原作:荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』全17巻 シリーズ構成:小林靖子 総監督:鈴木健一 監督:加藤敏幸 アニメーション制作:david production 制作&配信:Netflix 製作国:日本 配信時間:各話24分、全38話 英題:JOJO'S BIZARRE ADVENTURE Part6 Stone Ocean
今回は、この6部アニメの感想……を中心にジョジョの原作漫画とアニメシリーズ全体について書くことにする。ざっくりと。ざっくりとじゃないとマンハッタン・トランスファーだけで記事一個書けてしまうからかなり端折っていく。
これは『ジョジョの奇妙な冒険』(1986-継続中)第6部『ストーンオーシャン』(1999-2003)のアニメ化。
ジョジョの原作は小学生の時に第一回目から読んでるし人生で一番長く読んでるやつかもしれん、40代の中年によくいるジョジョ好き中年ですね。このアニメも第1部の開始時から観てました。
僕は判官贔屓的な性格なので一般的な人気がなくなった第4部から第6部まで「俺が応援せねば!」という荒木信者状態に突入したので思い出深い。5部ラストくらいからネットが普及しだしてジョジョ語りが加速した、それによって気が済んで徐々にジョジョ信者状態からファンに戻っていった。今では考えられないがリアルタイムで一般的な人気があったのは……第3部だけで、第4部以降は読んでる人が異常に少なかった。同級生の殆どは「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」だけ読んでジャンプを放り投げる子が殆どでジョジョを読んでるのは自分を含めてクラスに3人くらいしかいなかった(このジャンプ黄金時代は一クラスに必ずジャンプが回されており待てば、いじめられっ子ですら無料でジャンプを読める状況だった)。しかし第8部『ジョジョリオン』(2011-2021)があまりにつまらなくて(回想とウンチクと最終話だけ良い)他のジョジョファンが読むの止めてたが自分は止めなかったのだが、そのせいで信者状態を脱して「かつて信者状態だったが今は冷静なまぁまぁなファン」状態へ戻った。
以前、ジョジョの原作漫画についてもブログ書こうと思ったことあるが書こうと思えば無限に書けるし何年か前、戯れに『幽☆遊☆白書』(1990-1994) の事を書いたら普段の映画の感想の2千倍くらいアクセスがあって「映画の感想ブログ」を続けるモチベーションが消えそうになったので「ネットで語られがちな人気漫画」について書くのはやめようと思ってやめた、同じような理由でアフィリエイトもやっていない。一番下のAmazonリンクもアフィではなく「Amazonリンク貼ってる方がブログっぽいから貼ってる」だけ……只の飾りという世界だ。
このTVアニメのシリーズも最初からリアタイで観ていた。
このシリーズは原作再現や原作で足りない要素の補完……など原作愛に溢れてファンにも好評ではあるが、最終話などを除いて思いのほかアニメが動かない回が多い、特にサンタナを追うシュトロハイムが階下から階段を奇妙なポーズで飛び上がってくるところなど「これどんな動きなんだ?」と思ってたとこは全部止め絵で済ますのが不満だったが声優は良い、TVアニメとしては良質な方だとは思いつつ自分の中で「電動紙芝居」という位置づけだった。ジョジョファンのコミュニケーションツールとしては、このシリーズが最適だが、一つの映像作品としては90年代に作られた三部の後半をOVA化した『ジョジョの奇妙な冒険』(1993-1994)の方が遥かに上だと思う(後で三部の前半もOVA化されたが)。
