
『ハードエイト』(1996)/悪徳の街で無償の善行という悪事を行う聖なる悪魔の話

原題:Hard Eight(旧題:Sydney) 監督&脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 撮影:ロバート・エルスウィット 編集:バーバラ・テュライヴァー 衣装デザイン:マーク・ブリッジズ 音楽:ジョン・ブライオン、マイケル・ペン 配給:MGM 製作国:アメリカ 上映時間:102分 公開日:1997年2月28日(初公開は1996年1月20日サンダンス映画祭、日本は1998年11月21日にビデオ発売)
最初は主人公の名前で『シドニー』にしたかったが地味なので映画会社にクラップスの「当たりそうで当たらない苦しい役」である『ハードエイト』にされたらしい。監督は嫌だったみたいだが映画会社の気持ちもわかる。監督はこれがデビュー作で無名だし、主演のフィリップ・ベイカー・ホールは知る人ぞ知るバイプレイヤーだしジョン・C・ライリーも注目の新人だけど一般の人はあんまり知らない……2人とも「顔は見たことあるけど……」レベル?ヒロインのグウィネス・パルトロウは『セブン』、サミュエル・L・ジャクソンはスパイク・リー映画や『パルプ・フィクション』でプチ・ブレイクしてこれからって感じだが主役ではない。映画会社としては「オッサンの名前」よりも「ヒリヒリするギャンブル映画もしくは犯罪映画だぜ?」と客に思わせるタイトル――実際には全くそういう映画ではないが――にして少しでも客が来るのを期待してもおかしくはない。
事実、絶賛PTA映画全作見直し期間中の僕だけど、本作は90年代当時も「なんか地味だな……」とスルーしてしまっていたし現在も「『ハード・エイト』観てなかったから観るか?……しかし地味だな」と思って億劫でしたからね。
いざ観たら良かったですけども。
ネタバレあり
🎲🎲
Story
老紳士シドニー(演:フィリップ・ベイカー・ホール)は、ラスベガスのダイナーでうなだれる青年ジョン(演:ジョン・C・ライリー)と知り合う。
ジョンは大事な金をラスベガスでスッてしまったのだ。
シドニーはジョンにコーヒーをおごり、カジノでの生き残り方を教える。
2年後、一人前のギャンブラーになったジョンはネバダ州リノでシドニーと再会。
ジョンは恩師シドニーに、恋人クレメンタイン(演:グウィネス・パルトロウ)とギャンブラー仲間ジミー(演:サミュエル・L・ジャクソン)を紹介するが――
シドニーはジョンにコーヒーと煙草をおごり、ジョンは母の葬式資金6千ドルをカジノで増やそうとして全て失ってしまったらしい。
シドニーは「カジノで生き残れる作法」を教え、6千ドルも何とかしてやるという。あまりにいきなり親切な施し連発するシドニーに対してジョンが「ひょっとしてゲイ?フェラなんてしねぇぞ」と警戒するのもまぁ普通だろう。
シドニーはジョンをカジノに連れていき「金をチップにして記録カードに記録、ある程度負けたらチップを現金化して再びチップにする、それを記録……」これを繰り返す。
多分、これをすることで何もしていないのに「何度も金を使う迂闊な客」というカジノにとっての上客になり待遇が良くなり勝ちやすくなるというハックらしい。現在ではもう使えないだろうが昔のテクニックか。
とりあえずカジノでの生き残り続けられる作法を色々と教わりジョンはカジノで生きられるようになる。
2年後、一人前になったジョンはシドニーに惚れ込んでおり飲む酒や着てる服なども真似して子犬のようだ。
ジョンのギャンブル仲間ジミーは下品な男で、シドニーは嫌う。
ジョンの恋人クレメンタインはカジノでウエイトレスをして、副業で売春をしていた。
シドニーは泊まる所のない彼女を自分の豪勢な部屋に泊める。
クレメンタインは「えっと……」と考えた後、シドニーと寝ようとしてシドニーに「そういうつもりではない」と言われる。何か施されたら身体で支払う事しか知らない。翌日それを知ったジョンも「あ、あのぉ、シドニー彼女と寝た?」と訊いてくるし。
だがジョンやクレメンタインからすると、突然赤の他人の老人シドニーがどんどん親切にしてくるのだから疑問に思っても仕方ない。
後日、ジョンとクレメンタインは勢いで結婚したようだが同時にモーテルで厄介事に巻き込まれたらしく、シドニーに助けを求める。
シドニーはとりあえず2人を逃がし、後はジミーとの話し合いになる。
この厄介事は、てっきりジミーが企んだ何かの犯罪の片棒を担がされておりシドニーはジョン達を護るために戦う……というのがよくある展開だが、実のところモーテルでの厄介事は以降の本筋とは全く関係がなく、話はシドニー個人についての問題になっていく。……という展開が非常にPTA的。
それと映画が始まって割とすぐ「やっぱこの映画『ハード・エイト』じゃなく『シドニー』って感じだな」と思ったが後半まで観るとますます『シドニー』であるべきだろうという感じが強くなっていく。
PTAが以前から「この人は過小評価されている」と思っていたというシドニー役のフィリップ・ベイカー・ホールはPTA映画や『ミッドナイト・ラン』あとたまに見かける名前知らないおじさんという薄い認識だけど確かに良かった。優しそうでもあるし牙を剥いてもおかしくない柔軟なニュートラルな存在感。
