原題:Alien 監督:リドリー・スコット 脚本&原案:ダン・オバノン 原案&製作総指揮:ロナルド・シャセット 製作:ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 制作:ゲイル・アン・ハード キャラクター創造:ダン・オバノン、ロナルド・シャセット プロダクションデザイン:マイケル・シーモア デザイン:H・R・ギーガー 衣装デザイン:ジョン・ジロー 宇宙船デザイン:ロン・コッブ 美術:ロジャー・ディッケン 舞台装置:イアン・ウィッテイカー 特殊効果:カルロ・ランバルディ 撮影:デレク・ヴァンリント 編集:テリー・ローリングス、ピーター・ウェザリー、デヴィッド・クロウザー(ディレクターズ・カット版) 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 制作会社:ブランディワイン・プロダクションズ 配給:20世紀フォックス 上映時間:通常版は117分/ディレクターズ・カット版116分 製作国:アメリカ、イギリス 公開日:1979.05/25(日本は1998.07/21) シリーズ:『エイリアン』シリーズ第1作目
―宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない―
先日、公開された『エイリアン:ロムルス』(2024)良かったね。
だから良い機会だから前作観返そうと、そんで自分なりに楽しめる順番決めて『エイリアン3』(1992)→『エイリアン4』(1997)→『エイリアン2』(1986)→で、本作。このあと不評で打ち切られたリドスコ前日譚2作観て、そんでロムルスまだやってたらまた観に行くかもしれん(行かないかもしれん)。
そんで大ヒットしたので『エイリアン:ロムルス』(2024)の続編制作も決まった。やった!プレデターも配信映画『プレデター:ザ・プレイ』(2022)のヒットで次回作は劇場公開に復帰みたいだしめでたい。しかしロムルスはあらゆる過去作をオマージュしつつまとめてまだやる事あるのか?という心配もあるが……ロムルスにあまり見受けられなかった『エイリアン3』(1992)要素を取り入れて囚人惑星で一匹と戦うとか……それはやめておいた方がいいが、どこか大きな所に辿り着いて半信半疑の大人数で対処しようとしてやられちゃう2っぽい話にする方がまだ現実的か。まぁ……期待しとこう。
本作は僕が幼稚園の時に公開されたが姉が観に行って「胸を突きやぶって血まみれのバケモノが出てきた……」と呆然としてて怖すぎて絶対見ないぞと強力に思った。そして小学生の時に公開された80年代のエンタメが全て詰め込まれた明るく楽しい『エイリアン2』(1986)がど真ん中過ぎて、一作目は「シックな大人の映画」「姉世代の、前時代の映画」という印象が染み込みすぎて観ないまま過ごし、初めて観たのは30過ぎだった。が、結局一番好きになった。
観たのはディレクターズ・カット版(……というか劇場公開版をむしろ観たことないかもしれない)。
このシリーズに出てくるエイリアンは〈Xenomorph/ゼノモーフ〉というカッコいい正式名称があり本作に出てくるやつは〈ビッグチャップ〉という名称なのだが本編ではそんな呼び方してなくて一般で通じない単語なので〈エイリアン〉と書く。あと本作には錚々たる天才クリエイターがいっぱい参加してたり色んなウンチクがあるが、それは個人的な感想とは違うのでそーいうことは書いてないのでWikipediaとか読んだ方が早い。
エイリアン (映画) - Wikipedia
エイリアン (架空の生物) - Wikipedia
とはいえ〈エイリアン〉って幅広く使われてる言葉で、パッと書くとグレイ型などの普通のエイリアンのようにも思えてしまうので、どっちかというと〈ゼノモーフ〉を使って欲しいきもするが、もうここまで来て〈ゼノモーフ〉を日本語字幕で採用する事はなさそうだね。
ネタバレあり。
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西暦2122年、巨大複合企業ウェイランド・ユタニ社の所有する巨大宇宙貨物船ノストロモ号は、他の恒星系で資源を採掘・満載して地球へと帰還していた。
