gock221B

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『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023)/非常に良いキャラクターかつストーリーでそれらには文句ないが如何にも東映アニメっぽい描写だけ恥ずかしかった……とか言いつつスタッフロールで水木しげる102年の歴史が脳内にあふれて号泣👶


監督:古賀豪 脚本:吉野弘幸 原作:水木しげる 音楽:川井憲次 制作会社:東映アニメーション 製作国:日本 上映時間:104分 公開日:2023年11月17日

 

水木しげる生誕100年記念作品。
水木しげる大好きだし、何か公開されて凄い評判だったので面白いんだろうなとは思いつつ、同時に作られたネトフリの『悪魔くん』(2023)とか酷くて途中で観るのやめたし予告編観てもあまり食指が動かないままだった、そんな中、「夢女子が選ぶ2023年の100人ランキング」で15位:ゲゲ郎、9位:水木になるなど女性を中心に爆発(2023)的な人気が出たが観に行くタイミングを逸してしまっていたので結局観に行かず、昨日アマプラで配信始まったので観た。
「観に行こうかどうしようか」という時に人気出はじめた時ならまだ間に合うのだが、SNSで熱狂的な人気が出すぎてしまったら「他人のもの」という認識になって引いてしまい見に行きにくくなる……

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)『シン・ゴジラ』(2016)などがそういう現象に巻き込まれた記憶あり。でも似たような感じだった『THE FIRST SLAM DUNK』(2022)も実際に観に行ったら割と素直に波に乗れたので、ムーブメントに引いてしまっても観に行けば「他人のもの」感じゃなくなるかもね。
……いや、劇場じゃなくてやはり「知らない大人が大はしゃぎしてるか異か」が大きかった気がする。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)『シン・ゴジラ』(2016)はX……当時はTwitter上で、大人がはしゃぎまくる様子が醜悪すぎたので仲間入りしたくない感じが強かったのかも。でも、はしゃいだ方が口コミになって客もより入るだろうから手をこまねく僕よりは経済的には良い存在なんでしょうね。悩みどころです。

ネタバレあり。
もう本作の結末ありきの感想……というか殆ど結末の話だけしてるのでいつもよりネタバレしかない感じ。

 


 

 

現代、いわくつきの廃村哭倉村(なぐらむら)跡地に取材に来た記者の男は、鬼太郎(声:沢城みゆき)、目玉おやじ(声:野沢雅子)、ねこ娘(声:庄司宇芽香)らと遭遇する。

1956年、日本の政財界を牛耳っていた龍賀一族当主、龍賀時貞(声:白鳥哲)が死去。
東京で血液銀行に勤める水木(声:木内秀信)は、龍賀一族の製薬会社が製造していると思われる、人を不眠不休で戦わせる効能があるとされる血液製剤「M」の調査という真の目的を隠しつつ時貞翁の葬儀に潜り込んだ。
そこで不可解な連続殺人事件が起こり、行方不明の妻を探してここに来た不審な男(声:関俊彦)が容疑者として囚えられた。その見張りを頼まれた水木は彼にゲゲ郎と名付け、不思議な力を持った行動を共にする。

人里離れた因習村の富豪の屋敷にて横溝正史の殺人ミステリーめいた連続殺人事件が起こり、事件に巻き込まれた水木とゲゲ郎は血液製剤「M」や「ゲゲ郎の行方不明の妻」を探すうちに龍賀一族の忌まわしい秘密に迫っていく……そういう話。

