gock221B

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『もう終わりにしよう。』(2020)/凄く寂しい話だけど観終わると前向きな爽やかさと暖かさを感じさせる映画🍨

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原題:I'm Thinking of Ending Things 監督&脚本:チャーリー・カウフマン 原作:イアン・リード 配信:Netflix 製作国:アメリカ 上映時間:134分

 

 

 

「もう終わりにしよう。」と、今日が恋人と会うのは最後だと決めている主人公の若い女性。彼氏のジェイクが迎えに来て車に乗り込む。
途中までネタバレなしの感想書いて、大きい改行の後からネタバレありの感想を書くことにした。この映画はネタバレせずに観て自分で考えたほうが面白い気がするので未見の人はネタバレありの部分は読まない方がいいと思う。で、前半の感想だけ読んで興味持った人は後半読まずに観ればいい。
そういえばこのブログの全記事リンクした索引を作ってトップページに置いてたが「文字数が多すぎる」とエラーになって追加できなくなった。だけどはてなブログは何万文字が上限らしいし全然文字数が多すぎることはないはず。前から索引を更新しようとしたらたまに出るエラーだったので俺のPCが原因なのか?だけど最近毎回このエラーが出て索引を更新できないし理由がわからないので下書きに戻した。更新できたらもとに戻す。このエラーが出ないようにする方法わかる方いたら教えて下さい。
2人は車でジェイクの実家に向かう。だが女性は今日でジェイクと別れようと思ってるので彼の実家に行く事には当然気が進まない。断るのが苦手なようだ。行ってしまえば結婚ムードになって悪くはないが良くもないこの男と結婚して死ぬまで妥協の気持ちでお釣りの人生を過ごすことになるかもしれない。2人は表面上仲は普通に良い。ジェイクはイケメンではない大柄で、言い方は悪いが第一印象ではパッとしない風貌、だが会話を聞いていると文学や芸術などにも理解があるし彼女をいつも理解しようと努めている優しい男だとわかる。では何故別れたいのか?彼女は「ジェイクとの関係には先が見えない」と言う、よくある別れ話のようだ。別に2人の間に決定的な亀裂が入ったわけではないが全てに優先されるこれといった納得がないから別れたい、だがまだその事をジェイクに伝えていない。ジェイクに別れ話を切り出す気もなさそうなので学生がバイトをバックレる時のように音信不通でフェイドアウトする気かもしれない。
主人公の二人以外にもどこかのハイスクールで清掃している用務員の老人の描写も何度も差し込まれる。だが何も喋らないので彼が何者なのかはまだわからない。彼はミュージカルが好きなようだ。
ここから結構長い間、ジェイクの実家に向かう車中での2人の会話が延々と続く。
ジェイクが彼女に詩を読んでくれと言い、彼女は犬の死骸がどうの毛布に虫が湧いてるだのといった聞いてるだけで気が滅入る陰鬱な孤独の詩を長尺で読む。ジェイクは「まるで僕のことみたいだ……」と言い彼女の才能に賛辞を送る。
ここまで要領を得ないストーリーの上にかなり長いので楽しい映画を求めたNetflixユーザーは他の動画に変えてしまった、そんな人はかなり居る気がする。僕もつまんないと思ったら1分くらいで速攻やめてしまいがちだが、これは不思議な魅力があって視聴続行した。という事は演出が優れてたり2人の要領を得ない会話や陰鬱な詩に妙な魅力があるんだろう。
雪が降る長いドライブの末、ジェイクの実家に到着。雪が積もり始めてるし窓からジェイクのママが手を降っているが窓が曇ってて顔がよく見えない。だがジェイクはすぐ家に入らず家畜小屋を案内する。凍死してしまった家畜が倒れている。ジェイクは病気で倒れて蛆が湧いてしまった豚を安楽死させたという話をして「農家は非情な面もある」と悲しそうに言う。家には飼ってる犬がいるが雪で濡れているし犬臭い。
2人は家に入り、ジェイクは自分の分のスリッパを彼女に履かせようと渡す。ジェイクは「なるべくいつも紳士でいたいからね」と言う。
ジェイクは2階にいる両親を呼ぶがなかなか降りてこない。2人は何やかやと会話する。
……しばらくして「あ、そういえばさっき呼んだ両親は?」とこちらが思い出した頃にカメラが階段に向くが……誰かが降りてくる気配が全くない!
あ、留守か。いやいや、さっき窓に手を振るママが居たよな?でも窓が曇って顔が見えなかったし幻覚だったのかも……とか色々思いつつ「やっぱり留守みたいだな。この演出は」とか思った瞬間に両親がどやどや賑やかに降りてくる。この間の取り方とか妙な不安さが最高だった。序盤の退屈なはずなのに不思議と退屈じゃない陰鬱なドライブもそうだがきっと演出が上手いんだろう。この両親が来るか来ないかって辺りが本作で一番面白かった時間だった。何故かというと、この映画が一体どういう話なのか一番わからないのこの両親が来るか来ないかという辺りだからだろう。
ママ役は今引っ張りだこのトニ・コレット。四人は食卓を囲む、ジェイクの両親は普通の善良な人たちなのだが田舎で長い時間2人だけで過ごしてた教養のない年寄りのせいか若干、コミュニケーションが荒い。基本は善良で、ごちそう作ってくれて息子と息子の恋人を歓迎してるのだが、ふとした瞬間にぎょっとする失礼な事を彼女に無意識で言ったり突然シモネタ言ったりする。ジェイクは思慮深いせいか恥ずかしそうに目を伏せたり時折、ママを叱責してママが恐縮したりして食卓に気まずい瞬間が流れる。主人公の女性は空気を変えるかのように自分が「バーでジェイクにナンパされた馴れ初め」を話して何度も和やかな雰囲気に戻す。
ママ役がトニ・コレットなのは勿論『へレディタリー 継承』を踏まえてキャスティングされたんだろう。トニ・コレットは基本優しいが時折、狂女みたいになったり耳が中耳炎的な感じで耳鳴りがすると言ったりするママを、自分に期待されたであろう怪演で演じる。
主人公の彼女は画家だと言うがドライブ中は詩人と言ってた気もするし、そうかと思うと物理学者だという事になってたりして現実が混沌としている。
またジェイクの子供の頃の写真を見ると自分によく似ている、……とか言ってる間にやはりジェイクの顔に変わっていた。女性「あれっ写真が変わった?まぁいいか」何かがおかしい。この奇妙さは‪僕が好きな『ツインピークス リミテッドシリーズ』‬(2017)最終回を思わせる。まるで幾つもの時空が同時に存在しているかのようだ。
そして50歳くらいだったはずのジェイクのママが要介護の老女になったりお洒落をした若いママになったりするしパパも認知症になったりする。複数の時間が同時に家の中に流れている。女性が地下の洗濯機を開けると何かの制服がたくさん洗濯されている。
そもそも序盤から伏線めいたおかしな事はちょくちょくあったのだが、この実家に着いたあたりから目に見えて、それが増えてきて、いよいよもって誰かの認知に歪みがある事がわかってくる。
……というこの辺までリアルタイムで思ってたことを実況的な感じで書いてたが、数行開けた後からはネタバレあり感想にする。ここまで読んで少しでも興味持った人はこの先読まずに観た方がいい。

