gock221B

映画やドラマの感想ブログ 😺🍿🐱 ネタバレあり 😺 Filmarksも https://filmarks.com/users/gock221b おしずかに‥〈Since.2015〉

『マッドマックス:フュリオサ』(2024)/アニャオサやアクションやカタルシスを感じさせまいとする展開など全体的に凄く好き👩🏻‍🦲


原題:Furiosa: A Mad Max Saga 監督&脚本&製作:ジョージ・ミラー 脚本:ニコ・ラサウリス 音楽:ジャンキーXL 撮影:サイモン・ダガン 編集:マーガレット・シクセル 製作国:オーストラリア、アメリカ 上映時間:148分 公開日:2024年5月23日(アメリカは2024年5月24日、日本は2024年5月31日) シリーズ:『マッドマックス』シリーズ第5作目(『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)のスピンオフ)



『マッドマックス』シリーズの第5作目。しかし本作は前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の主人公フュリオサの前日譚なのでマックスは出てこない。
ジョージ・ミラー監督は、このフュリオサのオリジンと、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の前にマックスが少女を護れなかった前日譚を映画化したいらしい(作りたい続編が全て前日譚ばかりなので『マッドマックス』サーガは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)で完結なのかもしれない)。しかし、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の後に権利関係がどうのこうので争って本作の製作が遅れた。

で、本作がヒットしたらマックス主役の映画を作りたかったらしいが、残念ながら本作は本国アメリカで大爆死してしまったらしい(しかも少しコケたくらいじゃなく歴史的な大コケ)。これでマックスの映画製作できるのだろうかと心配になった。
しかしこのシリーズは熱狂的なファンが多く、よくSNSなどでデスロードでも今回でも「まだ8回しか観に行けてません!」等と、どういうわけか観に行った回数など数字のみで自分の感動を伝えるやり方だけを好む熱狂的なファン……通称”8回勢”が多くいるし、そういったウォーボーイズが世界中に居ると考えれば続編も何とか作られるのかもしれない。

ネタバレあり

 

 

 

Story
核戦争で文明社会が崩壊してから45年後オーストラリアの荒野ウェイストランド
平和的な人々がひっそり暮らしていた自然豊かな隠された土地〈緑の地〉の少女フュリオサ(演:アリーラ・ブラウン)は、ディメンタス将軍(演:クリス・ヘムズワース)率いるバイカー集団に(演:チャーリー・フレイザー)を処刑され、フュリオサはディメンタスの養女にされてしまう。

ディメンタス一行は、暴君イモータン・ジョー(演:ラッキー・ヒューム)が地下水で人々を支配している砦〈シタデル〉を奪おうとするが返り討ちに遭う。
そこでディメンタスは〈ガスタウン〉を奪い、ガソリンを材料にイモータンと同盟を結ぶ。その際、フュリオサは妻候補としてイモータンに譲られる。

