gock221B

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『もう終わりにしよう。』(2020)/凄く寂しい話だけど観終わると前向きな爽やかさと暖かさを感じさせる映画🍨

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原題:I'm Thinking of Ending Things 監督&脚本:チャーリー・カウフマン 原作:イアン・リード 配信:Netflix 製作国:アメリカ 上映時間:134分

 

 

 

「もう終わりにしよう。」と、今日が恋人と会うのは最後だと決めている主人公の若い女性。彼氏のジェイクが迎えに来て車に乗り込む。
途中までネタバレなしの感想書いて、大きい改行の後からネタバレありの感想を書くことにした。この映画はネタバレせずに観て自分で考えたほうが面白い気がするので未見の人はネタバレありの部分は読まない方がいいと思う。で、前半の感想だけ読んで興味持った人は後半読まずに観ればいい。
そういえばこのブログの全記事リンクした索引を作ってトップページに置いてたが「文字数が多すぎる」とエラーになって追加できなくなった。だけどはてなブログは何万文字が上限らしいし全然文字数が多すぎることはないはず。前から索引を更新しようとしたらたまに出るエラーだったので俺のPCが原因なのか?だけど最近毎回このエラーが出て索引を更新できないし理由がわからないので下書きに戻した。更新できたらもとに戻す。このエラーが出ないようにする方法わかる方いたら教えて下さい。
2人は車でジェイクの実家に向かう。だが女性は今日でジェイクと別れようと思ってるので彼の実家に行く事には当然気が進まない。断るのが苦手なようだ。行ってしまえば結婚ムードになって悪くはないが良くもないこの男と結婚して死ぬまで妥協の気持ちでお釣りの人生を過ごすことになるかもしれない。2人は表面上仲は普通に良い。ジェイクはイケメンではない大柄で、言い方は悪いが第一印象ではパッとしない風貌、だが会話を聞いていると文学や芸術などにも理解があるし彼女をいつも理解しようと努めている優しい男だとわかる。では何故別れたいのか?彼女は「ジェイクとの関係には先が見えない」と言う、よくある別れ話のようだ。別に2人の間に決定的な亀裂が入ったわけではないが全てに優先されるこれといった納得がないから別れたい、だがまだその事をジェイクに伝えていない。ジェイクに別れ話を切り出す気もなさそうなので学生がバイトをバックレる時のように音信不通でフェイドアウトする気かもしれない。
主人公の二人以外にもどこかのハイスクールで清掃している用務員の老人の描写も何度も差し込まれる。だが何も喋らないので彼が何者なのかはまだわからない。彼はミュージカルが好きなようだ。
ここから結構長い間、ジェイクの実家に向かう車中での2人の会話が延々と続く。
ジェイクが彼女に詩を読んでくれと言い、彼女は犬の死骸がどうの毛布に虫が湧いてるだのといった聞いてるだけで気が滅入る陰鬱な孤独の詩を長尺で読む。ジェイクは「まるで僕のことみたいだ……」と言い彼女の才能に賛辞を送る。
ここまで要領を得ないストーリーの上にかなり長いので楽しい映画を求めたNetflixユーザーは他の動画に変えてしまった、そんな人はかなり居る気がする。僕もつまんないと思ったら1分くらいで速攻やめてしまいがちだが、これは不思議な魅力があって視聴続行した。という事は演出が優れてたり2人の要領を得ない会話や陰鬱な詩に妙な魅力があるんだろう。
