gock221B

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『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』 (2023)/現実世界でのマリオの生活と任天堂ゲームの動きの気持ちよさを追求したアクション凄く良かったし最終的には感動した。あと何となく任天堂ゲームだけでなくクラブで遊ぶのが好きだった人も楽しめる気がする🍄


英題:The Super Mario Bros. Movie 監督:アーロン・ホーバス、マイケル・イェレニック 脚本:マシュー・フォーゲル 製作:クリス・メレダンドリ、宮本茂 原作:任天堂スーパーマリオブラザース』や『マリオカート』等のゲームソフト 制作会社:イルミネーション/任天堂 製作国:アメリカ/日本 上映時間:93分 シリーズ:ニンテンドー・シネマティック・ユニバース?

 

 

本作の公開前や観る前の精神状態
イルミネーションと任天堂がタッグを組んだ、『スーパーマリオブラザーズ』などを中心とした任天堂ゲームを原作としたアニメーション映画。
アナと雪の女王』(2013)を抜いて、アニメ映画最高額第二位の興行収入を記録するなどエゲつないほどヒットした(『アナ雪2』はつまんなかったのでついでにアナ雪2も抜いてほしい)。
映画公開前に「評論家の評価は低いけど一般客の評価は高い!……ってことは逆に期待できるよな?w」とか「ピーチ姫はマリオと共に救出しに行って闘う?逆にルイージが人質?ポリコレに屈したなぁw」とか言ったかと思えば「ディズニーはポリコレに配慮しすぎてポリコレに屈しない日本産のマリオに惨敗!w」などと正反対の事を言いだしたりして弱者男性達がいつもの哀しい唄を奏でてネットを賑わせていた。
そんなしょっぱい騒ぎもそうだが、世界の宮本茂任天堂がガッツリと映画製作に関わってて異常なヒットしているので「一体どういう感じの映画なんだろう?」という事が気になって仕方ない作品だった。
しかし正直あんまり面白そうではない。
予告を観れば『スーパーマリオブラザーズ』『ドンキーコング』『マリオカート』……的なゲーム同様の冒険をするとはわかるのだが、それらは自分が操作して遊ぶゲーム……インタラクティブ(双方向的)な面白さなので、そんな自分が操作してこそ面白いゲームが一方通行な長編映画作品に変わって観せられて……果たして面白いのだろうか?と考えると疑問だった。
霜降り明星オールナイトニッポン』を聴いてたら、せいやは本作をめちゃくちゃ楽しみにしていたが粗品は「めちゃくちゃおもんなさそうやん……大人が観に行くなや」と言っていた。二人の言う事がわかる……つまり観ないとわからない。
また、キッズや任天堂ファンが喜ぶのはわかるが、自分みたいに幼少期にしか触れてない者にとってはどうなのか?「『桃太郎』『金太郎』の映画化!」と言われても興味が湧かないのと同様、面白がれるのか不安もある。映画評論家やTwitter任天堂マニアでない映画好きアカウントは観に行って「良いか悪いかという以前に、これを観て何を感じればいいのかわからない」という反応をよくしていた。自分はどう感じるんだろう?
監督は『ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー』 (2018)の監督コンビだし、マリオや色んなものの挙動は映画のディティールは世界の宮本茂が1mm単位で調整してるというし期待が高まります。
昔のハリウッド実写映画の『スーパーマリオ/魔界帝国の女神』(1993)は観てないのでよくわからない。