このTVアニメシリーズは、映像作品としてアニメを純粋に楽しむというよりも、このアニメを観て原作を思い出したり、SNSで古参ファンのイラストとか初見の人の感想や海外の反応を見たりして楽しむ……という「アニメ本編よりSNS見る方がメイン」という、作品というかコミュニケーションツール的な感じだった。別にこのシリーズが良くないアニメというわけではないが原作漫画を長く読みすぎたし、そもそも「漫画のアニメ化」というのは95%原作が勝つ。最近の、原作もアニメも観てる少年漫画だと『ONE PIECE』『進撃の巨人』『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『チェンソーマン』……はっきり言って全部、アニメも良いとこあるけど全て原作の方が良い(これらに共通して綺麗な作画とよく動くアニメという、素人が誉めざるを得ない長所には力入ってるが演出という言語化しにくい部分がいまいちかな……)。原作漫画に負けてないアニメというと高畑勲の『じゃりン子チエ』、出崎統の『あしたのジョー2』『スペースコブラ』、一番古い『ルパン三世』、OVA版『デビルマン』全2巻、京アニの『日常』くらいしかない(コブラと日常はむしろアニメの方が良い)。とはいえ原作あるアニメは、ファンの顔色を意識しながら原作をなぞらざるを得ないので原作に劣るのは仕方ないと思う。
だからジョジョアニメも今まで見てても漫画の方が良いからブログに感想書くことがあまりない、だから見終えてもFilmarksで星取りして終わりだったが本作は最後まで観て、最終話で異常に感動したので「こんな感動したのに書き記さないのおかしい」と思ってブログに感想書くことにした。
ネタバレあり
Story
2011年のアメリカ・フロリダ州。かつて邪悪の化身DIOを倒した空条承太郎の娘・空条徐倫(CV:ファイルーズあい)は嵌められて州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所へ収監される。
刑務所内で、それぞれ固有の超能力を持った像〈ヴィジョン〉”スタンド”を発現させた徐倫は、この石作りの海(ストーンオーシャン)……刑務所に潜む真の邪悪と対峙することになる――
そんな話。ジョジョ唯一の女性主人公、徐倫が獄中で知り合った仲間達と敵の陰謀を阻止しようとする。後半までは刑務所内なので4部の杜王町同様にロードムービーじゃない場所固定タイプの部。
徐倫はジョジョの中でも最も好きなキャラ……なのにも関わらず魅力が本編でわかりやすく露出しててあまり語ることがない。キャラ的には、最初は甘ちゃんだったのに気高く成長する成長度Aのとこ、能力的には「糸」と「オラオラ」という弱めなところが魅力。それと登場してすぐ自慰の話したりゴキ○リが這ってるパン食ったりする泥臭さが良いですね。徐倫の良さは劇中でアナスイがよく言及してたので改めて褒めを加える余地が少ない。アナスイといえば緑色の赤ちゃんの時、徐倫の口の匂いを嗅ぐ場面が地味に好き。あそこで「どうやらアナスイは本当に徐倫が好きなんだな」というスゴ味を感じた。いくら若くて可愛い女の子といっても別に口の匂いなんか嗅ぎたくない。「口の匂い嗅ぎたい」という意見もあまり他人から聞いたこともない。たとえば「吉岡里帆の口の中の匂い」を嗅いで「お昼はナポリタンを食べましたね?」……そんなこと知ってどうする?だが最大限に想像すると匂い自体はどうでもよく、その特異な行為を通じて「互いの特別な繋がり」を感じるかもしれない、だから本当に大好きな相手だったら口の中の嗅いでみたい?……かもしれない。しかし「特別な繋がり」であるなら性行為すればそれでいい。だが性行為というだけなら只の「性欲」なので別に好きな相手じゃなくてもしたいものだ、だからそれを念頭に置くと「口の匂いを嗅ぐ」という事を優先する事によって「アナスイはSEXしたいわけじゃなく純愛なんだな」と俺は感じたという事。わかるか?とにかくこの描写を最初見た時から「やっぱ荒木すげぇな」と思った覚えがある。作中で他には7部の「圧迫祭り」など荒木独自の異性とのスキンシップには興味津々だ(性犯罪的なとこではエニグマの少年の「お前のパンティーだ」も凄く生々しい変態度が高くて気になる)。