ゲゲゲの鬼太郎』のように妖怪も出てくるが、今回の真の敵は邪悪な人間たちであり、妖怪やゲゲ郎夫妻などの幽霊族はそれに巻き込まれたかたちで登場する。だが水木漫画自体そういうものが多いのでいつも通りといってしまえばそうだ。
本作はあらゆる部分で水木しげる要素を重視していた。
〈ゲゲ郎〉は言うまでもなく、鬼太郎の父である目玉親父の生前の姿。本作の監督のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期 (2018-2020)に出てきた「大人になった鬼太郎」みたいなルックスの「鬼太郎の父」が出てきたらしい。全然観てなかったので知らなかったが。そのキャラクターを元にしたのが本作のゲゲ郎。怪力や体内電気(地味に好きな能力)や霊毛紐やリモコン下駄で戦う。
ゲゲ郎夫妻の名前や、水木の下の名前が出てこないのは、恐らく原作にない名称を付けるのを避けたのだろう。
本作の主人公、水木は原作『鬼太郎の誕生』(1968)や『鬼太郎』シリーズ初期に、鬼太郎の育ての親のイケメンサラリーマンとして出ていた鬼太郎と人間社会を繋ぐキャラっぽかった登場人物だったが、やがて物語が妖怪中心になると鬼太郎たちは山とかに住むようになり消えてしまった。今回はそんな水木の性格や過去などを設定してキャラクター像を分厚くする作品となっている。本来の水木は、妖怪にビビってるだけのイケメンという薄いキャラだったのでキャラ付けされたのは素直に良いことだと思った。
今回は水木の過去に「戦争ラバウルに行って生き延びた」という水木しげる本人の過去がプラスされた。水木に陰があるのは部下に特攻を命じて自分だけ逃げ延びようとする上官や、帰国したら実家を悪いやつに騙し取られていた経験からそうなったと思われる。戦争に行った後はもちろん行く前から戦争や威張り散らす上官などが大嫌いだった水木しげるっぽさを感じさせる(だが宮崎駿などもそうだが戦艦などの兵器は大好きだった模様)。また水木が「幼い頃、近所の婆さんから妖怪の話は聞いていた」というところから、水木しげるの子供の頃に近所のお婆さん〈のんのんばあ〉と妖怪の話や人生について語っていたという小説『のんのんばあとオレ』(1977)や、それの各メディアミックス作品を匂わせた。ぼくは、のんのんばあ自身も好きだし……作品は特に漫画版『のんのんばあとオレ』(1992)が読んで号泣して大好きなので「この映画にのんのんばあ要素も足されるとは思ってなかったな」と非常に嬉しかった。
ゲゲ郎や鬼太郎の母の生前のキャラも、別にこれが今後も正史になって引き継がれても良いと思う(だが、そうなると今度は目玉おやじの声も関俊彦にして欲しくなったが)。
別に文句ないけど鬼太郎の母がねこ娘に似てたのは何なんでしょうね。「鬼太郎一族は、ああいう感じのショートカットでツリ目の活発な女性が好き」って事なのかな。
よく考えたら頭とケツに、鬼太郎+おやじだけじゃなくて、ねこ娘まで居るのって明らかにねこ娘好きなんだろうね。だって本作の頭とケツ、別にねこ娘居なくていいもん。
仲間だから居てもおかしくはないが、それなら猫以上に重要なねずみ男が居ないの変だし砂かけ婆、子泣き爺、ぬり壁、一反もめん等のいつメンが一緒に居てもいいよね?
それなのに頭とケツに、いつメン居なくて猫だけ居る、そして元気だった時の鬼太郎母がねこ娘に似てる……というのは「このねこ娘的な感じの女性は僕の中では鬼太郎世界のヒロインだぞ」と言いたいのかもね。まぁ別にこれも特に文句ないんでどっちでも構いません。ねこ娘のことを別に嫌いじゃないが逆にそこまで重要だとも思ってないので「何で仲間の中で一人だけ出てるの?」というのが妙に不思議だっただけ。

 

