gock221B

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「ラッキー (2017)」どうやって死をポケットに入れて今までどおり自分らしく過ごすか?という全人類必見の映画🐢

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原題:Lucky 監督:ジョン・キャロル・リンチ 製作国:アメリカ 上映時間:88分

 

 

 

2017年に亡くなった名優ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作。
Harry Dean Stanton - IMDb
ハリー・ディーン・スタントンといえば「パリ、テキサス」「レポマン」‥らしいのだが実は僕どっちも観てなかった。だから自分にとっては〈デヴィッド・リンチ作品によく出てくる人〉という認識、「ストレイト・ストーリー (1999)」はこの人が出てくるというのが大オチだったし「ツインピークス (2017)」にもギリギリ出れた(だが遺作を調べたらツインピークスではなくTVの歴史ドラマみたい)。あとはジョン・カーペンター映画にもよく出てたし「エイリアン (1979)」とか。「アベンジャーズ (2012)」一作目で落下したハルクにパンツを与えたキャラとして出てきたので、このじいさんもMCUキャラの一人だ。
おじいちゃんっ子だった自分の早くに死んだ祖父が、こういう感じの若い頃ハンサムだったであろう男が筋だけになった感じに萎びた老人だったので、この人とかイーストウッドを失われた祖父として尊敬視している(あとSWのターキン総督もか)。
とにかく見た目と雰囲気がカッコいい老人として認識していた。20年前の時点で既にジジイだった。
John Carroll Lynch - IMDb
監督のジョン・キャロル・リンチはこれがデビュー作みたいだがベテランが撮った映画みたいで凄い(それにしても俳優が監督作したら荒野が舞台の老人映画が多いのは何故だろう?)。知らないが名字が「リンチ」なので「デヴィッド・リンチの親戚か?」と思って検索したら全然違った。頭の薄いバイプレイヤーの人。 映画好きなら顔見たら「あぁ、この人ね‥」と気付くだろうが目立つ役あまりしないガチの脇役俳優なので出演作がパッと出てこない人。僕的には「グラン・トリノ (2008)」でイーストウッドと憎まれ口を叩きあう仲の良い散髪屋の親父の役が印象的。あと「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ (2016)」のマクドナルド兄弟の兄役。本作も、そんな感じで主演のハリー含めて脇役老人アベンジャーズ状態となっているが、これは仕事で書いた記事とかじゃなくて自分の只の感想なので自分が知ってるジジイの事だけ書く。

 

🐢

 

ハリー・ディーン・スタントン演じる90歳の独居老人ラッキー。
目覚めると自己流のヨガ体操をして煙草吸ってコーヒーを飲み、カウボーイハットを被って行きつけのコンビニエンスストアで煙草を買い、行きつけのダイナーに行きクロスワード・パズルを解く。日が暮れたら近所の不良老人が集まるバーに行きブラッディ・マリーを飲む。
趣味嗜好や特技としては、煙草と音楽が大好き。ハーモニカ吹いたり音楽番組観たり時には歌うことも。従軍経験のおかげかスペイン語が少し話せる。
詳しい過去は謎だが、若い頃はイケメンだったこと、第二次大戦中は海軍に従軍していた(ハリー・ディーン・スタントン自身もそうで沖縄戦も経験したみたいだし、このキャラは色々とハリー・ディーン・スタントン自身にダブる部分が多く、あて書なんだろうね。まぁポスター見ただけで当て書感がバンバン出てるよな。だから観たんだが。そうでないとジジイの日常を描いた映画とか中々観る気になれない)。
無神論者で現実主義、シニカルな個人主義者。同年代の老人や女性や犬には優しい。時代に取り残されたジジイなのでゲイとか見かけると「やれやれ世も末だ」的な反応を見せる。
だが時代に取り残されて風化寸前の頑固ジジイなのにも関わらず、ボディがジジイって以外は若者の時からずっとこうなんだろうなって感じに見えて、嫌な年寄り臭さを感じない。「ワシはこれでいいんじゃ!」という嫌な自我の維持じゃなく、「俺はこう、70年後も70年前から変わらずこう」といった普遍的な自我の維持をしてきた感じ。
一言で言うとどっからどう見てもジジイなんだが彼がイケメンだった若者の時に見える瞬間がある。英語なので一人称は一つしかないが、もし日本語だったとしたら歳取ったから「ワシ」と言うようになるんじゃなくて何時までも自分のことを「俺」と言いそうなタイプ。だからといって幼いわけではない。
いわば不朽の老人。そんなジジイ。
そんな何時もの日課をこなしていたラッキーだが、ある朝突然倒れる。
病院に運ばれて?検査の結果、、、特に異常は何もない。
煙草を吸い続けているが健康には影響なかった。‥ちなみに自分の祖母も子供の時から90代で安らかに亡くなるまで煙草を吸い続けてたせいか煙草が‥まぁ健康に良くは無いだろうが政府が急に言いだしたほど異常に悪いというイメージもない。俺はハイライト。
医者は「遺伝子が良いのかな?医者としては煙草を止めるよう言うべきだろうがアンタの場合もう吸ってた方が良さそうだ」と言う。
ラッキー「それで俺が倒れたのは何でだ?」
医者「精密検査してもいいが多分わからんだろう。一言で言うと‥歳だから?」
どうやら単なる老衰寸前。病気じゃないのは良かったが逆に言うと治療の方法はない。人類はまだ不老不死を得てない低レベルの科学力だからな。ちなみに俺は「あと40年以内くらいにシンギュラリティによって不老不死が実現しないかな~」と半ばガチで思っている。電脳化による擬似不老不死とかでもいいや。人生って短すぎないか?寿命があってもいいが少なくても400年くらいは生きたい。そんな感じで最近シンギュラリティがどうの電脳化がどうの「現世は仮想現実説」がどうのって話ばかり好きなのって、自分が中年になったので昔の年寄りで言うと、やたら仏壇拝みだしたりする現象の現代版?と思ったりもする。身近なものだとVRとか「全編主観視点で撮った映画」とか異常に好きだし。まぁ無害なのでいいだろう。
話を元に戻そう。
一言で言うとラッキーの身体は充電が切れる寸前のスマホのような状態らしい。
自分の死がすぐ近くまで来ていることを実感し、さすがのラッキーもナーバスになる。