 

 


主人公の女性の現実がゆらぎ始める。
本作の監督は『マルコヴィッチの穴』の脚本で有名になって『エターナル・サンシャイン』『脳内ニューヨーク』などの監督……ということを本作を観終わった後で思い出すと「あぁ如何にもこの監督が好きそうな話だな」と思った。この監督の映画は今まで妄想めいた話ばかりに執着してる感じであまり好きじゃなかったんだけど、ここまで真摯に妄想に向き合った本作は面白かった。というか本作の場合、妄想は主人公にとって切実な、現実と言っていいほどの妄想なので別に妄想に逃げているわけではない。子供がゲームやアニメやヒーローものばかりに夢中だと親は「もう少し現実と向き合え」と怒ったりもするが、親は子供にとってゲームやアニメやヒーローが超リアルなフィクションだという事をわかってない、そして子供が好むものを遠ざけて自分たちが好きな「洗練された作品」ばかりを与えられた子供は洗練されてはいるが僅かな歪みを持った大人となり、成人後に死ぬほど子供の頃ほんとに欲してたものを蒐集したりする。話がずれてきたが要は、親は子供にとってのリアルが何かはっきりよくわかってないということだ。主人公にとって妄想は切実な現実なのだ。98%くらいの現実。ここから先は残りの2%を描く。
主人公の女性は明日仕事だから早く帰りたいと何度も言ってるのだがジェイクはのらりくらりと引き伸ばしていた。だがついに重い腰を上げて彼女と帰ることにした。ジェイクのママは相変わらず年老いて死ぬ寸前だったりして時間が錯綜している。
途中、こんな大雪なのにジェイクはアイスクリーム屋でアイスを買う。
この辺まで来ると明らかに普通の現実ではない描写が増えて来ている。悪夢とまではいかないが愉快でもない夢の中で思うように事が前進しない感じに似ている。途中、車に乗ってる彼女が数秒間くらい突然、別人の中年女性に変わる。あまりに数秒だったし車内の彼女を外から撮ってるので巻き戻して観ると明らかに数秒だけ別人になった……と思う。あまりに一瞬なのでよくわからない気持ち悪さだ。
そして2人とも折角買ったアイスを「甘すぎるし寒い」と当然のことを言って食べない。ジェイクは溶け始めたアイスを捨てないと落ち着かない、どうしても捨てると言い出す。良くないことではあるが、こんな田舎の大雪だから窓から捨てても誰も気づかないだろうにゴミ箱にちゃんと捨てたいと言う。早く帰りたい彼女は反対するがおとなしかったジェイクは癇癪を起こしてまで近くのハイスクールのゴミ箱に捨てると絶叫して聞かない。明らかにおかしい。いよいよこの世界の秘密が明かされる時が近づいてきた。
映画でこういった展開だと大抵、誰かの夢や妄想だったり何か別の現実の事象を戯画化した映像だったりするのが定番だ。本作はやはり彼女の妄想っぽい。
アイスをゴミ箱に捨てた後、戻ってきたジェイクは彼女とキスするが誰かに覗かれたと激昂して車外に出る。ジェイクが帰ってこないので彼女はジェイクを探してハイスクールに入る。ハイスクールの入り口のゴミ箱には数え切れないほどの量のアイスが捨ててあった。同じ時間が繰り返されてる?だがタイムリープはもう飽きたので頼むからタイムリープものじゃありませんように。Netflix作品はすぐタイムリープすな!
彼女はハイスクール内を少し捜索するがどうもジェイクは居なさそうな雰囲気。ジェイクの実家に行った時、どう考えても両親は居ない静けさだったのに突然にぎやかな両親が現れた直前の雰囲気とよく似ている。
そこで序盤からちょくちょく出てきていた用務員の老人がいる。
老人は彼女に自分の分のスリッパを履かせようとする。いつも紳士でありたい男のようだ。ということは、この老人は年老いたジェイクなのか?彼女が「もう終わりにしよう。」と思った別れの日を描いたのが本作だし、老人になった彼女もしくはジェイクが過去の最後の日を追想してたのが、ここまでの本編だったのか?
すると彼女は用務員に「数十年前、バーで名前も知らない冴えない男が何か言いたげに自分を見ていたが遂に話しかけてこなかった」と話す。ジェイクと思われる老人は静かに泣く。
……という事は、ここまでは年老いて認知症になった彼女の脳内の出来事で、認知症だから自分が認識する自分として若い女性が映されてただけで実際の姿は認知が歪んだ老婆なのだろうか?その老婆が校内に迷い込んで数十年ぶりに彼女と再会したジェイクが変わり果てた姿の恋してた彼女を見て泣いているのか?
……とか、思うと用務員と彼女の後ろから、二人の格好をした美男美女のダンサーが出てきて踊りだす。これでよくわからなくなって混乱したのだが、これはジェイクが子供の頃見て好きになって何度も車内で話題に上がっていたミュージカル『オクラホマ』の名シーンの再現らしい。ミュージカル関連だけは観ててよくわかんなかったので検索した。オクラホマ観てないからピンと来なかった。でも全部はっきりわかってしまうと陳腐化してしまうので知ってる人しか知らないこういうシーンを入れて曖昧にさせたのは視聴者が、これが現実か夢かわからない主人公にシンクロできてむしろ良かったかもしれない。混乱したのは自分がものを知らなかったせいとはいえ確たるものがない現代社会で楽しく生きたり映画を楽しむには混沌なものを混沌のまま受け取る才能が重要だと思う。日本は自殺者やメンタルヘルス失調者がめちゃくちゃ多いが、それはこの混沌を混沌のまま受け止める才能が足りないせいだと思う。他人が精神失調した話や自殺のニュースを聞く度に僕は「ばかなことを」などとは思わない。「世界をまともに受け止めたら、そりゃ速攻で頭おかしくなったり死ぬことになるわな」と同情してしまう。世界を原液で生きてはだめだ炭酸水で割らないと。
その後、終わりまで観ると彼女ではなくジェイク。全てが年老いた用務員となったジェイクの妄想……またはジェイクの心の中で起きている出来事を映像化したものだったことがわかる。
「数十年前バーで出会って良いなと思ったが特に何もなかった名前も知らない女性」を妄想の中で自分の恋人として何度も似た妄想を繰り返してたのだろう。「妄想の主人公が自分自身ではなく彼女」というのが面白いところだ。この「彼女の妄想じゃなくて実はジェイクの妄想だった」というオチは「彼女の主観で映画が進むから彼女の妄想にしか見えないだろ」と思って最初ちょっとズルいなと思ったが、ジェイクは冴えない自分に自信がない、だからと言って自分を才能あるイケメンとして描かない謙虚さもあったので自分を脇役にして彼女を主人公にしてたのかもと思えてきた。ゴミ箱にアイスがいっぱい捨ててあった事からして若い時から何十年も繰り返したストーリーだったんだろう、この実家に彼女を連れて行く妄想は。そういえば彼女は劇中、何度か「これ前にもあった気がする」とか言っていた。彼女の名前や職業がコロコロ変わってたのも、バーで見かけた知らん女の職業なんて知らないから毎回設定を変えていたのだろう。後半で彼女が数秒間だけ老女になっていたのは「もし彼女と結ばれて共に年取ってたら彼女はこんな感じかな?」と想像してみたのかもしれないし数秒だけだったのは「どうせ妄想するなら若い二人にしよう」と思い直したのかも。
何十年も繰り返された同じ妄想だが彼女は「もう終わりにしよう」と思っていた。これは勿論「こんな妄想ばかりしても惨めな現実が良くなったりはしないから終わりにしよう」という事だろう。恐らくここ何年かの妄想は何度もそう思ったのだろう。
実家でママが若かったり死ぬ寸前だったりしたのも、ママが若い時から死ぬ前までの長い期間、名前を知らない彼女を連れて行く妄想をしてたということだろう。そんなジェイクの記憶が重奏して描写されていたのだろう。アイスクリーム屋でジェイクと似た湿疹を持ついじめられっ子っぽい女性店員が車に戻る彼女を引き留めようとしたのは妄想の終わりや自死を怖がるジェイクの恐れの擬人化だったんだと思う。まぁそんな感じでこの辺まで観て思い返せば、ここまでの本編で起きたおかしな出来事を思い返すと全部説明がつく。
そしてこの日、現実の老ジェイクはどうやら一日、清掃の仕事をきっちりやった後、何一ついい事のなかった人生を凍死で終えようとしていた。冒頭で「もう終わりにしよう。」と言っていたのはジェイクがこのいつもしてた妄想と同時に人生を終えようと決意した呟きだったらしい。