到着が間近となり搭乗員7名と一匹の猫は、冷凍睡眠ハイパースリープから目覚めた。
しかしノストロモ号のAI〈マザー〉が、異星人(エイリアン)からのものと思われる信号を受信し、発信源である小惑星LV-426に降下し、調査を行うが――
そんな話。
当時のめちゃくちゃカッコいい予告編を観ればわかるが当時は「タイトルからして異星人が出て来はするのだろうが具体的には何が起こるか、どんな異星人が出てくるかわからない」という前提で作られてる。
エイリアン日本版劇場予告編 - YouTube
……と偉そうに説明したが物心ついた時には既に本作の内容とか本作に出てくる「エイリアン」について一般人は周知されていたので「木」や「猫」や「自動車」が何なのか知ってるのと同じで〈エイリアン〉がどういうものかは生まれつき知っている。「パソコン」「携帯電話」は物心ついて以降に普及した。そういう意味で僕にとっては「エイリアン」の方が「パソコン」「携帯電話」よりも生まれつき知ってた事になりそう思うと凄い。
7人の搭乗員は降り立った小惑星にて、化石化した巨大な異星人(スペースジョッキー)の遺体と〈エイリアンの卵〉を発見。異星人の信号はスペースジョッキーが座っている機械から出てたのだろう(そうなると本作のタイトルにはビッグチャップ……エイリアンだけでなくスペースジョッキーも含まれてるのだろう)。
そこで調査していた一人は、〈エイリアンの卵〉から飛び出したエイリアンの中間体〈フェイスハガー〉に寄生されてしまう。
フェイスハガーはタカアシガニのような脚で人間の頭部を「ひし!」と掴み、長い尻尾を乗組員の首に巻き付けて気絶させる。そして腹にある人間の女性器みたいな器官から寄生管を人間の口に入れてエイリアン胎児を人体に産み付ける。
フェイスハガーに寄生された乗組員は死んだわけではない。だからフェイスハガーに寄生されたままの乗組員を医務室で助けようとして他の乗組員がノストロモ号に乗せる。これがノストロモ号乗組員壊滅に繋がる……というのが大まかな流れ。
あとは乗組員がサバイバルしようと、特異な生態を持つ一体のエイリアンともうひとつの意外な敵とひたすら戦う。
……という流れでストーリーだけ見るとこれ以上ないほどシンプルなもの。
そして各登場人物の殆どは英雄性が極めて少ない「普通の労働者」として描かれているのでキャラクター性も敢えて控えめにしてあるのでわかりやすいキャラ萌えもない。
本作の良さはストーリーやキャラ以外にある。だから何でもとにかく倍速視聴して内容だけさっと処理したいだけのタイプの人からしてみれば全く魅力がわからない作品となっているのだが、そこもまた良い部分(映画は時間芸術である以上、倍速視聴で掬えない映画こそが今後どんどん価値が高まっていく気がしなくもない)。
エイリアン(ビッグチャップ)とスペースジョッキー
この映画の半分はエイリアンの生態と、その他各デザインが締めてると思うくらいデザインが重要だと思う。
映画全編の、巨匠ギーガーによるエイリアンや卵やスペースジョッキー周りの素晴らしいデザイン。フェイスハガーとチェストバスターは「妙に合理的でギーガーっぽくないな」と今まで思ってたが今調べたら「それらのギーガー案は没になって美術スタッフが作った」と今知った。だけどフェイスハガーも大好きだし、チェストバスターも「エイリアンの幼体だな」と一目でわかるのでこれで良かった気がする。
乗組員はフェイスハガーを剥がそうと、脚を斬ろうとするが傷口から出た〈酸の血〉は強靭なノストロモ号の床を三、四層くらい溶かすほど強力なものだった。フェイスハガーを殺せば寄生された乗組員はおろかノストロモ号自体も危険で、とても殺すことができない。この「酸の血」は上手い設定を考えたなぁとしみじみ思わされる。
また剥がそうとするとフェイスハガーは人間の首に巻き付けた尻尾をますますギュッ……と締める。おぞましい生物ではあるのだが、この様子が名残惜しそうに恋人を抱擁しているような動きなので何度も観てるとフェイスハガーが愛おしくなってくる。
