gock221B

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『ハウルの動く城』(2004)/三者三様の駿ババア。ソフィーはやることない若い時は元気なくて恋をした老婆の時は元気なのが面白かった。荒地の魔女は悪のパワーを持ち続けて欲しかった。一切信用できないサリマン👵🏰

監督&脚本:宮﨑 駿 原作:ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説『魔法使いハウルと火の悪魔』(1986)  主人公の声優&主題歌:倍賞千恵子「世界の約束」(2004) 音楽:久石譲 制作会社:スタジオジブリ 配給:東宝 上映時間:119分 公開日:2004.11.20 英題:Howl's Moving Castle

 

 

7月に『君たちはどう生きるか』(2023)を観て、ほどほどに楽しみましたが宮崎駿の映画ここ10年以上観てないな、特に『千と千尋の神隠し』(2001)と『ハウルの動く城』(2004)の頃は宮崎駿を嫌ってた時期だったのでまともに観てなかった(他人が観てたかTVで流れてるのを視界の端で観てた程度)のでちゃんと観ることにした。
詳しくないが最初は細田守が監督だったが諸事情で駿に交代したらしい。どういう部分まで細田アニメだったのかは知らないが駿に交代したからには駿の生態を考えれば駿が公開までに作り替えまくってる事は想像に難くないので普通に駿100%映画だと考えていいだろう。

ネタバレあり

 

 

 

 

科学と魔法が同時に発展している19世紀末のヨーロッパ(を思わせる世界)。
帽子屋の地味な少女ソフィー(CV:倍賞千恵子)は、街で兵士にナンパされてたところを美男子の魔法使い・ハウル(CV:木村拓哉)に助けられ共に空を駆け、彼に心を奪われる
高い魔力を持ったハウルの心臓を狙ってハウルを追いかけていた荒地の魔女(CV:美輪明宏)は、ソフィーに老婆になる呪いをかける。
店に居られなくなって町を出たソフィーは、意志を持って動くカカシのカブ(CV:大泉洋)を助ける。するとカブは〈ハウルの動く城〉を連れてきてくれたのでソフィーは「掃除婦のソフィーばあさん」として動く城の一員となる。
城にはハウル以外にもハウルの弟子の少年・マルクル(CV:神木隆之介)、ハウルに使役されて動く城の動力となっている炎の悪魔・カルシファー(CV:我修院達也)達が居た。
一方、戦争をする大国の中枢にいる王室付き魔法使い・サリマン(CV:加藤治子)も、元弟子だったハウルを捜索していた――

そんな感じの話。

地味な黒髪少女ソフィーは父が遺した帽子屋で働いている。妹レティーや義母ハニーはソフィーとは似ておらず派手な顔と金髪で愛嬌もあり男にモテまくっている。……というキャラだと『シンデレラ』のように「嫌な母や姉」として描かれそうなもんだが別にそういうわけではなく妹や義母は一応、ソフィーに対して愛情もあるみたいで、それなりに仲がいい模様。だがソフィーは普段から凄く仲がいいというわけでもなく、魔法で老婆に変えられてしまうと「これじゃ店に居れない」と家出してしまう。魔法がある世界なんだから「荒地の魔女に呪いをかけられちゃってさ」と言えば信じられないこともないだろうに速攻で家出を選んでしまうあたり、妹や義母には腹の中全てを打ち明けられないって事が伺える。というか妹レティーはもう二度と出てこないし義母ハニーはソフィーを心配して罪悪感を感じつつも、大魔法使いサリマンのスパイとして義娘ソフィーを国に売ってしまう。つまり一言で言うとソフィーと家族はあまり仲良くない。こういう感じで本作の登場人物は善悪とか好き嫌いとか二極化されたステレオタイプな性格ではなく全員、流動的でグレーな性格をしており、これは個人的に好みの描き方だった。
というか「本当はソフィーの事を心配してはいそう」「サリマンに娘を売って罪悪感を感じている」とか言う以前に妹レティーや義母ハニーの「派手好き」「男に媚を売ってる雰囲気」「奔放さ」などは明らかにワハハハ!と真っ赤な口を開けたとこがアップになったりして「嫌な雰囲気の派手な女」といったムードで描かれている。そもそも宮崎駿作品で「奔放な感じの女性」キャラで好意的に描かれてた駿キャラっていたっけ?強い女性とか明るい女性はいるけど、派手で交友関係が活発そうだけど好意的な活躍するキャラって殆ど居ないよね。大抵あからさまに愚かな女として描かれるよね。
とにかくソフィーは荒地の魔女の呪いでおばあさんになる。
荒地の魔女が何故ソフィーをおばあさんにしたんだっけ?忘れた。ハウルと仲良くしてたから嫉妬か?
とにかく、おばあさんになったソフィーは家出する。途中でおにぎりみたいなノリでチーズやパンのデカい塊を食ってるのが美味そう(いや何も付けてないから薄味か)。というか単純に食う量が多いし荒れ地をもりもりと歩いているし元気だ。

