかり。
2人は空港での初対面時からお互いを罵り合う。その後も席が偶然常に隣、という事が続きホテルの泊まる部屋まで隣で、disりあってるうちにコミュニケーションも増え、畑のような場所を歩いてるとネコ科の獣に出くわしたことでアドレナリンが分泌され切っ掛けとなったのか、その場でファックし、その後やがて惹かれ合う‥みたいな流れ。カジュアルにネタバレしてしまったが、大きな出来事は本編の90%は2人がずーっと喋っているだけというのが基本。その会話が本作のメインで後は全部舞台装置みたいなもんなので個人的にはネタバレしようがしまいが影響ない気がする。
で、台詞やキャラクターの性格というものは主演2人にしかなく、他の人物は台詞一言もなく画面の書き割りに過ぎない。二人の共通の知り合いだという〈新郎〉も一切喋ったりアップになったりもしない。2人芝居みたいなものか。
偏屈でめっちゃ喋るキアヌと屁理屈めっちゃ喋るウィノナが全編(ファックしてる時も)ずーっと喋ってる。ウディ・アレン映画のウディアレンの喋りを更に1.5倍増やした感じでちょっと台詞が多すぎる気もする。リンクレイターの「ウェイキング・ライフ」とか「スキャナーダークリー」みたいだ、幾ら何でも初対面の異性同士がこんなに喋りまくらんだろう、とは思うが映画にそんなツッコミしてもしょうがねー。きっと英語できる人が原語で観たら、もっと面白いのだろうが、そうじゃないので観終わる頃には何だか単純に疲れた。字幕だと台詞に対しての字幕がめちゃくちゃ少ない上に字幕が2人のトークに全く追いついてなくて若干ズレてる気もするので吹き替え推奨。
ウィノナ・ライダーは先週観た「ストレンジャー・シングス〈シーズン3〉」でも思ったが、相変わらず美人なんだけど近年急激に老けた気がする。長年の心労が響いたのか痩せすぎのせいか、あるいはその両方か。。個人的にはもう5kgくらい太って顔に丸みを帯びさせた方がいいと思うが大きなお世話だろう。そもそも女性の容姿について語る行為自体が何だか下卑ているのでこの話題はもうやめよう。
キアヌのおしゃべり偏屈野郎っていうこのキャラは何だか新鮮でいいなと思った。彼の過去に何があったのか‥?というか40代なので他人と深く関わった後の面倒臭さ、もしくは「人間は殆どの出会った人とは末永く付き合わない」そして、そうやって知り合った他人と離れる時の面白くもない空気を嫌い「だったら深く関わらなきゃいいだろう」と、他人に心を開かなくなったばかりか「いま君に心を開かないようにしている」と会話してる最中のウィノナに直接言いさえもする男。僕もアラサーの時は友達何人出来るかなって感じの性格だったのにも関わらずアラフォーの今では、知り合う前から縁の切れる時を想像してしまい、何だか何か始まる前に既に面倒くさくなってしまう‥そんな感じの性格になってしまった40代独身男性なのでおのずと(僭越ながら)キアヌのキャラに共感して観ていた。すみませんね‥恐縮です。「気まずさ」というのは実際気まずい相手の前に行けば数十秒や僅かな会話で霧散して後は普通に話せる‥というのも知ってるのだが何かもう「気まずい」という数秒間がもう面倒くさいと感じるようになってしまった。「何か、もう他人とか、それぞれ死ぬまでにあと一回づつ会えればそれでいいか」といった状態になってしまった。まぁこの状態も誰か知ってる人が死んでハッとして反省するなどの切っ掛けがあれば‥変わるのだろう。なかなか我ながら死人の考えみたいなヤバい状態にある気がする。
話を映画に戻そう。
このキアヌのキャラはそんな感じで自分と他人‥ウィノナの間にシャッターを下ろしたままで「君には全く興味ない」とか言って口喧嘩ばかり言ってる癖に、いざウィノナがピンチになったりすると「身体が勝手に動いて」彼女を助けたりする。これではウィノナのキャラがキアヌのキャラに好意を抱くのも無理ないな。そもそも本体がキアヌだしな。。いや、どうしようもなく身体が勝手に助けてしまうのだから最初からキアヌの方がウィノナを好きだったのかな。そもそも空港や機内で無視し合うわけでもなく延々と口喧嘩やり合ってる、という状態が既にSEXみたいなもんだし、2人の色んな動作や癖がシンクロしていた映画冒頭から惹かれ合ってたと観る方が自然か。