フェイスハガーは多分エイリアンの中間形態で、産み付けた後に死んだらエイリアン成体に「一個人としてのエイリアンの人生」(のようなもの)が引き継がれるイメージなのだが、フェイスハガーを単体の生物だと仮定すると、この「他者にしがみついて産み付けてる瞬間こそがフェイスハガーの全て」。と言えなくもない。人間の人生で喩えると大学生から中年にかけてライフワークをしたり大恋愛して結婚・妊娠……という数十年間がフェイスハガーにとっては、この顔に張り付いてる時なのかも……そう思うとフェイスハガーが「ぎゅっ」とする動きもより一層愛おしく思えてくる。
チェストバスターが出てくるところは、何が起こるか知ってる別に今観ても何とも思わないが、幼稚園だった時に観に行った姉が語ってて怖すぎたので「グロすぎる……絶対に観るのやめよう」と思った。どんな映画なのかエイリアンがどんな生態なのか知らない観客はさぞビックリしただろうとは思うが、その体験をしてないので想像するしかない。チェストバスターは人の胸を突き破って皆が驚愕する中キョロキョロしてる時……この時が彼の魅力の瞬間で、人体から出て移動してる時は全く魅力がない。だがそれもまた「早く成体にならなきゃ」感を増してるので「人体から出たチェストバスター」にあまり魅力がないこともエイリアン全体の魅力を後押ししている。
この一作目の、天才ギーガーがデザインしたエイリアン成体……ビッグチャップは、普段フィギュアとか買わない僕でも、たまらず持ってるくらい好きな天才的デザインのやつなんだが、怪奇映画っぽい本作では画面に出てくる時間が少ない。そういう演出。
音もなくノストロモ号内でエイリアンを捜索する乗組員の背後に忍び寄り、ハッと気づいた乗組員が振り返る。するとすぐ近くまでエイリアンが来ておりインナーマウス(口の中の口)を射出させて乗組員を貫通して殺害(一時停止したら乗組員の内蔵とかも見えてた。一瞬なので今まで知らなかった)。もしくは繭にするためどこかに連れて行く。往年の吸血鬼っぽい神出鬼没。そのように強いので接近戦は不可能。そして何の感情もなく繁殖という目的を遂げ、撃てば酸の血を出すので宇宙船内では撃つこともためらわれる(2では、場所が異星の巨大施設だったため酸の恐怖は軽減されていた)。宇宙船内でのステルス戦が最も強いというデザインされたスタービースト。正に完全生物。
その存在の美しさ。突撃してくる勃起した男性器のような性を感じさせるデザイン。目がないのでミミズ的な下等生物感もあり全体的に気持ち悪いのだが背中に4つあるバイクみたいな突起が彼にマシーン的な印象を与えて”性の気色悪さ”を上手く中和してカッコよさを出すことに成功しておりデザイン的にも完璧。
物陰を移動しており姿が見えない。そのためレーダーで感知するしかない。ラストバトルでは、一件落着したとサバイバーが半裸で安心していたら、すぐ横で寝ていてギョッとする。「こいつを何とかして殺さなければ安心して寝ること叶わず……」
この感覚や、彼がノストロモ号をうろついている状況は、自分の住居でゴキ◯リを見かけて物陰にサッと隠れて「あいつを何とかして見つけて殺さないと安心して寝れない!」という決死の心境と全く同じ!だからリプリーに感情移入できる(北海道の人は除く)。
また、登場したもう一人の〈エイリアン〉が巨大異星人スペースジョッキー……の死体。
ノストロモ号を壊滅へと導くエイリアンの卵は、スペースジョッキーの巨大な遺棄船の中で見つかる。遺棄船は水洗便器のU字便座みたいな形をしている。どちらもギーガーデザイン。
スペースジョッキーはチェストバスターで胸を破られており死んでいるので特に物語にどうこう干渉はしない。ただ、こいつの死体がインパクトありすぎて「一体どんな奴なん!?そして何があったん?スペースジョッキーから出たエイリアンはどんなバケモノだったの」などと想像力を掻き立て続ける。映画会社は「コイツ作るのに凄い金かかるのに物語に関係しないからカットしようや?」と言ったそうだがリドスコは絶対に出す!と聞かなかったそうだ。
セミみたいで凄く魅力あるルックスで、ずっとこれがスペースジョッキーの顔だと思ってたのに前日譚『プロメテウス』(2012)で実はこれは彼の宇宙服で中には白いハゲが入ってたとわかり死ぬほどガッカリした……。いや、白ハゲは白ハゲで魅力あるのだが、このセミみたいな素晴らしいルックスの方が遥かに魅力あるので相対的に落胆せざるを得なかった。
