
原題:Frankenstein 監督&脚本&制作:ギレルモ・デル・トロ 原作:メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(1818) 制作:J・マイルズ・デイル、スコット・ステューバー、ゲイリー・アンガー 撮影:ダン・ローストセン 音楽:アレクサンドル・デスプラ 製作国:アメリカ 上映時間:149分 配給&配信:Netflix 公開日:2025年10月24日 配信開始日:2025年11月7日
メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』(1818)の映画化。
……といっても原作も読んでないしユニバーサル版の有名な映画も観てない。ただ漠然と大勢がイメージする「フランケンシュタインの怪物」が思い浮かぶのみ。
割とめちゃくちゃネタバレします。
Story
北極で重症の男、ヴィクター・フランケンシュタイン(演:オスカー・アイザック)を、長身の”怪物”(演:ジェイコブ・エロルディ)が追ってくる。
ヴィクターは”怪物”が誕生して現在までの回想を語る――
少年ヴィクターは、厳格な父ウィリアム・フランケンシュタイン(演:フェリックス・カメラー)の体罰を伴う教育によって医学を叩き込まれ、愛する母(演:ミア・ゴス)が病死したことにより生死を司る執念に取り憑かれる。
成長したヴィクター・フランケンシュタイン(演:オスカー・アイザック)は、死体に電気を流して生命活動させるといった「死を克服する研究」を実践するマッド・サイエンティストになっていた。
ヴィクターの研究に興味を持ったヘンリッヒ・ハーランダー(演:クリストフ・ヴァルツ)はヴィクターの研究に全額ベットして支援してくれる。
……この際、ヘンリッヒは「5枚目のイーヴリン・テーブル」という標本を提供し、それによってヴィクターの研究は飛躍的に向上する。
「なんか本当にありそうだな」と検索しても全く出てこない。AIに訊いたら「イーヴリン・テーブル」は本当にあった。血管やらを樹脂で板に固定したグロい標本。実際には4枚だけなのだが「隠された”5枚目”があった!」という昭和のジャンプアニメの劇場版のような厨二病全開の設定に思わずガタッ!と立ち上がり、一時停止して調べてた。このカッコいい標本、何で日本の情報ゼロなんだろう。澁澤龍彦とか江戸川乱歩とか如何にも好きそうなのに……。まぁとにかくサラッとこんな設定出してくるところにオタク王ギレルモの底力を感じた。死体に電気を流して動かす(しかも怪力)という荒唐無稽な設定も、”イーヴリン・テーブル”があまりに良すぎたため全く引っかからず先に進めた。
「5枚目のイーヴリン・テーブル」とはリンパ腺の標本だった。どうやら本作ではリンパに電気を流すのが肝で、それによって死体蘇生を可能とするらしい。
ヘンリッヒはヴィクターの弟……あまりにも存在感が希薄な上にメインキャラなのに台詞も殆どない弟レオポルド・フランケンシュタイン(演:チャールズ・ダンス)が姪のエリザベス・ハーランダー(演:ミア・ゴス)と婚約し、それで生命創造を研究しているヴィクターのことをレオポルドから聞いたのだという。
ヴィクターは、自分の生命創造という傲慢な研究を否定し、自然が生み出す生命に魅了されているエリザベスに魅了される。エリザベスもヴィクター母もミア・ゴスが演じていることからもわかるように母性豊かな両者はメタ的に言ってほぼ同一人物だ。更にエリザベスはどうやら原作ではヴィクターの婚約者だったらしい。その設定のままでも通るのにわざわざ存在感の薄い居てもいなくても構わない弟の婚約者というポジションにして、何度もヴィクターを否定したり拒絶したりほんのたまに優しくしたりするエリザベスは、これはもう夭折したヴィクター母同様にヴィクターが唯一愛されたいのにそうしてくれない母性という要素を引き立たせるためだろう。ミア・ゴスは名作『X エックス』 (2022)でも主人公マキシーンと、特殊メイクで殺人老婆パールを同時に演じてたしギレルモは『X エックス』 (2022)を観て「よし、僕も」と思ったに違いない。