マリオや『スーパーマリオ』や任天堂のゲーム
幼少期、最初に買ってもらったのが正にマリオが出てくる『マリオブラザーズ』(1983)と『レッキングクルー』(1984)だったし、本作の大元となった『スーパーマリオブラザーズ』(1985)は、僕のゲーム人生の中で本当に一番の?物凄い衝撃だった。
当時やった人じゃないと、その凄さは想像しにくい気もするが『スーパーマリオ』は、色んな部分で面白さや快感度が。それまでのゲームが全てどうでもよくなり「スーパーマリオと、それ以外のゴミクズ」というくらいの差があった。
スーパーマリオ』内のマリオ(&ルイージ)が出来るアクションは、歩く、走る、ジャンプ、助走をつけてのロングジャンプ……これだけ。しかし印刷物などの二次元に奥行きを与えるだけで我々が暮らす3次元空間になるのと同様に、ただこれだけのアクションでゲームを新次元に導いた。
マリオのアクションだけでなく「敵のリアクション」も神だった。それまでのファミコンゲーム等ではプレイヤーが操作するプレイアブルキャラクターが敵に触れると一方的にこっちが死んでたわけだが「上から踏めば殺せる」という要素が増えた。それだけじゃなく「トゲが生えてるから踏めないキャラ」が居たり、飛び道具出してるから踏みにくいハンマーブロスが居たりと、単純ではない。
そしてマリオのアクションには緩く慣性が働いており、―この慣性が最も重要だったと思うのだが―これによって空中で少しだけ位置を変えるマリオ、ダッシュして急停止するとF1レーシングカーのようにキキーッ!と煙を上げて停止するマリオなど、任天堂のゲームには動かして「これこれ、この動き!」と言いたくなるようなプレイヤーに任天堂ゲームでしか得れない種類の快感を与えるドラッグ的な快楽要素があった。
とにかく『スーパーマリオ』に出会った当時の小学生の感覚は当事者じゃないとわからないと思うが、面白すぎて元々脳内物質が多い男児の脳に脳内麻薬が溢れてマリオのことしか考えられなくなった。普段、生活しててもマリオの事を思い出すと腕組みして立ち上がり「ちょっと待って!?マリオのこと考えたいから!」と絶叫しながら部屋をグルグル歩きまわって気を落ち着かせる必要があった。ゲームソフト買ってもらえなかったからスーパーマリオ持ってる子の家に遊びに行ってプレイする順番を待つ必要があったが苦ではなかった。あの頃の自分をタイムスリップで連れてきて本作を見せたら喜ぶだろうな……いやそれ以前に3DCG自体がないから「な、なんだこの立体的な絵のアニメーションは!?」と小便漏らして失神やがて即死するかもしれないからやめておいた方がいいかもしれない。ゲームの『バーチャファイター』→『トイ・ストーリー』みたいに段階を踏んで見せないと即死する。
「僕と任天堂」を語ると、スーパーファミコン以降はカプコンSEGA洋ゲーなどのバイオレンスや「B級アクションアメリカ映画みたいなゲーム」を求めていったので、任天堂ハードやカートゥーン的な世界観の任天堂ゲームからは離れてしまった。しかし前述した「任天堂の気持ちよさ」は知識として、そしてそれ以上に体感として残っているので「もうやらないけど任天堂リスペクトやで」という気持ちだけは残った。
たまに他人の家で任天堂ハードを触ったり、スマホ任天堂アプリを触ったら「相変わらず触った時の快感があるなぁ」と、街に出て実家を思うような感じで任天堂パワーを感じてはいた。
映画の本作に期待するなら、この「任天堂ゲーム特有の気持ちよさ」かな?と思いつつ、観に行く予定ではなかったが時間を潰す必要があったので公開終了数日前に観た。

ネタバレあり

 

 

 

 

Story
ニューヨーク・ブルックリン配管工を営む元気なマリオ(CV:クリス・プラット)と気弱なルイージ(CV:チャーリー・デイ)の双子兄弟の青年。
父親に貶されながらも配管工事業を立ち上げた兄弟だったが、ある日ふしぎな土管に吸い込まれ、マリオが到着したのはピーチ姫(CV:アニャ・テイラー=ジョイ)が統治する不思議なキノコ王国ルイージはカメ族の大魔王クッパ(CV:ジャック・ブラック)が統治するダークランドへ落ちて囚われの身になる。
クッパは、あらゆる世界を支配する野望を行動に移し侵攻し始めた。
マリオは、ピーチ姫や従者キノピオ(CV:キーガン=マイケル・キー)と共に、ジャングル王国を訪れ、王子のドンキーコング(CV:セス・ローゲン)に協力を募る。
マリオはクッパを倒しルイージを救えるのか?――