本作の気に入らなかったところ
本作の、ゲゲ郎(生前の目玉のおやじ)&水木というキャラの再設定。本作のおぞましいストーリー、ゲゲ郎vs.陰陽師軍団とのアクション……など全体的に良いところが多くて基本的に面白かったんですが唯一苦手だったのが東映アニメっぽい雰囲気の描写でした。
特に凄く強いゲゲ郎だが物語の都合に合わせて何度も敗北する、巨大狂骨と戦う時に、幽霊族のパワーを元気玉っぽく集めたり倒したりとか、可哀想なお嬢さんがキレてフルパワーを発するイヤボーン(処女っぽいキャラが性的に追い詰められてキレて超能力を発言する古典的なシーンのこと)とか可哀想な子供が光の中に昇天したり……そういう東映アニメでよくありそうな描写ですね。何度も言うようにストーリーやキャラ、序盤の横溝正史っぽさとかゲゲ郎vs.陰陽師軍団など全編の殆どの部分は良いシーンなんだけど、要所要所で東映アニメっぽい描写が出てくる度に萎えるんですよね。幼稚というか稚拙というか……恥ずかしいんですよね一言で言うと。
ラスボス時貞は、非常におぞましい事をしてる完全に悪い奴なんですが、制作者が「この悪いやつ時貞を嫌ってくれ!」という勢いが強すぎて時貞に悪い奴演技をさせすぎなんですよね。自分の悪行を一通り語った後でデスゲームのサイコパスイケメン司会者みたいに顔を歪めてみせたり、「べぇっ!」と舌を出してみたり、そうなるとちょっと過剰なんですよね。そんな過剰な演技させなくても時貞が悪いのは充分伝わるから、むしろ紳士然とした品の良い感じで充分だと思うんですよ。ひょっとしてキッズにもわかるようにしたのか?いやでもPG12だし……今までのクセでわかりやすくしなきゃと思ったのかもしれない。時定って子供の体を乗っ取ってるんだけど中身の時定の顔に見せてるんですね、それで子どもの半ズボンで片膝着いて酒を飲んだりしてルックス、台詞、仕草など全ての要素で「こいつを憎んでくれぇ!」……とやりすぎてるんですよね。そうなるとこっちは「この時貞っていうアニメのキャラは、悪いアニメキャラの演技をさせられてるんだな」って感じで一つ上のレイヤーに追いやられて一歩引いた状態にさせられて作品に乗れなくなっちゃうんですよね。
だけど、そんな時定は水木によって戦地で部下に特攻させて逃げた上官、実家を奪い取った悪いオッサン、龍賀一族の私利私欲の者たち……など全ての悪を時貞に集約させ「つまらねぇ」と断罪して成敗される。
龍賀一族に協力した村人ら含めて哭倉村は忌まわしい記憶と共に全滅。ゲゲ郎は一人で狂骨(憐れな生贄の怒り)を引き受けて肉体が半壊し、鬼太郎の母を連れて逃げた水木は記憶を失い、恐怖からか白髪になる……。

 

 

スタッフロール「鬼太郎の誕生」
そんなクライマックスも普通に良いです。でも前述の何度かあった東映っぽい稚拙な描写が効いてて「東映アニメの鬼太郎作品にしては凄く良かったけど、でもこんなもんか?」と思い、これはブログに書かずにFilmarks送りだなと思ったたスタッフロールに入る。
原作っぽい絵柄になり、瘴気に誘われた水木がボロ家に誘われる。
だから「あぁ『鬼太郎の誕生』(1968)に繋がる粋なスタッフロールか」と気がつく。だからゾンビみたいな鬼太郎の母と大柄ミイラ男になったゲゲ郎が居るのは先に気がついて、それを待ち受ける。
だけど襖から鬼太郎の母、次いでミイラ男になったゲゲ郎が顔を見せたら物凄いエモくなって急に泣きました。
前述のように、事前に鬼太郎の両親が出てきて墓場から産まれた鬼太郎を水木が抱くところまで全て予想がついてそのシーンを待ってるのに感動しました。それが自分でもよくわからない種類の感動なので不思議に思いました。
『鬼太郎の誕生』(1968)に繋げるのは事前にわかったわけですが、ただ旧作のリメイクや時間を置いた続編などでありがちな「『鬼太郎の誕生』(1968)オマージュシーンを入れて旦那をクスッとさせときましたよ!」といったよくあるオタ向けオマージュではなく「原作の『鬼太郎の誕生』(1968)や『ゲゲゲの鬼太郎』の前日譚として今後もガチで成立しうる前日譚として本作を作ったんだ」という本気度が伝わったからなんだと思います。これからは原作の『鬼太郎の誕生』(1968)読んだら本作のゲゲ郎や水木の冒険を想起せざるを得ないわけですし、水木が鬼太郎を手放しちゃうのも「村での死闘を忘れてしまった」という丁寧な結末があるため「忘れたんだから手放しちゃっても無理ないな、それに家出する鬼太郎は充分に大きくなったし目玉おやじも居るから大丈夫だしね」とフォローが行き届いている。
そして、本編でのゲゲ郎や鬼太郎の母の受難や村の憐れな者たち……といった新しく語られたストーリーだけでなく「作者水木しげる本人の要素を大量に内包させた水木」という過去を付け加えられた水木という存在が鬼太郎の両親のボロ家に行き着き、鬼太郎の母が弱った笑顔を見せた瞬間に僕の脳内にあらゆる水木しげる要素が入ってきた。

