
原題:A Different Man 監督&脚本&製作総指揮:アーロン・シンバーグ 主演&製作総指揮:セバスチャン・スタン 撮影:ワイアット・ガーフィールド 編集:テイラー・レヴィ プロダクションデザイン:アナ・キャスリーン 衣装デザイン:ステイシー・バーマン キャスティング:メアリーベス・フォックス 音楽:ウンベルト・スメリッリ 制作スタジオ:A24 製作国:アメリカ 上映時間:112分 公開日:Jan 21, 2024(日本は2025年07月11日)
どこかで、この映画のあらすじを読んで、めちゃくちゃ面白そうで、物語的には『スーパーマン』(2025)より観たかったやつ。近所でやってたので観た。
監督も以前、顔に変形があり、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)でデビューして本作にもメインで出ている神経線維腫症を患った活動家兼俳優のアダム・ピアソンが前作でもメインで出てフリークスをテーマにした作品を撮ってたみたい。
ネタバレあり。
割と全部ネタバレしてる……が、これネタバレどうこうの内容ではないのでね、観て考えてその「自分の考え」が面白い映画なので他人の感想観ても実のところあまり意味はない……ということは殆どの映画についてもそうなのだが、この話を進めるとこの感想ブログもやめないとおかしくなるのでまぁその話はさておき……
🎭️
STORY
極端に変形した顔を持つ、俳優志望のエドワード(演:セバスチャン・スタン)。
劇作家を目指す隣人イングリッド(演:レナーテ・レインスヴェ)に惹かれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼はある日、外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の“新しい顔”を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、かつての自分の「顔」に似たカリスマ性のある男オズワルド(演:アダム・ピアソン)だった。その出会いによって、エドワードの運命は想像もつかない方向へと猛烈に逆転していく――(公式サイトより)
……という、あらすじをどこかで読んで凄く観たくなったのだった。
第一幕はエドワードの地味な日常とかイングリッドとの出会いとか見せつつ劇的な治療を始めるところまでを凄くじっくり見せていく。
第二幕からは寓話的な感じが飛躍するのだが、その突飛な展開を飲み込みやすくするためになのか準備段階として第一幕はわざとリアルかつ地味な感じで進む。
顔のせいでか消極的な性格になったエドワード。上の階から激しい水漏れしてきているが上の人にも大家にも言うことができない。障がい者支援のPRビデオの俳優として演技するほかは特に仕事や交友関係はない。
ある日、隣に脚本家志望の女性イングリッドが引っ越してくる。イングリッドはエドワードに普通に接してくれる。エドワードは女性と触れ合う機会がないのですぐ好きになってしまう。しかしイングリッドにはボーイフレンドがいるし、そもそもそんな勇気がないエドワードは想いを胸に秘めてイングリッドと会話したり食事をしたりする。
この第一幕はリアルな雰囲気で進むので、エドワードの顔がこういう感じだからといって夜の路地裏でバケモノ死ね!とかチンピラにボコられたりすることはない。割と皆普通に接してくれる。だがエドワードは気後れがあるためか友達はいない。モロに迫害してくる者はいないがレストランにいると若者がからかってきたりはする、……このからかい方も「窓の外から笑顔で手を振ってくる」というもので非常にリアルだなと思った。最近SNSで欧米の人の書き込みを見て気づいたことがあったが、割と皆、傍から見たら平易に聞こえるが実は嫌味を言ってることが多いなと思った(薄毛で帽子を被ってるあまり好かれてない中年男性をHatmanと呼んだり)モロに言ったら嫌な奴に見えるしね。モロに誹謗中傷する人もいるが、そういう頭おかしい人はさておき、平易に聞こえる嫌味だとムカつかれても「え、僕はHatmanと言っただけですがなんで怒ったんですかw」などとニヤニヤして防御しつつ追撃もできるし。そういう言い回しって欧米の人もあるんだなと思った(あるに決まってるが具体的に見て知る感じ方もある)。