 

 

 

そんな感じで、本作はハリー氏本人を思わせるラッキーの日常を描いたもの。
ドラマ性のあるトピックと言えば、序盤にラッキーが倒れたこと、デヴィッド・リンチ演じる親友のジジイが飼ってるリクガメが逃げてリンチはそのリクガメに遺産相続させようとしていること、後半ラッキーはコンビニエンスストア店主のスペイン系おばさんに誘われてホームパーティに行くことくらいしかない。
あとはバーで友人の老人達と喋ったり、ケースワーカーのお姉さんと一緒にマリファナ吸ったり、ひたすら散歩したりしているだけだ。
だけど凄く面白い。これ観る前にスターが多く出ている派手なエンタメ大作とか冒険映画映画を観ようとして冒頭の10分だけでおもんなさすぎて途中で観るの止めてしまった。同じ10分でも本作の場合、ハリー氏の事が好きだとはいえジジイが起きて運動したり歯磨きして散歩に出かけてるだけなのに「これは良さげだ」と観る気になって最後まで集中して観れた、この差は何なんだろう。
昔から思ってることだけど「第一幕→第二幕→第三幕と進んで観終わった後で「面白かったな」と後から判断する事もあるが、自分に凄くはまる映画の多くが、冒頭の風景とか主人公が目覚めたりするだけでもう面白いとわかるのは何故なんだろうね?別に好きな人物が関わってるからと言って最初から贔屓目に観てるわけじゃないんですよ。死ぬほど好きな監督やお気に入りの俳優の関わった作品や、貶しにくい大人気上映作でも「こりゃ全然ダメだ‥」とハッキリ思う方だし、友だちや知り合いが創った作品や文章や音楽とかでも「あまりそう思いたくないが良くないかもしれない‥、頭の中で1から数でも数えてた方がマシなくらいには‥」と思ったりする。もちろん大人なので「お世辞は要らない!忌憚のない意見を訊かせてくれ!」などと真剣に迫られない限りそんな事は言わず皆と同じ様に笑顔で「良かったよ」と言うだけだが‥。
そんな感じで不思議だが、シニカルな独居老人の日常映画だが映画が開始してすぐにそして終わるまで楽しむことが出来た。

 

 


