
原題:The Substance 監督&脚本&制作&編集:コラリー・ファルジャ 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー 製作総指揮:アレクサンドラ・ロウイ 撮影:ベンジャミン・クラカン 編集:バランタン・フェロン 音楽:ラファティ 製作国:フランス/イギリス/アメリカ 公開日:イギリスとアメリカは2024.9/20、フランスは2024.9/20(日本は2025.9/20)
去年、アメリカで公開されて大ヒットしてざわざした囁きが漏れてきていた本作。
予告を見ると「どうやら中年のセレブ、デミ・ムーアが科学の力で若くて美しいマーガレット・クアリーになって最後にとんでもないことになる映画っぽい」という事は何となく伝わった。
ぼんやりとそんなストーリーっぽいという事を知った時に既に感慨深かった。
💉デミ・ムーアといえば自分が10代の時に美少女としてデビューしてジャンキーになって治ったりブルース・ウィリスと結婚したり『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)で爆裂ヒットして大スターになり色々映画に出てたが、まだ珍しかったセクハラ訴訟を扱った『ディスクロージャー』(1994)、ストリッパー役で脱ぎまくって凄い身体を見せまくる『素顔のままで』(1996)、筋トレして丸坊主になって男達の兵士の中に混ざる『G.I.ジェーン』(1997)など、やたらと性的な攻撃性を秘めた主演作や妊婦ヌードやめちゃ若い俳優と再婚したりと「何この映画、何この変な女……」という感じで何やっても引かれるようになり、大スターだったのに一気にちょっと変わったお騒がせセレブ的な認識になっていった。昨日から急にデミ・ムーアを持ち上げだしたあなたはこれらの映画観てますか?僕は何回も観てます。殆どつまらなかった。だが未だに印象に残った。何時の時代も過剰に自分を身体ごとさらけ出し続ける彼女の気迫は伝わった。彼女は「名作に出てる女優」じゃなくてデミ・ムーア自身が作品なんだよ。その美貌や整形や奇行などの彼女のLIFEそのものが。映画はそのおまけさ。
……そんなデミ・ムーアが、痛いと思われてる長年の自分自身のイメージを逆手に取って、まるで自分自身を誇張したかのような本作に出たので「凄い!」と思った。というか彼女が自分のイメージを利用してこういった映画に主演する……なんていうセンスが彼女にあるとは思ってなかったので、そのことにビックリしたくらいだ(それほどまでに彼女の「何か悪い人ではなさそうだけどヤバい女優」というイメージは大きかった)。ミッキー・ローク『レスラー』(2008)とかニコラス・ケイジとか……全盛期の輝きを失ったスターが50過ぎてセルフパロディを演じて輝き直す現象あるじゃん。デミ・ムーアもそれをやったんだ、と感慨深かった。「昔のスター」も人間なので普段は生活したり考えたりしてるはずなんだが「かつて大きく輝いて今はそうでもない昔のスター」ってなんだが必要以上にしょぼく見えたりアホだと思ってしまいがち―マスコミが紙面を飾り立ててバカにする所為もあるかも―とにかく、そんな「かつてのスター」がセルフパロディすると「わかってますよ、私こう見られてますよね」と客観性がある様を見せられる。だから「かつてのスター」がセルフパロディ映画で輝き直す現象が生まれるんだと思ってる。別に心配こそすれ応援してなかったラジー賞常連になってたデミ・ムーアがアカデミー賞にノミネートされて「デミ・ムーア穫れ~!」と応援する日が来るなんて。今回は残念ながら逃したが演技的にも人間的にも充分に再評価されたのでまた大作に出て「今度こそオスカー穫れ~」と彼女を観れる日は来るだろう。
💉もう1人の主演、マーガレット・クアリーは9年前、スパイク・ジョーンズが監督したKENZOの香水のCMでバズった。これが日本で最初に知られた時だったと思う。
youtu.be今日もまたこのCMがXでバズってたが9年前もX(当時はTwitter)でバズってた。