話を戻して、窓の外から知り合いのように近づいて手を振る若者に仕方なく手を振り返すエドワード。若者は、からかってるのだから気持ちの良い感情をそこで交換するわけでもない。エドワードも若者にからかわれてるのはわかっているが手を振り返さないとそれをわかって傷ついている事が、からかってる若者や周囲に伝わってしまうので手を振り返すしかない。イングリッドは「なに、あの人、まるで友達みたいに……」と困惑。
辛い場面だ。路地裏でいきなり誰かが殴りかかってくるみたいな突飛なものではないし、エドワードじゃなくて我々でも日常で起こりそうな小さな悪意をぶつけられる感じ。しかも有効的な動作なので「手を振りやがって!」と怒れば怒った方が異常な者になってしまうため、されるがままになるしかない屈辱。
……と、こういう感じで、第一幕のエドワードは激しい迫害などされずむしろ親切な人の方が多いが、時折こういう「リアルな悪意を持った者」が登場したりする。たとえば電車で向かいに座った青年が微妙に笑ってるとか。これもまた微妙で笑ってるかどうかわからない微妙な顔。しかも「被害妄想気味のエドワードからは世間がこう見えている」という描写かもしれないし、結局よくわからない。
またエドワードの消極的な性格のせいか、又はエドワードに対する世間がそうなのか、はたまたその両方か、普通に暮らしているエドワードだが微妙に全局面で少しづつ損しているようにも見える。
そういう感じで、地味で平凡な……そして少し嫌なエドワードの生活が描かれる。
そんな感じだから楽しくはないが、ぐっと惹き込まれる。
アパートの大家に「ウディ・アレンみたいにしてないでもっと自信持ってシャキッとしろ」と言われるようにセバスチャン・スタンはウディ・アレンのようにオドオドしている。それが凄く上手いのでセバスチャン・スタンの演技力すごいと思った。第一幕は特殊メイクしてるが第二幕からはセバスチャン・スタンの顔になるのに、このオドオドした喋り方や仕草は継続されるので顔がセバスタのイケメン顔になってもエドワードに見える(そしてこれはちゃんと作品のテーマともシンクロしている)。
大きな悲劇はない代わりに「小さな絶望」が絶えず毎日降り注ぐエドワードは、ある夜号泣する。上の階のオッサンも理由はわからないが自殺した。オッサンの知り合いなのか知らない女がオッサンの部屋の前に立っていた。イングリッドは会話してはくれるが付き合えるとは思えない。このまま小さな絶望を重ねていたら上の階のオッサンのように自殺するしかなくなる。
エドワードは顔の腫瘍が全て取れるという画期的な治療を受ける。何度か薬品を注入したら割と短期間で顔の腫瘍が剥がれていく……という、いくらなんでもそんな治療はないだろうと思うが、これはかなり寓話的かつ曖昧な雰囲気で進んでいくので「こういう世界のこういう話なんだな」と受け止めて進めるしかない。
医師は「治っちゃうともう見れないから記念に」と、大きく変形したエドワードのラテックス製のマスクを作ってプレゼントしてくれる。
第二幕は顔の変形が全て取れてセバスチャン・スタンの顔になる。物凄く変形していた顔から世界一のイケメンになるようなもの。
この第二幕はずっと面白いことが連続でずっと続くパート(面白いといっても勿論interestingの方)。
監督はこの第二幕が撮りたくてこの映画を撮った気がする。第一幕は第二幕を成立させるためのものだし第三幕もまた第二幕を無駄にしないものだった。
バーで飲んでたら何か知らない人たちと盛り上がったり、知らない女性にナンパされてあっさり童貞を喪失する。態度はウディ・アレンのままだが、なんせ顔がセバスチャン・スタンだから。
エドワードは顔だけでなく「今までのエドワードとしての人生」も捨てることにした。
「エドワードは自殺した」とイングリッドや医師に告げてアパートを出ていく。
その際にエドワードは「自分はエドワードの知り合いの”ガイ”だ」と身分を偽るのだ。確かに顔は全く違うが背丈も服装も喋り方や雰囲気はエドワードのまま、顔の治療も受けてたし気づかれそうなものだが気づく者はいない(これはそういう映画だから)。
今までになかった自信を得て新しい人生を始めたガイ(エドワード)は、不動産の営業を始め、自信もついたのですぐに売り上げトップのイケメン社員となり綺麗なマンションに住む。すぐに楽しい人生の自己実現ができた。
ある日、ガイ(エドワード)は街でイングリッドを見かけ、後をつけると彼女が初めて演出する劇作家デビューの舞台のオーディションを行っていた。ガイ(エドワード)は流れでオーディションを受ける。
