gock221B

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『ダゲレオタイプの女』(2016)/本作のあらすじ同様、現実世界から隔絶されたような黒沢幽霊映画inパリ👱‍♀️📷

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原題:La Femme de la plaque argentique 監督&脚本:黒沢清
製作国:フランス、ベルギー、日本 上映時間:131分

 

 

これはレンタルで観よーと思ってたけど、どういうわけかGoogle PlayとかiTunesストアなどのデジタルレンタルに一向に入って来ず、まだ観てないのにBlu-rayとか買うほど熱狂的に観たいわけでもないので未見状態が続いていた。‥ちなみに同じ理由でロブ・ゾンビの「31 (2016)」も観れてない。これらは何でレンタルにならないんだろ?ツタヤ独占レンタルとかなのか?ツタヤも5年くらい行ってないし更新料払いたくないから永遠に行かないし‥観れないなーとか思ってたら昨夜ちょうど、あまり利用しないのでHuluを退会したらフォロワーの方に「Huluにダゲレオタイプありますよ」と教えていただいたおかげで観れました。

黒沢清監督はJホラーブームが去って以降、ここ10年くらい、一作撮るたびに監督本人が「これが映画撮るの最後か?」とか思ったら海外とかWOWOWから声がかかったりして何だかんだ監督作が不思議と途切れてない印象。本作もフランスやベルギーとの制作で初の海外映画監督作って事になるのか?
ネタバレあり

 

 

主人公は、バイトや派遣などで食いつないでいるフリーターの青年。黒沢映画の主人公って大抵、オッサンか空虚な青年か辛いことが遭う女性この三通りが多い印象。
主人公は漠然とした幸福を思い描いているだけで特に何も考えてない感じの青年。
彼は高名な写真家の屋敷で彼の助手として雇われる。
写真家は、有名なファッション写真家だったが、妻が死んで以降は半引退状態で、一人娘を被写体として取り憑かれたようにダゲレオタイプの写真だけを撮っている。
ダゲレオタイプ=銀板に直接ポジ画像を焼き付けるため長時間の露光が必要なため、被写体は、全身を特殊な器具で固定拘束して数十分から一時間以上の間、動かずに静止していなければならない撮影法。まるで生きているかのような写真が撮れるという)
そして時には、ダゲレオタイプでファッション写真撮ったり、ダゲレオタイプで写真を残して欲しい老女を撮ったり、時には亡くなってしまった赤ん坊の撮影を頼まれたりもしている。あとはひたすら娘を固定して撮影しているだけだ。
ダゲレオタイプ撮影されることに何か根源的な恐怖を感じているらしい、この娘は至って普通の女性。父が心配で家を出れないでいるが本当は家を出て一人暮らししたがっている。
主人公はこの娘と恋に落ちる。といっても黒沢監督は恋愛描写を念入りに描くような人じゃないので、割と「いつこいつを好きになった?」って感じなのだが娘が青年に唐突にキスして、青年も娘を好きになる。他の映画もそうだが本作は「いつの間にかそうなってた」って感じで重大な心変わりが全てヌルっと移行していく。不自然といえば不自然と言えなくもないが本作はまだ不自然じゃないほうに入ると思う。
そして(黒沢監督の映画はどれもそうだが)全体的に現実味がなく、そして「フランス郊外の、俗世間と隔絶された古い屋敷」という舞台もあいまって全編ボンヤリした夢の中にいるような雰囲気。それでいてストーリーは水木しげるの短編とか昔話にありそうなお話。このまま本作の時代を中世とかにしてもそのまま通用しそう。
黒沢監督は著作の中で「東京は絵になる構図がなさすぎて大変だ」みたいな事を言ってたり、また怪奇映画が好きなためか古い洋館で撮りたがってただけあって、本作の舞台‥パリ郊外や古い屋敷の描写はめちゃくちゃ美しい。

 

 