ジョジョ好きな人なら「好きな部はどれ?」と考えるものだが40代の自分の場合、童貞はおろか毛も生えてない包茎だった時から読んでたわけで、少年期→青年期→友達や恋人と語った思い出、仕事が上手くいかず五部の単行本買って読んだらポルナレフが満身創痍になってた衝撃、5部終盤でネットが普及してリアル友達以外ともジョジョの話が出来たりジョジョのファンサイト作ったりした楽しさ……とにかく自分の人生とジョジョがあまりに長く結びつきすぎてて客観的に判断できないものがある。
「好きなキャラ」だと簡単で男性キャラならディエゴ(恐竜)とポルナレフ、女性キャラなら徐倫が一番好き、あとはアバッキオ、五部ナレフ、ジョニィ、ホットパンツ、エルメェス、FF、リサリサ、マウンテンティム……この辺か。
「客観的に好きな部を決めれるか」という話に戻るが「アニメを機にジョジョ全部一気読みした」という人なら一見、客観的に全体を見て決めれそうだが、これもまた絵柄やノリが特殊な1&2部あたりは好きになりにくそうだし判断が難しいところ。全体的に40〜50代の中年男性は少年期に読んでた2&3部を好きと言いがち。だけどそういう人達も死んだのか消えつつある。女性は5&4部が好きな人が多い。チーム男子萌えなら5部、それ以外の女性は4部を好きになりがち。ネットでの人気だがここ10年くらいで「7部が好き」という人がかつての三部好きのおじと同じくらい増えた印象、一番多い気さえする。自分の場合(ジョジョリオン以外は)どれも等しく好きだが、ここ20年間くらい「6部が一番好き」って事にしていた。人によって好みがパッカリ分かれるのだが6部ラストが僕はジョジョ全体の中で最も好きだからというのがある。
あと「一番好きなジョジョ」も徐倫だし仲間も良い、敵スタンドもまぁまぁ好き。あと僕は判官贔屓(不遇な者に同情すること)な性格なので「(ジョジョリオンの次に)不人気な部」として第6部がよく挙げられるので「自分が6部を応援しなくちゃ!」という気持ちが何十年も続いてるせいもある。1~5部も好きだがアニメ化でそれぞれに若いファンも付いたので好きな気持が成仏した満足感がある。6部もアニメ化によって第5部のように全世界的に大人気になり俺の判官贔屓もクリアになって今後は7部を推そう……と思ってたのだが「Netflix一挙配信&一期毎に半年以上のインターバルがあった」せいかTwitterなどでトレンドに全く上がらなくなり日本での人気が……原作通り低い。SNSを見てたら6部アニメも一期→二期→三期と進む毎に視聴者が減り「自分のTLでストーンオーシャン観てる奴が俺一人」というラスト一巡した世界でのエンポリオ状態になってしまった。そのせいで6部を推さないと……という使命感が生まれてこのブログ書いてるというのもある。
そもそも(今はそうでもないが)長い間「そもそも荒木飛呂彦が好き!」というのもあった。荒木は金のために無理に描いてるのではなく画風やアイデアも時と共に刷新して描いていた。「前の部のキャラが再登場したりしない(しても五部ナレフみたいに別人同様になってる)」「前の部のキャラを描いたら別人」なども「常にNEXT!と未来に向かって描いてるからもう既にやった事とかファンサービス的な気持ちはないんだろうな」と思い、じゃあそのつもりで応援しようという事で何時も連載中の最新ジョジョを応援してた(4部の時はクラスで読んでるの僕一人だけ4部を推し、5部の時にネットが普及したから5部のファンサイト作ったり)ただジョジョリオンが面白くなさすぎて今までで初めて「連載中の最新ジョジョが最高」という姿勢を維持できなくなったので「じゃあ(ジョジョリオン以外で)いちばん人気ない6部を推していくか」って感じになっていた。