 

 


そんなオチを踏まえてここまでの事を思うとジェイクの寂しい人生が伺える。
子供時代、勤勉だったが全く成績は上がらずママだけは褒めてくれるが「勉強しなくて成績が悪い子以上に惨めだよ」と自分の頭や要領の悪さだけを思い知ったり、勉強はダメだが芸術や科学は好きだったが用務員にしかなれず、容姿や湿疹にコンプレックスがあって良いなと思った女性にも話しかけられずずっと独身なので帰省するのは憂鬱、やがて年老いた両親を他の大勢とは違って施設に入れたりせず自分で献身的に介護したが誰一人そんなジェイクを見てないので褒められることも一切なく年老いて「自分は家畜小屋で蛆が湧いた豚みたいだ」と思いながら用務員の仕事を続け、ある日の朝に自死を決意して実行。そんな何ひとつ良い事のなかった人生で慰めとなったのが、甘すぎて一口食べて捨ててしまうほどおいしくないと思っているが通っていたアイスクリーム屋やミュージカル『オクラホマ』や詩や芸術そして数十年前にバーで見かけた名前も知らない女性と付き合っている妄想だったのだろう。
犯罪に遭ったり病苦に苦しむといった特別に悲惨な不幸はなかった代わりに、これといった幸福も同時にない「なにもない」という静かな地獄を生きた男の話。我々の多くの最期は非常に高い可能性で寂しいものになるだろう、ほぼ誰にも興味を持たれない年寄りになって一人で身動きできず息ができなくなって苦しみ抜いた末に死ぬ。家族や友人が大勢居たとしても死ぬ瞬間に見てるとは限らないし死の瞬間を共有することはできない、死ぬ時は一人だ。若い時は可愛い自撮りをUPして異性の関心を引いたりできる、しかも若ければ精神が不調というネガティブなこともSNSで訴えて関心を引けたりもする。中年や年寄りがそんな事してもしても惨めなだけだ。そういえば僕もSNSによく泣き言を書いてたがアラサーのある日それに気づいて泣き言をSNSにぴたっと書かなくなった……という事はつまりそれまで病んだことをSNSに書いていたのは他人に慰めてもらいたかっただけだと気づいて恥ずかしくなった(勿論これは僕の話で、自分で自分を恥ずいと思っただけなので、辛い話を他人に聞いて欲しい人は続ければいい)。死んだ時に家族が居れば埋葬してもらえる、居なければただ臭くて真っ黒いシミになって終わり。何をしようとそんな風に死ぬ結末を知りながら生きてるなんて改めて凄いことだよな。そう思うと俺はますます「生きてる過程とか、過程がままならくても自分を静かに肯定できる事が大事だな」と思う。思えなければ自殺するか他人を殺すしかない、そして立派な行いをする人が何故偉いかというと過程の部分を一生懸命やって短い人生を輝かせ、その光で世界を照らす尊い行いのせいだろう。
この映画は我々ほとんど皆の最期を描いた映画とも言える。
最後の妄想は、年老いたメイクをした若ジェイクがミュージカルで自分の人生を肯定して、同じく老けメイクをした両親や妄想の彼女やアイス屋の店員達が喝采するというもの。他の観客たちもジェイクの人生に関係あった人たちなんだろうけど本編に出てきてないので誰が誰なのかはわからない。まぁハイスクールの教員とか若い時の友人とか近所の人とかだろう。
1人ぼっちの老人の自殺で終わる寂しい話だが観終わると妙な前向きさを感じた。最後に名も知らぬ彼女を実家に連れて行くというお気に入りの妄想を捨て去る勇気を持って、何も良いことがなかった自分の人生ひいては自分自身を肯定したのだという戦略的撤退のような誇りを感じた。静かな絶望を感じていたジェイクだが、一日の最後に死のうと思ってるのにも関わらず用務員の仕事は凄く丁寧に校内をピカピカにしてたし恐らく子供の頃から真面目でずっとそうしてたんだろう。誰もジェイクに関心がなく褒めてくれるのはママだけだったが死ぬ日も清掃を完璧にやり遂げて偉い。というか当然のことながら本作を観てる多くのネトフリ視聴者はジェイクのことを観ている。
それに、そんな「何も人生で良い事がなくて孤独で自死する老用務員の映画」なんて滅多に作られないだろう。というかそれを事前に知ってたら陰鬱そうで観ないし。僕も「可愛い女の子が主人公の何か不思議な映画かな?」と思って観たわけだし、そんな風に色々工夫して寂しい老人の映画を観てもらえるように面白く作ったという、この映画制作自体がポジティブに思えた。
女の子が主人公だと思って観てたので冴えないジェイクが主人公だとわかった時に若干がっかりした。しかしそんな僕の態度こそジェイクが人生で何度も受けたであろう態度で、彼を自己評価の低い男にした視線なのだろう。ジェイクは「醜いものは見るものを嫌な気分にさせる。美しいものはいい気分にさせる」と言っていたが実際、本編を観てた僕もそう思ったわけでジェイクがそこだけイケメンになるダンスシーンでも「ジェイク、こんなイケメンだったら良かったね」と思ってしまったもんね一瞬。
そんな感じで冴えないジェイクの人生には何もなく劇中の事象だけだと凄く寂しい話でしかなかったわけだが観終わると爽やかな風が吹き悪い気はしなかった。それは我々視聴者(の一部)は皆ジェイクに寄り添うように作られてる、そんな制作陣の暖かさ、「どんな人生も自分が肯定さえすれば肯定できる」というポジティブな勢いを感じたからだと僕は感じました。「自分で自分を肯定するのが人生を生きるコツだとさっき言ったが、そんな自分の考えを更に肯定する内容だったからポジティブに感じたのかもしれないね。
最後のミュージカル妄想シーンは観てる時は具体的に何かよくわからなかったが、彼女や両親以外の大勢の客は本作を観てる我々視聴者なんだろう。それがつまらん人生を勤勉にやりきったジェイクを称賛している。その映像化だったのかも。
まぁ、この感想も長くなってきたから、もう