‥と「じいさんの何もない日常」とか散々書いたが、本作は全編ラッキーが死に向き合う映画でもある。映画が一番数多く描いてきたテーマは〈死〉なので本作は映画ど真ん中と言えるし、〈死〉は、食や睡眠同様どんな人間にも等しく最後に訪れる現象なので、逆に言うと本作は全人類対象映画と言っても過言ではない。
〈死〉というのは究極のリアル。自分が死ぬとは思ってない20歳くらいの子にとっては〈死〉はファンタジーと大差ない、おっさんの俺でも未だに「宇宙の特異点や時空の歪みが偶然、奇跡的に俺と重なって何とか死なないようになるんじゃないか?」と1%くらい本気で思っている。そんな事少しでも思うのも我ながらアホだな~と思うが、そんな空想したり映画観てブログを更新する楽しみもなく毎日、世界や日本や自分の現実などだけ見つめるようにしたら多分自殺するしかないと思う。日本人は戦時中並の異常な数の人が自殺してて、借金苦や精神的な病気以外で自殺しちゃう人の多くは現実を見つめすぎたんだと思ってる。
どんだけ金儲けしても有名になっても友だち百人作ったりSEXしまくっても人を殺したり支配しても、どんだけ盛っても柔軟剤やボディクリーム塗って良い香りさせてもTikTokでいい波乗っても死は必ず訪れる。腐った肉になるか焼かれるかという、ただのクソリアル(孤独死の場合〈死ぬほど臭くて真っ黒い水になる〉という更なるリアルがある)。
人がホラー映画とかを怖がるのは当然ホラーの殆どは〈死〉を扱ったものだからだ。
これが邦画だったら、異常にウェットでサブキャラがしくしく泣き始める嫌な感じの映画になりそう、また逆に「これはどこの現実なんだよ」と思うくらい殺伐とした純文学めいた映画になりそうだが本作は至って自然で、知らない間にポケットに入っていた死を取り出して、そしてまたポケットに入れる、みたいで丁度いい映画だった。もう本作があるから老人が死を見つめる映画は観なくていいや、そんなに見つめたくないし。
ラッキーは、俺が映画や本などのアメリカ文化の中で最も好きな部分‥シニカルだがユーモアを持った個人主義、の塊のジジイであるため、そんなジジイを乾いた感じで描いてるというのが丁度いい。ラッキーは家族が居ないことを寂しがる場面はない。
割と序盤でラッキーは「『孤独』と『一人』は違うぞ」と言う。
ラッキーは、どうしようもなく一人暮らしになってしまったのではなく好きでやってるから憐れむな、と言いたいんだろう。中年や老人じゃない若い子でも「クリスマスや誕生日を恋人と過ごさなくても十分楽しいんだけど、恋人が居ないことより憐れまれるのがキツい」と思う人は多いと思う「辛いわけじゃないよ?」と言っても強がってると思われて余計に憐れまれるので自分を擁護することもできない。そして不幸とは選択肢が減ることだと俺は思ってるので、この場合〈発言する〉という選択肢が減る、恋人が居ないことは不幸じゃなくても第三者によって不幸にされてしまう。アンラッキー。
僕は割と孤独が好きだが、逆に大勢の友だちと騒いだり誰かと住んで他人のためばかりに何かしたり不自由だったりするのも好き、別に孤独も孤独の真逆も好きで、孤独の場合「さみしいよ~」と思ったりするのは30過ぎたら無くなった。まぁ無いのもそれはそれで問題だと思うがそれは置いといて、孤独そのものは好きであっても、それが他人に知られた時「あの人孤独なんだ‥うわぁ~カワイソー」みたいな憐れみは避けようがない。僕は大勢で騒がしくするのも孤独で過ごすのもどっちもやって自分はどっちもいけるとわかった後で「両者は同じようなもの」という結論を得たので、納得を得た俺は孤独でもその逆でもどっちでも良いのだが他人がどう思うのかはコントロールできない。そこが問題だな。まぁ最終的には別にどう思われてもいいから好きなようにする、という結論に達するが。
何か今回は話がよく脱線しますね。まぁとにかくラッキーの居様(いざま)が気持ちいい映画です。
 

 

 