男装して成長したフュリオサ(演:アニャ・テイラー=ジョイ)は警護隊長ジャック(演:トム・バーク)の下で働きつつ、母の仇ディメンタスへの復讐の機会を狙っていた――

みたいな話。

一言で言うと「ディメンタスに母を殺されて復讐する、そしてシタデルの花嫁たちも救わな……(デスロードへ続く)」……という流れなのだがフュリオサのオリジン&vs.ディメンタスってだけでなく『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)に繋がる話にしなければならないため、一旦ディメンタスに囚われつつ、イモータンの元に囚われることになり、しかし花妻にされたら困るので男装して働く……後半でディメンタスと激突して左手を失いながらシタデルに戻ってちょっと助け借りて再びディメンタスを狙う……と、フュリオサの行ったり来たりが妙に多い気がした。フュリオサがアニャ氏演じる成体フュリオサになるまで……時間わかんないけど40~60分くらいかかってる気がした。
とはいえ全体的に面白いのでつまらないと感じる部分は無いのだが少し冗長だなとは思ったかもしれません。今思ったが僕、イモータン一派に興味ないからイモータン一派が邪魔だと思ったのかもしれない。
だが若フュリオサを演じるアニャ・テイラー=ジョイはめちゃくちゃ良い。そして彼女のスキンヘッドやサイボーグアームも凄く良いので「フュリオサじゃない新女性キャラでこれやれば?」等とは思わない。やはりフュリオサの前日譚で良かった。だがちょっと長いかな……。
といった感じで、前日譚による良い部分とイマイチな部分、両方あるなと思った。
フュリオサのアニャ・テイラー=ジョイは4年位前に報道された時に「あれだけハマってたシャーリーズ・セロンの次にアニャちゃんなのはどうかな……」と少し怪訝に思ってた。アニャ氏の事はデビュー時から好きだが、彼女は瞳が大きくふっくらした頬の儚いアニメ顔少女のイメージで出てきたし4年前はまだまだそのイメージを引きずっていた。だけど『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021)辺りからスーパーモデルっぽい感じに自分を変えてきてどんどんフュリオサに合う感じに変えてきましたね。彼女が金髪に染めて変わり始めた時は「黒髪でふっくらした顔がよかったのに」と思ったが、それも所詮はエゴなので彼女がやりたいように美しくなるのを前向きに応援するよう考えを変えた。そしてアニャ氏といえば美しいロングヘアだが、ことフュリオサに限っては坊主頭こそが彼女の美しさなのか、ジャックの助手席でバッとロングヘアが顕になると「髪が長い!そんなの早く刈っちゃいなよ!」と思い、後半フュリオサが坊主になると「美しい、よかった」と思った。これはスクリーンのアニャ氏が、アニャ氏本人ではなくフュリオサとしか観れないて事なので良いですよね。

少女時代のフュリオサ役の子役も賢そうでよかったね。

フュリオサのママはアリーラ・ブラウンとかいうオーストラリア女優が演じていたがめちゃくちゃ美しくカッコいい人だった(デビュー当時のミラ・ジョボヴィッチ的なルックス)、すごくオーストラリア人っぽい美しさ。関係ないけど行ったことなしい昔女性に振られてその女の子がオーストラリアに移住したので何かエデンのようなイメージになってしまっているかも。

中盤、前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)を彷彿とさせる例の車両で爆走し、ウォーボーイズも高跳び棒とかで援護したり自爆しまくる。ここは文句なく『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)祭り状態に突入できる。ここだけで入場料分はある。

ここから警護隊長ジャックが出てくる。
車両を護って仲間のウォーボーイズが全員死亡してしまうがフュリオサだけは生き残って護りきった。そこでジャックは「お前に生き抜く術を教える」と買って出る。
ジャックは、フュリオサが女性だと知ってもスケベ心を抱かず、以降フュリオサのすることを献身的に全力でサポートする。オールバックで無口で家族を喪ってこうなった……という事でどうみてもマックス。「この時点でマックスみたいな男性に出会ってたからデスロードでマックスに会った時もフュリオサはジャックを思い出しただろうか?」といった感じでのめり込んで思ったりはせず「本作にマックス出せないから、マックスみたいなキャラを出したのかな」と少しメタ的に思った。
ただし主人公補正を持っていないバージョンのマックス。
ジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』(1981)の続編が 『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)なのだが、続編と言いつつ 『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)は前作である『ニューヨーク1997』(1981)を、もう一度セルフリメイクしてやり直した感があった(サム・ライミ『死霊のはらわた』(1981)と『死霊のはらわたII』(1981))。本作もちょっとだけその傾向があってお話的には前日譚なのだが実際のところ『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)を「今ならこうする」とやり直した感じがした。わかる?言ってること。
とはいえ似てるとこは幾つかありつつも「本作はフュリオサを若くしてデスロードをやり直した」と言うつもりはない。何だかんだ違うしね。

