gock221B

映画やドラマの感想ブログ 😺🐱 殆どのページはネタバレ含んだ感想になってますので注意 😺 短い感想はFilmarksに https://filmarks.com/users/gock221b おしずかに‥〈Since.2015〉

『君たちはどう生きるか』(2023)/とりあえず主人公と前半は凄い大好きでしたが中盤以降の舞台や登場人物や展開がつまらなかったです🦤


監督&脚本&原作:宮﨑駿 制作会社:スタジオジブリ 音楽:久石譲 主題歌:米津玄師『地球儀』(2023)  プロデューサー:鈴木敏夫 配給:東宝 製作国:日本 上映時間:124分 公開日:2023年7月14日 英題:The Boy And The Heron

 

 

※↑上のトップ絵と↓最下部の予告編は公式から発表されて後から付け加えたものです。場面画像が公開されたのは公開から1ッカ月後。予告編は約2ヶ月半経った今も公開されてませんがアメリカで上映されるにあたってアメリカ版予告編が公開されました

🦤このブログ、ジブリ作品を10年以上観てないから全然ジブリ作品の感想ないけど少なくとも宮崎駿の長編監督作は全部観てます。
※このブロックは本作の感想じゃないので感想だけ読みたい人は数行の間隔が空いた下まで飛ばして。
長編以外だと『未来少年コナン』(1978)と短編『On Your Markジブリ実験劇場』(1995) だけ観てない。
劇場で観たのは『となりのトトロ』(1988)、『魔女の宅急便』(1989)、『紅の豚』(1992)、最後に劇場で観たのが『もののけ姫』(1997)。以降は観に行ってなかったけど別に嫌いなわけでもないが、20代からアラサーにかけて意味のない宮崎駿アンチになってました。千と千尋くらいの時?。皆が観ている大人気の巨匠を意味なく嫌うという……20代の映画好きにありがちなアレ。今でもTwitterとか大学生とかが「俺ジブリ観たことないんだよね~!」などと聞かれてもないのにデカい声で言うアレ。自分もその恥ずかしい時期ありましたがほどなくして収まり普通に好きな状態に戻った。この現象についてだが、恐らく宮崎駿スピルバーグとかノーランなど皆が観てる巨匠を「映画好きというフィールド内での仮想の父親」に見立てて意味なく反抗してみる「映画好き内反抗期」と呼んでいる。そうこうしてる今もTwitter見たら「俺、ジブリとか宮崎駿とか観たことないし何かイライラするんだけど何故だろ~!」とか聞かれてもないのに言ってる若を見かける度に「20代だからじゃない?」と言おうとしてやめたりする。いきなり脱線した、どうでもいいわ。

🦤ついでにジブリのもう片翼と言えば駿の師匠こと故・高畑勲高畑勲は結構観てない監督作が多い。名作劇場とルパンは高畑とか駿を知らぬまま無意識に観てて、あとは劇場版『じゃりン子チエ』(1981)とTVアニメ『じゃりン子チエ』第1期(1981-1983)は全ての「日本の漫画のアニメ化作品」の中で最高峰の作品だと思うので大人になっても何度か観てた。ジブリ作品だと遺作『かぐや姫の物語』(2013)しか観てないが凄く感動した。別に高畑勲作品が嫌いなわけではなくたまたま観てないだけなんでそのうち観るだろ。
本作を観た昨夜「これは高畑勲に観せるために作品をつくっていた宮崎駿だが、本作は初めて高畑勲に観せられず作った最初の作品」……と、高畑勲にも詳しい友達に聞いたし他にも「作品内での高畑勲を表すメタファー」について聞いて「なるほど。きっと、それで合ってそうだな」と影響されたが、自分は高畑勲あまり観てないし、それらについては自分で思いついた感想じゃないので、それらについては一旦全て忘れて昨夜本作を観て思った自分だけの感想を書こうと思う(そうじゃないと感想じゃないから)。

🦤本作はプロデューサー鈴木敏夫が、映画の内容を事前に殆ど公開せず大ヒットした『THE FIRST SLAM DUNK』(2022)を参考にして「宮崎駿が監督で久石譲の音楽のジブリ映画」「『君たちはどう生きるか』という映画タイトル」「不思議な鳥のような生き物が描かれたポスター」「吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』が好きな主人公によるファンタジー・アドベンチャー映画」……という断片的な情報しか開示されず予告編もなく細かい内容や声優や主題歌など全て伏せられて公開した。
だから、この前フリを書いてる今(2023.7月)具体的な内容はよくわかっていない。
そもそも映画の予告編って見せ過ぎだし(ハリウッドの大作だと見せ場の全てを予告編で見せてたりする)監督やタイトルだけで客が来るなら「前情報ほとんどなし」は割と良い気もする。