雪が降る長いドライブの末、ジェイクの実家に到着。雪が積もり始めてるし窓からジェイクのママが手を降っているが窓が曇ってて顔がよく見えない。だがジェイクはすぐ家に入らず家畜小屋を案内する。凍死してしまった家畜が倒れている。ジェイクは病気で倒れて蛆が湧いてしまった豚を安楽死させたという話をして「農家は非情な面もある」と悲しそうに言う。家には飼ってる犬がいるが雪で濡れているし犬臭い。
2人は家に入り、ジェイクは自分の分のスリッパを彼女に履かせようと渡す。ジェイクは「なるべくいつも紳士でいたいからね」と言う。
ジェイクは2階にいる両親を呼ぶがなかなか降りてこない。2人は何やかやと会話する。
……しばらくして「あ、そういえばさっき呼んだ両親は?」とこちらが思い出した頃にカメラが階段に向くが……誰かが降りてくる気配が全くない!
あ、留守か。いやいや、さっき窓に手を振るママが居たよな?でも窓が曇って顔が見えなかったし幻覚だったのかも……とか色々思いつつ「やっぱり留守みたいだな。この演出は」とか思った瞬間に両親がどやどや賑やかに降りてくる。この間の取り方とか妙な不安さが最高だった。序盤の退屈なはずなのに不思議と退屈じゃない陰鬱なドライブもそうだがきっと演出が上手いんだろう。この両親が来るか来ないかって辺りが本作で一番面白かった時間だった。何故かというと、この映画が一体どういう話なのか一番わからないのこの両親が来るか来ないかという辺りだからだろう。
ママ役は今引っ張りだこのトニ・コレット。四人は食卓を囲む、ジェイクの両親は普通の善良な人たちなのだが田舎で長い時間2人だけで過ごしてた教養のない年寄りのせいか若干、コミュニケーションが荒い。基本は善良で、ごちそう作ってくれて息子と息子の恋人を歓迎してるのだが、ふとした瞬間にぎょっとする失礼な事を彼女に無意識で言ったり突然シモネタ言ったりする。ジェイクは思慮深いせいか恥ずかしそうに目を伏せたり時折、ママを叱責してママが恐縮したりして食卓に気まずい瞬間が流れる。主人公の女性は空気を変えるかのように自分が「バーでジェイクにナンパされた馴れ初め」を話して何度も和やかな雰囲気に戻す。
ママ役がトニ・コレットなのは勿論『へレディタリー 継承』を踏まえてキャスティングされたんだろう。トニ・コレットは基本優しいが時折、狂女みたいになったり耳が中耳炎的な感じで耳鳴りがすると言ったりするママを、自分に期待されたであろう怪演で演じる。
主人公の彼女は画家だと言うがドライブ中は詩人と言ってた気もするし、そうかと思うと物理学者だという事になってたりして現実が混沌としている。
またジェイクの子供の頃の写真を見ると自分によく似ている、……とか言ってる間にやはりジェイクの顔に変わっていた。女性「あれっ写真が変わった?まぁいいか」何かがおかしい。この奇妙さは‪僕が好きな『ツインピークス リミテッドシリーズ』‬(2017)最終回を思わせる。まるで幾つもの時空が同時に存在しているかのようだ。
そして50歳くらいだったはずのジェイクのママが要介護の老女になったりお洒落をした若いママになったりするしパパも認知症になったりする。複数の時間が同時に家の中に流れている。女性が地下の洗濯機を開けると何かの制服がたくさん洗濯されている。
そもそも序盤から伏線めいたおかしな事はちょくちょくあったのだが、この実家に着いたあたりから目に見えて、それが増えてきて、いよいよもって誰かの認知に歪みがある事がわかってくる。
……というこの辺までリアルタイムで思ってたことを実況的な感じで書いてたが、数行開けた後からはネタバレあり感想にする。ここまで読んで少しでも興味持った人はこの先読まずに観た方がいい。