みたいな話。

 

最初に、現実社会のNYでイタリア系移民と思われるマリオブラザーズや両親の暮らしをバッチリ見せたのが良かった。
正直、いきなり冒頭からブロック殴ってキノコ食って大きくなったりしてたら、僕もどうやって映画世界に入っていけば困惑しただろうから、この入りは凄く良かった。結末も含めて「マリオブラザーズは不思議な世界で冒険はするけど普段、実生活しているのはNYで配管工してる青年」という地に足付いた設定がよかった。兄弟の家族を出したのは任天堂のアイデアらしい。そして「マリオはキノコ食べるのが苦手」という事も初めて知った。ちなみに最近知ったのだがマリオは中年男性ではなく20代前半の若者らしい。ヒゲとか丸い身体とかでオッサンかと思ってたね。オッサンなら可愛い挙動が多すぎて少し気持ち悪いので確かに若者の方がいいね。
兄弟は地下の土管の不調を直しに行くと不思議な施設?があり土管に吸い込まれ、兄弟はそれぞれ別の不思議な世界へ行く。映画を最後まで観てもこの地下施設が何なのか、なぜ違う世界に繋がる土管があったのか等はわからない。何者かが異界への扉を開く研究してたのか?逆に向こうの世界からの干渉で現実世界と繋がったのか……わからない。まぁ別にその理由はどうでもいいので、その辺の説明を端折ったのは正解だろう。
ダークランドに落ちたルイージは『ルイージマンション』的な流れでクッパに捕まる。
一方、キノコ王国に落ちたマリオはキノピオやピーチ姫と知り合う。
クッパはペンギン王国を初めとした色んな国を征服しており、やがてはキノコ王国も攻められるだろう、という事でマリオはピーチ&キノピオとチームを組んでルイージ救出&クッパ打倒の旅に出る。
そしてジャングル王国で、マリオvs.ドンキーコングという戦いを経てドンキーも仲間になる。ファミコンソフト『ドンキーコング』(1981)の中でマリオと戦ったのはコイツ……と書こうとして調べたら、そのコングは本作のコングではなく王国の年老いた王様クランキーコングの方だった。本作の若いコングは『スーパードンキーコング』(1994)とかスマブラに出てる、初代ドンキーコングの孫で『ドンキーコングJR.』主人公ドンキーコングJr.の息子(ゲームでは孫)にあたるみたい。本作の若いドンキーコングはクランキーの息子になっていてゲームの〈ドンキーコングJr.〉にあたるコングは本作には出てこない。設定がややこしいからJrと現役コングが統合された感じ。本作のドンキーコングは、劇中マリオと張り合いながら冒険を続けるマリオのライバル的な立ち位置。
マリオはピーチ姫と共に闘う資格があるかを査定される試練や、このコングとの対決では、いかにも『スーパーマリオブラザーズ』的な「細長い一本道」で闘う。冷静に考えると不思議なステージなんだが、ピーチ姫との試練では「こういう試練のコースなんだな」という感じだし、コングとの闘技場では『魁!男塾』によく出てきそうな細い一本道が何本もあったりして「こういう闘技場なんだな」と思わされるので、横スクロールアクションゲーム的な細長い場所で闘う事にあまり疑問が沸かない感じになってるのが上手いなと思った。
また、それらの闘いで「どこの国においても〈?マークのブロック〉を叩くとパワーアップアイテムが出る」「赤いキノコを食べれば大きく強力になるが青いキノコを食べると小さく弱い肉体になる」「大きくなっててもダメージを負うとキノコパワーが切れて元に戻ってしまう」「ファイヤーフラワーを触れば発火能力が、猫スーツを着ると猫のパワーが使える」など、不思議な国々のパワーのルールを見せていくくだりもスムーズ。「何でキノコで大きくなるんだ?」などと言っても仕方ない。これらの世界ではそういう世界なんだから説明する必要はない。
ただ「そういえばキノコ人間だらけのキノコ王国で、ピーチ姫だけは何で普通の人間の美人なんだろう?」と思ったと同時に劇中でピーチの過去回想が一瞬入る。どうやらピーチ姫は赤ちゃんの頃、マリオと同じようにポータルを通ってキノコ王国にやって来て、キノコ人間たちに育てられて姫に据えられたのだった。そうだったのか、初めて知った……ピーチの両親のことを考えると胸が痛むので考えるのはやめておこう。ピーチは活発で表情豊かで妙に好戦的な魅力あるキャラになっていた。
また、ピーチもファイヤーフラワーでファイヤーピーチになれるみたい(あと終盤ではアイス・ピーチにもなっていた最近はあんなアイテムもあるの?)。コングもキノコで軽いパワーアップしてたし、やろうと思えばマリオ以外もアイテムでパワーアップできるのね。

