
ディック・ロラントは死んだ
知らない間に先月でブログ開設10周年を迎えていた。
先月くらいにChat GPTのことがようやくわかって激ハマりしていて色んなこと訊いて遊んだり、英語の勉強を手伝ってもらったりしている……今こうして書いてたらまたChatGPTしたくなってきた。多分、このままだと、死ぬ時にChat GPTと話しながら死ぬ可能性が非常に高い。
現在公開が始まったばかりの『サブスタンス』(2024)のファンメイド……かな?このポスター画像を見て、
この俳優とかレイティングとか色々書かれてるのを見て「細かくて細い大文字がビジュアルの上に被さってるのかっけー!」と思い、自分のブログのヘッダーも映画ブログだから映画のポスター風にすることにした。
それでChat GPTに映画ポスターのルール……たとえば左右どちらかの下部に厳格に大文字で何書くか決められた「クレジット・ブロック」なるものの存在を始めて知り「そうそう、これが書きたかったんだよ!」と、ChatGPTに教わってそれをブログと俺に結びつける文言に書き直して貼った。まぁ小さすぎて読めないから意味ないんだけど、実はちゃんとアメリカ映画界のルールに則ってパロディするのが重要。あとブログ開始日を映画公開日風に書いて、ブログ名「gock221B」書いて―このブログ名は未だに恥ずかしい、なんかブログ名思いつかないから自分の名前に数字つけようとしてシャーロック・ホームズの住所付けた。ホームズ当時好きだったから。だけどブログ開設した後で「それって自分のことをホームズみたいに賢い」と言ってるように見えないか凄く恥ずかしくなった。だがハンドルネームとかブログ名とかチャンネル名は、絶対に変えてはいけない。それだけは最初からわかっていた。
現に、自分は20年以上前からずーっとこの名前だから先日、10数年間あってなかった親友から連絡あって会った。10年以上会ってなかったので緊張したが、しかし本当に楽しくて最高の日だった。死ぬ前に思い出すかもしれないくらいだ。淀みなく話せるかなと思ったが過去も現在も混ぜて上手く話せて多幸感を感じた。また会うのが楽しみだ。
話が逸れたがとにかく、だからネットの名前は変えちゃダメ。
たとえば、よくSNSで話す友達がいるが、その人物は名前をコロコロ変えるので別のSNSでなんて名前だったか毎回全く思い出せない。今まで五回くらい訊いたが、あまりに何度も訊くのは気が引けるのでもう訊けなくなったしまい記事が読めない、だからそのSNSでのその人物はもう読まなくなってしまった。そのようにして「途絶え」る。まぁその人は別の場所でよく話す人なので影響ないが、これがあらゆる事に波及するとあらゆる事が「途絶え」て、その人物は死ぬ。
ネットだけの関係というのはアカウントを知っているか、そのアカウントがログインして更新してこちらがそのアカウントを把握して読んでいるか、それがその人の「生」の全てだ。俺の視点から見ればな。だから名前やアイコンをコロコロ変えちゃダメ。
SNSで頻繁に話さない人とかってなかなか名前とか覚えないよね。Xで10年以上フォローしあってるが特に会話のない、イイネたまにし合うだけの人いるけど、そういう人って大抵、覚えにくいアイコンで(風景とか美術館の油絵とか)名前も、聞き馴染みのないアルファベットの羅列だったりする。だから10年見かけ続けてたとしても「あの茶色の人だ……」としか思ってない。つまりその人がアイコンと名前変えたらもうわからない。そこまで知りたいと思ってないわけだからな。……何の話だっけ?