🦤あと本作には間接的にしか関係ないがジブリ的には、今年の春に名物プロデューサー鈴木敏夫がタイ人の若い女性カンヤダ氏に入れあげて大金やって店を出させて何度も潰されたり、公私混同でジブリの金も回したり、ジブリ美術館の写真集を素人のカンヤダ氏にカメラマンやらせたりジブリの広告や商品にカンヤダ氏の落書きみたいな絵を起用するなど「んほり」まくった珍事件が今年の春に報道された事も念頭に置いて本作を観たい。
ジブリ生みの親・鈴木敏夫氏がタイ人女性にベタ惚れで内部崩壊! タイで公認レストラン経営、未経験で写真家に起用、社長を更迭、公私混同すぎる驚きの振る舞い | 週刊女性PRIME
Amazon: 南の国のカンヤダ鈴木敏夫のカンヤダんほり本
んほぉ〜この声優たまんねぇ〜とは (ンホォとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 ※「んほり」の解説

鈴木敏夫タイ人女性カンヤダんほり事件については老舗ネットラジオ「もてらじ」で、MCぶたおさんによって上記の「南の国のカンヤダ」を元に語られてます。
https://youtu.be/VJsEsObkrt0?t=4869 ※時間指定済
これが世界で最も最先端の「鈴木敏夫とカンヤダ」について語り尽くしたものとなってるので必ず聞いてください(ちなみに前述の高畑勲についての話を聞いた人もこのぶたお氏だ)。
鈴木敏夫podcast鈴木敏夫ジブリ汗まみれ』(2007-)にも、カンヤダ氏が幾つか登場している回があるのでSpotifyで検索して楽しむことが出来る。現実世界のすぐ耳の先で起きている鈴木敏夫の「んほり」を直接楽しむことが出来ます。こんな機会はなかなかありません(”鈴木敏夫ウォッチャー”の間ではカンヤダ事変は、何年も前から有名な出来事だったみたいだが僕は今年初めて知りました)。
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ | Podcast on Spotify
カンヤダと共にゲスト出演した映像作家が「カンヤダさんの映画作ろうかな~」等と言いだしたりしてスリリングさが凄い。このラジオの勢いのままだと「ジブリの次回作がカンヤダ自伝アニメ」みたいな、もっととんでもない事が起きる可能性もゼロではなかった。しかし、こんな感じで報道されてしまってはさすがの鈴木敏夫も家族に怒られたりして実現しないかもしれない。
そういった意味では報道されず鈴木敏夫を泳がせて欲しかった気もしますが、報道されなければ僕たちがこうして鈴木敏夫の醜態を楽しめなかったのでパラドックスですね。
……ここまでは鈴木敏夫の「んほり」を心の底から楽しんでいたという本作に関係のない話なのですが、どっかの記事に「宮崎駿も『君たちはどう生きるか』(2023)に出てくる登場人物をカンヤダ氏をモデルに作った」という真偽不明な、信じたくないし聞きたくなかった噂も読んでしまい真顔になりました。本作にも関係する話だ。
というか何ヶ月も前から楽しみにしていた本作に「カンヤダが出るかも……」という呪(しゅ)がかけられてしまい、期待度が20%下がりションボリしました。
ですが公開まで何ヶ月も待ってる間に「公開日当日にTwitterトレンドに『カンヤダ』と表示されてたりしたら逆に面白いぞ」と楽しみになってきました。
そして上映中に、本編に「気の強い女性キャラ」が出てくる度に「……カンヤダか?」「あいつは違う気がする。だったらこいつカンヤダか?」といった感じで、本編を楽しむと同時に「カンヤダLANDも同時に開園」という新しい楽しみも増えました。
鈴木敏夫のカンヤダへの「んほり」は下手なフィクションより面白いので前述の敏夫の著作……それが面倒なら「もてらじ」の前述リンクで聞いてみてください。第一報を読んだ時は軽蔑しましたが今では「鈴木敏夫さんありがとう」と感謝するくらい楽しめました。ここでイチから全部書いていきたいがカンヤダの記事じゃないので当然やめておこう。