「これが宇宙服で中に白い人間そっくりなのが入ってる」って、合理的過ぎてギーガーが生きていたら絶対反対しそうな案だよね。
ノストロモ号
エイリアンと同じくらい本作の魅力の殆どを占めてるのが天才ロン・コッブがデザインした、本編の殆ど画面に映っている超巨大貨物船ノストロモ号。
外観は、資源プラントをくっつけたまま飛んでる外観が正に怪奇映画の古城のようなシルエットで非常にカッコいい。上下のない宇宙なのに明らかに上下があるデザインなのも一興。
そして外観より輪を掛けて素晴らしいのが内部で、機能性ありつつも直線で出来た、それでいてどこかアナログな可愛らしさのある白い内部。打って変わって裏側はむき出しの訳わからんパイプとかが並んでて黒くて無骨な通路。無機質なので、汗だくの乗組員たちや汁まみれのエイリアンといった生物がより際立つ。
本当に映画の美術セットの中で一番好き。スター・ウォーズの薄汚れたメカ内部も好きだがノストロモ号内部はそれよりも好き。
本作が1979年の映画なので今観たらコンピューターのUI(ユーザーインターフェース)やレーダーなどもアナログ中のアナログなのだが、これもまた素晴らしい。「なんで前日譚の『プロメテウス』(2012)ではUIが新し目になってるんだ?」という疑問も湧いてくるが『エイリアン:ロムルス』(2024)では再びアナログなUIに戻っていて嬉しかった。スター・ウォーズのUIも同様にアナログ画面でいいよね。またノストロモ号内の標識や記号のデザインもいちいちオシャレ。「ローファイSF」っていうんだっけ?本作やスター・ウォーズなどのメカ。好きだわ。
AI〈マザー〉と会話するコンピューター部屋とか全く何の意味があるかわからないが壁じゅうが『2001年、宇宙の旅』っぽい感じでチカチカ光るようになっているのも最高だし、爆破シーケンスを起動する四柱を色々する訳わからん端末も最高。
映画が始まるとノストロモ号の外観→内部が映り、誰もいない内部では水飲み鳥のオモチャがだけが動いており、通路などには電気が点く(しかも蛍光灯で……)、乗組員たちと猫がハイパースリープから目覚め、食堂に集まり食事をする。ますます「無機質なノストロモ号の中で飯を食う乗組員」というコントラストが際立ち、本当に素晴らしい。チェストバスターの時にも飯食うよね。これもまた最高。
そんな素晴らしいノストロモ号が本編の90%くらいの間映ってるんだから自分にとってはもう映画が始まって誰も出てきてない時からもう最後までずっと素晴らしいという事になる。
リプリーの娘が主人公の、本作を意識したゲーム『エイリアン:アイソレーション』(2015)ではノストロモ号(によく似た内装の宇宙船)の中をウロウロできる。凄くプレイしたいがPCが低スペックなので出来ない。次に買い替えた時の楽しみとしている。なおアイソレーションは続編が制作中らしい。これもまた楽しみだ。
そういう感じで「エイリアンやノストロモ号の美術が素晴らしいということもあり、本作は全編あますことなく面白い」という全肯定ファンではあるが、特にそう思わない人が本作を観ても「なんか古臭いし面白いことも起きない映画だな?」と思っても無理はないだろう。そして全肯定ファンの僕も実のところ初めて観たアラサーの時そんな感じでエイリアンやノストロモ号のデザインを何とも思わない感性だったので本作を観ても「こんなもんか?エイリアン全然でてこないし古臭い映画だな」としか思わなかった事を白状しよう。だがそっから数年後に何の切っ掛けもなく本作の美術に強烈なフェティッシュな良さを感じて180度変わって大好きになった。そんな感じなので本作同様にスター・ウォーズの事も「これ何が面白いんだ?」と言うほど何とも思ってなかったのだが本作同様にメカやジェダイにフェティッシュな良さを感じて好きになった。
そんな経緯なので本作やスター・ウォーズを観ても「何が良いのかマジでわからない……」という気持ちは理解できる。現在、他にも怪獣映画や『ロード・オブ・ザ・リング』『ハリー・ポッター』などの西洋ファンタジーに対しても良さがわかってないところがある。それらもローファイSFと同じようにある日突然大好きになることがあるかもね?