荒地の魔女に老婆にされてしまったソフィー。
しかしその実、この映画の前半の時点で気づくのだが、若い女性だった時のソフィーは若く健康だったものの自己肯定感が低く性格も生活も老婆のように過ごしていた。それに対して老婆にされた後からは外界に出て冒険し始める……という感じで年老いてからむしろ若者のように過ごしている。ようやく自分の人生を生き始めた、昭和の子供を育てきって熟年離婚した中年女性のように。
ここがソフィーの、そして本作の一番おもろい見どころだ。
もう切羽つまった状況に置かれたことによってソフィーがようやく自分の人生を生き始めたようにも見えるし逆に言うと「ソフィーは家族にスポイルされて老婆のように生きるしかなかった女だった、それがハウルによって開放された」とも言える。
というかソフィーは「魔法によって老婆にさせられた」という設定ではあるが、冒頭から結末まで「ソフィーは老婆」という話でも大して問題ない。劇中のソフィーは殆どの時間、老婆の姿だし少女に戻るのはハウルへの想いが盛り上がった瞬間だけなので「普段の見た目はおばあさんだが、ハウル爺さんへの愛が盛り上がった時にソフィー婆さんの内面がルックスに反映されて若いソフィーの姿に見えるのだ」という設定のアニメでも問題ない。老人同士の恋愛の小説やアニメでは食いつき悪いから、加齢の呪いをかけられた若者という設定にしたのかな?程度のことでしかない、この呪いは。
それは勿論、助けてくれた美青年の魔法使いハウルに一目惚れして恋の途中だからなんだけど、荒地の魔女によって老婆にされなければ帽子屋に残ったままハウルのことを夢想しながら独身のまま年老いていた気もする。そう考えると荒れ地の魔女の一押しが大事だった気もする。荒れ地の魔女は仲間になってから何度もソフィーの恋を後押ししてくれるし、こうなるともう荒れ地の魔女は「悪い魔法に傾倒してしまったソフィー」のようにも見えてくる。
本作は「老ソフィーと荒れ地の魔女」「荒れ地の魔女とサリマン」「老ソフィーとサリマン」「ハウルとカカシのカブ」「カカシのカブと使い魔ヒン」「炎の悪魔カルシファーと使い魔ヒン」など、妙にシンクロしてるようなキャラクターが多いし、比較して色々考えさせるためにわざと被った立場のキャラを散りばめてる気がする。

 

 

〈動く城〉に潜り込んだソフィーは炎の悪魔カルシファーと知り合い就寝。
翌朝、ハウルの弟子の少年マルクルは主人ハウルと各地の統治者との繋がりを担当している。その際、子供だと舐められるから「小柄な老人」に変身している。子供時代の神木隆之介の「待たれよ」という台詞が本当に可愛いので「『待たれよ』のくだり」が三回くらい天丼で繰り返されても全く苦ではない、もっと聞きたい可愛さだった。
翌朝の、でかベーコンと目玉焼きを焼こうとしたらハウルが帰ってきて皆で食うシーンは美味しそうな飯が多い「ジブリ飯うま描写」の中でもかなり上位に来る美味そうさ加減だ。