🦤そーいう感じで当然、公開日当日に観に行こうとしたんですが近所の劇場が、今までで一番席が埋まってた『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)を超える勢いで埋まってて全ての時間で「開いてるのは店頭で買える数席だけ」みたいな状況が連日続き、僕は3分の2くらいは埋まってて欲しいがそこまでパンパンだと息苦しいので行きたくない贅沢な気持ちも内包していたので3分の2程度埋まって直前に余裕で買えるまで待ってたら12日間も待たされました。さすがジブリ……。
されどTwitterが現在「X」になるとかいう改革中のためか、観に行く人が大人が多いせいか誰一人ネタバレ……どころか感想すら誰も言わないので全くネタバレを恐れる必要がありませんでした。
そういえば僕が最後に観に行ったジブリ映画……『もののけ姫』(1997)を当時住んでた大阪梅田に観に行った時、人が多すぎてロビーが満員電車みたいになってて前売りチケット持っていったにも関わらず、スタッフに見せることも出来ず人の波に押されて劇場内に押し込まれるという……、今思えばジブリっぽいファンタジー入場した記憶がありました。

前売り買わなくても入れてたなぁ。……しかし26年前の満員の大阪の映画館とはいえそんな事現実にあり得るか? でも、そういう記憶として残ってるんだよね。そういえば『パルプ・フィクション』(1994)観に行った時も座席が満員で、だけど通路に座って観れたから彼女と通路に座って観たんだよね。これはガチ。90年代の大阪の映画館って今より自由だったのかな?それともマルチバースの記憶?
※追記:どうやら、この90年代初頭は入れ替え制が始まった頃だったから有り得るということを同い年の方に聞きました。やっぱ昔はカオスだったんだなぁ。

で昨夜、入場したら僕の今までの荒い感じの恋人や知人や親戚や職場で見たことない感じの黒髪に白いワンピースみたいな格好の上品な20代~アラサー女性が何人もいました。
何この人たち?普段ホラーやアメコミ映画などの劇場で見かける人種とは違うのはジブリだから?ジブリが好きな女性ってこんな現実離れした人なの?普段はどこに住んで何して暮らしているんだ?家事手伝いのお嬢様みたいな人がいっぱい居た。もう生活が交わることもなさそうだが浮世離れして素敵でした。
あと近くの席に座った御老人から「ザザーッ……」というチャンネルが合ってないラジオのような音がしていた。ひょっとして補聴器ってこういった音がずっと流れてるもの?それとも御老人ではなくロボ?別に「うるさかった」わけでもなく補聴器だったとしても貶しているわけでもなく、ただラジオみたいな音が聞こえた出来事を日記として残しておきたかっただけなので気になさらず。

※追記:第96回アカデミー賞で長編アニメ映画賞を獲りました。

以降はずっとネタバレありSpoiler alert!! シレンシオー(おしずかに……)

 

 

 

 

Story
第二次世界大戦
が始まって三年後、主人公の少年・眞人〈まひと〉(声:山時聡真)は最愛の母・ヒサコ火災で喪う。
軍需工場の経営者である眞人の父親・ショウイチ(声:木村拓哉)は故ヒサコの妹ナツコ(声:木村佳乃)と再婚し、工場と共に母方の実家へと疎開する。
眞人が暮らすことになった屋敷には煙草好きのキリコ(声:柴咲コウ)を始めとした、ばあやたち古くから奉公している使用人が大勢居た。恵まれた環境ながら眞人は新しい母親となったナツコや周囲の環境に馴染めず、静かに殻にこもる。
屋敷の近くには朽ち果てた洋館が建っており、不思議なアオサギ(声:菅田将暉がいた――