 

 


主人公の女性の現実がゆらぎ始める。
本作の監督は『マルコヴィッチの穴』の脚本で有名になって『エターナル・サンシャイン』『脳内ニューヨーク』などの監督……ということを本作を観終わった後で思い出すと「あぁ如何にもこの監督が好きそうな話だな」と思った。この監督の映画は今まで妄想めいた話ばかりに執着してる感じであまり好きじゃなかったんだけど、ここまで真摯に妄想に向き合った本作は面白かった。というか本作の場合、妄想は主人公にとって切実な、現実と言っていいほどの妄想なので別に妄想に逃げているわけではない。子供がゲームやアニメやヒーローものばかりに夢中だと親は「もう少し現実と向き合え」と怒ったりもするが、親は子供にとってゲームやアニメやヒーローが超リアルなフィクションだという事をわかってない、そして子供が好むものを遠ざけて自分たちが好きな「洗練された作品」ばかりを与えられた子供は洗練されてはいるが僅かな歪みを持った大人となり、成人後に死ぬほど子供の頃ほんとに欲してたものを蒐集したりする。話がずれてきたが要は、親は子供にとってのリアルが何かはっきりよくわかってないということだ。主人公にとって妄想は切実な現実なのだ。98%くらいの現実。ここから先は残りの2%を描く。
主人公の女性は明日仕事だから早く帰りたいと何度も言ってるのだがジェイクはのらりくらりと引き伸ばしていた。だがついに重い腰を上げて彼女と帰ることにした。ジェイクのママは相変わらず年老いて死ぬ寸前だったりして時間が錯綜している。
途中、こんな大雪なのにジェイクはアイスクリーム屋でアイスを買う。
この辺まで来ると明らかに普通の現実ではない描写が増えて来ている。悪夢とまではいかないが愉快でもない夢の中で思うように事が前進しない感じに似ている。途中、車に乗ってる彼女が数秒間くらい突然、別人の中年女性に変わる。あまりに数秒だったし車内の彼女を外から撮ってるので巻き戻して観ると明らかに数秒だけ別人になった……と思う。あまりに一瞬なのでよくわからない気持ち悪さだ。
そして2人とも折角買ったアイスを「甘すぎるし寒い」と当然のことを言って食べない。ジェイクは溶け始めたアイスを捨てないと落ち着かない、どうしても捨てると言い出す。良くないことではあるが、こんな田舎の大雪だから窓から捨てても誰も気づかないだろうにゴミ箱にちゃんと捨てたいと言う。早く帰りたい彼女は反対するがおとなしかったジェイクは癇癪を起こしてまで近くのハイスクールのゴミ箱に捨てると絶叫して聞かない。明らかにおかしい。いよいよこの世界の秘密が明かされる時が近づいてきた。
映画でこういった展開だと大抵、誰かの夢や妄想だったり何か別の現実の事象を戯画化した映像だったりするのが定番だ。本作はやはり彼女の妄想っぽい。
アイスをゴミ箱に捨てた後、戻ってきたジェイクは彼女とキスするが誰かに覗かれたと激昂して車外に出る。ジェイクが帰ってこないので彼女はジェイクを探してハイスクールに入る。ハイスクールの入り口のゴミ箱には数え切れないほどの量のアイスが捨ててあった。同じ時間が繰り返されてる?だがタイムリープはもう飽きたので頼むからタイムリープものじゃありませんように。Netflix作品はすぐタイムリープすな!
彼女はハイスクール内を少し捜索するがどうもジェイクは居なさそうな雰囲気。ジェイクの実家に行った時、どう考えても両親は居ない静けさだったのに突然にぎやかな両親が現れた直前の雰囲気とよく似ている。
そこで序盤からちょくちょく出てきていた用務員の老人がいる。
老人は彼女に自分の分のスリッパを履かせようとする。いつも紳士でありたい男のようだ。ということは、この老人は年老いたジェイクなのか?彼女が「もう終わりにしよう。」と思った別れの日を描いたのが本作だし、老人になった彼女もしくはジェイクが過去の最後の日を追想してたのが、ここまでの本編だったのか?
すると彼女は用務員に「数十年前、バーで名前も知らない冴えない男が何か言いたげに自分を見ていたが遂に話しかけてこなかった」と話す。ジェイクと思われる老人は静かに泣く。