このシドニー役がロバート・デ・ニーロとかアル・パチーノがやってたとしたら確かにそっちの方が売れるだろうし、それはそれで違う面白い映画になっただろうけど、それだと彼らの圧が強すぎて「デ・ニーロの映画」「パチーノの映画」になっちゃいますよね。アル・パチーノのシドニー役とか容易に想像できるよね、ガンギマリみたいな瞬きしない瞳で脱力してるが表情の読めない顔でまるで句読点がないかのような喋り方で――野沢那智の声で――割り込む隙なしでジョンやクレメンタインに説教する姿……こう書くとだんだん観たくなってきた。あるいはデ・ニーロ演じるシドニーはジミーに凄まれたら口角を下げて従うフリするんだろうなとかマルチバースの変異体シドニーが色々想像できる。本作のシドニーは『ミッドナイト・ラン』でフィリップ・ベイカー・ホールが演じたシドニーから来てそうだし(そう明言されたわけではない)「他の人だったら」とか想像する意味はないが、まぁ遊びでね……。
話は戻って、フィリップ・ベイカー・ホール演じるシドニーは前述の圧が強すぎる大御所と違って、物凄く善人だろうが逆にどこまでも恐ろしくなれるし、実は凄い犯罪組織を従えている事が明らかになったり、あるいはあっけなく殺されても全部「なるほど」と思うことができる柔軟性がある。前述した大御所だと、まず居る事だけで大きな意味が出てくるが、その柔軟さを持ったのがフィリップ・ベイカー・ホール。「シドニーはどういう過去があるんだろう?」「ああ、そういうことが」と何でも受け止められる。それが彼よ。
ジミーに明かされたシドニーの過去にしても詳細はわからない。「当時のシドニーは極悪人で私利私欲のためにそれを冷酷に行った。その後いろいろあって改心した」のか「シドニーは当時から善人でやむを得ない事情でそうせざるを得なかった」のか、それはわからない。前者の方がドラマがあって良いと思うけどね。『許されざる者』的な。当時からずっと善人だと、あまりに聖なるギャング過ぎて……何か嘘っぽいし。
当時の(そして現在でも)本作で一番有名であろうジミー役のサミュエル・L・ジャクソンは非常に卑小なチンピラを演じているが若い(48歳くらい?)サミュエル・L・ジャクソンなので大声で脅してくる様がめちゃくちゃ怖い!もうサミュジャクの声がそのまま観てる俺の心臓にささって怒鳴られ殺されそうな迫力がある。「こわっ!この男のひと悪いひと……」とデバフされる質量を持った声をしとる。
クレメンタインは意外と一番印象に残ったかも。
割とクレメンタインはどうしようもない女性で、演じてる若グウィネスはお姫様みたいに綺麗すぎてちょっと役に合ってない気がするんだけど、この役に合った生々しいルックスの女優がやってたら観てられないキャラになりそうだよね。だからわざと「ここまで綺麗だとこんな風にはならんだろ」と思うほど美人すぎるグウィネスにして、現代おとぎ話にしたんだろうと思った。ストーリーやシドニーに注目してほしいからクレメンタインで引っかかられると先に進まないってことで。これは『ブギーナイツ』のヘザー・グラハムが妙に生活感ない綺麗すぎるのと似てる。どちらも庶民的なルックスだと観てて「ウッ!痛々しい」と思いそうだもんね。だからクレメンタインは本当はこんなに綺麗じゃなくてもっとじゃがいもみたいな平凡なルックスなんじゃないかと推測した。
例の、シドニーがただ泊めてくれた時、待ってる間ゼロの表情になって「これは寝ろってことかしら」と考え?(推測)自らの太ももを性的に撫でて(準備か?)それでシドニーと話したら「いや、そうじゃないよ……」と言われて「軽蔑しないで……」と、いうその心の流れ。彼女だけじゃなくて善行だけするシドニーに対してジョンも心酔してるしジミーもシドニーがただ居るだけでプライドがズタズタになりああいう事をして破滅……こうまとめていくとシドニーの「見返りを求めない善行」という「異常な行動」によって色んな人の心が乱されていく話だと観ることもできる。非常に治安の悪い街で見返りを求めない善行だけ行う男……それは、つまりこの街からすれば悪なのかもしれない。「聖なる悪魔シドニーが降臨した話」みたいな。結果的には別にそんな聖人みたいな存在ではないのだが、まぁジミーや大勢からすればね。
出会ったばかりの時のジョンや、クレメンタインやジミーたち「損得」でしか生きられない人間にとってシドニーの「無償の愛」は自分たちの卑小さを突きつけられる、ある種の「暴力」ですらあったはず。後半のジミーも「金を奪いたい」以上に「この老いぼれを屈服させたい!」一心だっただろうしね。
何か取り留めもない感想になったが面白かったです。
24歳が撮ったデビュー作なのに凄くカッコいいショットとか長回しも多く……長年感想を書いてて、こういった撮影とか映像面での良さを「カッコいい」とか以外にどう書いていいか未だにわからないのがバカっぽいが……わからないので仕方がない。
とにかく「何だか地味そう」と思ってスルーしてたが始まってすぐ面白くて最後まで良かったです。何か、完全に完全に破滅しないずらした展開もいかにもPTA。
長年観てなかったけど、この機会に観てよかったと思った。
そんな感じでした
〈PTA監督作品〉