 

 

 

終わりにしよう。

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www.netflix.comI'm Thinking of Ending Things (2020) - IMDb

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もう終わりにしよう。

もう終わりにしよう。

  • イアン リード & 坂本あおい
  • ミステリー/スリラー
  • ¥1,000

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『エノーラ・ホームズの事件簿』(2020)/正攻法の面白さだし色んな痛快描写がストーリーと結び付いてるから近年の変則ホームズの中では好き🕵‍♀


原題:Enola Holmes 制作&主演:ミリー・ボビー・ブラウン 監督:ハリー・ブラッドビア 脚本:ジャック・ソーン 製作&主演:ミリー・ボビー・ブラウン 原作:ナンシー・スプリンガー著『エノーラ・ホームズの事件簿―消えた公爵家の子息』 制作会社:レジェンダリー・ピクチャーズ 動画配信サービス:Netflix 製作国:イギリス 配信時間:123分

 

 

 

更新が一ヶ月くらい空いたが映画とかは色々観てた。ただどれもあまりブログになんか書く気が起きなかった間に間が空いた。そういえばブログ書くのが面倒な映画はFilmarksに手短に書いてます。あと韓国人の歌手件音楽プロデューサーのJ.Y.Parkにはまって彼目当ての一環として『Nizi Project』全話一気観とかしてた。
このネトフリ映画は、アメリカの作家ナンシー・スプリンガーによるミステリーヤングアダルト小説シリーズ「エノーラ・ホームズの事件簿シリーズ(2006-2010)」の映画化。主人公の少女エノーラは、シャーロック・ホームズの妹。シャーロックは勿論コナン・ドイルの作品だが、この原作小説シリーズは所謂パスティーシュ(既にある作品をいじった作品、ホームズとかクトゥルー神話によくあるやつ)。ホームズ周りの設定はコナン・ドイルの原作だが、このエノーラという主人公はこの作者の創作。ヤングアダルトというのはアメリカのティーン向け小説……雑に言うとアメリカのラノベみたいなものなのかな?
この映画は劇場公開用に作られたが新型コロナウイルス感染症流行のため劇場公開は断念されてNetflixが配信権を獲得して配信されたものだと今検索して知った。これ観ながら「ネトフリ映画の割に金がかかり過ぎてない?」と思ってたら劇場用公開作品だったから豪華だったのね。
ストレンジャー・シングス 未知の世界』主演でお馴染みのミリー・ボビー・ブラウンが制作&主演したらしい。まだ10代なのにトム・クルーズシャーリーズ・セロンみたいに自己プロデュースまでし始めて恐ろしい子。僕はミリー・ボビー・ブラウン好き、いつも演技するのが大好きっていう活き活きしたオーラをばんばん出しつつ演じてるから観てて楽しいし、シャーロック・ホームズも全巻読んでるしシャーロック役のヘンリー・カヴィルも好きだし、好きなものが重なってるので本作の配信は楽しみにしてた。
ネタバレあり

 

 

名探偵として既にイギリス全土にその名を轟かせているシャーロック・ホームズヘンリー・カヴィル)。そのシャーロックとは20歳近く年の離れた妹エノーラ・ホームズ(ミリー・ボビー・ブラウン)が主人公。
彼女の父は幼い頃に亡くなっており、長兄マイクロフト(サム・クラフリン)とシャーロックもかなり以前に家を出て独り立ちしているため、エノーラは兄たちと殆ど接しておらず物心ついた時から母ユードリア(ヘレナ・ボナム=カーター)と2人暮らしだった。
ユードリアは当時としては風変わりな活発で自立した女性でエノーラにも学校に通わせず自宅で学習させ文学、スポーツ、武術、科学、謎の解き方……など、当時のイギリスでは女性には必要ないとされていたであろう事を中心に教えていた。
ある日、突然ユードリアが忽然と姿を消していた。
エノーラと母は仲良しだったが、母はたまに女性たちを集めて秘密の会合を開いていた。エノーラは母の蒸発には何か訳があると考えた。
そこへマイクロフトとシャーロックが久々に帰ってくる。マイクロフトは蒸発した母の遺産を受け継ぎ、エノーラを「きちんとしたレディ」にするための寄宿学校に入れようとする。エノーラはそんなマイクロフトに反発し、母が自分に遺していたヘソクリで家出し母を探す旅に出るが道中、公爵家の子息テュークスベリー卿をめぐる事件に巻き込まれる。
……という話。
女性作家が書いた女性主人公の小説で大金持ちの少女が賢くて活発で親友のように仲のいい母に自立した女性として闘う英才教育を受けて育ち、お話に邪魔な父親は既に死んでて兄はスーパーヒーローのシャーロック・ホームズ。それを女性子役ミリーが制作&主演で作ってホームズ役はヘンリー・カヴィル。貴族の美少年と知り合ってエノーラは探偵初デビュー戦で彼を助けて良い感じになりエノーラは事件も解決!名探偵の兄シャーロックは「我が妹やりおるわい笑」と静かに妹の勝利を称える……と、なろう小説的というか夢小説的な女の子無双状態がかなり凄い。だが英雄的な主人公が活躍するフィクションはなろう小説的なものだし、これでつまらなければ目も当てられない恥ずい事になるが本作は面白かったので全然OKだ。
兄のシャーロックは、自分と似ている妹を内心、好ましく思いながら離れた位置で見守っている。父は居ない。というわけで長兄マイクロフトが「女は女らしく上品にして、さっさと嫁に行け!それがお前の幸せや!」といった旧態依然とした頑固親父みたいな損な役回りを一手に担わされていて「マイクロフトってこんな奴だっけ?」と少し気の毒。別に父を殺さず生かしておいて男尊女卑の頑固親父役にしとけばよかったのでは?と思わなくもなかった。