そんな冒頭。
へえ、戦時中の現実世界の話なんだ。面白そうじゃない。
冒頭いきなり病院に居た母が火災で亡くなった主人公、眞人。
さすがに冒頭の東京の人混みや炎のアニメーションが凄すぎて早くも感動した。
眞人は業火の中で美しい母ヒサコが天に召される様を幻視する。
で、あらすじ通り田舎の屋敷に引っ越した眞人と父ショウイチ。これで人混みを描かずに済んでアニメーターも少しは楽になったかもしれない。引っ越したがゆえの冒頭のすさまじい人混み描写だった?とかどうでもいい事を色々と思う。
始まってまだ五分だが遠くからイビキが聞こえてきたので「寝るには早すぎだろ」と思ったらすぐにイビキは止んだ、そしてイビキは二度と聞こえてくることはなかった
まるで「効果音を間違えた」と思った世界の音響監督がSEを消したかのようだ。
イビキの持ち主が絶命したのかもしれない。
頭部を強打し脳出血による昏睡状態に陥ると、舌や喉の制御ができず気道が狭くなり、イビキをかくことがある。格闘技や喧嘩でKOされた者がイビキをかきだすと「イビキをかいてるヤバい!これはまじでヤバい」等とよく聞く。それが起きたとでも?
もちろんイビキをかいていたオッサンの隣に座った家族だか近くの客に起こされたのだろう。
これが僕の琴線に響いたのは映画開始わずか数分というあまりのスピードだ。
映画を観て静かなシーンが続いて寝る者はいるし、それも人の勝手なので特に何とも思わないのだが、それにしてもあまりに早すぎる。君もそう思わないか?僕が「早い」と思いすぎていると言うのなら謝る。だが君もそうは思ってはいないだろう?
「もう眠いから『君たちはどう生きるか』のチケット買って電気が消えたら寝よう」と最初から仮眠所として使う予定だったとしか思えん。
さすがジブリ、入場してからというもの次から次へと普段見かけない出来事が起きる。そうそう前述したけど『もののけ姫』(1997)行った時も王蟲の群れのような人混みに運ばれた不思議な出来事があったしな(あまりに昔過ぎて記憶が色褪せて白昼夢でも見たかのような思い出になってるが)。
こんな事ならもっとジブリ映画を毎回観に行ってればよかったな?
マジでカンヤダと違って本当に本作に関係なさすぎる脱線をしてしまった。
本当はもっと早くに脱線をやめたかった。しかしやめたくない気持ちもあった。

映画本編に戻ろう。眞人が疎開したところから。
家柄の良い眞人は礼儀正しい御子だ。ナツコにも丁寧にお辞儀して挨拶する。ばあや達には使用人なのでタメ口で話す。
僕はすぐに初見の時点で眞人を気に入った。
真面目で頑固そうだし名前も僕の本名に似てるし特級呪霊みたいでもある。
最愛の母を目の前で焼け死ぬという悲劇から間もない幼い眞人。当然、火炎が母を奪ったトラウマから復帰できていない。
この疎開が、火災から間もないのかどうかはよくわからない。
だが父は母によく似た母の妹ナツコと再婚しており、ナツコは既にショウイチの子を妊娠している。「ちょっと父が妻の妹とくっつくの早くない?」と一瞬思ったが、現代の自由恋愛と違って昔の時代のお金持ちのことだから普通なのかも?不問にしよう。映画を最後まで観ても不穏なところはなかったし。
ばあや達、使用人についてだが、宮崎駿作品の重要なファクターの一つは老婆だ。さっそく出た!という感じだ。
本作のばあや達は皆、頭部が大きく二頭身~三頭身くらいしかなくとても可愛い。
眞人や両親と、あまりに体型が違いすぎる。そんなばあや達が屋敷の廊下の真ん中で集まって蠢いていたのが初登場シーンだ。ルックスとシュチュエーションを見て僕は、ばあや達は妖怪か?と一瞬思ったほどだ。異形だがとても可愛い。
全員ばあやだが一人だけ、じいやが居る。じいやは煙草が好きだが貴重品なので吸える草を吸っている。じいやはばあや達より頭身が高い。
そしてキリコというメインのばあやがいる。キリコは面長で、他のおっとりしたばあや達と違いキツめ。
僕は『崖の上のポニョ』(2008)に出てくる「ポニョを人面魚だと言う真実を口にするおばあさん」が駿キャラの中でも特に好きなので「おっ本作にも意地悪ばあさん出た!しもメインのババアっぽいぞ」と心躍った。