『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025)/他人と一切共有したくないという希少な感動があり、書くことがない - gock221B
『インヒアレント・ヴァイス』(2014)/崩壊した現実のアメリカを尻目に”心のアメリカ”を建て直そう - gock221B
『リコリス・ピザ』(2021)/作家性の強い監督の映画の良いとこって型通りの展開じゃないとだな、と今更気がついた - gock221B
Sydney (1996) - IMDb
Hard Eight | Rotten Tomatoes
Hard Eight (1996) Letterboxd
ハードエイト | Filmarks映画

『リコリス・ピザ』(2021)/作家性の強い監督の映画の良いとこって型通りの展開じゃないとだな、と今更気がついた

原題:Licorice Pizza 監督&脚本&製作&撮影:ポール・トーマス・アンダーソン 製作総指揮:ジョアン・セラーほか 音楽:ジョニー・グリーンウッド 編集:アンディ・ジャーゲンセン 製作国:アメリカ 上映時間:133分 公開日:2021年12月25日(日本は2022年7月1日)
監督がMVも何本も監督してる人気バンドHAIMのギターのアラナ・ハイムに当て書きして主演俳優デビューさせた青春映画。家族ぐるみの付き合いをしてるそうなので残りの2人もアラナの実姉妹役、ついでに実の両親も両親役で出ててハイム家ムービーみたいになってる。もう1人の主演のクーパー・ホフマンはこれまた監督の親友だった故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子。
PTAは観てたが最近初めてハマって最初から観返してるが、とにかく長年ファンじゃなかったのでクーパー・ホフマンのことも知らなかった。
なんかエゴの強い主演の大作数本がコントロールしきれず疲れたので地元に身内とお店を出した感じのさりげない爽やかな作品だった。
実在の人物が出てきたり実話を元にしたエピソードが多く出てくる。
ネタバレあり
Story
1973年、ロサンゼルス。
25歳の女性アラナ・ケイン(演:アラナ・ハイム)は写真撮影助手のバイトで高校を訪れる。
そこで10歳年下の高校生ゲイリー・ヴァレンタイン(演:クーパー・ホフマン)に一目惚れされる。付き合いはしないが悪い気はしないアラナ。
2人の付かず離れずの微妙な関係が続く――
子役俳優をしているゲイリーは、アラナに言い寄るが年下すぎて相手にされない。それはそれとしてゲイリーはウォーターベッド販売、ピンボール遊戯場経営など次々と新しいビジネスチャンスを成功させる。
ユダヤ系女性アラナは特にやりたい事はないのだが自己実現のため女優で映画の世界、市議会議員のボランティアスタッフになって政治の世界、など「自分を向上させてくれそうな世界」に飛び込み飛躍しようとする。
アラナは、関連人物が少年たちや家族だけなので「威勢のいい若い女性」っぽく振る舞ってるキャラだが、見てると中年の権力者には下から行くし年の近い友達とかボーイフレンドは1人も居ない、そのせいか自己評価が低い、一方でプライドが妙に高い。
ゲイリーは若すぎるが好いてくれる事は内心嬉しい、しかしガキすぎるので付き合うのは……かといってゲイリーが他の少女と仲良くし始めるとイライラする、だが自分が彼を相手にしていないっていう態度を取ってるので嫉妬するわけにもいかんという感じ。
ゲイリーも「基本的にアラナが一番好きだが全然相手にしてくれないし自分の子役仲間と付き合おうとしたりするし」という感じで同世代の美少女と付き合ったりする。ゲイリーはフィリップ・シーモア・ホフマンに、基本的には似てないが特定の画角で異常に似てる瞬間があったりして「おおっホフマンの血……」と感慨深いものがある。
ハリウッド映画は、極端に言うと何個かの型があってその組み合わせを変えてるだけだ。
この映画を観る際、僕は無意識にアメリカ映画によくある「型」型にハメて観ていた。かつては特に執着のなかったPTA作品に、なぜ最近これほど惹かれるのか。それは、彼が意図的に”型”から外れ、観客に新鮮な違和感を与え続けてくれるからに他ならない。
映画好きはもれなくPTAが好きだが、こういうところも映画好きに好かれる理由の一つだろう。そして大手スタジオに雇われた監督にはそんな事ほとんど許されない。だから、こういった作家性の強い監督はますます貴重に思えてくるのだろう。こう言うと、なんだか基本的な話のようだが今まであんまり認識してなかったかも。
本作で人気ありそうなキャラ、名優ウィリアム・ホールデンをモデルにしたジャック・ホールデン(演:ショーン・ペン)の大暴れ、または実在する映画製作者ジョン・ピーターズ(演:ブラッドリー・クーパー)の大暴れ……などは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)のダニエル・デイ・ルイスやポール・ダノの大暴れを思わせる濃厚こってりラーメン的な分かりやすい大暴れで、ここはPTAの中でも自分があまり興味ない要素かもしれない。だが大暴れし終わったジョン・ピーターズがその後もゴジラみたいに相手が居ない場所でも暴れ続けて街を破壊して回ってたり、事前に裏切ったアラナと出くわしても気が付かず本来なら慌てるであろうアラナも間近で街を破壊するジョンを全く気にしなかったり……こういう微妙な味付けのPTAっぽさこそ自分が「これこれ!」と大好きな部分だと思った。ホールデンのバイクスタントとか「爆弾魔を思わせる男」など、明らかに誰か死ぬ!?と思わせる緊迫したシーンの連続やその結果なども凄く好みのズラし加減だった。