 

 


ミリー・ボビー・ブラウン演じるエノーラは劇中、第四の壁を破って「私はこうやってママに育てられたの」「これも出来る!これも得意!」「……見ての通り自転車に乗るのだけはちょっと苦手」「うーん……この謎どうすればいい?あなたにわかる?ん?」などと頻繁にカメラを見て視聴者に話しかけてくる。とても魅力的。
自分で制作しただけあってミリー・ボビー・ブラウンはいつものように実にエノーラ役を活き活きと演じている。女性の社会進出というテーマだし少女エノーラが戦闘もできるヒーローで男のテュークスベリー卿が武力のないヒロイン役というのも今的ですね。
家出したエノーラは自分と同じ様に家出中だった公爵家の子息であるテュークスベリー卿と知り合い彼が危険な目に遭っていたので反射的に助ける。貴族なのでやや傲慢なところはあるが家や風潮に流されない自分自身の考えを持つ彼にエノーラは惹かれるが、母探しが忙しいから一度は別れる。だがテュークスベリー卿はガチで命を狙われている事を知る。家出中のテュークスベリー卿は暴力に逆らう力を持っていない無力な少年、一方自分には母から学んだ戦闘力や知恵がある。だからエノーラは彼を助けに行く。ここで利他的な正義のために命をかけて身を投じる事のできるエノーラのヒーロー性が生まれ新人探偵エノーラ・ホームズが誕生する。まぁほんの少し話して気が合っただけの少年のためにまだ10代の少女が命がけで闘うというのは無理がある気がしなくもないが、そこは「シャーロック・ホームズの妹」という特別性そして彼女の純粋さ故という事でよしとしよう。
エノーラは母から学んだ知識で謎を解き、母の仲間である黒人女性柔術家から習ったバリツならぬジュージュツでテュークスベリー卿の命を狙う暗殺者と死闘を繰り広げ、やがて事件を解決する。
解決するとテュークスベリー卿を狙っていた敵は、実は自分たちが生きている世界そのもの=イングランドの一端だったというオチの切れ味も良かったのでメアリー・スー的な少女無双設定に疑問を持つ事もなく楽しめました。
終盤、テュークスベリー卿が撃たれた?!という時、急にマカロニウエスタン風BGMが流れるな、と思ったら『荒野の用心棒』的な方法で彼は難を逃れていた。
彼はエノーラに最初「幼い頃、崖っぷちで助けた小動物」に重ねられるほどか弱い存在だと思われてたが彼もまた、ただ守られるだけの「お姫様」ではなく自立した賢い少年だった、という事を示す場面で良かった。彼が最初出てきた時「フェミニズム的なことを打ち出す女性ヒーローものなのにイケメンと出逢う恋愛要素はいらなくない?」と一瞬思ったのだが、想定されたメインターゲットの読者&視聴者である若い女性が自己実現と同時に素敵な異性に出会いたいと思うのは普通のことだし何か最近、女性が闘う話なのに目的と関係ない恋愛要素が入ると癖で条件反射で批判しそうになるが、そもそも「恋愛要素を入れる=女性の自己実現を描くにあたって適切でない」という事にはならない。
エノーラは分かれ道の場面で母の「人生の岐路どちらを選ぶかは自分で選べ」といった台詞を思い出し自発的に行動している。エノーラの動きを追っていくと「自分は独り立ちして兄のような探偵になりたいし母も見つけたい。それは別として良い感じの彼と知り合ってお互い助けあった。自分の自己実現と彼との恋愛は関係ない。だが彼は国を巻き込んだ陰謀に巻き込まれてるから私は彼を助ける。それは自己実現に繋がるし恋人になるかもしれない彼を救うことにもなるし、ひいてはこの世界を救うことにもなる」といった一石三鳥な感じがする。恋愛映画じゃないエンタメ作品で男女が恋愛を始めたらうっとうしく思うのは恋愛が主人公の目的と関係ないのにウケるから入れましたって感じが嫌だったわけだがエノーラの場合、脚本の都合に流されず「自分のやりたい事はやるけど、それはそれで別としてテュークスベリー好き……」そんな感じでライフワークと私情の恋愛を分けてごっちゃにしてない感じだったので好感が持てたのかも。むしろテュークスベリー卿の存在はそれを上手く表現できたので彼との恋愛描写はあってよかったくらいだろう。
この作品はさっき言ったテュークスベリー卿の『荒野の用心棒』オマージュのような痛快な描写を入れてくるのが上手かった。しかもそれはただのひけらかしのオマージュではなくストーリーとちゃんと結びついてるのでとても良い(というかむしろオマージュしたいだけのオマージュなんてクソしょうもないものですからね)。特に中盤、エノーラが暗殺者に刺された!?万事休す!?……と思ったら、その時エノーラは「女性を男社会の内側に縛り付けておくためのコルセット」を付けてたから刃が刺さらなかった、そしてエノーラが「このためにコルセット付けてたのよ!」と反撃に出たりして実に良い感じ。この作品は最近のアメリカ大作映画に多い妙に捻った展開とかサプライズは全く無い。映画が始まった瞬間に「こんな感じかな?」と思った想像通りに終わるだけ。ただ想像通りなもののその想像の各要素を本作は全部少し上回っている。そんな正攻法の真っ直ぐ面白い痛快フィクションって最近ないので好感を持った感じでした。一ヶ月くらいブログ書いてなかったので文章が堅いですね?まぁそれはいい。イギリスの古き良きエンタメ作品って感じで良かった。
でも別にこれは文句ではないのだが「面白かったけど、この『シャーロックの妹』って設定いるか?」と少し思った。エノーラの上位互換であるシャーロックが彼女を助けに来たらエノーラがする事なくなってしまうのでシャーロックは基本遠くで見守ってるだけ。つまりヒーローがアッセンブルして相乗効果で強くなるアベンジャーズと違って推理者である本作の場合、アベンジャーズのように素直な足し算ではない「一つの事件に使える人員は100。レストレード警部&警官隊は10。残りは90。シャーロックはレシオ数が90。エノーラは80。つまり『ホームズ兄妹のどちらか+レストレード』しか現場に出せない。ホームズ兄妹は足したら170なので現場のレシオ数を上回ってしまう」そういう事だ。レシオの説明はしないが大体わかるね?現場に一人しか投入できないホームズが男女一人づつ同じ世界にいるようなものだから兄妹を共闘させる事ができない。
何かわかりやすく考えを伝えようとしてるがブログしばらく書いてないせいで余計にわかりにくく書いてる気がしなくもないが構いませんね?
かといってエノーラを仕込んだのはママなので師匠ポジションでもない。男のシャーロックが師匠だと本作が目指してるガールパワーでガールクラッシュな作品にならないのでママが師匠じゃないといけない、だから「マスター・シャーロック」もないわけ。あまりにシャーロックが出来ることがなさすぎる。シャーロックができる事といえばちょっとだけ優しくしたりエノーラが活躍した後に「してやられたわい笑」と微笑むだけ。これ兄妹じゃなくてエノーラを「シャーロックが女だったら?」というキャラにして、マイクロフトを本作におけるシャーロックのような手助けはしないがエノーラに理解ある「やりおるわい笑」お兄さん役にして、マイクロフトが努めた古臭い頑固親父役はホームズ父にやらせれば良かったのでは?と少し思った。優しいおじさん役がマイクロフトなら、彼は探偵じゃないから見守ってるだけでも不自然でもないし。……だけど作者はホームズ好きだろうし、自分が作った女性主人公を活躍させてシャーロックに優しくされたり「やりおるわい笑」と褒められるってのがやりたい事だったのかもね。まぁ面白かったし別に本作の設定に特に文句はないので別にOKです。
そういえば最後の広場でのシャーロックの動きがよくわかんなかったけど、あれはエノーラが置いた松ぼっくりから彼女の「私は一人でやってくから放っておいて」的なメッセージを受け取って新聞売りに扮したエノーラを見逃したってオチなのかな?
あと母は危険な過激フェミニストだったけど「今回、世界を救ったのはあなたの方だったわね」とエノーラを称賛するラストも良かったです。「弱者が正しいことするには大声で物を言う必要があるが、そうじゃないやり方もある」といった少しだけママを下げて「今回は」エノーラが正しかったという客観的な結末の感じ?こういった頭ごなしに何かを肯定して何かを否定するというTwitterにいがちな1か10かで語るんじゃないグレーな物言いは好きです。何故かと言うと1か10かで語る人はバカみたいだし世の中のすべての真実はグレーだからです。
黒人枠にされてたレストレード警部が尋常じゃないほどシャーロックに詳しくてエノーラとシャーロックのトリビアで闘う場面も可笑しかった。この世界にもワトソンはいるらしいので続編が出来たら出てくるだろう。まぁこの辺の話題はホームズ好きのお姉さん方に任せよう。
近年の変則ホームズものといえば、ベネディクト・カンバーバッチの現代ホームズ『SHERLOCK(シャーロック)』、ダウニーJrのテンション高い『シャーロック・ホームズ』シリーズ、イアン・マッケランの老ホームズ『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』など多くあったが僕は本作が一番好きだな。