その時に初めて知って可愛い!と思ったら中高生の時に好きだったアンディ・マクダウェルの娘だった―我ながら渋い女性の趣味の十代。母娘揃って応援することになって自分の加齢を痛感―あと『ナイスガイズ!』(2016) 出てタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)のマンソン・ファミリー女子役、中でも一番ハマってたのは近年の『哀れなるものたち』(2023)、『憐れみの3章』(2024)などのヨルゴス・ランティモス監督作に出てた時で、僕が味が濃い映画を好むせいかもしれないがマーガレット・クアリーはやたらと脱いだり(エロいで男を悦ばす意味での感じじゃなくて面白さを出すための脱ぎ)変な役を好んでしてるイメージでずっと好感を持っている。オファーもあっただろうに安易にアメコミ映画出てないのもセンスいい。
💉本作は、第77回カンヌ国際映画祭ではコラリー・ファルジャ監督が脚本賞、第82回ゴールデングローブ賞でデミ・ムーアが主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)、第97回アカデミー賞ではコラリー・ファルジャ監督が監督賞にノミネートされた9人目の女性となり、作品賞、主演女優賞(デミ・ムーア)、脚本賞にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。
ネタバレあり
💉
ハリウッドを思わせる綺羅びやかな街に住む女優エリザベス・スパークル(演:デミ・ムーア)。才能があった若く美しい時にオスカーを獲り早々にハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(ハリウッドの歩道に限られたスターの名前が彫られた星型のプレート)にも、その名が刻まれている。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム - Wikipedia
時は過ぎ、50歳のエリザベスは高齢を理由にレギュラーだったエアロビクス番組を、ルッキズムと男社会の権化のようなTVプロデューサー(演:デニス・クエイド)降板させられる。
エリザベスは「50歳の元大スター」ではあるがレオタードを着てエアロビの仕事をしている。歳だからと解雇させられるもののレオタードを着て踊り回ってもみっともなくないくらいスタイルが良くエリザベスは普通に美人(しかも演じてるデミ・ムーアは60近いので劇中の主人公より凄い)。エリザベスは充分に美人でスタイルも良いのだが、TVプロデューサーは50歳の美人エリザベスに「20歳くらいの美しくてセクシーなスター」像を当てはめて失格の烙印を押している。この”男中心社会の歪んだ要請”によってエリザベスはエアロビの職を追われる。「エアロビなんてしなくていいだろ……」とも思うがエリザベスは若い時に受けた人々の賞賛が忘れられず、不特定多数の称賛を受け続けることだけが彼女の生きがいなのでエアロビの仕事に復職できるように何でもする。常に嫌な感じのTVプロデューサーは男社会の醜悪さを撒き散らし、エリザベスがやりたいことも「エアロビの仕事」という「そんなことしてまで称賛がほしいの?」と思わせる絶妙な「今どきエアロビ番組って、この映画は80年代かよ」という感じだが本作は全体的にフワッとしており「まるでハリウッドのような街が舞台」「まるで大スターのように、TVで華やかな何かをして人気者になった」そんな感じで何時の時代かも不明でふわっとしている。つまり寓話的な映画ということだ。「大スターのエリザベスorスーはTVで何やら華やかなことをしてスターでいられる」その華やかなことをふんわり表現してるのが「エアロビ」。エリザベスやスーがエアロビしているシーンは、何やら「セクシーさを売りにして芸能活動している」という事の比喩だろう。
失意で交通事故を起こしたエリザベスは、若く美しい男性看護師に「SUBSTANCE」という薬品を教わる。
エリザベスは手に入れた「SUBSTANCE」を注射で打つと急速に細胞分裂が起こり、蝉の脱皮のようにエリザベスの背中が裂けて美しく若い女性スー(演:マーガレット・クアリー)が誕生する。
💉「スーはエリザベスの今までの経験を知っている」。これによってスーは降板させられたエリザベスの代わりにエアロビ番組にすぐ登用されて即効スターになる。・