ソフィーが来たばかりなので動く城はまだ掃除が行き届いていない。だからパンくずやら何やらが散乱してるのだが、それらも美味そうなムードに拍車をかけている。
ハウルが卵を割って、卵の殻を炎の悪魔カルシファーに食わせるのも「あっ無駄にならなかった……」と感じて、待っていた長い棒が深い溝にはまったテトリスのような不思議な快感がある。
ソフィーは、荒地の魔女が自分にかけた加齢の呪いを語ろうとしても話せない。「それ」を話そうとしても話せなくなるのも呪いのうちなのだろう。
呪いについて話せないのでソフィーは掃除婦となって動く城を綺麗にしていく。
だが「呪いについて話せない」というのは、ソフィーがおばあさんにさせられた事同様に、ハウルの側で動く城の一員になるために必要な舞台装置に過ぎない雰囲気が満々だ。そもそも動く城に潜り込んだり朝食を食べたりしてる間に「呪い」の事を話す雰囲気ゼロだったもんね。
やはりソフィーは自分の身に起きた一大事よりも「ハウルの懐に飛び込む」ことに夢中だったのだろう。
いつでも「自分にできること(ハウルに関わることなら尚良し)」を全力で遂行したいソフィーは動く城内を掃除しまくる。
宮崎駿の女性キャラと言えば曇りなきまなこの少女と元気のいい老婆……そして、その少女や老婆が家事をしまくる。……男の汚い部屋を見てフンッ!と鼻息を荒くして腕まくりして掃除を始める。そして宮崎駿の荒くれ男キャラが「まいったな……母ちゃんには勝てねぇや」といったムードになり、掃除する女性に「ちょっとそこ邪魔!どいて!」みたいなことを言われると「は、はいっ!」と突然恐縮し、もう一人の荒くれ男が「ほ、惚れた……」みたいな事をキョトン顔で言う。
……これが宮崎駿アニメの中でよく見られる最もキモい瞬間。
本作の場合、荒くれ男がいないのでキモさは殆どありません。老ソフィーがハウルの動く城内の汚さを見て「明日から、やる事いっぱいありそうね」と言い、行儀がなってないマルクルを見て「教えることもいっぱいありそう」と独り言を言うくらい。
ハウルは微笑を浮かべてソフィーを見てるだけだし、マルクルは小さい少年なのでキモさは「なんで駿は女性のこういう家事シーンばかり好んで入れるんだ……」という事のみで、本作にはキモさはあまりありません。


しばらくすると、入浴していたハウルの自慢の金髪の色が落ちてしまい、茶髪になりやがて黒髪になってしまいます。
ハウルは自身の美しさを増す金髪が好きだったみたいなので髪の色が変わって取り乱します。それまで膨大な魔力を持り超然とした態度のイケメンだったし『もののけ姫』(1997)のアシタカみたいに最後まで動揺しないスーパーマンかと思って観てたので、ここでの慌てふためきっぷりは驚かされます。
半泣きで走り回ってソフィーを責め「美しくなければ生きてる意味なんかない……」みたいな事を言って城を侵食する粘液を出して凹んでしまう。それまで完全無欠なイケメンとして描いてきたギャップもあって、これはハッキリと「ダサい男」として描かれている。それまで、宮崎駿作品でこんなイケメンキャラは居なかったので新鮮でした。
ハウルに一目惚れして押しかけ掃除婦してたソフィーもハウルの子供っぽい振る舞いに腹を立てて城を飛び出し子供のように大泣きしてしまいますが、いつもソフィーを助けるカカシのカブが慰めてソフィーは城に戻る。
寝込んでしまったハウルは、色んな国に使役されて戦争に加担していること、魔法学校での契約で縛られており抗うことが出来なことなどをソフィーにこぼす。
一国の軍事力にも匹敵する魔力を持つハウルだが、内面は傷つきやすい普通の青年だという事がわかった。これはこれで最強のイケメンが自分にだけ読みを見せてるのでソフィーも悪い気はしないだろう。
ハウルは、かつての師匠サリマンに呼ばれる。サリマンは魔法学校の校長でもあり、巨大国家の国王の下そして総理大臣の上というめちゃくちゃ偉い人物。
ハウルはサリマンの元から逃げ出しておりあまり行きたくない。そこで代わりにソフィーに行ってもらう。
同時に荒地の魔女も呼ばれていた。荒地の魔女は悪魔と契約して堕落してしまったために追放されていたが、国に必要とされて呼ばれるこの日を待ち望んでいた。
サリマンの元を去ったハウルも一時期、荒地の魔女と仲良くしてたが怖くなって荒地の魔女の元から去った。ハウルがたまに悪魔っぽくなるのはこの時に少し堕落したって事なのかな。
ソフィーと荒地の魔女は長い階段を登らされる。仲の悪いソフィーと荒地の魔女が罵り合いながら階段を登るこのシーンは本作で一番良かった。