……という事は、ここまでは年老いて認知症になった彼女の脳内の出来事で、認知症だから自分が認識する自分として若い女性が映されてただけで実際の姿は認知が歪んだ老婆なのだろうか?その老婆が校内に迷い込んで数十年ぶりに彼女と再会したジェイクが変わり果てた姿の恋してた彼女を見て泣いているのか?
……とか、思うと用務員と彼女の後ろから、二人の格好をした美男美女のダンサーが出てきて踊りだす。これでよくわからなくなって混乱したのだが、これはジェイクが子供の頃見て好きになって何度も車内で話題に上がっていたミュージカル『オクラホマ』の名シーンの再現らしい。ミュージカル関連だけは観ててよくわかんなかったので検索した。オクラホマ観てないからピンと来なかった。でも全部はっきりわかってしまうと陳腐化してしまうので知ってる人しか知らないこういうシーンを入れて曖昧にさせたのは視聴者が、これが現実か夢かわからない主人公にシンクロできてむしろ良かったかもしれない。混乱したのは自分がものを知らなかったせいとはいえ確たるものがない現代社会で楽しく生きたり映画を楽しむには混沌なものを混沌のまま受け取る才能が重要だと思う。日本は自殺者やメンタルヘルス失調者がめちゃくちゃ多いが、それはこの混沌を混沌のまま受け止める才能が足りないせいだと思う。他人が精神失調した話や自殺のニュースを聞く度に僕は「ばかなことを」などとは思わない。「世界をまともに受け止めたら、そりゃ速攻で頭おかしくなったり死ぬことになるわな」と同情してしまう。世界を原液で生きてはだめだ炭酸水で割らないと。
その後、終わりまで観ると彼女ではなくジェイク。全てが年老いた用務員となったジェイクの妄想……またはジェイクの心の中で起きている出来事を映像化したものだったことがわかる。
「数十年前バーで出会って良いなと思ったが特に何もなかった名前も知らない女性」を妄想の中で自分の恋人として何度も似た妄想を繰り返してたのだろう。「妄想の主人公が自分自身ではなく彼女」というのが面白いところだ。この「彼女の妄想じゃなくて実はジェイクの妄想だった」というオチは「彼女の主観で映画が進むから彼女の妄想にしか見えないだろ」と思って最初ちょっとズルいなと思ったが、ジェイクは冴えない自分に自信がない、だからと言って自分を才能あるイケメンとして描かない謙虚さもあったので自分を脇役にして彼女を主人公にしてたのかもと思えてきた。ゴミ箱にアイスがいっぱい捨ててあった事からして若い時から何十年も繰り返したストーリーだったんだろう、この実家に彼女を連れて行く妄想は。そういえば彼女は劇中、何度か「これ前にもあった気がする」とか言っていた。彼女の名前や職業がコロコロ変わってたのも、バーで見かけた知らん女の職業なんて知らないから毎回設定を変えていたのだろう。後半で彼女が数秒間だけ老女になっていたのは「もし彼女と結ばれて共に年取ってたら彼女はこんな感じかな?」と想像してみたのかもしれないし数秒だけだったのは「どうせ妄想するなら若い二人にしよう」と思い直したのかも。
何十年も繰り返された同じ妄想だが彼女は「もう終わりにしよう」と思っていた。これは勿論「こんな妄想ばかりしても惨めな現実が良くなったりはしないから終わりにしよう」という事だろう。恐らくここ何年かの妄想は何度もそう思ったのだろう。
実家でママが若かったり死ぬ寸前だったりしたのも、ママが若い時から死ぬ前までの長い期間、名前を知らない彼女を連れて行く妄想をしてたということだろう。そんなジェイクの記憶が重奏して描写されていたのだろう。アイスクリーム屋でジェイクと似た湿疹を持ついじめられっ子っぽい女性店員が車に戻る彼女を引き留めようとしたのは妄想の終わりや自死を怖がるジェイクの恐れの擬人化だったんだと思う。まぁそんな感じでこの辺まで観て思い返せば、ここまでの本編で起きたおかしな出来事を思い返すと全部説明がつく。
そしてこの日、現実の老ジェイクはどうやら一日、清掃の仕事をきっちりやった後、何一ついい事のなかった人生を凍死で終えようとしていた。冒頭で「もう終わりにしよう。」と言っていたのはジェイクがこのいつもしてた妄想と同時に人生を終えようと決意した呟きだったらしい。