写真家は、屋敷で時折、死んだ妻を見かける。または自分に話しかける声が聞こえる。
黒沢幽霊もワールドワイドになりましたね。。フランス人幽霊なので美しいが日本人幽霊のような怖さはない。やはりフランス人にとってはこの方が怖いのかな?
また、ホラー映画的な恐ろしい出し方じゃなくて「岸辺の旅」の少女幽霊みたいな儚い感じで出てくる。ドラマ重視のせいなのかな。
写真家の妻は仕事にかまけていたら自殺してしまったという事で、妻の霊は写真家の罪悪感が可視化されたものだろう。
やがて娘も、見事なロングカット階段落ちで突然死してしまう。
なんで?と意味がわからなかったが、妻子ともに写真家の因果で死んだことが後半わかる。
娘を愛し始めていた主人公は、彼女を病院に連れていくが車がスリップして娘が車外に転落。だが生きているしさっきまであった傷もなくなっており一緒に家に帰る。当然、娘はもう死んで幽霊になっているのだが、それは視聴者には丸わかり。そんな場面が割と中盤であり、それ以降は娘を死んだことを主人公だけが知らないという感じで進んでいくのが面白かった。
娘を失った、という事は唯一の生きがいだったダゲレオタイプも失ってしまい更に失意の状態の写真家は、娘は生きていると言う主人公に「お前は夢の中に逃げ込んで現実を見ていないだけだ」と、そのままの事を言う。
こうして、写真家は「妻と娘を死に追いやった罪悪感」、主人公は「自分に都合のいい妄想」として、それぞれ妻と娘の幽霊を見ながら過ごす。
主人公は主人公で、本当は娘が死んだと気付いているのだが(娘が落ちたと思われる川を見に行ったりもする)、その認識を意識下に降りてこないように、今までどおり現実を見ないという方法で娘の死を意識の外に追いやり、娘の幽霊と過ごしていく。
で、書くの忘れてたが写真家の屋敷と土地を高額で買い取ろうとしている開発者がいる。青年は、写真家を説得して家と土地を売らせることで大金を得ようと画策する。
やがて、写真家の妻と娘が死んだ理由は彼に大きな原因があったことがわかり、ほどなくして写真家は遂に妻(罪悪感)につかまってしまう。
では主人公はというと、写真家に家と土地を売らせるという野望が唐突に転がり始めて破滅する。ここは恋愛描写同様「何でそうなる?」って感じで、かなり強引。海外の批評を検索してみたらこの辺を批判されてるっぽい。黒沢監督のファンじゃない人が「トウキョウソナタ」観た時に「役所広司が出てくるまではよかったが、それ以降ついていけない」と言う感想と似たようなもんだろう。黒沢監督ファンならトウキョウソナタも本作も「いや、そこからが本番で良いんだよ!」と言うところで僕も以前ならそう思ってた気がするが、最近、前ほど黒沢監督への関心が薄れてきてる事もあって「唐突な恋愛とか唐突な主人公の野望とかはあまり乗れないな」という感じがあった。
まぁ主人公の暴走は、好きになった娘を失ってしまったので狂気に自ら飲まれていったって事なんだろうきっと。

 

 

そういった感じで、フランス映画ではあったが人と場所以外はもうめちゃくちゃ黒沢監督の映画っぽかった。終盤に顔がバッチリ見えてる死んだ妻のスローモーション幽霊も良かった。
もしこれが邦画だったら‥主人公は染谷将太で、ヒロインは夏帆だろう。そんで写真家は諏訪太朗しかあり得ない(ほぼ同一人物)。
本作の主人公たちや屋敷同様、この映画も現代の現実世界から完全に隔絶してるなぁ‥という感じがした。勿論そうしたかったんだろうから、それでいいのだが最近の僕は個人的に現実とリンクした、とてもわかりやすい映画を好む感じになってるので以前ほど熱狂はしなかった。なのでダゲレオタイプと死がどう結びついてるかとかはもっと支持してるちゃんとした人の記事とか検索した方がいいです。
あ、だけど写真家が語る芸術論は「これ黒沢監督の考えなのかな?」と興味深かった。
だから主人公はフリーター青年じゃなくて、写真家にすればよかったんじゃないか?と今思った。でも、普通にいい幽霊映画だとは思いました。

 

 

そんな感じでした

「岸辺の旅 (2015)」黒沢清/幽霊が黄泉平坂で宇宙の終りと始まりを語る場面に感動👫👻 - gock221B

「復讐 運命の訪問者 (1997)」黒沢清/監督の作品の中でもエンターテイメント性が高い映画 - gock221B

「893(ヤクザ)タクシー (1994)」 黒沢清/やとわれ仕事ゆえのエンタメ性と縛られた中での製作の姿勢 🚕 - gock221B

「クリーピー 偽りの隣人(2016)」黒沢清/大変な怪作だが毒気にあてられすぎてか好きになれなかった🏠🏡 - gock221B

「ドレミファ娘の血は騒ぐ(1985)」黒沢清/洞口依子の可愛らしさと大学のフワフワした感じ - gock221B

「散歩する侵略者 (2017)」黒沢清/理由はよく分からんが黒沢映画の壊れた夫婦もの観ると物凄く胸に来る👉 - gock221B

「予兆 散歩する侵略者 劇場版 (2017)」黒沢清/本編の方は愛の話だったが、こっちは〈心の弱さ=悪〉という闘いがメイン 👉 - gock221B

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Dagereotaipu no onna (2016) - IMDb

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