ラッキーはハリー・ディーン・スタントン同様、第二次大戦中は海軍に従軍しており我々の先祖と闘っていた。ハリー氏もそうなのかは知らんがラッキーは揚陸艦でコックをしており、飛んでくる戦闘機に恐怖する日々だったらしい。
行きつけのダイナーで、やはり第二次大戦中に従軍経験のあるジジイと知り合い、ラッキーにしては珍しく笑顔で戦争の思い出を話す。
このじいさんを演じてるトム・スケリットとかいう俳優、誰だろう観たことあるような‥と思って検索したらロバート・アルトマンの僕の好きな戦争コメディ映画「M★A★S★H マッシュ (1970)」の主人公の一人デューク役の人だった。そして「エイリアン (1979)」でノストロモ号のダラス船長役の人だった。こんなに総白髪になったらわかんないもんですね。というか「M★A★S★H マッシュ」から50年も経ってるんだから、こうなるとほぼ別人やろ!「エイリアン」の彼とも人相が違ってて同一人物だと認識できん。
ハリー・ディーン・スタントンはエイリアンの抜け殻を発見して殺される役だったしノストロモ号の同窓会でもあったのね。調べてよかった。
とにかくトム・スケリットは戦時中、フィリピンだかどこかに上陸したら「米兵にレイプされるくらいなら死んだ方がマシ」と思った島民が次々と崖から投身自殺した話をする。また死を前にして笑顔だった少女の話をする。あまりの壮絶さにラッキーも絶句する。
その少し前にラッキーが何者かに電話するシーンがあった。
ラッキー「幼い頃、俺は空気銃で遊んでいて鳥を脅かそうと撃ったら鳴き声が消えた、人生最悪の日だった‥」という独白、それだけだった。
あまりに凄い雰囲気だし、恐らく従軍中のラッキーが戦地で脅かそうとして子供を誤射した時の懺悔をしているのかも。ひょっとすると、もっと口に出せない事実だったのかもしれない。最初は不思議なシーンだと気に留めなかったがトム・スケリットが少女の話を後でしたから、やっぱそういう事かなと思った。そういえば自分が知ってたお年寄りが死の直前、唐突に僕に戦地の人‥特に女性や子供は軍人を恐れたが自分たちは恐れられず一緒に仲良く食卓を囲んで食事をしたという話を何度もし始めて、話そのままの話だったのかもしれないが何か奇妙な違和感を感じ、割と頻繁に思い出して「あれって俺に懺悔する気持ちで事実とは全く逆の事を話したのでは?」と何度も思うことがある。死んだから訊けないし、また生きていたとしてもそんな事は訊けないのでどっちにしてもわからない。理屈でなく何か潜在的なセンサーに引っかったのできっとそういうことなのかな、と思う。現代はネットの発展で「1か0か」と、事実の在る無しがハッキリ別れて周知されている事が多いが、実のところ現実の世の中というのは濃霧のようなもので霧が薄い部分がたまに月明かりに照らされて垣間見えるだけのことだ。だから、そんな部分ばかりを見て「色々わかっちゃったな!」などと世の中を見切ってはいけない。見切れば自分では気づかないうちに、ただ堕ち続けるだけだ。この「自分では気づかないうちに」というのが一番恐ろしい。
とにかく友だちや知り合いは大勢居て知らない人とも溶け込めるラッキーに家族が居ないことや彼のシニカルさ虚無性は、そういった「人に言えない過去から起因するもの」から来てるのかも知れない。その辺を匂わすだけなのが良いですね、つまんない邦画ならクライマックスで号泣しながら全部口に出して独白してしまいそうだ。そうなると「あーうるせえうるせえ!穴掘ってそこに喋れ」と思いかねない。俺が言ってるラッキーの過去もあったかどうかはわからない推測しただけなので無いかもしれない、だが推測するように映画を作っている。そこがいい。
ところで聞き逃したのかも知れないがラッキーは誰に電話してたのかよくわからなかった。かかってくる事もあったが相手の声は聞こえなかった。ひょっとすると電話はどこにも繋がっておらず懺悔として電話に向かって話してただけなのかもしれない。まぁ神に話してたのかもしれない、そうすると掛かってきたのは死が迫ってきているという事かな。この電話がオモチャみたいに真っ赤だし、その映画的なサインは「この電話は非現実のアイテムだよ」というサインだったのかもしれない。そういえば行きつけのバーのイケメンじじい(彼も元スターが演じてるのだが俺が知らんから割愛)が急にふらっと外に出て赤い建物に近寄りラッキーも近寄るが入らない謎のシーンがあった。あの謎の建物も〈死〉のメタファーなんだろうね。ラストに出た庭園も‥。
またラッキーは、心配して訪ねてきてマリファナまで吸わせてくれる親切なケースワーカーに、ブリったついでに、ここだけの話として彼女だけに自分の独白を聞いてもらう。それは、
ラッキー「‥怖い‥
という一言だった。
ラッキーは、診断の直後にちょっぴりナーバスになっただけで全編(ラストまで)飄々としていて、ここだけ〈死〉への恐怖をむき出しにするのでハッキリ言って、このシーンめっちゃ怖かった。ラッキーの表情、雰囲気‥「地獄の黙示録 (1979)」ラストでも同じセリフがあったが、こちらの方が何倍も響いた。我々がホラー映画を全編観て「怖いな怖いな~」と感じる2時間を2秒に凝縮して叩き込まれたようなもんだ。
その後は、コンビニエンスストアのおばさんに誘われたパーティに出かける楽しいシーンや行きつけのバーでラッキーが自分なりの結論をジジイ&ババア仲間に口にする暖かいシーンがクライマックスになる。