話をゲイリーに戻すが、本作で言うなら「ゲイリーはやはり父ホフマンが昔やってたようなモテない孤独少年なんだろう」と思い込んで型にはめて観てたが、実際のところゲイリーは本作で一番美人のCAに話しかけられたり、ウォーターベッド販売会で同級生の美少女と話しかけられしばらく付き合ってたり?と、基本的にモテている。
そもそも高校生のくせに胡散臭いビジネスを次々と当ててるし。
だから彼は「モテない孤独な少年がたまたま出会った年上のアラナに執着している」わけではなく「自分で稼いでるし普通にモテるけど常に若い美少女よりアラナの方が好き」ということが強調される。ゲイリーは「アラナに相手にされないから美少女とイチャついた」り嫉妬してアラナを邪魔したりババア扱いしたりしてムカつく事もあるが、それらもアラナに相手されず見下されてるからという理由があることではあるが基本的にふてぶてしいホフマン面でアラナを”酸っぱい葡萄”メンタルでババア扱いして拗ねたりでイラッとさせるガキではあるのだが、何度か訪れるアラナが大ピンチに陥って傷ついた時は、まるでこの世に自分とアラナしか居ないかのように全力疾走して彼女を助ける。
対するアラナもゲイリーが気にはなるがやはり歳下すぎるし、どういうわけか彼女にはゲイリーに対する訳のわからないライバル心もありゲイリーを「ピンボールで一攫千金?アンタまだそんなしょうもない事やってんの?私は政治(事務所の雑用)で世界のこと考えてるのよ」と見下す、しかも定期的に。だけどゲイリーと同じ様に彼の大ピンチでは全力疾走して助けに行く。
そういう感じで「普段はどうかと思う部分が多いリアルな2人だけど、互いを想う心は本物なんだな」と、こちらがそれを忘れた頃にしっかりと全力疾走描写で再確認させてくれる。普段は凸凹カップルだが、互いが大ピンチになった土壇場でだけ普段は取り繕っている「自分」をかなぐり捨てて相手を助けようとする。これって普通、世間一般の多くのカップルは”逆”だからね。日常では仲良しで互いを尊重しあったように見せてる癖に有事では相手を置いて逃げ出す……。
震災とか紛争でヤバい状況になっても2人は互いを助けあうだろう。
しかし普段はそんな事ないから付き合い始めたり結婚してもどちらかが(あるいは双方の)浮気で別れたりめちゃくちゃ今にもしそうだけど。だが別れたとしても一方が大ピンチになったら持ってるものを投げ売って駆けつけるだろう。
色んなことがある人生だけど結局はそれだけあればいいのかもしれない。
そんな感じでした
〈PTA監督作品〉
『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025)/他人と一切共有したくないという希少な感動があり、書くことがない - gock221B
『インヒアレント・ヴァイス』(2014)/崩壊した現実のアメリカを尻目に”心のアメリカ”を建て直そう - gock221B
『ハードエイト』(1996)/悪徳の街で無償の善行という悪事を行う聖なる悪魔の話 - gock221B
Licorice Pizza (2021) - IMDb
Licorice Pizza | Rotten Tomatoes
Licorice Pizza (2021) L/////eoxd
リコリス・ピザ | Filmarks映画

『武器人間』(2013)/映画自体は全体的にショボいが武器人間とフランケンシュタイン博士の魅力は凄い

原題:Frankenstein's Army 監督&制作:リチャード・ラーフォースト 脚本:クリス・W・ミッチェル、ミゲル・テハダ=フローレス 特殊効果:ロジェ・サミュエルズ 撮影:バート・ベークマン 制作会社:XYZフィルムズほか 製作国:オランダ/アメリカ/チェコ 上映時間:84分 公開日:2013年7月26日(日本は2013年11月2日)
ぼんやり「観たいな~」と思ってたが金だしてレンタルしてまで観たいわけじゃなかったこれが配信にやっと来たので観た。
ポール・バーホーベンの『ブラックブック』(2006)の現場にスタッフとして参加してたオランダのCMディレクターの監督デビュー作で、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ホビット』シリーズの人が特殊造形を担当してるらしい。
