昔から映画の話をしてる時、
「スター・ウォーズ」シリーズのレイア姫(キャリー・フィッシャー)、サム・ライミ版「スパイダーマン」シリーズのMJ(キルステン・ダンスト)を「ブスだね笑」と言われると毎回イラッとする。
最初に言っておくが、僕はレイア姫やMJが、特別に好きなわけではない。
‥いや、まぁまぁくらいは好きだよ。
MJはまぁ普通だけどレイア姫は射撃が上手いし楽しいムードを出してるし結構好き。
そして別にフェミニスト的な観点からこう言ってるわけでもないと思う。
とにかく僕は昔からネットでそういう意見を見かけたら擁護に回りがち。
彼女たちが、誰から見ても美人ではないのは確かだと思うが、ブスだと言われる頻度があまりに多すぎる。レイア姫とか40年間くらい言われてるんじゃないか?そして、その意見を言う人は大抵、勝ち誇ったような顔で言うので、それが余計に腹が立つ。
意見そのものよりも、彼らor彼女らの言い放つときのドヤ顔がムカつくと言ってもいい。
若い時からたまに、ふっとこの事を思い出していた。
勿論そんな事ばかり考えて暮らしていたわけではないが、たとえば数年に一度、スパイダーマンやSWの話題がフッと出た時に「映画は好きだけどヒロインがブスじゃなければねw」みたいな意見が出るたびにイラッとして、そして何故ムカつくのかという疑問を思い出す。
レイアやMJをブスだと言う事自体が世界的に許されている風潮が長く続き、映画トークをする人らはそれに気づいて「これは言っても大丈夫」とばかりに次々と彼女らがブスだという話をして映画の話の波に手っ取り早く乗ろうとする‥その性根が気に入らないんだと気がつきました。
「自分は彼女らのことが嫌いだ!」という自分の意見があって言うのならいいが「特に好きでも嫌いでもないけど映画の話をする時には彼女らをブスという流れがよくあるらしい」という不要な空気を読んで言ってる感じが余計にムカつく。
レイア姫は置いといて、MJに至ってはブスってだけではなく「次々と男を乗り換えるビッチ」呼ばわりされる事が多く、これに対しても擁護したい気持ちがある。
確かに、MJはヒロインなのに複数の男の間で揺れている。そして不安定な青年ピーターから別の男に乗り換える際「ピーター、あなたにはもうついていけない‥」と言って去る、そして少し経ったら立派な男の横にいて「ピーター、これは彼氏のxxよ」と紹介してきたりする。かなり具体的にお知らせしてくれているわけだ。
現実世界の男女は、恋人と別れたくなったら常に複数または一人の別の相手と、精神的または肉体的に‥もしくはその両方で繋がりを持ちつつ、破局しそうになったり新しい恋人の方が良かった時にスッ‥と前の恋愛の終盤で乗り換え、それを元の恋人に言わずに元恋人と別れる人の方が多い(そんなバカな!と言う人はただの御人好しか幸福な人のどちらかだ)。
そう考えると全部、恋愛状況を告知してくれるMJはビッチどころかむしろ真面目な娘と言ってもいいくらいだ。ピーターはその辺疎そうだからなおのこと親切。
普通言わないから。
彼女はピーターに対しては誠実でいようと思っていて、だから言ってるのだ。
そう思うとピーターに感情移入して観て「ビッチめ!」などと思うのが如何にアホらしいかわかるだろう。
僕は、実のところMJ本人を擁護しているわけではなく、MJの事を好きなピーターを擁護しているのだ、という部分もある。
スパイダーマン一作目の冒頭、今ではおなじみのMARVELコミックをパラパラめくるMARVELロゴを観ながら早くも感動しているところにピーターのナレーションで
「これはMJという一人の女の子の話だ」と言って始まる。
毎回ここで何故か異常に感動する。
「これは君の映画だろうピーター!タイトル『スパイダーマン』だぞ。それを君はMJの話だというのか!」という気持ちでいっぱいになり、
「あぁ、ピーターはこの顔も性格も至って人並みの幼馴染MJが好きでしょうがないんだな。だから自分の話のことをMJの話だと思ってるんだ」と思い、感動させられる。
MJに対する彼の態度はそういうテイストのものが多く、どんどん自分の中でトビー・マグワイヤ演ずるピーターの株が上がっていく。それも「スパイダーマン」シリーズのカタルシスの一つだった。