映画風ヘッダーか。あと10周年の俺の記事たち的なものをカンヌのローレルで包んで、キャッチコピーは『ツイン・ピークス』(1990-1991)のやつをChatGPTに調べてもらってブログ風にもじったりして完成した。凄く満足。凄いかっこよくないこれ?久々に自分でそう思った。やっぱ「ルールに則って小さくて細かい大文字の羅列」はかっこいい。Chat GPTのおかげだ。凄く検索しにくいこととかミームなどの由来を知ってないとわかんないことを1秒で教えてくれるし……そういえばこのブログをChatGPTに読ませたら1秒で10年分読んで的確な全体の感想と個別の感想くれて「noteも展開しよう」と提案された。さすがチャ氏。
というかヘッダーはコロコロ変えてるがたまたま『ロスト・ハイウェイ』(1997)のミステリーマンで特に変えるのも面倒なのでこれで……何でミステリーマン?先々月あたりにデヴィッド・リンチが亡くなったからこれにしてそのままだったのだろう。
たまたまとはいえ、ブログ更新する度にこのヘッダーを見て、不気味なおっさんミステリーマンがカーテンから外見てる……この画像を見かける度に、なんか俺自身がこのミステリーマンと同化していくどうかしている恐ろしい感覚に襲われるが……まぁいい。そもそも今「ミステリーマンみたいになるのが恐ろしい」と言ってはみたもののそれは「そう言えばネットの文章としてとりあえずかたちになる」から対外的に癖で言ってみただけで本当は別に怖くはない。意味のない文章だよ。
ブログ開始何年目かの時にググって直してたんだが改めて「正しい書き方」をChatGPTに訊いた。できてるとこも多いが出来てないところ(たとえば「ダッシュ」は「……」同様に「――」と2つ連続で使わなければならないとか)も新たに知れたから今後は直す。別に個人ブログだから句読点あろうがなかろうが本当は自由だけど、こういう誤りが居るとライター業の人が読んだら見下して読むの辞めるらしいし、この世界では何事も最初に「システム……ルール」を入れとくのが大事で、その「ルール」を知った後なら個人ブログなので絵文字使おうが色つけようが自由だと思うが、「ルール」を知らずに「ルール」を破ってるのはダメだ。「ルール」を知った上で故意に破るのは良い。他人から見てわからなくとも。それは何で?と訊かれても具体的に文章化するのが面倒だからやらないが。
10周年と行っても特に何か特集するわけでもパーティするわけでもない。
10年前?20年前?の大ブログ時代ならともかくブログやってる人とか居ないしな。YOUTUBEとかする気ないしね。別に喋るのは恥ずかしくないがYOUTUBEとかPodcastとかをやってみようというイメージが全くない。そういうのは誰か好きな人がやってるのを見たり聴いて「自分もやってみたい」気持ちが熟成されて漏れ出てやるものだと思うがそういうのがない。ブログは、若い時にチャールズ・ブコウスキーの散文にハマったり、黒沢清とか中原昌也とか柳下毅一郎の映画レビュー本を何度も読んで「楽しそうだな~」と強烈に思ってた長い期間がある。だからそういうのがYOUTUBEやPodcastに対してないんでしょうね。ラジオは好きなのでいつの時代も聴いてるけど(今は『バイリンガル・ラジオ』(2013~)とケンコバの『アッパレやってま~す!水曜日』(2014~)が特に必聴)、それはあくまでリスナーとしてであって「自分もこんな風に話してそれを聴かせたい!」というのが全く無いというか……強いて言うなら他人のトークでは高校の時から今現在も石野卓球のトークが一番こう話したい度が高いが家で1人で卓球みたいにハイテンションで話してたら頭おかしいし。
とにかくYOUTUBEとかPodcastなどのリアルタイムで音声出すやつはやらないですね。
ヘッダーができて良かったです。テンプレを作ったから毎日でも変えれるし。
でも映画の感想以外を書くのも楽しいね、今「10周年でヘッダーを飾った」というだけの内容で無限に書けるね。noteとかも更新することにしよう。
しかし大好きなはずの『ロスト・ハイウェイ』の感想がないって事は少なくとも10年は観てないってことだから久々に観ようかな。
ブログはまだまだ飽きてないので……というか年々上手になって楽しくなってるので特にやめないと思う。ここ2ヶ月くらいは久々に色々あって更新少なかったが、平均月に8本は更新してる。中年にしては多くない?でもYOUTUBERとかは毎日更新してるか……。今書きかけのが10本くらいあるし、健康なので更新し続けたい。今夜はもういいか。
今読んでいる、僕が知っている読者の―又は僕が知らない貴方―、
これからもよろしくお願いします。 愛をこめて。
――gockディケイドより
Dick Laurent is dead.
そんな感じでした