「眞人と母と義母」の話ししてたのにまた関係ない話題に移ってしまっていた。話を戻すが、とにかく眞人は母を喪ったショックから立ち直れておらず、新しい母親ナツコに心を未だ開いてはいない。
ナツコは全く問題なく優しいし眞人もナツコに礼儀正しいのだが、それは双方うわべだけのことだ。
そして恐らく眞人はナツコだけでなく他のものや世界そのものに対して心を開いておらず、それは真一文字に結んだ口元やその寡黙さからも窺える。
小学校に転入するが初日で速攻いじめられてリンチに遭う。
土が着いた身体で帰宅途中の眞人、大きな石を持ち上げ、やおら自らの頭部に突き刺すように叩きつける眞人はちょっとありえないくらい流血する。
あっという間に血塗れになった眞人は怖い目で前方の中空を見つめる。これが世界に対する眞人の視線だ。
この行動は後半明らかになるのを待つまでもなくネガティブな行動だ。
「これほどまでの傷を同級生達によって負わされた」という事実を拡大したメッセージを地域の権力者の父親に伝え、同級生たちは叱られるだろうし眞人は行きたくない学校に行かずともよくなる。
いじめっ子たちに立ち向かうわけでもなく卑劣とも言える自傷による復讐……という事で全く褒める場面ではないのだが、初見から眞人を良いなと思っていた僕は、ネガティブな自傷で流血する眞人を見て「こいつ好きや~!」と気に入ってしまった。思い返してみれば自分は好ましい人物のポジティブではないところを見て好きになることが多い。これ以上うまく説明できないが一言で言うと眞人の行動がツボにはまったようだ。アシタカを超えて宮崎駿の男キャラで一番好きになった。表の世界では口に出せないが良くないところによって人を気に入ることはたまにある。眞人の自傷に「いじめっ子たちに喧嘩で立ち向かうより、そっちの方が数倍痛いし勇気いるだろ」と思ったのもある。
そして眞人は石で殴打した右側の頭部に傷が残り刈り上げする。ここ数ヶ月、僕は自分が長年、長髪だった頭を坊主にしたこともあり『東京卍リベンジャーズ』(2017-2022)を履修として一気読みしてドラケンを気に入り、ドラケンと『呪術廻戦』(2018-)の夏油傑をモデルにしたと思われる『ストリートファイター6』(2023)のジェイミーかっこいい!と思ったこともあり自分の中に空前のツーブロック刈り上げブームが来た(正直ツーブロ刈り上げと坊主以外の男の髪型は無いとまで思っている)。そんな時ただでさえ好きだった眞人が(俺だけ気に入るタイプの自傷で)片方だけツーブロック刈り上げというサイバーパンクな髪型になったので、ますます好きになった。
ただ「男の好きな髪型」というだけではない。眞人の歪んで混乱した心がネガティブな自傷に出て、眞人の中が耐えられなくなったダークサイドが体外に出て物理的な形になったのがこの髪型。つまり現時点の不完全な眞人が形にしたのがこの不完全で完全な髪型。だから好きになったのだ。
眞人はそのまま帰宅して当然すぐに大騒ぎになった。
工場から直帰した父親は激怒し、小学校に殴り込もうとしている。
キムタク演じる父親ショウイチだが登校初日に「自動車で投稿する生徒なんか居ないぞ~!」と送っていった、こんな田舎で東京からの転校生がそんな登校すればイジメられるに決まってるのに気づかない。そして眞人が血だらけで帰宅すると「誰にやられた?言いなさい!父さんが仕返ししてやる!」と言う。
父ショウイチは、妻子を大事に思っている父親なのだが自らのテリトリー以外へと考えが至らないタイプの父親だ。
眞人はそう訊かれても「転んだだけだよ……」と言う。「やられたけど僕も男だからそれを親に言うのは恥ずかしいし告げ口はしないよ」というメッセージとなって父ショウイチに伝わる。真に受けたショウイチは眞人をますます愛しく思い、眞人の頭部を石で殴打した存在しないいじめっ子への怒りが燃え上がる……。
眞人の企みは成功し、眞人は寝込んで学校に行かずとも良くなった。
しかし眞人が休校(=世界との関わりを絶った)のと同時に、眞人への心配か、つわりも祟ってか、又はその両方か、ナツコも床に伏せる。
ばあや達からはナツコを見舞うよう言われるが、ナツコを認められきっていない心ゆえか、まともなお見舞いが出来ない眞人。
眞人が屋敷に来てからずっと付きまとっており人の言葉で眞人の名を呼んだり「お前の母は生きている。会いにこないか?」と嘯く妖しいアオサギは、屋敷の近くに建つ廃墟となった洋館に棲んでいるらしい。
洋館は、かつて屋敷に居た頭のいい大叔父(声:火野正平)が夢中になり、やがて神隠しに遭ったため入り口を塞がれたらしい。
眞人は、煙草を引き換えにじいやから道具を借りて弓矢を作ってアオサギを倒そうとする。
そんな、ある日、眞人は寝間着のナツコが森に入るところを見かける。
そして死んだ母ヒサコが自分に残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937)を読んで落涙する。
……この小説、電書ないから読んでないんですが漫画版はちらっと読んだ。主人公の少年が自ら「主観だけでなく客観的な視野」を見出す”気づき”を得たり、尊敬する無職の叔父さんとの会話からも学びを得て大人になる話だったと思う。小説読んでないし作者のことも知らんのでこれ以上のことは知らないが、つまり本作の眞人もそのように子供から大人に成長しようとしている、それがこの映画だと僕はシンプルに受け取った。
その昼過ぎ、ばあや連が「ナツコの行方がわからなくなった」と探している。
眞人はすぐに今朝のことを思い出し、以前アオサギと交戦した時に手に入れたアオサギの羽”風切りの七番”を付けた矢と弓を持ち、朽ちた洋館がある森へと進む。
そんな眞人を心配して着いてくる、ばあやキリコ。
待ち受けたアオサギとの戦いが始まるが”風切りの七番”が付いた矢はホーミング性能が付与されておりアオサギの嘴に穴を開ける。アオサギの呪力?が目減りして薄毛の中年男性とアオサギが混じった醜い姿となる。
大叔父らしき声がして洋館の床が柔らかくなり、眞人とアオサギとキリコばあさんは”下の世界”へと落ちる。
再び、キリコと地獄に付き合ってもらう。
……という前半、なかなかキャラクターを好きならん自分が珍しく好きになれた宮崎駿本人を連想せずにおれぬ主人公・眞人。キリコというババアと優しいばあや達。現世ながら世間と切り離された主人公たち。謎の洋館。神隠し。……大好きな要素がいっぱいで、この前半までは文句なくジブリで一番好きになりうる感じだった。アオサギと死んだ母とナツコとショウイチは、この時点ではよくわからず判断できない。だが始まった瞬間に主人公を好きになれたのは大きい。むろん主人公はラストまでずっとメインで出てくるからだ。