 

🐢

 

何か今回は妙に長くなったが割と核心などのネタバレはしなかった気がする。というかリクガメの話や本作を観ての感想すら殆ど書いてない気がする!記事タイトルの感じかな?あまり個人的すぎる事は書かない方が良いかなと思ってラッキー同様、周辺をウロウロしていたような感想になりました。何もかも全部書いたらだせーし。
かなり好きな映画だった。映画好きなくせにソフト滅多に買わないんだが本作はブルーレイ買うかもしれん。何しろ主人公が90歳だから90歳になるまで目上の話として観れるしね。
だけど僕は主演や出演者、監督の一切気取らないがカッコいい語り口、孤独な男が死と向き合うというテーマなどが個人的にヒットしたが誰もが観て面白いわけではないと思う。20歳くらいの若者が観ても「自分のおじいさんを思わせる」などの理由がない限り面白くはないんじゃないかな?わかんないけど。
「孤独」映画というよりも「孤立」映画と呼びたい感じ。
イーストウッドの「運び屋 (2018)」の主人公は、彼が演じたにしては人間らしいキャラにした方だがそれまでまだまだ〈常人では到達できなさそうな個人主義者ジジイのキャラ〉だったが、ラッキーはもう少し現実的に〈自分たちが心の持ちよう次第で近づける個人主義者ジジイ〉として認識した。
憧れの孤立ジジイと寄り添える孤立ジジイ。ジジイ孤立映画はこの2本できまり!
自分の中で尊敬する「ジジイ四天王」として〈チャールズ・ブコウスキー水木しげるクリント・イーストウッド。リック・フレアー〉らが四柱だったが、本作も良かったのでハリー・ディーン・スタントンも入れて「ジジイ五神」にしようかな。
「さほど興味ないけどハリー・ディーン・スタントン死んだしリンチも出てるし、葬式代わりに観てみるか」と軽い気持ちで観たけど思いのほか面白かった。老衰寸前のジジイがウロウロしてるだけの映画なのに観た後、世界や生きる事に希望が湧いてくるというというのもポイント高し。
それにしてもラッキーがいつも飲んでるブラッディ・マリーだが、ウォッカ+真っ赤なトマトジュースに凄くデカい緑のセロリがぶっ刺さってる様が‥彩りが良すぎてめちゃくちゃうまそうだった!次にバー行ったら絶対飲もうと思った。あと家で酒飲む時も野菜や果物を刺すなどの精神的経済的ゆとりがあった方がいいのかも。
アメリカン年寄りが死を見つめる映画は必ずジョニー・キャッシュが流れるが、カッコいいのでまあいいか。
www.youtube.com

※追記
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‥と映画の感想をUPした後で、ブラッディマリー飲みたさMAXになったが明け方(AM4:00)に出かけたくないな~と思ったがコンビニにあるもんだけ(ウォッカ、トマトジュース、タバスコ、セロリ)で作れるじゃんと思って作った。味は‥ウォッカ入れ過ぎの感があるがまぁいい。あと劇中に出てくるコレ見て「セロリかじりて~」と思ってたが実際かじってみると何だか巨大百貨店の綺麗な御手洗いを食ってるような味だった。だけど、この酔いが覚めるような味は毎日、現実や暗闇を見据えるラッキーの気持ちに近づいた気がしなくもない、ラッキーは齧ってなかったけど。とりあえずクリエイティビティを満たせて満足した🍅🍹
※追記2
‥と書いた直後、お友達のセンセーに「ウォッカは30ccで粗挽き黒胡椒を入れたらいいよ」と言われたのでそうしたら美味くなった(画像右)。どうやらさっきのはウォッカが多すぎたようだ。ブラッディマリー作ったおかげで死ぬ前にまた一つ賢くなれた。
死!チーン

 

 

そんな感じでした

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映画『ラッキー』公式サイト

Lucky (2017) - IMDb

www.youtube.com

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