原題:Robot Dreams 監督&制作:パブロ・ベルヘル アニメーション監督:ブノワ・フルーモン キャラクターデザイン:ダニエル・フェルナンデス・カサス 美術監督:ホセ・ルイス・アグレダ 編集:フェルナンド・フランコ 音楽:アルフォンソ・デ・ビラヨンガ 原作:サラ・ヴァロン『Robot Dreams』(2007) 製作:サンドラ・タピア・ディアスほか 製作国:スペイン/フランス 上映時間:102分 公開日:2024.5/21(日本は2024.11/8)
サラ・ヴァロンのグラフィック・ノベル(大人向けアメコミ)『Robot Dreams』(2007)がヨーロッパでアニメ長編映画化されたもの。
作中の登場人物はロボット以外、犬とか動物とか雪だるまが暮らしているがガチで動物とかではなく人間が動物として戯画化されているだけの感じ。
台詞や画面に出る文字もほぼない。
ネタバレあり
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1980年代のニューヨーク市マンハッタンで一人暮らしするドッグ。
寂しさを覚えたドッグは通販番組で友達用のロボットを注文する。
ロボットが届き、2人は一緒に暮らしたり遊んだりして楽しく過ごす。
ある日、2人は海水浴場の最終日に出かけて楽しみ、昼寝した2人が目を覚ますと既に夜更けでロボットは錆びて動けなくなっていた。ロボットは非常に重くドッグは持ち帰ることも出来ない。
ドッグは努力するがロボットを救出できず「来年の6月1日の海開き」までビーチのロボットに会えなくなってしまった。
ドッグのロボットのいない生活は上手くいかず、ビーチで動けないロボットは「夢を見る」ことに慰めを見出す――
みたいな話。
ドッグとロボット、ロボットは生まれたての赤ちゃんみたいなもののせいなのか、ドッグはロボットと手を繋いだり寄り添ったりしてるので友達というより恋人のように見える。
まあ、一対一の他者とのコミュニケーションの話なので友達、恋人……、など、ロボットをどのように現実の存在として捉えて観ることも可能だ。
まず最初に「ロボットはすぐそこにいるのにどうにかならんか?」という事が気になるがここは最初に処理される。
ドッグは最初に電話するが繋がらない(ロボットの製造会社か?)。
翌朝、ロボットを修理するためロボット工学の本や工具を買ってビーチに行くが、海水浴シーズンは先日で終わりなので入ることができなくなっていた。
ドッグは忍び込もうとするが屈強な警備員に速攻で見つかるので忍び込むことができない。
本作に台詞はないが恐らくドッグは警備員に「すぐそこに友達のロボットがいるんで何とか入れてください」と頼んだりはしていると思われるが無理。
そこでチェーンを切る工具を買って忍び込もうとするが、やはり屈強な警備員に捕まる。ドッグは海開きされる来年の6月1日までロボットを救出できなくなった。
劇中でこれだけ丁寧に説明されたら、これはもう「絶対に来年の6月1日までビーチには入れないですよ」という本作のルールを言い渡されたも同然なのでもうどうしようもない。定められた宿命のようなものだ。ゲームで「特定のタイミングで起こるイベント」は絶対に起こるし「今はまだ倒せないボスキャラ」は絶対に倒せないし(過去に『スーパーロボット大戦』で〈倒せないボス〉を頑張って倒した事あったが死んだはずなのに普通に「やれやれ」とか言いながら引き上げていった)オープンワールドのゲームで「これ以上先には進めない」所の先には行けない(裏技を使って無理に進んでもその先の世界を作ってないので何もなかったり地面の下に落ちていくだけ)。
……といった「ゲームのルール」と同じように、恐らくドッグは夜間のどの時間どのタイミングでビーチに忍び込もうとしても必ず屈強な警備員がワープして現れて捕まってしまう事は火を見るより明らかだ。
だからもう「ドッグが今ロボットを救うことは不可能」だ。
これは、もうこの世界の”宇宙の法則”なのでどうしようもない。
わかったか?