この中盤以降はざっくり話していくことにする。
洋館の床から”下の異世界”に落ちた眞人。
眞人は姿も記憶もそのままなのだが、共に落ちたキリコばあさんは現世での記憶を失い20~30歳くらいの屈強な女性に若返っており、大魚を釣っては”ワラワラ”と呼ばれる嫌な名前の白く小さくて可愛い生物の群れに与えて栄養をつけさせていた。
それを住み込みで手伝わされる眞人。『千と千尋の神隠し』(2001)を始めとして宮崎駿作品で多く見られる「初めての労働」「働く者には飯を食わせる」描写だ。
そしてワラワラは白くて『ちいかわ』作者のナガノが描いたような顔のマックロクロスケみたいな感じ。
これだけ見てわかるように、せっかくの異世界に来た楽しい展開だが、ジブリ過去作で見たような要素や意匠が多い。
それだけならともかく、この”下の世界”最後まで面白くない。
今まで様々なクリエイティブな要素を魅せた宮崎駿だが最新作の異世界がつまらない。
若キリコによると、ここは生と死の狭間の世界だという。白く小さくて可愛いやつことワラワラは魚を食わせてもらい”上の世界”へと行く。要は精子か?
このワラワラもいまひとつ魅力がない。「グッズにするから、ちいかわみたいなヤツ作ってくれ」と鈴木敏夫に言われて描いたかのようなキャラクターだ。ついでに言うとワラワラは以降出てこないしね。ここで終わりだ。
”上の世界”の昇るワラワラをペリカンの群れが襲って喰う。それを追い払う発火能力者の少女。炎に包まれた女、後の説明を聞くまでもなく眞人の母親の少女時代だ。
前半あんな面白かったのに”下の世界”描写が思いのほか、つまらないので興味が失せてきた……。
しかし若キリコの家で練る眞人。その眞人の周りには木彫りの人形が置いてある。それは屋敷でのばあや連にそっくりだった。若キリコが言うには眞人を護っている物らしい。ばあや連が現世で眞人を心配して探しているからか?それなら何故、父ショウイチの人形はないのか。
共に落ちてきたアオサギの傷を塞いで仲間にする眞人。
行方不明になったナツコはインコたちが居る小屋に居るというので向かうが罠にハマり食べられそうになる。そこで昨夜の発火能力者の少女ヒミ(声:あいみょん)が助けてくれた。
火のような苛烈な気の強い少女……ここまで忘れていたカンヤダの呪(しゅ)が蘇り「あれ?まさかこいつカンヤダ?」と一瞬思った。まさに呪い。だが駿が描くいつもの元気少女なので苛烈なこと以外カンヤダ性は感じられなかった。Safe。
地上では、神隠しに遭ったナツコと眞人とキリコばあさんを心配するショウイチ。
ばあやの一人は「亡くなったヒサコ奥様も少女時代、洋館で神隠しに遭った」「洋館は実は宇宙より飛来した」と衝撃の事実を告げる。
やはり火炎少女ヒミは、幼い頃神隠しに遭ってた時期の今は亡き母ヒサコだった。
UFOである館の”下の世界”は時間も空間も現世とは違う”マヨイガ”のような世界。時空がめちゃくちゃな世界なんだから現在の眞人が、彼を産む何十年も前の神隠しにあった今は亡き母の少女時代と出会っても何ら不思議ではない。僕のオカルト観、神隠し考とも一致して、これは気持ちよかった。
だが別に洋館(&”下の世界”)をUFOにする必要はなかったのでは?
一体ここは何だ?後でモノリスのようなものも出てくるし、世を憂いて象牙の塔に篭った隠者かつ賢者である大叔父も出てくる。
この”下の世界”、僕は「新しい母ナツコを認められない眞人の心」と「そんな眞人に戸惑うナツコ」の精神の狭間をビジュアル化しただけの世界だと思っていたが、それだけじゃないようだ。
そして悪として描かれるアオサギ、ワラワラを喰うペリカン群、人を喰うインコ軍など。右を見ても左を見ても鳥ばかりだ。なんで鳥なのか正直わからない。
前述の、ジブリに詳しい友達ぶたおさんによると「下の世界はきっと宮崎駿高畑勲に誘われたアニメの世界」だと言う。「鳥が多いのは『やぶにらみの暴君』aka『王と鳥』のメタファーだ」と言う。僕は思いつかないし、そう言われたらもうそうとしか思えない!そうなると、この世界にしか居ない隠者の大叔父は高畑勲か?
だが、私の思いつきではないので、この話は一旦、忘れよう。
(話を聞いてない時の自分に戻って)僕は大叔父や鳥が何なのかわからなかったので彼らについては無視しよう。
大叔父の如何にも意味ありげな”13の積み木”もよくわからないし興味もない。前述の考えに則れば「アニメ作りの方程式」といったところか?