『バイオハザード ヴィレッジ』(2021)に登場した機械と合体させられたゾンビの数々が本作の武器人間に酷似してるため監督が訴えはしないもののTwitter(現X)で悲しんだが、カプコンは「無視してスルー」という大企業仕草で押し通した。それと『チェンソーマン』(2019-2026)も影響受けてそう……だけど、こういう頭部や身体の一部が機械になったゾンビが出てくるものは本作より前からいる。だが『バイオハザード ヴィレッジ』(2021)に登場した頭部がプロペラになった巨漢ゾンビはどう考えてもパクってるだろう。本作のその武器人間プロペラヘッドは「プロペラ戦闘機の先頭が上半身になっている巨漢ゾンビ」で『バイオハザード ヴィレッジ』(2021)のそれは「チェーンソーがプロペラのように取り付けられたものが回転している巨漢ゾンビ」とアレンジしてはいる。だがどう見ても本作から来てるやろ感はある。カプコンは幼い時の『魔界村』(1985)とか後の格ゲー、バイオシリーズなどずっと好きで他の有名作品からアイデアをいただいてるのは見てきた。だがカプコンに限らず色んなエンタメはお互いにモチーフを貰ったりする各メディアはお互い様という認識だった。しかしここで問題なのは、今のカプコンは「好きな人は好き」って感じの90年代の時とは違って全世界的に老若男女が楽しむ巨大ゲーム会社になってるので90年代の時のようなパクり方をすると「巨大企業カプコンの『バイオハザード』という世界的に大人気であり続けてる覇権シリーズが『武器人間』(2013)という小さな小さな存在からパクり、訴えられてないことを良いことに(訴えられても乗り切れるだろうが)完全無視して『武器人間』(2013)側を泣き寝入りさせた」印象だから後味悪い。「ちょっと参考にしました、ゴメンネ」くらい言えば良かった気もするが、それが発端となって揉めたらややこしいので無視したい気持ちもわかる。ここが人気YouTubeなら、どちらかを攻めてアクセスを増やそうとするのだろうがこのブログはそういった要素から外れた場所なので(一応飾りでアフィリエイト貼ってるけど1円も入らない)白か黒かという結論はない、非常にモヤッとした結論になった。だがこの件に限らず世の中の殆どはそういう面白くないモヤッとした結論だけで出来ている。そういったモヤモヤ感から逃れてスカッとするために人は極端なことを言うSNSやYouTubeに触れてガス抜きするのだろう(別にディスってるわけではなく僕もする時あるし)。
ネタバレあり

Story
1945年、第二次世界大戦末期の東部戦線。スターリンの命を受けたソ連(現ロシア)の偵察部隊がカメラを携えた記録係を伴い、同胞を救うためにドイツ・ナチスの占領地域に潜入するが生きた人間は誰もいない。
そこは、マッド・サイエンティスト、三代目ヴィクター・フランケンシュタイン博士(演:カレル・ローデン)によって機械と死体を合体させた武器人間の製造工場だった――
全編は、主人公が撮影しているカメラ目線というファウンド・フッテージ形式で進む。
前半~中盤は、ソ連の小隊がナチ占領地帯で武器人間に遭遇して殺し合う。
後半は、武器人間工場に潜入して捕まった記録係が、狂気のフランケンシュタイン博士に迫っていく、そんな構成。
最初に言うけど、ホラー映画は低予算だがそれを考慮してもめちゃくちゃ低予算感が強い。映画冒頭とか、東部戦線というより「現代の俳優たちが第二次世界大戦という設定を演じているぞ」という感じしかしない。
だが冒頭で、戦地という設定の野原に”チェコの針鼠”が置いてある。あの戦車や戦闘車輌の進行を防ぐ鉄骨の塊みたいなやつ、あれが何個かあるだけで「戦場だ」と脳が勝手に思ってくれるのでチェコの針鼠は映画の記号として便利だ。
”チェコの針鼠”はさておき、本作が東部戦線に全く見えない理由。それは敵や死体の少なさに加え、映像があまりに綺麗すぎて「81年前の記録」という説得力に欠けるからだ。
ではアナログ・ホラー(古い映像を模して、わざと低画質にしたジャンル)みたいに荒い映像にすれば良かったのかも?
いや、後の展開を観てればわかるが本作の目的は「武器人間を見せたい」「相対するフランケンシュタイン博士のキャラを見せたい」という目的のみで作られたのは明確なので「画質を落とす」なんて有り得なかったのだろう。見せたい武器人間の造形が見えにくくなるからね。じゃあ普通の劇映画みたいに撮れば?という気もするが、それしたら本作のショボさが際立つ。難しい。
そのように本作が抱えるジレンマは「精巧に作った自信ある武器人間を鮮明に見せたい」という執念と「臨場感あるから低予算をごまかせるモキュメンタリー」という手法が完全に喧嘩しているところだろう。『ハードコア』(2015)みたいにPOVアクションが上手い監督が撮れば2つの目的を両立させていただろうが。
だがこの監督は設定を練るのは上手い。他のモキュメンタリー作品もそうだが「死にそうなのに主人公が何故延々と撮影してるのか?」問題があるが本作はその辺に意識的に取り組んで解消している。
主人公ポジションのユダヤ人記録係は実は「フランケンシュタイン博士の兵器を撮影し、博士を捕獲せよ」という密命をスターリンから受けている。命に従わない場合は人質の家族が殺されてしまう、だからもし失敗した時に家族もろとも処刑されないよう全ての証拠を残している、そういう設定。だから「撮影すること」がそのまま「彼と家族の命」に直結している。これは武器人間に襲われてる最中にも撮影し続けている説得力になってるし優れたナイス設定ですわ。
教会、そしてその地下で武器人間軍団に遭遇した一行。
ここが一番面白いかも?