乗組員たちと猫のジョーンズ
ノストロモ号の乗組員たちは、異能生存体……もとい主人公補正をもっていない非英雄タイプのキャラクターたちなのでバタバタと死んでいく。
今となっては二等航海士・通信士エレン・リプリー(演:シガニー・ウィーヴァー)がシリーズを通してのスーパーヒーローになっていくことを知ってしまっているのだが本作の作中ではリプリーが生き残ることは伏せた状態で描かれており、リプリーはむしろ後半までは「乗組員の中の一人の脇役」みたいに撮られている。完全にスーパーヒーロー化した2以降ではリプリーが何かしたり言う度に印象的なアップになったりするが本作では彼女が主人公となる終盤まで意図的にアップにならない。第三幕に入ってからリプリーの体内に主人公補正が湧いてきたみたいで面白い。
どの乗組員もまるで脇役のように撮られているのだが中盤まではアーサー・ダラス船長(演:トム・スケリット)が他のメンバーより僅かに主人公っぽく撮られている。しかし通風口でエイリアンに殺られてしまい「あぁ彼は船長だから発言が多かっただけで、実はサブキャラだったのだ」と初めて分かる。……とは言え再三言っているように物心ついた時にはリプリーだけ生き残ることを知ってるので、そんな驚きは感じられなかった。本作を公開日当日に観た気持ちを知りたいものだ。
リプリーは船乗り猫ジョーンズを飼っている。ジョーンズはノストロモ号内部をウロウロしており、エイリアンかと思った……ら猫だった!という古典的ジャンプ・スケアや、僕が好きな故ハリー・ディーン・スタントン演じる機関士ブレット(演:ハリー・ディーン・スタントン)がジョーンズを探して情報から漏れてる水で自分の顔をなぶらせてジョーンズを捕まえようとしてエイリアンに遭遇してしまうシーンなどで活躍する。
そして飼い主のリプリーはジョーンズが迷子になって凄く心配する。そりゃエイリアンが食べたらどうしようと思うよね。だがエイリアンは猫には興味なさげ。3では犬(完全版では牛)に寄生してたりしてたが、さすがに猫じゃ小さすぎると思ったのか?初めて本作を観た時は映画終わった後に猫が知らん間に寄生されてたら嫌だなと思った覚えある。
それより終盤、エレン・リプリーだけ生き残り、ノストロモ号のややこしい爆破シーケンスが止まらなくなりジョーンズを猫キャリーバッグに入れて逃げる!
まぁジョーンズはリプリーに慣れてる成猫だからキャリーバッグに入れるのも容易だろうが、これが他人の猫や拾ったばかりの子猫なら、同じ家に居る状態でも捕まえられないくらい難しいからね。僕も人生の殆どを猫飼ってるので「凶暴なエイリアン怖いし、うろうろしてる猫がエイリアンに食べられたら怖い」「数分で爆発するから猫をバッグに入れてエイリアンを警戒しながら脱出艇に逃げなければ!」という終盤は、猫飼いは感情移入できるサスペンス・ポインツが凄い。
そんな感じで「宇宙の果てでスタービーストと鬼ごっこ」という一見、我々から遠そうな本作だが「家に出たゴキ◯リの嫌さ」を思い起こさせるエイリアン、「猫をバッグに入れて避難しなきゃいけないヒヤヒヤ感」など、意外と身近な共感ポイントが多いのも魅力の一つだ。
ウェイランド・ユタニ社とアンドロイド
全く役に立たない科学主任アッシュ(演:イアン・ホルム)は実は、ノストロモ号を送り出した巨大複合企業ウェイランド・ユタ二社のアンドロイドだとわかる。
ウェイランド・ユタ二社は秘密裏に手下であるアッシュにだけ「生きているエイリアンの捕獲と回収」を最優先事項としていた事と「そのために乗組員の命が犠牲となってもやむを得ない」という命令を受けていた事が明らかになる。
アッシュのエイリアンへの対応があまりに後手後手に回っているため怪しいと思ったリプリーがマザーに問いただして判明する。
次の瞬間リプリーの後ろにアッシュが立っていて「説明させてくれる?笑」とか言って、そして目的がバレたのでリプリーを殺しにかかる。
だが機関長デニス・パーカー(演:ヤフェット・コットー)が硬い物でブン殴ったら壊れて口から白い血液を噴出させながら手足をめちゃくちゃに動かす。更に一撃を加えられたらバキッ!と首が取れる。はっきり言ってエイリアンよりアッシュの方が怖い。