「境港で楽しい両親や兄弟、近所の妖怪好きババアのんのんばあと育った水木しげる少年」「好きな女子が病死したり芸者に売られていった『のんのんばあとオレ』エピソード」「絵や芸術が好きなのに戦争に行かされ仲間が全員死ぬが本人は片腕を失うも生き残り、南国の人たちに愛されつつ帰国した水木しげる」などの水木しげるの過去が勝手に本作の水木に乗り移ったように感じて水木というキャラクターが分厚くなり、なんなら帰国した後の水木しげるが自転車を爆走させながら「ばかものたち!」と愚かな日本人への怒りを爆発させて人類を一段上の極楽浄土へと誘う『悪魔くん』を思いつく様子。水木しげるが貸本漫画を漫画を見合い結婚で一緒になった妻と共に執筆する様子が朝ドラ『ゲゲゲの女房』(2010)で描かれた様(ちなみに人気なかったけど鈴木卓爾監督・宮藤官九郎主演の映画版『ゲゲゲの女房』(2010)も好きだったこと)、そんな水木しげるへの憧れから、そのシーンをお絵描き掲示板に描いてみた俺

水木しげるが創作していた媒体が紙芝居→貸本→漫画連載へと表現形態が次々と切り替わり水木しげるはその全てに対応したこと。このスタッフロール自体が紙芝居のように描かれていること。『鬼太郎』を書いてアニメシリーズだけでも六回も色んな作品が作られたこと(そして本作はその最新作であること)。よく聴いたら背後で『ゲゲゲの鬼太郎』EDテーマ「カランコロンの唄」インストバージョンがながれていること。
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そして何よりも本作の本編で共に活躍して身体が醜く半壊した好青年だったゲゲ郎、都会的な正確で明朗快活に働いていたが今は死にかけの鬼太郎の母が、村での死闘を、記憶を失った水木に話さず鬼太郎のことだけ告げて黙って絶命したこと。そして本作が『鬼太郎の誕生』(1968)に繋がって終わること。そして「水木しげるとオレ」という自分しか知らないごく個人的な思い出など、もはや本作や水木しげるとか1ミリも全く関係ない自分自身のちっぽけな人生や個人的な想い……など全て。もはや本作は只のそこそこ良いアニメ映画ってだけでなく過去すべての時代の水木しげる先生とか自分自身の幻との同窓会場と化した。
……そんなありとあらゆる水木しげる102年の歴史が勝手にこのスタッフロールを観る僕の脳内に102年分の情報やらラバウルで死んだ水木しげるの戦友の魂とかまで一緒にブチ込まれて、それで泣けたのかもしれない。泣きながら「えっ確かに良いラストだけど、何で僕泣いてるの?」と不思議だった。僕、映画や漫画などフィクションが好きで面白がったり感動は頻繁にするけど泣いたりするのは滅多にないので驚きました。なにしろ僕は、近親者や十数年飼ったペットが死んでも「長生きして死んだからいいじゃん」という黒澤明『夢』(1990)や富野由悠季∀ガンダム』(1999-2000)的な考えで泣いたりしないもの。
老舗ネットラジオ「もてもてラジ袋」(2002-配信中)のMC、僕と同い歳で同じく水木しげる大好きなぶたおさんが「東映クオリティがノイズだがスタッフロールで号泣した!」と言われてたので「とりあえず『鬼太郎の誕生』(1968)を紙芝居的なアニメにしたものなんだろう」とほぼ完全に予想できたにも関わらず泣いてしまった。ここまで監督が本気だったと思ってなかった意外さと、水木しげる102年の歴史と「水木しげるとオレ、そして過去の恋人や友人」など思いがけない情報量が俺の中に入ってきて脳内で屈折しスパーク……自分でもよくわからない種類の感動が生まれた。
それにしてもミイラになったゲゲ郎とゾンビみたいな鬼太郎の母は、本来なら憐れに思って泣けてくるべきシーンなんだがスタッフロールのアートワークがカッコよすぎたせいで「ゲゲ郎とねこ娘みたいな美男美女夫婦も良かったけど、やっぱバケモノになったこの両親の方がカッコいい!」と不思議な上がり方もした。
そして遂に鬼太郎の誕生。何も覚えてないが「何か」の記憶の残響だけが残った水木は、鬼太郎を殺しきれず抱きしめる。それを見つめる目玉だけとなったゲゲ郎。