2人も疑っていたが、共通の知り合いだという嫌な新郎がわざと2人を隣り合わせ続けてくっつけたのかも知れない。また2人は新郎のことを「嫌な奴」だと言ってはいるが言ってるのは偏屈なキアヌと捨てられたウィノナだけだし「別に新郎は嫌な奴じゃないのでは?」という気もしてきた。答えが提示されなくて想像する余地がある方が面白いですね。提示されてたら「ナルホド」とか言って納得してそれで終わりだからな。具体的な答えがないという事を洞窟に喩えると、そこで大声(疑問)を出せば洞窟内に響く、そしてその響き(自分の考え)が跳ね返って帰ってきて「おもしろいね」と感じたりする。これが答えのない面白さではないだろうか。
ラストのキアヌが、今までのこのキャラと全く違う真摯な表情、ウィノナもまた往年の可愛らしい表情、2人がこの映画で初めてそれを見せるのはラストだけ。このラストは丁度いい爽やかさがあった。
このラスト観たら「ふたりとも映画冒頭から、このラスト数秒の素直なキャラだったら話はもっと早く、またこんな膨大な台詞量もいらなかったのでは?」と思ったが「これだけの遠回りやトラブルや偶然性(もしくは仕組まれ)がない限りアラフォー独身同士の男女は付き合い始めない」という事が言いたかったのだろうと思った。SEXの始まりの時お互い止める気なんてないのに止めようとしたりSEX中にずーっと喋ってるのも2人が付き合い出す流れと一緒だ。「アラフォーならではの挙動」とさっき書いた気がしたがこうしてみると何だか思春期の子にも思えてきた。年寄りが見たら確実に「可愛い2人」とか「ガキみたいな2人」とも思ったりしそうだ。中年というのは思春期とそう変わらないのかもな‥。劇中でキアヌ氏も「人は死ぬまで思春期」とか言ってたしな。本作は、2人と一緒にリゾート地を歩いてワイン飲んでる気持ちにもなれて楽しめた。以前から思ってたがキアヌがバイクで各国を転々とするというノーマン・リーダスがHuluでやってた配信番組みたいな『キアヌさんぽ』というコンテンツがあったらいいのになと思った。
「結局この映画の内容は、この何ともダサい邦題の通りだったな」と思わされてしまうのが何だか癪だが実際その通りだった。いや、だけど本作を観る人の多くは「キアヌとウィノナのこじらせアラフォー恋愛映画?へー観てみるか」と思って観始めるはずなので、こういった結末を示唆するダサい邦題はやはりダサいと思う。普通に「リゾート・ウェディング (2018)」でよかったんじゃないか?「ウェディング」がタイトルに入ってれば恋愛ものだとわかるだろう。それとも、この「こじらせた年長者の遠回り恋愛を示唆する邦題」じゃないと手に取らない奴が多いと思ったのだろうか?そんな奴はいやだね‥。だが映画会社の邦題を付ける人も当然、変な邦題というのは言われなくてもわかってるはずだろう。邦題付ける時に、マーケティングによる前例に習わず自分ひとりが責任取る覚悟で自由な邦題つけてたら会社の人間としてやっていけなさそうだし自然と似たような変な邦題が増えるんじゃないかな。‥などと、そこまで変過ぎる邦題でもない本作の邦題について内容ゼロなのに字数を取りすぎた。結局最初に言った「だせー邦題」という一言で話は既に終わっていたのだが本作の内容に習って、最初にわかっていた結論を後回しにして遠回りしてみた。だが特に気が利いてるわけでも面白くもないダサい結果になった。俺にお似合いだな?
それにしても気がついたら最近ヒーローとかバケモノが出てくる映画や爆発が起こるような映画ばかり観てたので(最近というか10代の時からずっとだが)、こうやって喋ってばかりの恋愛映画ひさびさに観て新鮮だった。おれの最近の映画鑑賞、バランスを欠いてたなと思った。何事もバランスよくしないと。しかも40代のこじらせた感じの男女の恋愛というのも自分に合ってたし、主演の2人が自分より歳上というのもいい。映画じゃなくて、もっと他に重要なことがあるだろう、ともう一人の自分が問いかけているような気もするが、それは明日考えることにしよう。
そんな感じでした
🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷🧔🏻👩🏻🦰🍷