僕にとってサム・ライミ版「スパイダーマン」は「ピーターはMJの事が大好き」というポイントが作品の半分くらいの魅力を占めてたので、個人個人の美醜の好き嫌いは一旦置いといてMJを受け入れて観ないと、ただ単にスパイダーマンが悩んだり飛んだり跳ねてパンチするだけのスパイダーマンライド映画に堕してしまう。だからサム・ライミ版「スパイダーマン」を観る時にMJを否定するのはあり得ない。だが、さっきも言ったように「いや!自分はコレコレこういう訳でMJは嫌いだ!」「自分はMJがビッチだと思う!」「誰が何と言おうとMJはブスだと思う!」と強く主張したいのならそう言っても構わない。これまたさっきも言ったように「大してそう思ってるわけでもないのに周りが言ってるから自分も言っとくか」この感じがダメだということ。
最初にも言ったが僕は彼女らの大ファンじゃない事を念押しておきたい。
何故なら念を押しておかないと「ああ、こいつはレイアやMJのファンだから擁護したいだけなんだ。だったら話を聞く必要ないや」と思考停止されてしまうからだ。
ネットのつまらない炎上などに対しても思うが「本当は好きでも嫌いでもないし本当は怒ってもいないのに嫌ったり怒って見せてる人」が多い。自分では「俺はこう思ってるぞ!」と思ってるんだろうが、実のところ全く思ってない、そしてそれに気づいてない。そういうのが良くない。
要は、自分の意志ではなく「好きでも嫌いでもないけど何かブスって言ってる人が多いから自分も言っておこう」みたいな集団意識や同調圧力に流される形で人様を‥しかも女性の顔面の事をdisるのは良くないでしょう。という思いがある。
またレイア姫やMJに限らず、「美人のすっぴん写真→整形」、「仕事の多い美人→枕営業」、「大人になった美少女&年取った美人→劣化」、「元カレがいた→中古」など、そういうネットの嫌な感じは単純に嫌なもんでしょう。もちろんネタで言う場合もよくある。よくあるけどそういった無駄なネガティブさは不要だから否定していきたい。陰口は人間の本質の一つだろうし僕も悪口言うことあるし無くなりはしないんだろうけど、わざわざ自分の周囲を澱ませることもないだろう。そんな感じです。
※追記:レイア役のキャリー・フィッシャーが先日、お亡くなりになりました。享年60歳(2016.12.27)
※追記2:キャリー・フィッシャーが亡くなったせいなのか昨今のポリティカル・コレクトネスに配慮する風潮のせいなのか俺がこう言ってるのを知ってるから俺の前で言わないだけなのか近年「レイアがブス」って意見を全く聞かなくなってきた。良いことだ(2019.12.13)
そんな感じでした
「スター・ウォーズ ep4/新たなる希望 (1977)」無邪気な明るさと残酷さが同居してるのが最高。あとターキン⭐ - gock221B
「スター・ウォーズ ep5/帝国の逆襲 (1980)」マスター・ヨーダの修行は地味に好き⭐ - gock221B
「スター・ウォーズ ep6/ジェダイの帰還 (1983)」 ルークは本当に凄い奴だと思う⭐ - gock221B
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (2015)」EP4の焼き直しながら楽しいし新キャラたちが好感触⭐ - gock221B
「ピープルvsジョージ・ルーカス (2010)」散々文句言って締めに急に褒めて締めるのが凄い可笑しい🧔🏻 - gock221B
「ファンボーイズ (2008)」 ライナスが最後に出した結論に感動🏃🏻♂️ - gock221B
「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー (2016)」ジンとローグ・ワン達の本当の人生が劇中、突然始まって燃焼する⭐ - gock221B
「スター・ウォーズ/最後のジェダイ (2017)」映画としてもSWとしても完全に破綻してるが初見はその焼畑農業っぷりを楽しんでしまった⭐ - gock221B
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け (2019)」SW実写映画9作の中でこれが一番どうでもいい。アダム・ドライバーは最高⭐ - gock221B
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