エリザベスにうつつを抜かして研究は進まなかったがヒントを得たヴィクターは戦場で集めた兵士の新鮮な遺体を集めて巨躯の肉体を作り、嵐の日に銀製の特殊避雷針を駆使して死体に電気を流す。
……その際、ヘンリッヒは「梅毒で余命わずか」という事がわかる。ヴィクターの研究を推進して強力な肉体に自分の脳を移植して生きながらえたいというのが真の目的だった。「じゃあ、本作では中身ヘンリッヒの怪物になるのかな?」と思ってたが、ヴィクターは「ダメダメそんなの!」と断る。それで揉み合ってヘンリッヒは落下死。それでヘンリッヒの死体も使うのかなと思ってたが、わざわざ脳みそぶちまけたところも見せるので「”怪物”にはヘンリッヒは関係ないよ」というギレルモの合図だった。だがそれならどうしてヘンリッヒこんな設定だったんだろ?狂気の研究に全財産賭けてくれる理由としては確かにそれくらい強固なものが必要だったかも。それと生への執着を見せる役割だったのか。あまりにもあっけなく死んで「なんなんだこのキャラ」と思わず考えさせられた。またヴィクターはマッド・サイエンティストとはいえ己が狂気に飲み込まれるのを恐れてるキャラでもあるので、土壇場で己を越える狂気で迫ってくるヘンリッヒに完全に引いてしまっていた。「この実験が上手くいったらね」とかなんとか上手いこと言えばよかったのに、という気がしなくもないがまぁいいや。
誕生した”怪物”(演:ジェイコブ・エロルディ)は、当然生前の記憶はなく赤ん坊のようなもの。初めてみた「父」とも言えるヴィクターを「ヴィクター」と呼ぶもののそれ以外の言葉は覚えず「これでは使い物にならん」と苛立ったヴィクターは、父が自分にしたように体罰を与えて”怪物”に辛く当たる(ヴィクター母とエリザベスがほぼ同一人物なのと同じ様に、ヴィクター父とヴィクターもまた同一人物と言える。”怪物”は勿論、愛に飢えていた幼い時のヴィクターだ)。
”怪物”を見たエリザベスは、彼の純粋さ、その神秘の存在に魅了され、聖母のように優しく接する。
しかしヴィクターは、成長のない”怪物”やヘンリッヒの遺体を隠蔽するため屋敷を爆破することにした。
とことん”怪物”に冷たいヴィクターだが、自分を呼ぶ”怪物”の助けの声を聞いて屋敷に引き返し、爆発に巻き込まれて片脚を失う。
このシーン結構好き。
決定的な”怪物”による復讐以前にヴィクターが自発的に”怪物”に愛を向けた瞬間、だけどこの瞬間を”怪物”も弟夫婦も誰も見ておらず、希少なヴィクターの良心は本作を観てる我々しか知らないというのが良い。ヴィクターも、別に悪人ではなく愛に飢えた少年期を送りマッドになってしまった普通の人って感じで彼がより立体的になった。
表層的なこと言うの忘れてたがセットも衣装も良いです。あと音楽が良い。特にED曲「Fire」はエンニオ・モリコーネを意識したような大袈裟でドラマチックな感じで最高(記事の下の方にSporifyリンクしてある)。
ここまでは、北極で”怪物”に追われるヴィクターが救出して匿ってくれたアンダーソン船長(演:ラース・ミケルセン)に話す回想だったのだが、ここで”怪物”が船室に乗り込んできて”怪物”が語る回想に移る。それにしてもアンダーソン船長は初めて会った訳のわからんヴィクターを、船員が何人殺されても匿い続けたりラストの態度もそうだが本当に立派な人物。本来主人公になるべきなのはこの船長だが、マッドなヴィクターと憐れな”怪物”が主人公で船長は只の脇役だというところが面白い。