 

 


そんなオチを踏まえてここまでの事を思うとジェイクの寂しい人生が伺える。
子供時代、勤勉だったが全く成績は上がらずママだけは褒めてくれるが「勉強しなくて成績が悪い子以上に惨めだよ」と自分の頭や要領の悪さだけを思い知ったり、勉強はダメだが芸術や科学は好きだったが用務員にしかなれず、容姿や湿疹にコンプレックスがあって良いなと思った女性にも話しかけられずずっと独身なので帰省するのは憂鬱、やがて年老いた両親を他の大勢とは違って施設に入れたりせず自分で献身的に介護したが誰一人そんなジェイクを見てないので褒められることも一切なく年老いて「自分は家畜小屋で蛆が湧いた豚みたいだ」と思いながら用務員の仕事を続け、ある日の朝に自死を決意して実行。そんな何ひとつ良い事のなかった人生で慰めとなったのが、甘すぎて一口食べて捨ててしまうほどおいしくないと思っているが通っていたアイスクリーム屋やミュージカル『オクラホマ』や詩や芸術そして数十年前にバーで見かけた名前も知らない女性と付き合っている妄想だったのだろう。
犯罪に遭ったり病苦に苦しむといった特別に悲惨な不幸はなかった代わりに、これといった幸福も同時にない「なにもない」という静かな地獄を生きた男の話。我々の多くの最期は非常に高い可能性で寂しいものになるだろう、ほぼ誰にも興味を持たれない年寄りになって一人で身動きできず息ができなくなって苦しみ抜いた末に死ぬ。家族や友人が大勢居たとしても死ぬ瞬間に見てるとは限らないし死の瞬間を共有することはできない、死ぬ時は一人だ。若い時は可愛い自撮りをUPして異性の関心を引いたりできる、しかも若ければ精神が不調というネガティブなこともSNSで訴えて関心を引けたりもする。中年や年寄りがそんな事してもしても惨めなだけだ。そういえば僕もSNSによく泣き言を書いてたがアラサーのある日それに気づいて泣き言をSNSにぴたっと書かなくなった……という事はつまりそれまで病んだことをSNSに書いていたのは他人に慰めてもらいたかっただけだと気づいて恥ずかしくなった(勿論これは僕の話で、自分で自分を恥ずいと思っただけなので、辛い話を他人に聞いて欲しい人は続ければいい)。死んだ時に家族が居れば埋葬してもらえる、居なければただ臭くて真っ黒いシミになって終わり。何をしようとそんな風に死ぬ結末を知りながら生きてるなんて改めて凄いことだよな。そう思うと俺はますます「生きてる過程とか、過程がままならくても自分を静かに肯定できる事が大事だな」と思う。思えなければ自殺するか他人を殺すしかない、そして立派な行いをする人が何故偉いかというと過程の部分を一生懸命やって短い人生を輝かせ、その光で世界を照らす尊い行いのせいだろう。
この映画は我々ほとんど皆の最期を描いた映画とも言える。
最後の妄想は、年老いたメイクをした若ジェイクがミュージカルで自分の人生を肯定して、同じく老けメイクをした両親や妄想の彼女やアイス屋の店員達が喝采するというもの。他の観客たちもジェイクの人生に関係あった人たちなんだろうけど本編に出てきてないので誰が誰なのかはわからない。まぁハイスクールの教員とか若い時の友人とか近所の人とかだろう。
1人ぼっちの老人の自殺で終わる寂しい話だが観終わると妙な前向きさを感じた。最後に名も知らぬ彼女を実家に連れて行くというお気に入りの妄想を捨て去る勇気を持って、何も良いことがなかった自分の人生ひいては自分自身を肯定したのだという戦略的撤退のような誇りを感じた。静かな絶望を感じていたジェイクだが、一日の最後に死のうと思ってるのにも関わらず用務員の仕事は凄く丁寧に校内をピカピカにしてたし恐らく子供の頃から真面目でずっとそうしてたんだろう。誰もジェイクに関心がなく褒めてくれるのはママだけだったが死ぬ日も清掃を完璧にやり遂げて偉い。というか当然のことながら本作を観てる多くのネトフリ視聴者はジェイクのことを観ている。
それに、そんな「何も人生で良い事がなくて孤独で自死する老用務員の映画」なんて滅多に作られないだろう。というかそれを事前に知ってたら陰鬱そうで観ないし。僕も「可愛い女の子が主人公の何か不思議な映画かな?」と思って観たわけだし、そんな風に色々工夫して寂しい老人の映画を観てもらえるように面白く作ったという、この映画制作自体がポジティブに思えた。
女の子が主人公だと思って観てたので冴えないジェイクが主人公だとわかった時に若干がっかりした。しかしそんな僕の態度こそジェイクが人生で何度も受けたであろう態度で、彼を自己評価の低い男にした視線なのだろう。ジェイクは「醜いものは見るものを嫌な気分にさせる。美しいものはいい気分にさせる」と言っていたが実際、本編を観てた僕もそう思ったわけでジェイクがそこだけイケメンになるダンスシーンでも「ジェイク、こんなイケメンだったら良かったね」と思ってしまったもんね一瞬。
そんな感じで冴えないジェイクの人生には何もなく劇中の事象だけだと凄く寂しい話でしかなかったわけだが観終わると爽やかな風が吹き悪い気はしなかった。それは我々視聴者(の一部)は皆ジェイクに寄り添うように作られてる、そんな制作陣の暖かさ、「どんな人生も自分が肯定さえすれば肯定できる」というポジティブな勢いを感じたからだと僕は感じました。「自分で自分を肯定するのが人生を生きるコツだとさっき言ったが、そんな自分の考えを更に肯定する内容だったからポジティブに感じたのかもしれないね。
最後のミュージカル妄想シーンは観てる時は具体的に何かよくわからなかったが、彼女や両親以外の大勢の客は本作を観てる我々視聴者なんだろう。それがつまらん人生を勤勉にやりきったジェイクを称賛している。その映像化だったのかも。
まぁ、この感想も長くなってきたから、もう

 

 

 

終わりにしよう。

🍨🍨🍨🍨👴🏻🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨🍨

www.netflix.comI'm Thinking of Ending Things (2020) - IMDb

www.youtube.com

もう終わりにしよう。

もう終わりにしよう。

  • イアン リード & 坂本あおい
  • ミステリー/スリラー
  • ¥1,000

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