※追記:2年後に続編が配信された。これも楽しかったけどFilmarksで感想を書くに留めておきました
エノーラ・ホームズの事件簿2 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

 

 

そんな感じでした

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エノーラ・ホームズの事件簿 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
Enola Holmes (2020) - IMDb
Nancy Springer | Legendary Fantasy Writer ※原作の公式サイト

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Amazon: エノーラ・ホームズの事件簿―ふたつの顔を持つ令嬢 (ルルル文庫)
Amazon: エノーラ・ホームズの事件簿―ワトスン博士と奇妙な花束 (ルルル文庫)
Amazon: エノーラ・ホームズの事件簿―令嬢の結婚 (ルルル文庫)
Amazon: エノーラ・ホームズの事件簿―届かなかった暗号~ (ルルル文庫)
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『ユーロビジョン歌合戦 ~ファイア・サーガ物語~』(2020)/アメリカや韓国の「クールな音楽」だけが音楽じゃない!というウィル・フェレル製ラブコメ良作👱🏻‍♂️🎤👱🏻‍♀️

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原題:Eurovision Song Contest: The Story of Fire Saga 製作&脚本&主演:ウィル・フェレル 監督:デヴィッド・ドブキン 脚本:アンドリュー・スティール 制作局:Netflix 製作国:アメリカ 配信時間:123分

 

 

 

20日近くも更新が空いてしまった。
あんまり面白くないジョジョ8部漫画『ジョジョリオン』の最新号を惰性で読んでたら俺が好きな石仮面やエンヤ婆やエルメェスなどが出てきて10年ぶりくらいにジョジョ熱が来たので、ジョジョのアニメを観返してて映画観てなくて更新できなかった。ジョジョの感想は長くなりそうだしジョジョなんて人気漫画の感想書いたら大量にアクセス来て映画ブログやる気が失せそうだから今はやめとく。以前『幽☆遊☆白書 』の感想書いたら普段の数千倍アクセスがあってアンダーマイニング効果(好きでしてた事に報酬を与えられる事でやる気がなくなる現象)に似た感情が起こってこのブログの存在意義が揺らいだ事があったので、アクセスが多くなりそうな有名なコンテンツの事はなるべく書かないようにしてる。僕は「映画観た感想や書きたい好きな事だけブログに書きたい」という気持ちを死ぬまで継続させたいのでアンダーマイニング効果が起きないようアフィリエイトもしていない(そう言いつついつか始めたら悪い)。
そんな先日、『ブラック・パンサー』でお馴染みのチャドウィック・ボーズマン氏が大腸がんで亡くなるという突然の訃報(俺より若いのに……)。とても哀しいので昨夜は氏の作品を幾つか観てたが、より哀しくなったので今日は逆に楽しい映画を観ようと、このウィル・フェレルのコメディを観た。
僕が30代を過ごしてた2000年代の映画ライフでは、ジャド・アパトー一派やアダム・マッケイとかウィル・フェレルジャック・ブラックのコメディやラブコメをめっちゃ観てたが2010年代に観なくなった。何故かと言うとそれらコメディの主人公たちがドラッグできまってたり酔っ払って無茶したりSEXがしたりウンコもらしたりしてるのは楽しかったが、それは彼らが30代のキャラを演じてたからで、どう観ても40代のキャラがそんな無茶してたり無職だったりすると痛々しくて観てられないだけだから2010年代に入って、それ系コメディめっきり観なくなった。決定的だったのがジャド・アパトー制作コメディ『40歳からの家族ケーカク』(2012)で、これは今ではアントマン役で日本でも知られるようになったポール・ラッド主演で「40過ぎて妻子と上手くやってくか?」というコメディなのだが、急にガクッと楽しくなくなったし痛々しい内容だったので「もうジャド・アパトーはいいか……」と思って以降観なくなった。だから最近のアパトー作品は観てない、ひょっとして良くなってるかも。
そんな感じでコメディもウィル・フェレルも久しぶりだし、ヒロインも僕が好きなレイチェル・マクアダムスだし邦題もめっちゃ面白そう。
ネタバレどうこうって内容じゃないけど一応ネタバレ注意、と書いておきます。