6部連載時からしばらくの自分は荒木信者状態だったせいか全部好きだったのだが、いま改めてアニメで通して観ると6部の道中「ちょっと良い意味でも悪い意味でもぶっ飛びすぎてるかも……」と感じた。信者状態を脱したせいか冷静に見れて「やっぱ不人気なのも少しわかるかも」と少し思った。昔は大好きだった徐倫の「星を見るわ」プッチの「14の言葉」「磔刑」などは今見ると「台詞はカッコいいが場面のテンションと読者の感情と、あまり合ってなくて昔ほど入ってこない」と感じた。昔は自分もイカれてたのでグイグイ入ってきていた。とはいえFFの最後の語りや6部嫌いな人にすら人気のエルメェス復讐論や「手からシールが出てくる。これが現実。現実は受け入れる以外ないわ……」という狂った台詞、さよならを言うFF、ウェザーと「もう一度そよ風の中で話がしたい」徐倫、承太郎の「短すぎる……停止時間が5秒は短すぎる……」、プッチの「(ツバメの話して)承太郎は短命だったな」「ヴェルサスに語る三匹の子豚ののしり(藁の家と砦)」煽り……などは場面に合っているし今見ても魅力だ。
徐倫や仲間が好きだったり判官贔屓のせいか昔は好きだったが今アニメで見るとラストまでの道中は3、5、7部ほどじゃないかもと思った。
この6部も今まで同様も、このアニメ自体が良いというよりも「好きな6部のアニメ化だから観よう、友達のライブや展示会、親戚の子供の運動会を応援するように」とか「徐倫役の声優のファイルーズあい氏って全て最高だな」という気持ちなど作品外の副次的な要素が強かった(今までアニメ化するまでゲームなど他メディアでは沢城みゆき氏が徐倫役やっててハッキリ言って沢城みゆき氏の方が演技もオラオラも上手かったのだが「徐倫役やるために声優になった」というファイ氏の漫画のキャラのような人間的魅力に惹かれて応援する気になりました)。ちなみに今まで楽しんでた「初見の人や古参ファンの反応」は前述通りファンが今までの十分の一くらいに減ってて殆ど見れなかった。
とはいえ終盤の「プッチとウェザーの数奇な過去」「プッチとのラストバトルからラストにかけて」これは、さすがに昔同様にいま観ても最高だった。
だがストーリーや台詞は原作通りだから「原作漫画が凄い」のだから「じゃ、アニメじゃなく原作漫画の感想書けばいいじゃん」って事になってしまうが「加速したプッチ」「時の加速や世界一巡のアニメーション」「最終回用OPとED」等は「アニメならではの良さ」に溢れていた。後は他の部もそうだが声優が良いですよね。ファイ氏やエルメェス役の人、あと意外なところではラング・ラングラーの声優が「機動警察パトレイバー」の太田みたいな大袈裟演技……「んんんジャンピンジャッフラッーー!」みたいな演技が可笑しくて今まで全く興味なかったラング・ラングラーが少し好きになった。
あと制作前にネットで自主規制が懸念されていた「徐倫のマスターベーション話」「ボヘミアン・ラプソディーが出したり言及される他の作品の版権キャラクター」「プッチとウェザーの過去回想でのKKK」「一番悪いボスキャラが黒人しかも神父」等の際どい要素も全部出てきて良かった。またこのシリーズは「3部の家出少女」「その後のフーゴ」など、アニオリで原作の補完をよくしてたが今回は「ケープ・カナベラルの近くまで来ていたジョルノ」「徐倫の母親を出す」等のやらなくてもいいアニオリはやらなかったのも良かった。
逆に「アニメより原作漫画の方が良い」というところはプッチの、僕が大好きだった迷言の数々「14の言葉」「おまえごとき薄っぺらな藁の家が深遠なる目的のわたしとDIOの砦に踏み込んで来るんじゃあないッ!」「『どこへ行かれるのですか?(ドミネ・クオ・ヴァディス)』!おまえは磔刑(たっけい)だーッ!」などは耳慣れない文言なので口頭で聞いても「え?え?今なんて言った?」と入って来ず、漫画で活字で読んだ方が良いと思った。
他の聞き取りやすい名言……素数や天国とか引力や重力についての思想の数々、「(事故に遭いやすいツバメについて語って)承太郎は短命だったな」「おまえはわたしにとって釈迦の手のひらを飛び回る孫悟空ですらない」「思い出のない人間は死人と同じだ」「おまえの行動はエンポリオ……自分の悲鳴をさらに地獄のラッパにするだけの事だった!!」という素晴らしい煽りの数々、「(親切にしてお喋りを始めた男に)私に親切にたんだからいいやろ、お前のくだらない話を聞かなきゃならんのか?」という、あんまりな台詞……これらはアニメでも良かった。