芝居はエドワードの物語だった。
「エドワードという顔面が変形した男が女性キャラに惹かれるが、想いを打ち明けられず、やがて絶望で自殺してしまう」というもの。
この女性キャラというのは勿論イングリッドが自分を投影したキャラだ。彼女はエドワードが顔と過去を捨てて生きていることを知らない、だから当然こういう話になる。
ちなみにエドワードのイングリッドの想いは、エドワードがイングリッドに迫ろうとしたら優しく拒否されて「あ、そうだよね……ごめん」という気まずい夜があったしバレバレのものだった。
「エドワードの気持ちがわかる!これは僕の役だ!」と気合十分のガイ(エドワード)。そりゃそうだ、エドワード本人なんだから。
なんか気迫に負けてガイ(エドワード)をエドワード役に゙選んだ。
そしてイングリッドはガイ(エドワード)を自宅にお持ち帰り、夢見ていたイングリッドと一夜を共にして付き合い始める。イングリッドの部屋にはフリークスの男性を研究していたような跡がある。フリークスの芝居を書くための資料でそのためにエドワードに近づいたのかそれとも元々そういう男性に興味があるのかはよくわからない。
連日エドワード役の稽古をするガイ(エドワード)。治療の際に医師から貰ったラッテクス製の変形した顔のマスクを被って熱演。
イングリッドが書いたエドワードの演劇でエドワード役に゙選ばれ、エドワードだった時のマスクを被ってエドワード役の稽古をするガイ(エドワード)。
治療によってイケメンになったガイ(エドワード)なのに、エドワードのマスクを被り必死にエドワードになろうとしている、そしてその結果エドワードだった時は付き合えなかったイングリッドと付き合えるようになった。
なんだか入り組みすぎて面白くてクラクラする。
夜、ガイ(エドワード)とSEXしていたイングリッドは「ねえ、あのマスク付けてよ」と言い「僕の顔はだめ?」と驚くガイ(エドワード)だが、仕方なくエドワードのマスクを付けてSEXする。途中で笑い出すイングリッド。
彼女が何を考えていたかは数種類考えられるが恐らくその数種類が混ざった気持ちだったのだろう。どちらにしても折角、別人になったのに再びアイデンティティが揺らぎ始めるガイ(エドワード)。
そして二人はオズワルドと出会う。彼は以前のエドワードより更に大きく変形した顔を持っていた。
しかし性格はエドワードとは真逆で明朗快活、ウィットに飛んだジョークを飛ばし、他人に別け隔てなく優しく卑屈どころかカリスマ性に溢れていた。
学生時代の投資で金持ちになったオズワルドは働いておらずヨガとか観劇して過ごしている自由人。
イングリッドの脚本とガイ(エドワード)の演技に感銘を受けたと言うオズワルドはイングリッドや劇団員とあっという間に打ち解け、やがて演劇でのエドワード役もイングリッドの心も、ガイ(エドワード)からオズワルドへと移ってしまう。
そしてオズワルドはかつてエドワードが住んでいたイングリッドの隣のあの部屋に引っ越すと言う。
ガイ(エドワード)は、変形した顔なのに自信と人望に優れ、イングリッドもエドワード役もエドワードが住んでいた部屋も獲得したオズワルドを見て壊れていく。
それはそうだ。エドワードは「自分が上手くいかないのはこの顔のせいだ」と思って顔と過去を捨てたのに「以前の自分より大きく変形した顔」を持つオズワルドが、その顔のまま全て獲得するのでエドワードは「顔ではなく、俺の内面そのものがダメだった」という、エドワードが「見ないようにしていた自分自身」を直視させられてしまった(そしてメタ的にはそんなオズワルドを演じるアダム・ピアソン本人の顔やエナジーそのまんまなんだから「キャプテン・アメリカ役をキャプテン・アメリカが演じてる」ようなもの)。
精神の乱れが私生活に支障をきたし営業職もクビになったガイ(エドワード)はオズワルドに殴りかかるが、ガイ(エドワード)の事が大好きなオズワルドはむしろガイ(エドワード)にとことん優しくする。しかしガイ(エドワード)にとっては「オズワルドの優しさ」が最も苦しくなる責めなのだ。オズワルドが嫌な奴ならそれをぶつけられただろうがオズワルドは良い奴、自分はネガティブなだけ、なのでどうにもできない。
普通これほど交友関係が派手なオズワルドはエドワードのようなネガティブな人に興味を抱かないと思うのだが、まぁ本作はエドワードの内面を映画化したようなものなのでこういうことも起こる。