 

 


1974年、アイスランドの漁村レイキャビク。母を亡くして落ち込む主人公の少年ラースス、そして隣の家の父を亡くした少女シグリットの仲良し2人はTVで〈ユーロビジョン歌合戦〉を観て元気を取り戻す(このヒロイン幼女時代を演じる子役がめっちゃ可愛い)。
そして現在。アラフィフになった男性主人公ラースウィル・フェレル)と女性主人公シグリットレイチェル・マクアダムス)は音楽ユニット〈ファイア・サーガ〉を結成し曲を作ったり町のパブで演奏しながらユーロビジョン歌合戦にアイスランド代表として出場する事を夢見ていた。冒頭の1974年って俺が生まれた年だから自分より5~6歳くらい年上っぽい主人公たちの年齢がすぐわかった。僕の姉くらいか。
成長した2人の脳内で再生されているMVが流れる……。2人はアバとかが好きらしく歌い上げる感じの楽曲、しかし衣装は北欧ファンタジー風。↓
『ユーロビジョン歌合戦 〜ファイア・サーガ物語〜』劇中歌「ボルケーノ・マン」 - Netflix - YOUTUBE
ちょっと待って
マイティ・ソー』のようなバイキング風コスで歌い上げるラースとシグリット。
インパクトありすぎる。ありすぎるので、この冒頭で「ちょっと待てぃ!」ボタン押して一時停止、そして「このユーロビジョン歌合戦って実在してそうだな」と検索したら当然あった。
ユーロビジョン・ソング・コンテスト - Wikipedia
Eurovision Song Contest - YouTube
なんと1~6億人ものヨーロッパ人が視聴している、ヨーロッパ中心に世界各国が予選を行って決戦を争うオリンピックみたいに巨大な歌合戦らしい!
何故こんな大規模な大会を我々は知らなかったのか?!
実在の大会動画や、本作の歌唱シーンを見るかぎり歌唱力ある歌手が高らかに歌い上げている。そして衣装はセクシー、天使、バイキング、ストリート、サーカス、悪魔……まるでハロウィン・コスプレのように多種多様で一貫性がない。共通してるのは悪趣味な格好した奴が高すぎる歌唱力で歌い上げまくってるという一点のみ。
この大会から大物アーティストになった有名歌手はセリーヌ・ディオンだと言う。
ここまで聞くと何となく掴めてきた。この大会は悪い言い方すると「ダサい」、クールじゃないのだ。クールじゃないのが一番の特徴。本作内でも、このネット全盛の時代で大会を観てるのはTVで観てる中高年~老人のみ。ファイア・サーガのドラムしてる小学生男子も「僕はユーロビジョン歌合戦に出場できなくていいよ、あれ出てるのバカばっかだし恥ずかしい」と言ってたし。多分だけどこれは地方のど自慢大会のゴージャス版みたいな感じだろう。間違ってもビリー・アイリッシュは出場しなさそうなイベント。……いや、ビリーはむしろ「いいじゃんユーロビジョン歌合戦。何がダメなの?楽しそうじゃん」と素直に参加しそうな性格だな。……まぁビリーは置いといてエッジの立ったミュージシャンが出場しなさそうな大会と言いたかった。
そして日本にクールな音楽を発信する国……アメリカと韓国が参加してない。
他にクールな音楽を発信しがちなイギリスやヨーロッパ諸国などもこの大会に参加してるが恐らく「クールな音楽」としてメディアで紹介されるようなミュージシャンは参加してなさげ。参加してるとしたらセリーヌ・ディオンみたいに中年以上の庶民が聴く演歌歌手だけだろう、多分。
そして我々が受信する音楽メディアやサブカル人は基本「若者や高感度高い人が好むクールな音楽情報」だけを発信する。数億人が視聴していながら我々がユーロビジョンを知らない理由がこれでわかったな。この一時停止したままの冒頭、僕はすっかりこの歌合戦に魅せられてしまった。
そう言われてみれば自分が普段良いと思って聴く音楽もクールな音楽が多い、あとミニマルテクノなどミニマルなもの(まぁミニマルテクノはヨーロッパでは庶民が聴いてるっぽいけど)。クールじゃない音楽についてあまり考えてなかった。しかしユーロビジョンに参加してる人たち楽しそうでいい。こういった頭から抜け落ちてた、しかし巨大な文化を突きつけられるとハッとする。我々の小さいコミュニティ外に広く広がるアウタースペース外宇宙を感じさせるからだ。それだけでも本作には価値があったな?
そんな冒頭1分だった。

 

 