こうしてみるとプッチは名言の多さが凄い。というかプッチはジョジョの悪役の中で最も主人公補正を持ったラスボスであるし荒木の思想を喋りまくるキャラ(富野にとってのシャアみたいな)。妹がウェザーと付き合うまでは普通に良い人だったのに「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」という素晴らしい悪役になってしまうくだりなど本当に面白い。スタンドのホワイトスネイクも大して強くないのが面白い(このホワイトスネイクの微妙な強さも吉良吉影同様に妙に主人公っぽいラスボス感に繋がっている)。プッチの前に「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」としてサンダー・マックイイーンが出てくる。僕は連載当時「なんて斬新な敵なんだ!」と感動して未だに重要な敵だと思ってるが国内外共に未だに全然話題にならなくて寂しい。あと「プッチの『天国へ行く方法』も一理あるな……」みたいな「サノスにも一理ある」「フリーザ様やイモータン・ジョーは理想の上司!」みたいな騙されやすそうな人達もネットでたまに見れて面白い。
「6部は戦闘がイマイチ」とよく言われるが、確かにジョンガリ・Aのマンハッタン・トランスファーがめちゃくちゃ良かったのに「ホワイトスネイクの幻覚でした」という結果はホワイトスネイクの幻覚が滑ってた事で「マンハッタン・トランスファー良かったのに!」とガッカリしたし、FFがケンゾーを倒すまで面白かったしドラゴンズ・ドリームもスタンドの原理が謎だが可愛くて良かったのに、アナスイが自己紹介を兼ねてケンゾーの足をバネにしてビヨンビヨン飛び跳ねさせるくだりは「いや『FFがカッコよく倒した』で終わっとけば良かったのに何やねんこれ……」とガッカリした、ヨーヨーマッもめちゃくちゃ面白いマゾヒストの敵だったのにアナスイが「スタンドのヨーヨーマッの脳を生き物の蛙と繋げる」という訳のわからん方法で倒すのも「せっかくヨーヨーマッ楽しかったのに……」とガッカリした。こう思い出してみると「魅力的だったのにしょうもない結末」が割と多い。
あとやっぱ今見ると「どういう能力?」っていう解釈が難しいスタンドが多い、アンダーワールドとかドラゴンズ・ドリームとか……。まぁ細かい話しだすとキリないのでやめとくわ。
原作込みの話だが、アンダーワールドと言えばヴェルサスの回想はめちゃくちゃ良かった。というかそもそも荒木は回想が上手い。全然面白くない『ジョジョリオン』も回想だけは面白かった。『ジョジョリオン』は本当に面白くないのだが最終話と近年の『岸辺露伴は動かない』は面白い。『ジョジョリオン』の回想と最後……一話完結の『岸辺露伴は動かない』これらが面白いってことは結末があれば今でも面白く描けるのだろう(だからもうジョジョ描くのやめて露伴をメインにして欲しい気もする)。
第38話『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』(最終話)
アニメに話を戻すが、やっぱラスト2話が圧巻でした。
上のトップ絵にした徐倫の「さあ来いプッチ神父!」は全ジョジョの中でも目に入っただけで何度でも涙腺が緩むトップクラスに感動したシーンだが、これもアニメより漫画の方が良かったな。たぶん漫画で印象に残りすぎたせいで自分の中で「さあ来いプッチ神父!」の言い方が出来上がっており、ファイ氏の徐倫役には何の文句もないが「なんか……言い方ちがうな……」と感じてしまった部分がある。
で、やっぱ最終回が圧巻でしたね。
というかこの事だけ書きたくてブログ書き始めたんですよね、ここまで書いてきた部分はブログっぽい体裁を整えるための只の飾りよ。
最終話までは割と今までのジョジョアニメと一緒なんですけどラスト2話くらいは最後だからか異常に作画が綺麗だし動きもなめらか。「全話これなら良かったのに……」と少し思ったが、5部の時に「スタッフへの給料不払い問題」とかあったし制作現場は色々大変なんでしょう(寄り添い)知らんけど。