荒地の魔女のこれまでの人生も少しだけわかった気がした。
というか滝のような汗をかいて消耗していく荒地の魔女を見てたら何だか彼女に愛着が生まれてきた。
階段を登りきると荒地の魔女の容貌が少し変わっているので弱体化した気がする。
そして荒地の魔女を召し抱えるというのは罠で、荒地の魔女は魔力を全て吸い取られて年相応の無力な老婆へと弱体化される。
ソフィーはサリマンのやり方が気に入らん!と反抗。
サリマンは美人がそのままお歳を召した感じだし声が『魔女の宅急便』(1989)のニシンのパイの老婦人役の加藤治子なので「良い魔法使い」ではあるのだろうが、敵国民を大量虐殺せしめる国家の暴力装置でもあるので一言で単純に「良い魔法使い」とは言えないキャラクター。他の登場人物と同じようにサリマンも黒と白と灰色……といった感じでグラデーションがある登場人物。
若い時のハウルもそうだが彼女の周りには弟子だと思われる金髪ボブの美少年が大量に居る。ファッションや体型が全員同じ金髪白人の美少年しか居ないのでハッキリ言って不気味なものを感じる。
サリマンがソフィーについて行かせたスパイの犬ヒン(CV:原田大二郎)まで金髪の前髪がある。明らかにはされないが僕は「このヒンも、犬に変えられたサリマンの弟子なんだろうな」と思った。
立腹して、ヨボヨボで何も出来なくなってしまった荒地の魔女改め「おばあちゃん」と使い魔ヒンを動く城に連れて帰ったソフィー。
荒地の魔女は悪魔と契約して手に入れた黒魔術を失ったせいか限りなく野望が減った普通のおばあちゃんになり、ソフィーの恋の相談やアドバイスなどしてくれるようになる。個人的には悪い荒地の魔女の時の方が(正確には汗をかいて階段を登ってる時)の方が魅力があった。サリマンの使い魔であるヒンも、割と最初の段階でソフィーの味方になってしまった。
色んな敵だった存在を味方にしてしまい、強者故の孤独を抱えて肩肘張っていたハウル を癒やして自然体の青年に変えてしまう事で、ソフィーの魅力が伝わってくる。
終盤は、戦争でPTSDになりかけたハウルを救うソフィー。荒地の魔女だったおばあちゃんがハウルの心臓を見つけて再び野望に取り憑かれて動く城が崩壊する……など宮崎駿作品の終盤っぽいクライマックスが描かれるが何だか正直ボンヤリしていてパッとしなかった。
本作は、戦争に行ったハウルを待ってるソフィーの視点で描かれてるので、戦争に参加したハウルがどれだけ敵国の人を殺したかとか具体的な事は描かれず毎回「戦地の空で何だか戦闘機とやり合ってる感じのハウル」といった感じで、わざとボンヤリとしか描いてないせいか今一つ戦地でハウルがどれだけ大変なのかが伝わってこない。
戦争から帰ってきたらグッタリしてるので大変なことは大変なのだろうが……。
しかし前述の通り、本作は「動く城でハウルを待ちながら色々大変なソフィーばあさん」というのが見どころなので、ハウルのことはわざとボンヤリ描いてるんだろうね。
しかし、ソフィーが一瞬、若いハウルが心臓を取り出した昔にタイムスリップする。そして「未来で待ってて」と言う。だから「初対面の時からハウルが超然とした態度ですぐソフィーを受け入れてたのはこのせいか?」と思わされたのだが、これ無い方がよくない?
ソフィーは、マルクルやカカシのカブや炎の悪魔カルシファー、敵である荒地の魔女だったおばあちゃんや使い魔ヒンなども魅了したのだから同じようにハウルに対しても「美少年と美少女が遥か昔出会っていた」って事にせず、あの「ベーコンと目玉焼きの朝に初めて会った」って事にした方が、ソフィーとハウルどちらの魅力も増す気がするがどうか?
そしてカカシも実は他国の王子で、ソフィーのキスで呪いが解けた。助けてくれたソフィーに惚れてたらしいが、荒れ地の魔女だったおばあちゃんに「(ソフィーとハウルのラブラブぶりを)見てみな、あんたは諦めな」と言われたら「そうですね!はいっ国に帰って戦争を停めてきます」みたいな事を言り走って自分の国に帰っていく。……何なんこいつ!?笑 自分の意志とかちゃんとあるんか?と思って笑ってしまった。
そして呪いが解けたカブに対しても「こいつは反戦を訴えたからサリマンにカカシに変えられたんだろうな……いやサリマンが好きな金髪のボブだから、サリマンの自由にならん態度を取ったから個人的な理由でカカシに変えられたのかも」と思い(ハウル荒地の魔女のせいではない。また「魔法が存在する世界だから未出の魔法使いに変えられた」可能性もゼロではないが、そんなの物語的に変なのでサリマンっだと決めつけてもおかしくない)、特に言及されてはいないもののサリマンへの懸念がまた増えた。
このラストでも、しっかりソフィーの味方となった荒れ地の魔女だったおばあちゃんは、ソフィーとハウルのラブシーンが始まったから虚空を見つめて微笑を浮かべた顔でマルクルの口を押さえて「黙ってな-」みたいな気の利く婆さんみたいな態度を取るのだが、ほんの数分前までハウルの心臓を手に入れようとして大カタストロフを起こしたばかりの癖に気の利く年長者みたいな態度を取ってるのが気持ち悪い。
また「かなり作中で一番ヤバいババアではないか?」という疑念が高まったサリマンが「さて、この馬鹿げた戦争を止めますかね……」と、ヤレヤレ系ばあさんみたいな態度を取ってるのが非常に腹立たしい(勿論サリマンはサリマンで「こうして世界のバランスを取って世界的な大戦を停めているのよ」とか「国と国に挟まれて大変なの」などと言った納得に足る言い分があるのだろうが、劇中で描いてないし続編とかもないのでそんなの観てるこっちは知らないし考慮してあげる必要はない)。