💉「1週間毎に交代しなければならない」交代しなければスーは具合が悪くなる(そのまま放っておいたら死ぬ)。これによってスーはエリザベスのもとを離れられない。スーは交代専用の小部屋を浴室の隣に作る。
💉「スーは老化を防ぐため、エリザベスの骨髄を定期的に自らに注射しなければならない」
エリザベスから生まれたクローン人間スーは、とりあえず生まれる前のエリザベスの記憶と経験値を持っているらしい。それで先日までのようにTV局に行く、スーは世界で一番美しいので即合格。エリザベスの代わりにエアロビ番組の主役となり、たちまち街にはスーの看板が立てられる。夜はイケメンと遊び歩きスター人生を謳歌するスー。自部屋に飾っていたエリザベスの巨大パネルも外す。
一週間経過したらチューブで互いを繋げてスーに「交代」する。少しでも遅れたらスーは具合が悪くなる。スーの人生は楽しいのでいつもついつい交代が遅れて死にかける。
交代されたもののエリザベスは、金はあるが失職した独身の無趣味の中年女性なのですることがない。TVプロデューサーに失業祝い?で貰った料理本で料理をしてTVを観ながら過食するしかない。
一週間経過してエリザベスはスーに交代。スーは交代するたびに部屋に食べ物のゴミが増えているためエリザベスを軽蔑し始め、エリザベスも自分がやりたかったことを次々と叶えて称賛を集めるスーに嫉妬して憎み始める。
このスーの設定が予想と違っていてそこが面白い。
映画観る前はデミ・ムーアがシュワシュワとスーに変身するのかと思っていたが違う。
「1週間毎に交代」だ。だから「なるほどスーの身体での楽しい一週間のあとエリザベスの身体でのつまらない一週間を過ごし、やがてエリザベスに戻りたくなくなり、スーでの時間が増えて崩壊するのかな?」と思った。しかしそれも違う。
なんとエリザベスとスーは、パーマンとコピーロボットのように一日の記憶を共有しない、つまり意識は別、SUBSTANCE社は「あなたとクローンは同じ一人の人物」と繰り返して言うものの、完全に別人だったのだ。
エリザベスはつまらない一週間を過ごしたあと、スーに交代してスーはエリザベスが嫉妬する活動をしまくりイケメンとSEXしまくる。そしてスーは老化を防ぐためエリザベスの骨髄を奪う。
……ということでエリザベスに利点がなさすぎる。こんな設定だったんだ。
スーが実は「エリザベスが若返った!」と周知されている存在ならまだ、スーだけ活躍してもエリザベスの名誉欲が満たされそうだが、スーはエリザベスとは何の関係もない別人であるため、スーがいくら活躍してもエリザベスに何の得もない。
もっと地続きの1人の自己だと思ってた。
しかもスーは自分のためにエリザベスの骨髄をどんどん余分に取り始める。するとエリザベスはどんどん老化していく(そして老化しうた部分は二度と戻らない)。
エリザベスはさすがにもうこれを止めようと思う。しかしSUBSTANCE社によれば、止めたらスーが消えるだけでエリザベスの老化箇所は元には戻らずSUBSTANCE使用前よりマイナスになる。エリザベスはSUBSTANCE使用停止を躊躇する。
自分に何の特がなくても、自分から生まれたもう一人の存在が活躍すれば満足感を得れるのか?とてもそうとは思えない。
エリザベスも、スターの座を捨てて「普通の幸せ」を営むという道も一度は描写される。道で出会ったエリザベスに憧れている同級生、彼にレシートに書いた電話番号を貰う。彼はレシートを下の水たまりに落としてしまうがそのままエリザベスに渡す。
これは何の描写だろう?彼も口では好き好き言いながらどうせクソ野郎なのか?僕は単純に彼はガサツな男(=スターの世界には居ない冴えない男)を表していたのだと思った。それでも一応、彼は世界で唯一エリザベスの価値を想っている男ではあるのでエリザベスはデートしようとするが、エリザベスは自分と若く美しいスーとは無用に比べて、この「普通の幸せ」の機会も逸してしまう。
この「スーは若返った自分じゃなくて、自分から生まれただけのまるっきり別人」というのは意外だったが、完全に同一の自己だと話が単純すぎるので(予告見ただけで結末までわかるよね)ちょっとひねったこのエリザベスに得がなさすぎる設定は面白かった。
「虚栄心に狂った自分の一面が暴走している」という要素を「スーという別人」で描写したってことかな?