「時の加速」で昼と夜が繰り返される様、日没と日の出のスピードが早すぎて「太陽が帯状に見える」描写、そして世界が一巡する描写、挿入歌……などは「漫画では伝えきれないアニメならではの良さ」を感じた、だからブログに感想書く意味があると思った。
地球が消失し、イルカに乗った全裸のエンポリオだけになり周囲は無数の生物が浮く宇宙になりエンポリオが「生き物だけだ!」という場面は原作漫画より痺れました、「生き物だけだ!」って台詞もSF心をくすぐる良い台詞。何が「生き物だけ」なのかというと「時の加速の中で死ななかった生き物」が一巡後の世界に移動している場面ね、ここ。
そしてジョジョアニメ名物の神風動画の最終話専用OP、6部太郎からOP曲が一瞬止まり10年前の第1部OPとシンクロさせつつ歴代5人のジョジョの原作絵が動き(第一部OPの冒頭)そしてアニメの5人のジョジョになり徐倫につながる……。これはさすがに原作漫画開始から36年分(!)と個人的なジョジョと結びついた実際の思い出、あとアニメ10年分の重力が僕にかかりよくわからない感動がありました。10年前に第一部でOP初めて観て「あっとりま6部までやりたい意思表明やん!6部までいってくれ!」と強く思って観続けた10年を思い出した。『アイアンマン』(2008)からリアルタイムで観てて『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でタイム泥棒展開やアベンジャーズ・アッセンブル観た時の感動、90年代から逐一エヴァンゲリオンや庵野秀明の動向を見てきた末に『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021)の後半を観た時の感動と同じですね。これらはリアタイで逐一観てた者だけの感動がある。別に40代とか全部リアタイしてたわけじゃない若(わか)が感動したとしても、それはそれで僕のような老(ロウ)がわからん感動だろうからお互い様ですね?それもまた人間の面白さ、人間讃歌ですかね。
そしてここで流れてるシーズン3のOP曲、最初聴いた時は「なんか落ち着いててテンションあんま上がらないな……?」とか不満だったんですが最終話のこの歴代ジョジョ総登場特殊演出部分で最後の曲の盛り上がり部分がシンクロする箇所で異常に説明不能な感動的な何かを叩き込まれた感がありました。だから最終話見終えたら、この曲も大好きになってSpotifyのプレイリストに入れときました。
曲の最後の「命の煌めき……!」という結びの部分は最初から良いと思ってたんですけど歴代ジョジョから徐倫にバトンタッチする特殊演出の後、恐らく「世界再変」を表現したと思われるブワーッ!と光が拡散するカッコいい画面の時に「命の煌めき……!」と歌われるのがめちゃくちゃ良いんですよ。今までのジョジョ主題歌も良いの多かったけど「命の煌めき……!」が凄くジョジョっぽさを違う言葉で表現してて良かったです。「人間讃歌」とかが歌詞だとそのまま過ぎて醒めるからな。何か全体的にパチンコの演出の話してるみたいな文章だな?。ジョジョ全部読んでたりアニメ全部観た人は是非最終話OPだけでも観てくださいや。漫画や過去のアニメ観てない人が観ても意味ないけど。
で、非力なエンポリオ vs.無敵の力を手にしたプッチ神父、これが最終話一話丸々使ったのが「本当にわかってるな……」と感じて嬉しかった。「主人公の徐倫は前話に死んで出てこない」という最終回!最終話で徐倫が死んでBパートでエンポリオ vs.プッチ……これよりも37話で徐倫死亡、最終話でエンポリオ孤独な戦い!この方が絶対に良い、「何で良いの?」と訊かれても具体的に説明できんが。「『アニメの一話しかも最終話』というメタ的な枠の中での土壇場でも非力なエンポリオは独り」というのが良い。第37話から最終話に移ると同時に今までのジョジョ世界が全て吹っ飛び、全く違う世界に来てしまった!フルチン少年エンポリオ(つまりチンポリオ)が!という感じを上手く演出できている。