同棲を始めたオズワルドとイングリッドはガイ(エドワード)にとことん優しくする。その「責め」によって更に壊れていくガイ(エドワード)……
みたいな感じが限界に達した頃、ツイストの効いた出来事があり「これで終わりか?」と思ったら流れたエピローグに最初、困惑した。
限界の末に起こした事件で収監されていたガイ(エドワード)は出所(全員同じ俳優が演じているのでわかりにくいが20~30年後だと思われる)。
以前のように優しくガイ(エドワード)のお勤め終了をレストランでお祝いするイングリッドとオズワルド。
優しくて気が利くとか表現してきたオズワルドだが正直言うと少しおかしい。
どんなところでもあまりにグイグイ出すぎてガイ(エドワード)にとっては全て良くない方向にいってしまう。このレストランでも口下手なガイ(エドワード)に対して「ははは、変わらないなぁエドワードは」と言う、優しいことは優しいのだろうが少し上から見てる雰囲気がある……というかオズワルドはここでガイ(エドワード)を「エドワード」と呼んだのだが、それはガイ(エドワード)がエドワード役をやってた事を指してなのか本物のエドワードだと知ってたってことなのか、よくわからない(でもオズワルドがガイを本物のエドワードだと知ってようが知ってなかろうがストー^リーに大して影響ないので思わせぶりな台詞を入れただけだと思った)。
そして「子供達は反対してるが怪しげなスピ系コミューンに行って余生を過ごす」と言うイングリッドとオズワルドの話に困惑していたガイ(エドワード)。
そんな時、ガイ(エドワード)は向かいの席に座る見知らぬ女性に目をやる。するとカメラがグーン!と女性をズームする。女性はガイを見る、その目は何か言いたいのか、それともただ見てるだけなのかわからない。
ガイ(エドワード)は眼の前の二人の友だちを見て(カメラを見て)微笑んで映画が終わる。ちょっとこのエピローグ、久々に意味わからんすぎて困惑した。
さっきの知らん女性は?なんで二人は訳わからんコミューンに?最後の微笑みは?
と観終わって30分くらい困惑したが、まず意味ありげだった全く知らん女性、彼女は作中に全く出てきてないので一番混乱したが、しばらくすると前半で自殺したエドワードの上の階のオッサンが死んだ後に部屋の前に立ってた女性じゃないかと思った(このシーンで彼女はエドワードと会話するでもなくアップにならず何ならピントも合ってなかったかも、だから覚えてなかった。しかしただのモブにしては目立ちすぎていて心の片隅に残っていた)。よく考えたらあの場面でもエピローグでも喪服のような服を着ている。あの場面ではオッサンが死んだので喪服着て来たとも思えるがエピローグは数十年後なので喪服の意味がない。意味あるなら観客が覚えていないであろう彼女を思い出させるために喪服を来ているのか、もしくは「彼女は死神」という線もある。死神だった場合、ガイ(エドワード)は映画が終わった後、絶望して死ぬことになるが僕はそうは思わない。
その話の前に、友達二人が訳わからんコミューンに入るくだり、これは急にここだけで出てきた話で丸っきり怪しさしかないコミューンだ、だからこの後の続きがない映画の最後でそんな風に出てきたってことはもう100%怪しいスピ系だってことだ、そして2人は「子供も怪しいと言ってる。でも僕らやりたいこと全てやったから」という感じで「別にインチキだったとしても構わない」という空気を出している。
この時のガイ(エドワード)の困惑は「完璧人間だったオズワルドがそんな変な所に救いを求めて?」と思ったからで、そしてそれによってオズワルドへ抱いていた幻想が解けたのだろう、そして同時にかつて憧れの女性だったイングリッドへの幻想も。
で、話が少し戻るが喪服の女性(死神)は、上の階のオッサンが暗示する「絶望して自殺」することの暗示で、ここでガイ(エドワード)が彼女を見たということは「ガイも後で自殺しちゃう」のではなく「ガイ(エドワード)は過去の自分を振り返った」ということを映像化したものだと思った。「僕は自己肯定感が低く卑屈だったな、イケメンになってSEXして出世しても全く改善しないほどに」そんな事を思ったのかも。
オズワルドへの幻想とイングリッドへの憧れは「なんだ、2人もただの人間だったんだな」と下降修正……いや、それは言い方が悪い。むしろガイ(エドワード)……いや、出所したエドワードは2人を初めてちゃんとまともに見たのだろう、普通の人間である2人を。それを表現するための訳わからんコミューンの話だったのだろう。