趣向を凝らしてデザインされた武器人間たちは見てるだけで楽しい。
ちなみに武器人間は英語でなんて呼ぶんだろうと調べたら”Zombot”という、これまた頭が悪い名称だった。
武器人間は低知能で怪力で動きが緩慢、だが不死身、しかし脳を破壊されたら機能停止する。非常に絶妙な強さだ。下手したら熊の方が強い気もする。
だから武器人間とエンカウントする場所を限定的にしている。狭い教会、その迷宮のような地下通路、その先の武器人間工場。場所はこれらだけに限定されている。
これによって「こっちに逃げろ!うわ武器人間だ!じゃあ、こっちだ!うわこっちからも武器人間が!?」といった感じでアミューズメント施設の武器人間ライドといった感じの映像を楽しめる。教会の地下通路も凄く魅力的な通路だし。
この行ったり来たりする武器人間ライド場面は何度かあるが、ここは素直に楽しい。
だがファウンド・フッテージなのでカット割りが荒くて何してるかよくわかんない場面が多く「逃げて一息ついたら……あれ仲間が1人やられてる、死んでんじゃん」と、結果でやっとわかる事が多い。しかもカメラは武器人間に何度も目と鼻の先くらいの超至近距離にまで近づいても殺されないので「武器人間、全然襲ってこないな」という感じで緊張感が全く無い。ただ武器人間が可愛いので水着の女性や猫や犬の動画を楽しむように武器人間との追っかけっこを楽しむだけだ。
やはり普通の劇映画にして、しっかり武器人間とのチェイスや死闘を見せた方がよかった気がする。そんでモキュメンタリーの癖に落下の衝撃やフィルム交換といった言い訳で録画を停止して時間が飛ぶことがやたら多い。「モキュメンタリーにしたんならもっと長回しせんかい」という気持ちもある。
だから要は、乱暴な言い方すれば「映画自体があんまり上手くない」というのはある。ただし武器人間の造形などは最高に良い。ここが良いから「武器人間を観てくれ!それ以外は自信ないけど」っていう感じもわかる。観る前からそういう雰囲気が出てるので本作にわざわざ下手とかショボいとか言ったら、言った側が野暮という気もする。
後半はフランケンシュタイン博士を撮影して、武器人間がどうやって作られてるかとか博士との会話で博士のイカれ具合や「自分が武器人間に改造される」恐怖を楽しむマッド・サイエンティストものになる。こうなると追いかけっこの前半とは違うが、これはこれで味があって良い。
フランケンシュタイン博士の思想、それは実はナチ万歳!ではなく、彼はナチもソ連も全部嫌っており主人公の記録係の誘いに乗る気は最初からなかった。博士は人間を全て武器人間にすればOKというイカれた男だったのだ。
博士は罪もない人たちを殺して改造してるので悪人ではあるのは確かだが「どの権力にも肩入れせず、等しく滅ぼそうとしている」という態度だけを見たら、公平だし清々しささえ感じる。
そんでフランケンシュタイン博士の吹き替えは、『ドラえもん』の旧スネ夫役だった肝付兼太。だからスネ夫役と違って声がめちゃくちゃカッコいい。甲高いのにしゃがれてるカッコよさ……クリント・イーストウッドやルパン三世などでお馴染みだった山田康雄っぽい声でめちゃくちゃカッコいい声。
ちなみに本作の予告編で旧ドラえもん役だった大山のぶ代が予告編のナレーションしたのがウケたので他のキャラも『ドラえもん』の新旧どちらのバージョンの声優も吹き替えしている。肝付兼太が洋画吹き替えよくしてたのは僕が生まれる前の古い洋画ばっかりだからあまり観てなかったけど「旧スネ夫の人の声かっけぇなぁ」という発見があった。この肝付兼太の吹き替えが、イカれてるけど「あ、そうなの?」と柔らかい喋り方だけど「改造すると決めた相手は優しく語りかけながら絶対に殺す」という博士のキャラとマッチして博士のキャラの魅力を倍増させていた。
そういう感じで全体的に「映画としてはやっぱり凄く下手くそだしショボかった。しかし武器人間とフランケンシュタイン博士の魅力は本物だ」という結論。特に武器人間ね。ショボいとは言ったが見かけばかり綺麗だがつまんない大作よりずっと面白かったし。
だから本作の後に、大手配給会社が出資して潤沢な制作費で本作の続編、またはハリウッド・リメイクとかされたら良かったのにとも思った。
監督には悪いが監督は製作総指揮に回って上手い人を監督に雇うとかさ……色んな武器人間のアクションや映像が観たいよ。
なんか映画は単純なのに「こっちは良くないが、こっちは良い」みたいなモヤモヤした全くバズりそうもない感想になった。
だけど最初に言ったように、それが感想ですからね。
そんな感じでした
Frankenstein's Army (2013) - IMDb
Frankenstein's Army | Rotten Tomatoes
Frankenstein’s Army (2013) Letterboxd