そして唯一人現実を改変できるプッチのパンチを利用してスタンド「ウェザーリポート」のディスクを頭に挿入させ、エンポリオが操るウェザーリポートの酸素攻撃→万力のような確実で力のこもった拳の圧力でプッチの頭を潰す……のは原作通りだが、潰した後なおも拳を沈めてプッチの死体を床にどんどんめり込ませ!床自体もどんどんその穴に引き寄せられる!目の座ったエンポリオも穴に引き寄せられる(ここカッコいい)、そしてその穴を起点に世界が再編される……!この流れが本当にかっこいい。プッチ神父が死んだことにより世界を唯一改変できる存在だったプッチの死体を「特異点」として「プッチと徐倫達がいない宇宙」が再変される……これはアニメオリジナル演出だと思うが理にかなってるし本当に良いアニオリだった。
で、今までのEDが流れる中、刑務所の外のバス停で「どこかで見たような楽しそうな若者たち」と出会うエンポリオ。ここも一人ひとりとの出会いをゆっくりとやってくれて良かった。
で、エンポリオは泣きながら「徐倫に似た幸せそうな女性」に自己紹介する……ジョジョで一番好きなのがここなんですよね(次が徐倫が海で死ぬとこ)。エルメェスの復讐論同様に6部嫌いな人も好きな場合が多いシーン
漫画だと「僕の名前はエンポリオです……」のコマでめちゃくちゃ泣けるんだがアニメだと、その直前の「エルメェスに似た幸せそうな女性」に会って呆然、アナキスに会って呆然……というエンポリオの驚き顔の連続の方が泣けました。この差は何なんだろ、曲が流れてるからかな?「さあ来いプッチ神父」も「僕の名前はエンポリオです」も、原作で好きすぎて自分の脳内で繰り返し音読しながら読んでたから「ちょっと言い方ちがうな……」と思ったのかも。まぁそれは僕個人の問題なので別に良いです。
この間、荒木が選んだというダフィーのED曲がずっと流れてるが本当に良すぎる。
で、ED曲は3部のED曲、なんで?徐倫の父が承太郎だから?曲に合わせて各部のデザインが次々と出てくる。嫌がおうにも今まで見てきたジョジョの世界が終わった事を感じさせる。これも別に良いんだけど、「僕の名前はエンポリオです……」のストーンオーシャンED曲のままジョジョを総括せず終わってほしかった気もする、個人的にはね?
この終盤からラストにかけて、僕みたいに「ジョジョで一番いい!最高」と思う人と、あまり好きじゃない人と二分する。「最高!」という人の意見はよく聞くがあまり好きじゃない人の意見はあまり聞くことが少ない。だからよくわからないのだが検索したところ「強くて好きだった承太郎が殺されて嫌」「今まで見てきたジョジョの世界が終わってしまって嫌」という主観的な理由が多いみたい。そういう寂しさもわからないでもいいけどエンポリオ(希望)に繋げたから良い。仗助やジョルノも時の加速中に死んでないだろうからどこかで幸せに暮らしてるさ。仗助のじいさんやブチャラティたちも行きてるかもしれないしね。
また「宇宙を救うのはエンポリオには荷が重すぎるんじゃないか」と友達に言われたが、FFやアナスイやウァザーは死んだように生きてるだけだったのに徐倫の目的を手伝ってからの数日は本当に生きてる感じになってましたよね、エルメェスも姉の仇を討った後は徐倫に協力してたから同じ感じだろう。エンポリオもそうなんだろうと僕は自然に受け止めてました。またフィクション的には「子供」というだけで「未来への希望」という役割を担ってますからね。少年ジャンプなので「読者」の象徴でもあるかもしれない。4部で川尻早人が突然ラスボス吉良を追い詰める力を出せたのも早人が子供だからです。ていうか徐倫がエンポリオに「あんたは希望ッ!」ってモロに言ってましたよね。それで充分です。
まさか漫画同様にアニメもピンチになるとは思ってなかったがアニメも6部が一番好きだよ。そんな感じで(主に最終回で)満足しました。
また第7部『スティール・ボール・ラン』アニメでお会いしましょう。2年後くらい?
そんな感じでした
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