そんで順調に破滅の道をたどりグチャグチャな終盤に向かい、ラストカットも非常に冴えていた。
最後の物体が血を撒き散らして暴れるクライマックスでは、もう観客を皆殺しにしても良いような気もしたが。
非常に哀しい話で、自分は男なのであれだが女性が観てこそ何倍も感じることのあるだろう映画であることは想像に固くないのだが、SNSなどでは「男社会に苦しめられる女の話だから真面目な視点意外で観るな!」という空気が非常に強い。真面目な視点でしか観ることを許さない映画であるなら、こんな突飛な描写ばかりにしないだろうし最後にあそこまでバケモノすぎるバケモノにはならないだろうし、バケモノの背中にエリザベスの顔だけくっついてて「あ~っ!あ~っ!あ~っ!あ~っ!」と一定のリズムでは叫んでないいと思う。勿論あれを見て「なんて哀しい結末!」と泣いてもいいが、この辺は明らかに「面白いシーン」として撮ってると思うし実際凄く面白かった。
メッセージ盛り盛りな映画なのは一目瞭然だが、しかし監督はホラー映画好きそうだし普通に面白い映画として観るのも自由だと思う。少女向けホラー漫画とか伊藤潤二や荒木飛呂彦の漫画っぽおいな~と思った。
とはいえ歯茎が崩壊しかけたスーがTVプロデューサーに「女の子はいつも笑ってないと!」と言われて口を開けないように笑顔になる場面は胸に刺さるものがあった。
それと笑ゥせぇるすまんの一話のような皮肉なストーリーだけでなく一番最初に書いたデミ・ムーアのセルフパロディや熱演。クアリーの可愛さ、全カット美しい画面、過剰なモンスター加減など、ストーリー自体は観る前から想像できるようなストレートなものながら最後まで飽きさせない面白い映画だった。
「エリザベスや世の女性への同情としょうもない男社会への怒り!」と「めちゃくちゃやりすぎてて笑えるホラー」これは別に共存可能だと思う。
別に僕はデミ・ムーアや作中のエリザベスを笑いたいわけではない。
別にファンではないがデミ・ムーアを時にバカにしつつ時に称賛しつつ名作や珍作や数々の奇行数十年をつぶさに目を逸らさず見てきて今日も観たわけだし。
本当は何も問題ない主人公エリザベスなのに「男の世界」に合わせて破滅していく彼女の悲哀や「我々のこの世界にも繋がる話だな」という事はしっかり思った。
それとは別にホラー描写が過剰すぎて可笑しい。これは両立できる。
映画のメッセージや「デミ・ムーアの痛い30年間と今日の栄光の再点火」も受け取ってるし、面白いホラーとしての可笑しさも感じている。
映画というメディアはあらゆる感想の多様性(ホラー描写が怖い/ホラー描写が笑える。。デミ・ムーアの痛かった半生そのままじゃん/デミ・ムーアが再評価されて何だか嬉しい……。主人公たちが不幸になって悲しい。男のキャラが全員クズ)それら相反する様々な感想を同時に抱けるのが映画なんだと思う。この世は白か黒かではなく、灰色の領域がずっと広がっている。平和な晴れた草原は素晴らしいが、だが同時にジャンキーが彷徨いていそうな深夜の路地裏も同じように素晴らしい。
……まぁ男がこれをどんなに熱心に語っても説得力ゼロの映画なのはわかってるので喋るのはもうやめるが。
そんな感じでした
The Subsutance (2024) - IMDb
The Substance | Rotten Tomatoes
The Substance (2024) directed by Coralie Fargeat • Reviews, film + cast • Letterboxd
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