ヴィクターに爆殺されかけた”怪物”は何とか生き延びて盲目の老人(演:デイビッド・ブラッドリー)の小屋に隠れる。
”怪物”は、狩人や狼や羊を観察して「彼らは互いを全く憎んでいない。しかし殺し合う運命にある、それがこの世界なんだ」と悟る。
盲目の老人は、姿を現した”怪物”が普通の人間ではないと知っていても「本当に優しい純粋な者だということがわかるよ」と、すぐわかってくれて「友達」と呼び、言葉や読書を教えてくれて”怪物”に「友情」「知識」を授けてくれる。しみじみ良い場面。……というか『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)は全く乗れなかったが本作のストーリーや”怪物”は凄く良いな。というか5年以上経てば人間、体組織や知識や経験も入れ替わり別人になるようなもんだし『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)も今観たら乗れるかもしれない。
まぁ、それはさておき。盲目の老人もアンダーソン船長同様に聖人レベルの優しさ。殆ど”無償の愛”といってもいいレベルの優しさで、普通は親が子にそうするものだし、アンダーソン船長はヴィクターの「本当はヴィクターの父がこうだったら」という人物だし盲目の老人は”怪物”にとっての理想の父性だろう。
悲劇で老人と死に別れた”怪物”だが、凄いスピードで肉体が再生してしまうため、どうやっても死ぬことができない。爆破された跡地で研究資料を読み自分がモンスターであることを知った”怪物”は”父”とも言える創造主ヴィクターに会いに行く。
そこで結婚式当日だったエリザベスと再会し、”怪物”が生きていたことに歓喜するエリザベスだったがヴィクターの銃撃から”怪物”を庇い命を落とす。存在感の薄いヴィクター弟も打ちどころが悪く絶命。
うろたえたヴィクターは弟に「しっかりしろ!私が護ってやる」と言うが、弟は醒めた顔で「護る?兄さんから?いつも災いを招く、兄さんは”怪物”だ」と言い息絶える。この台詞は見事だった。全く居ても居なくても成立するキャラだったが、この「ただ居るだけで周囲を不幸にする」とビクターを断罪する台詞は見事だった。これを言うためだけのキャラだったんだね。
エリザベスもまた怪物に「この世に私の生きる場所はなかった。このまま逝かせて。貴方に見つめられながら」と語り逝く。……ここも非常に良い場面なんだが、エリザベス自身のことを語る時間や、エリザベスと”怪物”との交流があまりに少なすぎる気がしなくもない。まぁ、一瞬の交流や最後の台詞で彼女のことは察せられるけど、もう少し描いてほしかった。それとヴィクター母もエリザベスも画一的すぎる母性強いキャラすぎて叩かれそうな気もするが、映画全体が「壊れた男ヴィクター」の主観だと捉えれば「まぁこの映画は女性を描く余地のないものなんだよ。女性の話は別の映画でね」ってことでいいだろう。
それでまぁ復讐の鬼となった”怪物”と、”怪物”を滅ぼさない限り自分の人生はないと悟って”怪物”を追うヴィクターは、アンダーソン船長の前での船室でクライマックスを迎える。
……といってもヴィクターは動けず死ぬ直前だしどうなるかと思ったら、ヴィクターはなんと”怪物”に真摯な謝罪。全て私が悪かったと。心の底からの素直な謝罪を受けた怪物はヴィクターを許す。
ヴィクターは「聞かせてくれあの名を。お前の世界が”それ”しかなかった時のあの名を」と言い”怪物”はその名を呼ぶ。