その後の、狂骨になった憐れな時弥くんが「僕を忘れないで」というシーンも「日本政府や戦争によってすり潰されて人知れず死んでいった当時の日本人たち」が狂骨・時弥ひとりに注入され再び感涙……しかし光ってお姉ちゃんの元に昇天するという東映っぽいシーンで再び醒めて平然と視聴を終えました。
そして、現代が舞台のTVシリーズの鬼太郎だったら多分、事件が解決したら時弥くんという子供キャラは恐らく元の身体に戻って一人だけ助かるはずなんですよね。フィクションにおける子供っていうのは「未来の希望の擬人化」だから。だけど本作は昔の話なので時弥くんは憧れの東京や輝く未来を見ることもできず死んでしまう。
そして目玉おやじが「すまん、水木が君に語っていた輝く未来は来なかった。日本はダメなままだ」と語る。時弥くんが死にっぱなしなのも目玉おやじの台詞どちらも誠実で良かったです。

そんな感じで、本編を見てる間は、良いところもあるが東映っぽい幼稚なシーンがノイズとなって楽しみきれなかったがスタッフロールやキャラクターたちの壮絶な人生は良いと思っていた、その人生や前述の水木しげる全要素がスタッフロールに集約され感動した感じです。
「本編全てはスタッフロール紙芝居の前フリだった」「だけどその前フリである本編も良かったです」というのが最終的な感想です。
水木しげる詳しくないファンの大半の女性たちや若たちはどうだったんだろ?」と検索したけど普通に感動してた模様。

 

これだけヒットしたからには同じスタッフで続けて欲しいですよね。
現代に行ってもいいけど、折角だから「赤ん坊鬼太郎を育てる水木」「鬼太郎と目玉おやじと別れる水木」これは観たいよね。現代とシンクロさせた2つの時代の物語を同時に語る感じでもいいぞ。
あとネトフリ『悪魔くん』(2023)が個人的にしょうもなかったから本作のスタッフで作って欲しいね。せっかくだから松下とか山田版で……。

東映っぽい稚拙なシーンが薄まった続編が作られることを祈りつつ、この話はこれで終わり。こんな不自由な場所は出よう。

 

 

 

 

そんな感じでした

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The Birth of Kitaro: Mystery of GeGeGe (2023) - IMDb

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↓短編「鬼太郎の誕生」(1968)が収録されているもの

↓その他

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