そして「アンドロイドという人外が怖い」のではなく「人間の欲望や悪意の集合体」であるウェイランド・ユタニ社というシリーズ通しての敵が怖いので結局「人間怖い」に行き着く。ウェイランド・ユタニ社は毎回悪だが、アンドロイドはタイトルによっては2のビショップや4のウィノナ・ライダーみたいに良いアンドロイドも居る。
ロムルスでは、本作の悪いアッシュと同型のアンドロイドが出てくる(故イアン・ホルムの顔を役者にディープフェイクで合成している)。しかし顔は悪いアッシュだが、身体は2の良い奴ビショップと同じように胴体真っ二つになっている……という事は、裏をかいて良い奴アッシュかも?と思いきや更に裏をかいて普通に悪かった。
本作も二回目以降、アッシュをよく観てると、わざと「エイリアンの安全第一」「乗組員は二の次」って感じの行動や表情だけしてるので、そこも面白い。
来年『エイリアン:アース』(2025)というドラマがあるが、これはウェイランド・ユタニ設立というシリーズ最古の時系列の話らしい。特にそんなの知りたくない気もするが面白い可能性もあるので要チェックだ。エイリアンとの初遭遇が描かれるのかな。
本作といえば「加害的な男性性の象徴のようなエイリアンが虐げられし女性を蹂躙するかのような展開や描写で、しかし最終的には女性が勝つ」って感じの映画として有名だが実際その通り。リプリー対エイリアンのラストバトルもそうだが、そのまますぎて改めてこんなこと書いてると赤面するくらいだ。
リプリー以外の女性乗組員、二等航海士・操舵手ジョーン・ランバート(演:ヴェロニカ・カートライト)がエイリアンに殺される時も、ジョーンの足元が映り、まるでエイリアン(男性器のバケモノ)が彼女の股間を狙っているかのようにエイリアン尻尾がゆっくり上に上がっていくのがモロにレイプのメタファー。
またエイリアンとは関係ないアッシュがリプリーを殺そうとする時も、日本の雑誌「平凡パンチ」を丸めて口に突っ込むという訳のわからん攻撃をする。合理的なアンドロイドが首を絞めず、棒状にした男性向け雑誌を女性の口に突っ込むというのは明らかに性的加害のメタファーだろう。
……これもまた、そのまま過ぎてわざわざ指摘してる自分がアホみたいに思えてきたので言いたいこと大体言ったしこれで終わる。
「好きだけど久々に観たらシックだし、つまらないかも?」と思ってたけど、やはり面白かった。「美術全般の素晴らしさや計算され尽くした生態のエイリアン」という本作の魅力は劣化しない要素であるため無事面白かった、というか四夜連続で観た。
一方たとえば当時は「グロだしハイスピードで面白い」と思ってた4などは色んなアクションが発展してるのを観た今見返したら「別に普通だな」と思ってしまった。ハイスパートアクションとかは劣化するのかも(その代わりニューボーンエイリアンの可哀想さは変わらぬ魅力だった)。その点、本作のエイリアンは殆ど出てこないしたまに出てきてもほぼ動かないけど。しかしそれは最初から知ってるから再見の際にエイリアンの動きなんか期待してないしね。まだまだ本作は末永く観れそうだわ。
むしろ本作の美術とか恐らく再現不可能なオーパーツと化してるよね。CGで再現は出来るかもしれんが物理的にこのセット作るのは無理だろう(可能であってもそんな事するやつおらん)。
全作それぞれ良いところがあるし今後も作ってくれと温かい目で見てはいるが究極言えば本当にこの1だけで良いよね。1があるから多少駄作や実験作を作っても揺るがないぞ、という部分がある。面白くないしリプリー死ぬ3を久々に観てやはりガッカリしたり、面白いけど娘が死んでる2を観て悲しくなったものの盤石な本作を観たら「本作のラストの後リプリーは猫ちゃんと娘のいる地球に帰ったんやろうな」と思える。そういう強さがある。やっぱ自分の考えた観る順番は合ってたわ。
この映画そのものがエイリアン同様完全無欠の有機体。ノストロモ号はオーパーツ。
次は前日譚2作を観てエイリアン前作見直し運動も終わり。
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そんな感じでした
〈リドリー・スコット監督作〉
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