そういうことで、過去の自分と2人の友だちへの幻想が解けたエドワードは最後に初めて自分自身を真正面から捉え、遂に自分自身を掴み受容した。その笑みだったのだろう。
セバスチャン・スタンの笑みは見ようによっては邪悪な笑みにも見えるのだが、僕としてはこれはハッピーエンドだと思った。
別に映画が終わった後のエドワードは再び孤独な無職の初老になるだけだが、昔の彼とは全く違う。自分自身を掴むというのはそれくらい重要だと思う。何しろ大抵のことが起きても辛くない。逆に自分自身を掴んでない状態はどんなに金があったり友達がいたりSEXしたり仕事があってもずっと辛い、だから映画が終わる瞬間のエドワードは自分自身を掴んだのでハッピーエンドだと思った。このエドワードはもうコーヒーを飲んでも散歩しても楽しいからね。
オズワルドは明らかにエドワードの「理想の自分」を映像化したものだし映画全体が、前半以降はずっと寓話みたいなもんですよね。冴えない男が等身大の自分を見つめられるようになって、以前とは違う、自分自身を掴んだ冴えない男になったというささやかな話だと思った。
そしてこの「自分を正面から見つめられるか否か」「他人の目が気になって一生何もできん!」なんてのは万人に当てはまる話だから普遍的な映画だったと言える。
凄く自分や友達に当てはまる場面がいっぱいあったが、映画の感想で長い自分語りしないだけの余裕が今の僕にはあるので今回はしないでおく。
「なんやこの訳わからんラスト」と20分くらい戸惑ったが、おかげで色々考えることになり色んなことに気づけた、それが狙いで難解にしたのかどうかは知らんが。だけど本作のように「あらすじ最高!絶対見る」ってタイプの、あらすじだけで面白すぎる映画って、第一幕と第二幕で元のおもしろアイデアを出し尽くして第三幕で言う事なくったりしがちだよね。だから第三幕は急に本筋から少しズレた面白さに走る傾向が強いたとえばあまりに全編面白すぎる大好きなホラー映画『バーバリアン』(2022)だが、最後はアクションで突っ走る、別にテーマからズレてはないのだが後半までの面白さからは少しズレた別種の面白さで締めたなという感じがした。邦画の面白いタイムリープもの『MANDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』(2022)も第三幕は「上司の思い出の漫画を皆で完成させる」という、それがタイムリープを脱する方法ではあるものの当初の面白さとは全く別の事をし始めてしまう。本作の場合、最後まで作品のテーマからずっと離れない。たとえばオズワルドを憎んでたエドワードがオズワルドを差別心から悪口言った男は許せなくて刺したところで終わるのも一つの手だ、でもそれだと「嫌な奴への復讐」「エドワードの心スッキリした?」とか思えてまやかしのスッキリ感を観客に与えてしまう。そしてスッキリした観客は作品のことを速攻で忘れてしまう。だから偽りのスッキリラストに逃げずそして「エドワードがオズワルドを殺す」「もっかい大喧嘩して仲直り」などといった一番つまらないラストにも行かず、色々考えた末に難解なラストにしたのかなと思った。結果的にではあるがこのラストによって色々考えさせられたし。エドワードの自己受容の流れがスッと入ってきた(20分後に)。
本当に重い第一幕と色んな「意味」が重なりすぎてずっと面白い第二幕以降、困惑させられたエピローグなど、凄く面白い映画でしたわ。
セバスチャン・スタンの演技も本当に素晴らしかった。トランプ役した映画も観ようと思った。もういつの間にか前書きですら「あのウィンター・ソルジャー役のセバスチャン・スタン」とか言わなくなったもんね(セバスチャン・スタンの演技の方がMARVEL全体より凄いから)。
そんな感じでした
A Different Man (2024) - IMDb
A Different Man | Rotten Tomatoes
A Different Man (2024) directed by Aaron Schimberg • Reviews, film + cast • Letterboxd
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