特にディメンタスはイモータン・ジョーとは違う。
イモータンはカリスマがありつつも男の有害性を煮詰めたような奴だった。一方、ディメンタスも有害な男といえばそうなのだが、元は普通の人だったっぽいというところがある。
彼は熊のヌイグルミを常に持っている。どうやら愛する妻と娘が死んでバイカー集団のボスになった。それでフュリオサを拾ったら自分の娘代わりにしてぬいぐるみを押し付ける。
イモータンと違い、生きがいを喪った筋肉あるだけの凡人が徐々に薄汚れてこうなった感がある。
ラスト、フュリオサは前作でイモータンを殺った時のようにディメンタスをスパッ!とは殺さない。
フュリオサがイモータンの攻撃手段や逃走手段を全て封じた上で生かしてるので「あぁ、めちゃくちゃいたぶって死んだ方がマシだってくらい悲惨な目に遭わすつもりか?」と思った。だが二人の様子を観てるとどうやら違うようだ。
反抗できない事を悟ったディメンタスは「じゃ、好きなようにやってくれ!」と諦めるがフュリオサは殺さない(少し後に殺すのは決まっているがただちには殺さないという意味)。
母を殺した恨み言を聞かせるフュリオサに対してディメンタスは「俺だって妻娘を殺した奴に復讐したかった。お前はいいな、母の仇に復讐できて」と言う。「主人公が悪に堕ちた将来」系のラスボス?
フュリオサは、ディメンタスをいたずらにジワジワ痛めつけるでもなくしばらく対話をする。トイレに行きたかったのもあり、最終的な会話は全部忘れちゃったけど、フュリオサがディメンタスを許すルートは勿論なく殺すことに変更はないのだが「怒りに任せてブッ殺す」「ジワジワと苦しめ抜いて殺す」この2つを周到に避けている。
かといって監督が自分に陶酔して”哲学的な会話”に酔っているわけでもない、ディメンタスが「俺を殺さないのか?いつまでこんなグダグダした会話続けるんだ?」と、ミラー監督へのセルフツッコミしてることから明らかなように、わざとそうしている。
とりあえず「”良きタイミング”や”気の効いた殺し方”でディメンタスをブッ殺して観客をスッキリさせて”めでたしめでたし”で映画が終わる事だけは避けたい」というメッセージは受け取った。
ではミラー監督が何を言いたいのかと訊かれてもよくわからないが時節柄、各地の紛争や戦争がミラー監督の念頭にあり、本作を観た観客が「俺達が戦っている”奴ら”(自分とは違う人間の敵)をブッ殺せ!」という方向に考えが行かないようにするため、だからディメンタスの始末をこういった遅延したグレーな決着にしたのではないかと思った。それでいて「母を殺されたけど、許しを与えるよ」といった嘘くさい事はせず「母を殺されたからお前は数日中にブッ殺すが、即死させてお前を楽にはさせないし、いたぶって殺して自分を気持ちよくもさせない。少し話して、そして後の実になるようにお前を殺してやるよ」という、フュリオサの(ミラー監督の)殺り方が誠実だな、と思った。
フュリオサとか監督の意図は、実際のところよくわかんなかっただけなので配信に来たら、もう1回観てみようと思う。

そんな感じで感想が短いし、あまり乗ってないような記事になってしまったが実際のところは最初から最後まで退屈するところもなく、中盤のカーチェイスでめちゃ盛り上がり、終盤のディメンタスの処遇で何か考えさせられた……が途中で何言ってるのかわからなくなったが良い映画でした。

※と、良かったけど長いし必要だったのかなと思うところもあったのだが、観て2日くらい経つと自分の中でしみじみ良い感じの印象に変わっていき、特に観客をスッキリさせて無責任にカタルシスを感じさせないようにしてるのが良いところで、そういう意味では現代的だと称賛された『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)より更に本作の方がより現代的で優れていると言える。この感想書いた後日の方が好きになった。

 

 

 

そんな感じでした

gock221b.hatenablog.com

gock221b.hatenablog.com👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲🧸🚛👩🏻‍🦲

Furiosa: A Mad Max Saga (2024) - IMDb
Furiosa: A Mad Max Saga | Rotten Tomatoes
マッドマックス:フュリオサ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

www.youtube.com


#sidebar { font-size: 14px; }