「ヴィクターによる”怪物”への謝罪」そしてその後のくだり。僕は『フランケンシュタイン』とか古典ホラー弱者だがオタク王ギレルモ・デル・トロがそういう人物だとはわかってるので「あぁ、ギレルモはずっと、そういう結末を思い描いてて両者の和解を描きたかったんだな」と、『フランケンシュタイン』よく知らんくせに色々察せてしまい、その自分の察しに感動するという不思議な感動した(知らないんだが原作では普通に復讐されて終わりかな?)。
「ヴィクターとヴィクター父」「エリザベスとヴィクター母」「ヴィクターの理想の父性アンダーソン船長と、”怪物”の理想の父性である盲目の老人」「〈ヴィクターとヴィクター父〉に対する〈”怪物”とヴィクター〉」あらゆるものがシンクロして語られた本作、「ヴィクターと”怪物”」は勿論見ての通り「愛を与えない父と愛に飢えた息子」なわけだが「ヴィクターと”怪物”2人合わせてフランケンシュタイン」という見方もできる。両親との不幸な関わりでヴィクターの「純粋さや良心」が分離したものが”怪物”として描写され、また一見”怪物”こそが暴力の象徴のように見えるが実際”怪物”はただ愛に飢えた優しい子供なだけで”怪物”は、エリザベスに拒絶され弟に断罪されたことでわかりやすくなってる通りヴィクターこそ”怪物”だった。それが最後の和解によってヴィクターはやっと良心を持ったNOT怪物である人間となって死に、怪物はいずこかへと消えた。
「その後のその者がどこへ行ったのかは誰も知らない」という「カッコいい物語の締め方ベスト3」に入る終わり方。
ギレルモ監督の描きたい事は凄く伝わった。その感想をこのパートで書き記そうとしたが様々な鏡面関係を圧縮して書こうとしたが括弧を多用しすぎてめちゃくちゃ読みにくい文章になってしまい済まない。
エリザベスのことや、原作だと復讐を決めた”怪物”がヴィクターの友人や婚約者(原作エリザベス?)を殺して周り、それでヴィクターが”怪物”を追うらしいじゃない。怪物の出現で弟夫婦が死んで怪物を滅ぼすハンターとなるが、ちょっと弱い気もする。だけどヴィクターは内心「自分のせいで周りの人が不幸になる」とわかってたんだよね、それで「自分の中の怪物を殺すために”怪物”を殺す」というために追いかけた。だがその実、本当の怪物は自分なので”怪物”に殺してもらうために追ってたんだろうね。救助してくれたアンダーソン船長に何度も「私を北極に置き去りにしろ。そうすれば君らは助かる」と、最初から何度も言ってたしね。だから最初から潜在意識では、自滅するために”怪物”を追ってたんだろうね。
わかる?言ってること。
しかし「和解シーンすごく良かったが、そのように愛を与えるのなら今まで”それ”とか”怪物”としか呼んでかったから最後、名前を付けてあげてほしかった」なと思った。
でも自分の名を呼ぶように懇願してたのを思い出し、またヴィクターと”怪物”は同じ丼剤のようなものだし、だから最後のシーンは「”怪物”に”ヴィクター”という名を渡した」と思い始め、だから「ヴィクターはラストで”怪物”に”ヴィクター”と名付けた」というラストだと捉えた。同時に、ヴィクター自身が”真の怪物”だったから”怪物”に「ヴィクター」という名を与えることで自分の怪物性を手放し、代わりに元”怪物”の肉体でヴィクターは生きていく。ヴィクターは死ぬ直前、自分の中の「怪物」を捨て去って本来の「愛に飢えたヴィクター坊や」という人間として死ねた。そして元”怪物”はエリザベスの愛や盲目じいさんの友情、ヴィクターの謝罪と「ヴィクター」という名前を得て、もう怪物ではなくなった(そもそも最初から怪物ではなかったのだが)。両者が和解して、お互いに与えあって変容した。そういう映画だと思った、個人的に。
たとえあなたが信じようと信じまいと。
そんな感じでした
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