武器人間 | Filmarks映画

『コズモポリス』(2012)/当時はピンと来なかったが再見したらインタレスティングでそこそこ楽しめた

原題:Cosmopolis 監督&脚本:デヴィッド・クローネンバーグ 原作:ドン・デリーロ『コズモポリス』(2003) 制作:パウロ・ブランコほか 撮影:ピーター・サシツキー 編集:ロナルド・サンダース 音楽:ハワード・ショア/Metric 制作会社:アルファマ・フィルムズほか 製作国:カナダ・フランス・ポルトガル・イタリア 110分 公開日:(日本は2013年4月13日)
いま「PTAの次回作はドン・デリーロの『アンダーワールド』の映画化?」っていう噂が今あるのでドン・デリーロ原作映画をさらいたくなり、その一環で観た感じ。
10数年前の当時は「デヴィッド・クローネンバーグ映画だから」という理由で観たが、非常に特異な、感情移入を一切させないタイプの映画なので「映像や映画の佇まいはカッコいいけどあまりにもピンと来ないな。”このリムジンがアメリカ、または資本主義のメタファーだ”とか、どうやらそういう方向性の話っぽいけど、それは頭で考えて想像しただけで実際はあまりに自分とかけ離れた世界過ぎて全くピンと来ない」と思いつつかといって文句を言ったら馬鹿に見えるタイプの映画なのでスッ……と本作を「視聴済」の棚に入れて終わった。10数年経った今はどうか?
「昔はわかんなかったけど今は感動した!」「相変わらずピンと来なかった」どちらもありうる。
ネタバレあり。
Story
ニューヨークの投資家、エリック・パッカー(演:ロバート・パティンソン)。
彼は28歳という若さで巨万の富を手に入れ大富豪の娘とも結婚していた。
彼はいつも白いリムジンの中で金の動きを見ながら、愛人たちとの快楽にふける日々を過ごしていた。ある日、エリックは、NYで暴動が起きている日に散髪をしに床屋に向かうが――
大富豪エリックが朝、リムジンに乗り床屋に向かう一日の話。
暴動が起きてるのでリムジンは凄くゆっくりでしか進めない。リムジンには次々と同僚、友人、愛人などが乗ってきて哲学的な会話をしたりSEXしたりする。
エリックと近親者の会話は噛み合っていない……というのも相手は凄く一般論を語っているし、対するエリックは更に輪をかけて神のような視点から俯瞰した事しか言わないので尚更かみあってなさが際立つ。まるで一昔前のAI同士の会話のようで気が遠くなってくる。
エリックは本編の殆どを特製リムジンの中で過ごしトレーダー業務、会議、食事、SEX、健康診断、果ては排泄に至るまで全て車内で行う。
リムジンの外には警備主任が居てリムジンを警護している。
車外の暴動はどんどん激しくなっていき、焼身自殺する者まで現れるが車内のエリックや近親者はまるで窓の外を他人事のように見ている(つまりリムジンの窓から見える景色は車内の上級からすればTVでニュースを見ているような距離感なのだろう)。
エリックは、実家が大富豪の美しい妻(演:サラ・ガドン)に執着しており朝から何度も街中で出会いホテルへ何度も誘うが妻は付いてこない、それどころかリムジンにも全く乗ってこない。妻に相手にされない彼は二回愛人とSEXするが、その度に全部妻にバレる。そしてエリックが破滅したら妻は粛々と離婚する。夫婦間には愛情がなく妻はエリックをしょうもない奴だと思っている。妻は、数字やアルゴリズムを追うだけのエリックよりも人間的なステージが上で、彼女は夫と居るより本屋で読書して思索する方が楽しいと思っている。エリックが破滅すると妻は、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに離婚する(だが「貴方が大丈夫なように出来るだけの援助はするわね」という同情心は持っている)。
朝、車で出発して車内でチャートを見たりSEXしたりしていたエリックは同じ姿勢のまま気がついたら自身の殆どを失っていた。そして婉曲的な自死に向かう。
この映画、このリムジンは恐らく前述した通り、やはり「リムジン=アメリカ合衆国のメタファー」「リムジン=現代資本主義の行く末」みたいな事が言いたい気もするが”考察好きの若者”がよく言う「正しい観方」「正解」とは違うかもだが自分は日本の小市民なので、単純に「リムジン=エリックそのもの、彼の人生」と、ミニマムな観方をした。
前半、健康診断の結果「前立腺が左右非対称」と医者に言われる。常に無感情のエリックだが、この「左右非対称の前立腺」についてだけ妙に最後まで固執している。
「だから自分は特別だ」と良い意味に捉えたのか、はたまた「インヒアレント・ヴァイス(内在する欠陥)」って感じで「完璧な自分にも僅かな欠点が」と、ネガティブな意味に捉えたのかはよくわからなかった。