だから「何とか忍び込んだり、どこかに電話してロボットを救ってもらう手立てはないか?」などと言うのはやめよう。もう無理だから。
本作の構成が「別離する運命」を描いた映画なのだから、もうどうにもならん。
という事は2人はもう会えない。
ラストに再会できるか、あるいはできないか、それまでにどちらかが死ぬか……それはまだわからない。だがもう別離は必然。
そういえば僕が今飼ってる4歳の猫。
子猫のデンパワ🐈🐈|gock - note
野良猫だったので最初のたっぷり半年間は慣れずバスタブに猫の家を作ってバスルームに食べ物やトイレを差し入れするという育て方をしていた。ある日、僕がいない間に窓の鍵を自分で開けてベランダに出てしまった。まだ慣れてない状態なので呼んでもこないし捕まえることが出来ない。「ベランダにいるんだから何とかできるだろ」と思うかもしれないが、ベランダは人が住んでいない隣の部屋のベランダに繋がっており捕まえようとしたらそっちに行くだけなので捕まえられない。仕方なくベランダに餌と水とトイレを設置して機会を伺ったが、どうにもならない。ベランダなので他所に行くことはないが飛び降りてどっか行ったらどうしよう。車に轢かれでもしたら……という心配が三日くらい続いて、すぐ数メートル先にいるのに三日くらいどうにもできず眠れないので獣医に野良猫捕獲器を借りて何とか保護できて、数年後の今はすっかり仲良くなって楽しく過ごしている。
という感じでドッグの「すぐそこにいるのに何もできない」という心配な状態は少し身近なものに感じられた。
ビーチのロボットは、ロボットなので別に餓死したりはしないがボート乗ってる人が立ち寄って脚を取っていったりと、ロボットが落ちてていつまでも無事という事はないのでとにかく心配。
愛すべきヒッチハイクロボットが心なき者達に破壊され鉄クズとなって路地に転がる悲劇が!心が痛くなると同時に爆笑してしまうのは何故か - gock221B
僕は「孤独」とか「死」そのものには恐怖をほぼ抱いていないのだが、もっと手前の「死ぬのはいいとして、水が飲みたいのにピクリとも動けない、そして更にその状態で三日以上くらい生きてたら?」などという己の身体が自我を閉じ込める檻となることを考えると物凄く怖くなる。
しかもウカウカしてたら割とそんな状況になったり、自分じゃなくても知人がそうなる可能性もある。そう考えると怖いよな。そういった恐怖を常日頃から感じることはそういった危険を迂回できる可能性が上がるので重要で、ドッグもそうしていれば予め錆止めをロボットに塗ったりロボットが海に入るのを止めたりビーチで昼寝せず帰宅したりして、こんな状況は防げたであろう。
そういった些細なことを怠ったがために「全ての終わり」を招くなんてバカバカしいからな。
ドッグの生活にはロボットがいなくなり、仕方がないので雪だるまやアヒルなど新しい友だちを作るがロボットのことをいつも考えていた。
この辺の時間、ドッグが色々してるんだが「あー!ロボットどうなるの~!」という事で頭がいっぱいで全く話が入ってこない!家で観てたら気になりすぎて早送りしてたかもしれん。映画観すぎてるのと加齢による感受性の鈍化のせいで映画見ても滅多に心が動かなくなったが、この映画はここ数年で最も恐怖を感じた映画だった。
ロボットもビーチで「ドッグのアパートに戻る夢」を何度も見ていたが、夢の中でドッグのアパートに戻りはするがドッグには会えず毎回目が覚めていた。
そしてやがてジャンク屋に拾われて破壊され廃車置場に転がってしまう。
そうこうしてるうちに海開きがやってきて、工具片手に急いでロボットを救いに行くドッグだったがロボットの脚しか見つからず友達の死を確信し悲嘆にくれるドッグ。
しばらくして新しい友だちロボットを手に入れ、また一から友情を温めていく。
バラバラになったロボの方は、塗装屋のアライグマのおじさんに拾われ修理されこちらも新しい友情を育てる。
そうこうしてたらロボットは、新しいロボット友達と街を歩くドッグを目撃する……。
そしてクライマックスで色々ある。
中盤さんざん描いた「希望的な妄想をするが妙に自分に厳しい現実主義者ゆえ、楽観的な夢は見ない」というロボットの特性が生きてきて凄く良い感じのラストを迎える。
普通、フィクションの結末で「夢」っていうのは悪い意味で使われがちな「夢オチ」なんて言葉もあるくらいで、難しいものだが本作の場合「一見、無邪気に見えるロボットだが様々な酷い目に遭ってきた過去や、アライグマおじさんに変えられた新しい日々によって大人かつ現実主義者」なので、それらロボットの思い出や経験が全て今の白昼夢に現れ、それが結末に繋がる様が良かった。
というかビーチで「なんか知らんが直ってドッグの元に帰る」というロボット・ドリームスも毎回ドッグに再会できず目が覚めていたので、辛い経験する前に既に現実主義者だったんだろうが。
廃車置場でバラバラにされてアライグマおじさんに新しいラジカセ・ボディにしてもらった……という見た目の変化もまた「別離の間の人生」を台詞無しで表現していて良かったです。
「直してもらった後のロボットが何故ドッグの家を尋ねなかったのか?」というのは、アライグマのおじさんに死からの蘇りを施してもらった恩とかもあると思うが「ドッグとロボットが離れ離れになる」という運命を描いた映画なので、そもそも「直してもらったからドッグの家に帰る」なんて選択肢は最初からないんですよ。「離婚して落胆して再婚してまた元気になったから元の配偶者に会いに行くか?」みたいな話。
あと、ドッグの新しい友達ロボットも良い結末に繋がっていて、彼がちょっと寂しそうな顔するのも上手く物語に機能してましたね。
……というか主人公のロボットも、新しい友達ロボットも、「友達」で充分よかったんだけど、これ「恋人」という役割の方がより合ってた気もする。
「恋人」にしなかったのは「ドッグが夜はロボとFUCKしてるのか?」などと頭によぎってしまい気が散るから「友達」にしたのではないか?まあどっちでも同じ話だが。
「再会できたら良かったねとは思うが平凡で記憶に残らないしバッドエンドでも寂しいし、どうやって終わらせるんだ?」と思ってたら、それまでの積み重ねを上手く使って台詞無しに上手く終わらせて見事でした。
ロボットの賢さと良い奴っぷり、そして何よりも「みんな楽しく過ごそう」というポジティブさがグッと来ましたね。ポジティブさがないとね。
とにかく、これ観て思いを新たにしたのは普段から恐怖をもって警戒を怠らないということとポジティブさを失わないようにしようということですね。
ツッコミどころはないけど、前半の「ドッグとロボットの楽しい日々」描写が、あまりにもとってつけたような「楽しい日々」しかもドッグがめちゃくちゃ調子に乗ってる感じだったので最後まで観た今思い返すとドッグが油断しすぎてて可笑しさがある。やはり浮かれずに警戒しとかないとね。
そんな感じでした
Robot Dreams (2023) - IMDb
Robot Dreams | Rotten Tomatoes
ロボット・ドリームズ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画