 

 

マリオ達はジャングル王国で、カートやバイクなどを作ってもらいレインボーロードを爆走する。レインボーロードはペンギン王国やキノコ王国やダークランドなど様々な世界を行き来することが出来る。MARVELの『マイティ・ソー』シリーズでも虹の橋ビフレストを通って別の世界に行ってたな。何か「虹の橋で別世界に行ける」みたいな元ネタが北欧神話にあるのかな。
で、レインボーロードでは『マリオカート』的な展開になる。カーチェイスしたりカメを投げつけたり凄く楽しい。
で、この映画は面白いかどうかという話をまだしてなかったが結果から言うとかなり楽しかった。
「良いとか悪い以前に、どう観ていいのかわからない……」と言っていた映画ファンの人や映画評論家が多かった理由も少しわかる。任天堂ゲームに対する興味を抜いて映画的に評価するなら「現実の社会にどれだけ結びついているか?」もしくは「斬新な映画づくりをしているか?」というところが評価ポイントになるわけだが本作の場合、映画の構造や描写は素晴らしいアニメーションだが別に新しいところは何もなく現実の社会に結びつく描写も「アメリカに住む移民が活躍」「ゲーム一作目では囚われてるだけだったピーチ姫が自発的に大活躍」というポイントしかなく、それよりも「マリオ!」「任天堂の過去のゲームオマージュ」の方が遥かに多い、だから「映画としてどうか」という視点だけで観る人は「良いとか悪い以前に、どこをどう観たらいいんだろう」と混乱したのではないだろうか。親戚の子をポケモン映画とかプリキュアに連れてって観た時の気持ちと似てると推測(普段からポケモンをプレイしてたりアニメ観てたりしてたらともかく触れてないと流れや文脈に通じてないからね)。
マリオや任天堂ゲームのネタが本編で色々出てくるが、……たとえばヨッシーが一瞬だけ出てきてヨッシーのテーマが1秒だけ流れたり、地元で兄弟に意地悪するおじさんは『レッキングクルー』のマリオのライバルキャラだったりとか、しかしそういうファン喜ばせ要素はどうでもよくて割と映画そのものを楽しく感じたのが意外だった。さっきも書いたが冒頭の「NYで配管工をしてるイタリア系移民」というマリオのガチ私生活をじっくり……本編93分からしたら相当長い私生活パート、あれが長かったのが良かったのかな?普通だったらかったるくなりそうな冒頭だが、ことマリオに至っては「マリオ=いつも非日常で大暴れしている男」という非日常的なイメージが強いキャラだから普通の映画とは逆で「ほほー!これが普段のマリオ?チビだけど勇敢で?へぇ~キノコが苦手なんだ!?」と普通だったら退屈に思いそうな日常描写が、ことマリオに当てはめると全て「非日常なシーン」に変わってしまい興味津々なシーンに映ってしまうのが面白かった。そしてそんな日常シーンがあったから映画に入って行き易かった。