だが、命を狙ってくる男(演:ポール・ジアマッティ)の発言を聞く限り、エリックは完璧な自分(=会社)にあるインヒアレント・ヴァイスのようなものは常に排除して生きてきたようなので恐らくネガティブな意味に思っていたのではないか?でも、その割には前立腺の話をする時に嬉しそうな顔してたから、欠点があるのも良いかもと思い始めていたのかもしれない。
そもそも警護主任が何度止めても執拗に、散髪するために自分が幼い頃に行っていたダウンタウンの床屋に行こうとしてた、そして髪型も散髪の途中で切り上げて左右非対称の髪にしてたので、映画後半では綻びを愛しているように見えた。
後半の婉曲的な自殺も、ただ多くを失ったから自暴自棄になったり懺悔がしたかったようにも見えず、テーザーガンで自分を撃たせようとしたり自分の手を撃ち抜いたりしてたので自傷で生の実感を得ようとしてたように見える。
「数字の上下だけを神の視点から見てきた社長が、自分の欠陥や下々のものを色々と見て今までの自分を顧みようとした」……というよくありそうな話を、凄く変な感触で撮った映画……そんな印象。
そして「最後、エリックはどうなったのか」というところだが、映画のラストと共にエリック危機一髪の終わり方だったので死んだように見えるし、しかし一方で相手のポール・ジアマッティが土壇場で殺したりしなさそうな男なので殺さなかった気がする。だが本作は「ラストの直後に生きてた」「いや死んだ」などと考えても仕方がない話なので、割とどうでもいいっちゃどうでもいい。まぁ生きてたとしても殺人を犯したし破滅は破滅だろうけども。
……という、そんな本作に対し、今の自分が何を思ったのか。
一言で言い表すのは難しい。
というかこれ観て自分が何を思ったのかも自分でよくわからないというのが正直なところ。機械で出来た内臓のようなリムジン車内や、いつも妙にエロいSEXシーンや、車内排尿や手を撃ち抜くシーンや過去の闘いで目を怪我してる運転手など「凄くクローネンバーグっぽいなぁ」と、クロネンらしさを感じた時、原作が原作だけに美しい映像で動くポストモダン文学を読んでる読書感……そういった感触が楽しかった。
政治的テロ芸術家”焼き菓子アサシン”ことアンドレ・ペトレスク(演:マチュー・アマルリック)(演:マチュー・アマルリック)や床屋のじいさんも良いキャラだった。
そういえば常に無感情で離婚されても銃を突きつけられても表情を変えないエリックだったが、焼き菓子アサシンにパイ投げられた時だけブチギレて焼き菓子アサシンに飛びかかってキックしてたのが今思い出すと、平時がクール然としすぎてるのでそれとのギャップでどんどん可笑しくなってきた(いや他にも、友人のラッパーが死んだ時や床屋では感情を出してたので、エリックは個人的なことでは感情が出るんだろう)。
床屋のじいさん(演:ジョージ・トゥリアトス)は、エリックが幼い頃に通っていたダウンタウンの床屋。エリックが唯一童心に戻って笑みを見せる相手。彼と会ってる時はエリックが唯一、人間的になっていたと言える。そしてじいさんが刈った左右非対称の刈り上げが、エリックを更に人間に近づけた(近づけば近づくほどエリックは死に近づくのだが)。
そういえば愛人役でフランス映画界の大御所女優のジュリエット・ビノシュも出てたね。調べたらこの時42歳……だから「20代の大富豪が40代のセクシー熟女とセフレ」って感じか。もうちょっと良い役でもよかった気もするが……というかフランスの有名女優がハリウッド映画に出る時ってこういうエロい役ばかりな気がする。
といっても「凄く面白い!」「感動した!」とか、そんなほどでは全然ない「インタレスティングを感じて仄かに楽しんだ」それくらいの温度感か?少なくとも「なんだこれ」としか思わなかった10数年前よりはずっと面白かった。
自己分析すると、昔は「自分とかけ離れすぎた主人公に感情移入できず乗れなかった」という感じだが今は「自分とかけ離れすぎた主人公だが感情移入できるところや気になるところは幾つかある」といった感じで昔より視野が広がった……だが更に面白がるにはもっと教養や素養が必要かも?という結果となった。
そんな感じでした
〈デヴィッド・クローネンバーグ監督映画〉
『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(2014)/クズ共が全員わかりやすく再起不能な形で破滅していくのが最高 - gock221B
〈ドン・デリーロ原作映画〉
『ホワイト・ノイズ』(2022)/コロナ禍の揶揄&陰謀論コメディかと思ったら死生観の映画?思いのほか面白かった - gock221B
Cosmopolis (2012) - IMDb
Cosmopolis | Rotten Tomatoes
Cosmopolis (2012) Letterboxd
コズモポリス | Filmarks映画