そんな感じで「周囲を魅了する老婆ソフィー」「悪いババア・荒地の魔女」「正しいけど最も胡散臭い魔女・サリマン」など三者三様の駿ババアが楽しめる映画だった。
最初の方にも書いたが、ソフィーは最初から最後まで老婆キャラのままで良かったのではないか?
「魔力を使う時だけ美青年の姿になるハウルじいさん、彼の事を想う時だけ若い少女の姿(=ソフィーの心の美しさを戯画化した表現)に戻る」みたいな方が良かった気もする。原作ありだからそんなのあり得ないが。
最初にソフィーがハウルを好きになったのはわかるよ?助けてくれたカッコいい魔法使いと一緒に空を歩いたのが忘れられなかったんだろう。現実に言い換えるならスターと一夜をともにした地味な娘ってところか。ハウルが最初に出会ったのは少年時代にソフィー姉さんに「待ってろ!」と言われたから、これはさっきも言ったように気に入らないな。でクライマックスにて戦争で傷ついたハウルをソフィーが癒やしてるのは、仕事中のハウルの事がイマイチ理解できてないせいか「この終盤……いったいさっきから何しとるんや?」と思ってる間に終わってしまい特に感動とかなかったですね(別に、具体的に何が起きてるかくらいはわかるけど、ハウルとソフィーとそれぞれの描き方が上手く結びついていないという意味)。

やはり若かったソフィーは元気なかったのに老婆になってからは恋をしてるので若かった時よりも元気!というのが面白かった。荒れ地の魔女も悪魔パワーを失ったから環境に適応して「気が利く助言ババア」としての人生をスタートさせたがハウルの心臓見つけたら一瞬だけ野望とやる気を出した。「やっぱ人生には恋とか目標とか、張りが必要だな」と思った。
これ観た翌朝は勿論、ベーコンと目玉焼きとパンを食べた。🥓🍳🍞



 

 

そんな感じでした

〈他の宮崎駿監督作〉
『君たちはどう生きるか』(2023)/とりあえず主人公と前半は凄い大好きでしたが中盤以降の舞台や登場人物や展開がつまらなかったです🦤 - gock221B

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