「自分ではわからなかった」というせいかもしれないが”下の世界”同様に、大叔父やインコ軍もつまらなかったな……「大叔父の住まいがリミナル・スペース」ってところだけ面白かった。そう思えばUFOという余計な要素もあってよかった。
戦時中の古風な眞人がリミナル・スペースを歩いて大叔父のもとに行くところは少しだけワクワクした。
話は少し戻るが、眞人は自らこの”下の世界”に逃げ込んだナツコを見つける。
眞人を見つけたナツコは何故ここに来たのかと激怒する。
そして「ここに来た眞人が心配」というだけでなく、自分を疎んで心を開こうとしない眞人に呪いの言葉を吐く
叫ぶナツコの顔が醜く歪む……といっても物理的に変形するわけではない。ナツコは美人のまま、ジブリにしてはリアルな劇画タッチな表情になる……という形で「大人が自分に激怒した」という眞人の衝撃を表現している。
この迫真の激怒顔を見て「あ、これがカンヤダ?」と思った。カンヤダかどうかは謎だが出力してるのが駿なのでナツコは魅力的だった。まぁもうしつこいし、そろそろカンヤダのことは忘れようね。だけど正直カンヤダかもしれない女が出てくるたび面白くなってきた。”カンヤダとは本当に不思議な処世ですねぇ”(鈴木敏夫や取り巻きがカンヤダを称賛する時に現実世界で連呼された決め台詞)。
優しい義母が観せる苛烈な姿に衝撃を受けた。いつの間にか眞人にシンクロして観ていたので「大人は子供の自分に配慮してくれるだろう」という甘ったれた精神になっていたところに冷水を浴びせられた。ナツコも義母である前に一人の人間なのだ。眞人は(そして僕は)それをわかっていなかったナツコを「義母」という役割に押し込めて「ナツコという一人の他者」として見ていなかったのだ。
瞬時にそれを反省した賢い眞人は(そして僕は)荒ぶるナツコに心を開き「……母さん!」と呼ぶ。これにはさしもの怒れるナツコもハッ!とする。
正直この「和解の瞬間に皆が神隠しから脱出する」で終わりで良かった気がする。
実際は若いの後、眞人はナツコが居た部屋から追い出され、インコ軍と争ったり大叔父のしょうもない話を聞く。
前述した通り、大叔父=高畑勲、下の世界=駿が誘われたアニメ界と思えば感慨深さや面白さもあったかもしれないが、何度も言うように僕はそれに気付いてないし高畑勲にも詳しくないし、それもあってか大叔父や”下の世界”は退屈だった。『千と千尋の神隠し』(2001)の面白い異界とは大違いで凡庸極まりない異界そして凡庸な住人たちでつまらなかった。わざとつまらなくしてるとしても、何故つまらなく描写したのか意味がわからない。眞人やナツコが逃避したのだから帰りたくなくなるほど楽しい異世界にした方が辻褄があってない?
異世界で面白かったのは相変わらず眞人と本心を剥き出しにしたナツコ、あとばあやの人形くらいかな。母ちゃんことヒヤはジブリ少女だが正直全然魅力なかった。冒頭で大人ボディの母が死ぬ幻視の方が魅力だった。ただ眞人に「母さんは将来火事で死んじゃうんだよ!」と訴えられても「いいよ、火好きだし」という返答するのは意外で面白かった……これは、新しい母ナツコを受け入れた眞人が自動的に母の死を乗り越えたので、それが反映された成仏っぽい台詞だと思った。僕はまだ半分この世界は眞人とナツコが共に作った生得領域だと思って観てたからね。キリコは若より老の時の方が魅力。
インコ大王が”13の積み木”をヤケクソで「わしがやるーっ!」とカチカチカチ!ボガーン!(爆発)と無茶苦茶に積んで”下の世界”がモノリスごと崩壊!もう無茶苦茶や!世捨て人の大叔父も特に抵抗すらせず瞳を閉じて粉微塵になって死んだので爆笑しそうになった。つまらないキャラクターだったインコ将軍だが、この場面だけ面白かった。グッドジョブです。👍
出ずっぱりのアオサギはハゲチビデブ鳥男という「こんなに醜くするか?」ってくらい醜いキャラなのと声が菅田将暉なのが面白かったくらいか。そしてこんな汚いおじが眞人はじめての友達でもある。作中での見立てで言うならイマジナリーフレンドか?駿はなんでこんな汚いオッサンをアオサギとして描いたんだろう?これは未だ謎だわ。鳥が擬人化したキャラって大抵クールなイケメンだからね。だからこそ醜いキャラにしたのかな?このヌイグルミは売れそうにない。だからこそのワラワラか?

