原題:Er ist wieder da 監督:ダーヴィト・ヴネント
原作:ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』
制作国:ドイツ 上映時間 116分
2012年に発売されてベストセラーになったドイツ小説を映画化したもの。
突然ヒトラーが現代に蘇り、人気者となるドイツの大ヒットコメディ映画
Story
2014年のベルリンにタイムスリップして甦ったアドルフ・ヒトラー。
TV局をクビになったザヴァツキくんは、彼をモノマネ芸人と勘違いして彼を主演に面白動画を作成するとたちまちYOUTUBEの人気者に。ザヴァツキくんはヒトラーを連れてTV局に復帰。
ヒトラーはインタラネッツで現代社会を学び、バラエティ番組に出演する。
現代ドイツを斬りまくるヒトラーの演説が評判を呼び、また言ってる内容も妙に真理を突いているため、迷える現代ドイツ人たちの心を掴み、彼はたちまち国民的な人気者となる。
そう、あの時のように‥
という、あからさまに風刺的なストーリー。。
ここまで風刺的だと、内容を説明する過程が殆どそのまま「これは『布団』と『吹っ飛んだ』が、かかってるんです。」とダジャレの説明するようなもので凄い恥ずかしい。
だから書きたい感想とかって一言、二言だけ言えば終わってしまうのだが、普段しょうもなかった映画の感想とかを長々と書いてたりするのに凄く面白かった本作の感想を書かないのはおかしいと思い、一応それなりに引き伸ばした感想を書くことにした。
この映画めちゃくちゃ面白かった。
水木しげるや藤子F不二雄の短編でありそうな話だ。
吹き替えで観たのだが、カミーユ・ビダン等の真面目すぎてイカれたキャラを得意とする飛田展男氏がヒトラーを吹き替えてるのでめちゃくちゃ面白い。
終盤までずっと、甦ったヒトラーがドイツ国民に対して如何にもヒトラーが言いそうなことを遠慮なく言う(本人なので当たり前だが)。
そのトークは物真似芸人として消費されるのだが、ヒトラーの言葉はある側面で真理を突いており、国民が「(誰か他人に)断定的に強く言って欲しい」感じのことを言いまくるのでたちまち人気者となりブレイクする。
まるでトランプ大統領が誕生する過程みたいだ。
彼を危険視するキャラもちょくちょくいるのだがヒトラーが居る場所の奔流に対してはドロップ・イン・オーシャン‥海に水滴を落とすようなもので止めることはできない。最終的には一度動き出すと止めることの出来ない巨大な機械が完成して忌まわしい歴史が繰り返されるであろう不吉な予感を感じさせて終わる。
ヒトラーを売り出すTV局の副社長(セクシー熟女)は彼を上手くコントロールできていると思っている。そして彼が本物のヒトラーだと気付いてはいないがもし仮に彼が本物だったとしても人は歴史から学び、同じことは起きないと甘く見積もっている事が見て取れる。だが世界や日本の様子を見ると「人は歴史から学び同じ過ちは繰り返さない」というのはかなり怪しい、と我々はわかっている。
恐らく「人は歴史から学び同じ過ちは繰り返さない」と過信している者ほど危ういと思う。また人が持つ暴力性などを否定したいがあまり「自分は極限状態になっても絶対に暴力的なことやレイプはしない!」と思いがちだが、そのように強く思うような人ほど、極限状態になったらそうすると思う。だから人は「人間には皆そういう部分があって、極限状態になったらきっと自分もおかしな事をしてしまうのだろう」と思うことこそが、そういう事態を避ける予防になるのだと思う(何故?と訊かれても論理的具体的に答えられないが絶対そうだと思う)
終盤までのヒトラーは、愛嬌ある魅力的なおじさんとして描かれる。
ヒトラー的な態度や意見を演説して、誰に対しても「自分はヒトラーである」と堂々と言い放ち国民にモノマネ芸人扱いされても「バッカモーン!わしはヒトラーだ!」などと怒ったりはせず「まあ普通そう思だろうな」と、怒らず柔軟に応対するのが良い感じ。
はっきり言ってかなり魅力的なオッサンに見える。
ここが本作の最も優れている部分だろう。