その辺すっとばして、いきなり故・安倍元首相のように土管からマリオが現れるところから始まってたら、残りの展開が全部そのまんまだったとしても全然面白くなかったかもしれない。かなり値千金の日常描写だった。あと「配管工って、ポルノとかAVでは定番の男性キャラだが、確かに突然他人の家にお邪魔する配管工なら人妻だろうがセレブだろうがお嬢様だろうが年齢職業関係なく同じ空間に男を出現させられから確かに便利だな……」と、エロ作品における配管工の便利さについて考えたりもした。
そしてキノコ王国に行ってからの本編の面白さについて考えてみよう。
冒険そのものは仲間との絆を深めつつトールキン的な「行って帰る物語」で敵のクッパもピーチと結婚して世界を征服したい割と単純な悪。別にストーリーに深みがあるわけじゃないが面白いし終盤は感動すらあった。何故だろう?
「なるほどマリオのキノコやフラワーはそういう感じのアイテムなのね」というゲームを懐かしむ感覚もあった。だがそういったオタクをニヤリとさせる要素だけでは映画は持たない、確かに本作独自の面白さがあった。それを知りたい。
一つ確かなのは観てて気持ちいいっていうのがある。宮本茂が映画制作に入ってミリ単位でこだわったらしいアクションのタイミング、これは確かに凄く良かった。特訓コースのお手本を見せるピーチ姫やピーチのカートゥーン的な表情の移り変わり、vs.ドンキーコング戦、マリオカートのカーチェイスなど、どのアニメーションも観ていて単純に気持ちよかった。前置き部分で、自分が思う任天堂ゲームの一番の魅力は「動かして感じる気持ちよさ」と言ったが本作も観てて気持ちよかった。……やはり過去に任天堂ゲームをプレイした気持ちよさが身体に体感として残っていてそれを思い起こさせたっていうのがあるのかもしれないね。
あと非常に無邪気かつドラッギーな世界で大暴れするわけだから、そういった童心が心に残ってないと面白くないかもしれない。「マリオ=キノコや花や星を食ってパワーアップするヒゲの男」という要素も90~2000年代のテクノ系のクラブみたいだし、そういった素養があると面白さを感じやすいかもしれない。マリオのアクションやマリオカート部分で不思議と全く関係ないはずの、30歳前後の時にミニマルテクノのクラブに通ってた時の事を思い出したもんね。何か「あっこの感じ」と感じて”気づき”を得たら入っていける種類の楽しさが本作にはあるのかもしれない。論理的に説明するのは難しいのでこの面白さについて説明するのは放棄しよう。
アニメで観て気持ちいいのはかなり重要だし、あと何回か観たいもんね。再来週公開される『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023)も気持ちよさそうだけど多分、マリオの方が気持ちいい気がする。