まぁよくわからん要素の”考察”は”考察”とかが好きなような人らに任せる。
僕は、ダークサイド眞人とライトサイドサイド眞人、キリコばあさん&ばあや連、下の世界での本音のナツコ、神隠し設定、UFO設定……とかが好きでしたし、眞人が成長する全体的なストーリーも好きでした。今思えば忌々しいカンヤダスキャンダルもひとつまみのスパイスとして楽しくさせてたかもしれんな。
で、”下の世界”や住人達や、異界での展開のつまらなさが不満でした。
概ね楽しめました。中盤以降の”下の世界”さえ面白ければ駿ナンバーワン映画になるポテンシャルもあったかも。
次回作は、駿が歳だからあるのかないのか……。何か元気そうだしまだ2作くらい作る予感がしなくもない。わかりませんがね。

※追記:同年2023年、全米で本作のアメリカ公開版『The Boy And The Heron』(2023)はなんと全米一位になった!すごい。数日前には『ゴジラ-1.0』(2023)も全米一位になるし凄い年になった。ディズニーが全作品自爆してくれてたのも幸いした。次回作も楽しみだわい。

 

 

 

 

そんな感じでした

〈他の宮崎駿監督作〉
『ハウルの動く城』(2004)/三者三様の駿ババア。ソフィーは最初から最後まで老婆キャラのままで良かったのでは?荒地の魔女は悪のパワーを持ち続けて欲しかった。一切信用できないサリマン👵🏰 - gock221B

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