原作小説はこの「ヒトラーの良い部分も肯定的に描く」という部分が批判されて原作者が「ヒトラーの優れた部分も同時に描かないとリアルじゃない」と反論したらしい。
実際にヒトラーが台頭してきた時は、多くの人が魅力に感じたからそうなったわけだし、よくフィクションにヒトラーが出てくる時のように、ただ卑劣なだけの人間だったわけではないのでこれが正しい。
ヒトラーの、ユダヤ人虐殺に至るのであろう種子のような持論も展開される。
ヒトラー「優れた純粋な馬と雑種の馬をかけ合わせたら雑種になる。雑種の馬と雑種の馬をかけ合わせたら完璧な雑種になる。もう二度と最初の優れた美しい馬は存在できなくなる」と、そう強い口調で言われたら「まぁ‥そうかも‥ね‥」と納得しそうになる。冷静に考えると「優れた馬と雑種の馬を、誰が区別するんだ?お前が区別するのか?では何故お前が区別できるのだ?」という疑問が浮かぶのだが、多少ヒトラーの言うことに疑問が浮かんでこようが、とにかくヒトラーは口を開く度に説得力のある意見を説得力のある断定的な言い方で述べる。それでいて口を閉じている時はおとなしい紳士然としたおじさんなのだ。これでは殆どの一般市民はヒトラーに説得されてしまう。
そして本作を観て「このヒトラー結構、魅力あるな‥」と思う自分が、作品内でヒトラーをついつい応援してしまう一般市民と重なる。そして、そんな感情こそがヒトラー(またはヒトラーのようなもの)を生かし胎動させ、ホローコーストへ続く道となる。
特別な悪人‥生まれながらの悪人、ピュアイーヴィルでナチュラルボーンキラーの個人ヒトラーが悪を成すのではなく、実は悪は我々一人ひとりの中にある、ヒトラーはそんな我々という本の中の悪のページに挟まれた栞に過ぎない‥この映画はそう言ってる。これが上手い。
この映画公開時に、ニュースバラエティ番組「ワイドナショー」で松本人志が本作を指して「観てないけど、コメディでヒトラーを愛嬌ある人として描くとかあかんのちゃうん?」とか言ってたが、せめて観てから意見言ったのならアホみたいな意見を晒さずに済んだのに‥と思った。
実際、人間って悪の面だけで出来てるわけじゃないですからね。
若い時、めちゃくちゃ親切かつ世話好きで子供や動物が大好きで話しても凄く楽しいので好感を持ってた先輩‥が、実は後年めちゃくちゃ酷い事していながら捕まらずにいる人だったという事実を後から知った事もあるし人間「人当たりがいいし良い人だ」という印象だけでは良い人なのかどうかは判断できない。
そもそも悪い事して欲望を発散して順風満帆に暮らしてる人っていうのはストレスが全くないから逆に他人に優しく出来たりする人が多いしね。。
だから優しいおじさんが本当に優しいのかどうかはわからない。
大物の人となりは、周辺の立体的な情報を集めるか、気が向いたらいつでも殺せるような大物のアギトに自らの頭を置いてみるかのどちらかしか判断できない。
まあ本作のヒトラーの場合、前半の愉快な旅してる時に「噛んできた子犬を咄嗟に銃殺する」というシーンを入れとく事によって「やっぱこのヒトラー決定的にヤバいな」とわかる。あれ見て仲良くしようとは思わないもの。ザヴァツキ君とか副社長は見過ごしたよね。
ザヴァツキ君は結構思い切った勇気ある行動を取るのだが「実はヒトラーを殺すことは誰にも絶対できない」というラストは怖いし上手いな~と思った。
うだつの上がらないディレクターがニコ動でおなじみ「ヒトラー 〜最期の12日間〜」での例の場面を丸々パロディする場面とかも可笑しい。
まあ、とにかく
ヒトラーを(ある程度)魅力的なおじさんとして描いてるところが値千金の良い部分で、この映画はめちゃくちゃ面白い。
「ワイドナショー」で松本人志が本作について「『帰ってきたヒトラー』とかいうコメディ映画がヒットしてるらしいけど、そんな映画公開するのは良くないね。観てないけど」と言ってて、きっと「ヒトラーに親しみを持たせる映画」とでも思ったんだろうね。実際に観ないでものを言うとアホ丸出しになってしまうもんだなと思った。
そんな感じでした
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