ラストバトルは『聖戦士ダンバイン』終盤のように現実世界NYブルックリンに全員が出現して闘う。マリオもクッパにボコボコにされて一度は心折れるが、貯金をはたいて制作した『マリオブラザーズの配管工事』CMを観て勇気を出す(この場面のヘコたれるマリオの表情は初めて見た顔だったのでドキッとした)。立ち上がり、取れば無敵になるスターをクッパと奪い合うマリオ。
最終的に気弱だったルイージクッパの火炎放射からマリオを救う。最後の最後で「マリオブラザーズ」が完成したかたち。二人はすぐ側のスターを拾って「無敵」になるのだが「仮にスターを取ってなかったとしても兄弟は既に無敵である」とでも言いたげな描写が痺れる感じだった。
スーパーマリオブラザーズは近くのスターを取って物理的にも「無敵」になる。
スターを取ったから無敵になったのだが、スーパーマリオブラザーズが勇気を出して一つの悟りを得たから覚醒したようにも見える。実際おなじようなものだ。
このスーパーマリオブラザーズの無敵具合は、香港映画の武侠ものを思わせる「悟った瞬間に1万倍くらい強くなる」塩梅の、自分が好きな感じの覚醒描写だった。『カンフーハッスル』(2004)とかの覚醒しすぎる感じね。
NYを救ったスーパーマリオブラザーズの活躍はリアタイで、兄弟を下に見ていた父親も称賛するし、近所の意地悪なスパイクも「あいつらスーパーマリオブラザーズだぜ!」と称賛する。スーパーマリオブラザーズはNYも幾つかの世界も救い、認められたかった父や街の人達にも称賛され、後日からの配管業者としても順風満帆だろうし見事な自己実現を果たす。そして捕まったクッパが「ピーチの歌」を唄ってキノコ衛兵に怒られる。そこで映画がスパッと終わる。この辺のスパッとした感じも任天堂っぽさを感じた。何だかんだ言いつつ大人が観てもつまらない気がして観るの遅くなったが結果的に凄く良かった。自分で観ないとわからないもんですね。
幾つか見つけた気はしたが「何で今自分は面白いんだろう」と思ってしまうような判別しにくい面白さだった。もう見飽きたようなアメリカ映画アニメのお約束が少なめで任天堂のお約束が多かったのも新鮮でよかったのかも。アメリカ映画といえばアメリカの懐メロがよく流れるのも近年のアメリカ映画っぽかったね。
不満は特にないが僕が好きだったハンマーブロスが出てなかったことくらいか。最初はマリオカートの時の兜かぶったカメ……敵のリーダーがハンマーブロスかと思ったらアレは「ノコノコ大将」と呼ばれている全く新しいキャラだったらしい。あいつの役割がハンマーブロスで良くない?僕の中でハンマーブロスは「『魔界村』におけるレッドアリーマー」みたいなクールな中ボスポジションだったんだが……。
追記:……とか思ってたら、彼は『マリオカート』で出てくる追尾する青いトゲゾー甲羅の正体だった!という事が最後にわかるキャラだった事を教えていただきました。『マリオカート』自体かぞえるくらいしかやった事なくて青いトゲゾー甲羅の存在自体忘れてたので彼が青いトゲゾー甲羅になってマリオとDKを破滅させた結末についても「何で急に強くなったの?」とピンと来てませんでした。自分はスーファミまでのマリオの記憶があったから楽しめたけどアメリカの任天堂に特に思い入れないアメリカの批評家のスコアが低かったのって「ノコノコ大将→実はマリカーでお馴染みのアレでした!」というネタがわからなかった僕みたいに「何でここでこうなるの?」と全編思い続けて楽しめなかったのかも?と思いました。

ヨッシーとか、わざと数秒しか出さなかったし本作も確実に続編を制作するだろう。
その後『メトロイド』『ゼルダの伝説』とかも作って欲しいね?そうなると最終的に『スマッシュブラザーズ』を期待してしまうがスマブラが実現しなくても、それ以前にメトロイドとかゼルダとか観たすぎるし宮本茂も毎回参加してほしい!
別にそれら有名タイトルじゃなくても、この座組ならば『パルテナの鏡』とか『謎の村雨城』とか『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』だろうが何でもいいから初日に行って観たいと思った。
もう30年以上、任天堂ゲームに触れてない自分でもそうなんだから現役の任天堂ファンは更に盛り上がれたんだろうなと思った。

 

 

 

 

そんな感じでした

『ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー』(2018)/ほぼ全編ギャグだけどDCEUのどの実写映画よりグッと来ました。マリオの映画の監督&脚本だけあって全体的に似てた🎬 - gock221B

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www.nintendo.co.jpThe Super Mario Bros. Movie (2023) - IMDb

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