話を元に戻そう。
ウィル・フェレル演じる主人公ラース。彼の父親は、面白い顔のラースとはうって変わったイケメンで男らしく厳格な漁師(ピアース・ブロスナン)。息子の音楽活動をバカにして早く就職して一人暮らししろ!と言っている。ラースは音楽をやっていきたいとだけ考えてる幼児のままアラフィフになったような純粋で優しい男。世間にはただわがままを通したいだけで「少年のまま大きくなったような大人」を自称するアホがいっぱいいるが、ラリーは本物だ。「”良い意味で”少年のまま大きくなったような大人」。
ラリーは無職っぽいけど大柄の駐禁切ってたので交通整理してるフリーターかも?
レイチェル・マクアダムス演じる相棒シグレットは小学校の女性教員。美人なので町じゅうからモテてるがシグリットの心は幼少期からずっとラースのもの。笑いのノリもラースと同じ。ラースにない点として妖精エルフを信じており海岸にエルフの小さい家を作ってお参りしてるメルヘン女性。
2人は互いを想っているがラースの「バンド内で恋愛すると崩壊する」というストイックな考えによって、音楽で成功して自己実現するまでは恋愛とか考えないようにバンドメンバー兼親友のまま逡巡している。
「幼少期からアラフィフまでずっと一緒なのにそんなのあり得るかい!」という感じもするが、そういうのはスルーして鑑賞した方がいい。何故なら演じているウィル・フェレルレイチェル・マクアダムスが中年だから主人公たちもアラフィフのキャラになってるだけで、本作の内容は主人公たちが高校生でも大人でも全く構わないストーリーになってるから。だから本作の主人公たちの年齢についてリアルに考える必要はない。
ファイア・サーガは普段、近所の漁村のパブでライブしている。そこしかライブするところがないからだ。
有名曲のカバーばかりリクエストされてる中たまにオリジナルソング歌おうとしたらブーイングかまされる。一日中発狂してる大柄常連客が「だめだ!『ヤォヤォ・ディンドン』歌え!」と絶叫する。『ヤォヤォ・ディンドン』が何なのかは知らん。きっとアイスランドの民謡だろう。
演奏が終わり、ファイアサーガの2人は休憩しながら「くそっ!クソみたいな町だ。全然オリジナル曲やらせてくれん!もう『ヤォヤォ・ディンドン』なんかやりたくない!」とボヤいてるとさっきの大柄が店から飛び出してくる。
大柄「おい!何してる!?早く『ヤォヤォ・ディンドン』歌え!
ラース「え……、さっき歌ったばっかやろ?」
大柄「だったら、もう一回『ヤォヤォ・ディンドン』歌え!何度でも何度でも死ぬまで聴きたいいいい!」
このレイキャビクの日差しに頭をやられた大柄は一日中ブチギレている。
そもそもアイスランドの印象がない。裕木奈江が出演したホラー映画『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』(2009)しか知らん。そもそもフィンランドスウェーデンとの区別もあまりついてない。
区別ついてないのに言うのも何だが俺は映画でしか知らないそれらの国に漠然とした憧れを持っている。福祉が充実して豊かな自然と善人ばかり、でも若者はその反動で刺激に飢えててヘヴィメタルブラックメタルやったりSEXしまくりがち。白すぎる白人が多い……そんな印象。平和な田舎は若者にとっては辛いので若者の気持ちはわかるが年寄りが住むには最高に快適そうなイメージ。あくまでイメージだが。アニメ観て日本に憧れる欧米の非リア充みたいなもんなので、この感情は主と共にレイキャビクの冷たい土の中に寝かせておこう。
そんで映画に出てくるこれらの国の自然観てたら凄いSEXしたくなるのは俺だけでしょうか?映画内でのそれらの国ではSEXと飲み行く事とメタル以外娯楽がねえ!って印象のせいか。さっきの大柄も「ライブ?行くよ!他に娯楽がねえからな!」と激昂してたし。美しい自然の中ぽつんと建った一軒家のありとあらゆる部屋または雑木林で立ったままSEXしたら多分いいだろう。壁に押し付けて。しっかりと壁にだ!

 

 

ドラム担当の近所の小学生男子は子供だから出場できないのでラリーとシグリット2人だけの〈ファイア・サーガ〉は〈ユーロビジョン歌合戦〉アイスランド代表となるべくアイスランド予選に出場。
だが予選には優勝候補の「アイスランド最高のミュージシャンたち」が参加しており、本番に弱いファイア・サーガはステージで失敗し落選。
失意のラリーを海岸で慰めるシグリット。すると本大会出場予定のアイスランド代表の最高のミュージシャンを乗せて船上パーティ中だった豪華客船が突如、大爆発!
シグリット「アイスランド最高のミュージシャンたち、みんな死んじゃったぁ!」
ラリー「やった!ユーロビジョンに出れる!」
このアイスランド最高のミュージシャンたちが全身バラバラにゴミみたいに爆死した場面笑った。
かくしてアイスランドに唯一残ったミュージシャン……ファイア・サーガは繰り上げでユーロビジョン本大会へと駒を進めた。
こんな感じで、ラスト以外の重要な場面は全部ウィル・フェレルが書いたギャグ漫画のような展開で進んでいき最高。
ユーロビジョン大会の地に赴いたラリーとシグリット。生まれて初めてアイスランド外に出たらしき2人は観光地やクラブで大遊び。この2人が本当に楽しそうで可愛い。いつまでも2人で幸せで居てほしくなる。2人は絶滅の危機に瀕しているセグウェイにも乗ってパワーアップ!グジュグジュル潰して。
大遊びした後、二人っきりで夜景を観てたシグリットはラリーへの想いが溢れそうになってキスしようとするがラリーは「いや!集中できなくなるから優勝するまで恋愛はお預けにしよう」と言い、渋々従うシグリット。
そんなシグリットに近寄るイケメン。
このイケメンは本大会の優勝候補の一人である出場者、ロシアのデカチン&ヤリチン大金持ちイケメン歌手(ダン・スティーヴンス)、彼はシグリットにアプローチをかける。ラリーへの一途な思いは譲らないものの、ストイックすぎるラリーに比べて優しいイケメンに乙女心が揺れ動くシグリット。
酔ってイケメンと一夜を共にしたシグリット。だが何もエッチな事はされてなかった。
イケメンは彼女をラリーから奪って歌のパートナーにしたがってるのだが、それは彼女を食い物にしようというのではなく、本当にシグリットを気遣ってサポートもして正々堂々とパートナーにしようとする描写が良かった。まぁこれには別の理由もあったのだが、とにかくラブコメでただただ悪者にするためだけの恋のライバルとか出しても今どきはしょうもないもんね。
同時にラリーに言い寄るセクシー美人歌手も出てきて、この四角関係が元でラリーとシグリットは大喧嘩。だが互いに誤解を解いて仲直りし決勝戦に挑む!
普通のエンタメ・アメリカ映画ならここがクライマックス。だが本作はこのアメリカ映画定番の「死→再生」をもう一回繰り返す。本作が長いのはこのせい。
本番でファイア・サーガはいつものようなハプニングを起こす。ここで空中分解してラリーはアイスランドに帰国。だが不仲だった父との相互理解を経てついでにアイスランドで暗躍していた悪者をエルフに殺してもらいラリーは大会決勝戦に舞い戻り祖国でラリーをバカにしてた人たちも固唾を呑んでファイア・サーガを応援する中、真のハッピーエンドを迎える……。
ちなみにラストカットは、そうまでして栄光を勝ち取ったファイア・サーガの凱旋ライブ。
いつもの常連の大柄は叫ぶ「ヤォヤォ・ディンドン歌ええええ!
なんと優勝しても今までと全く変わってなかった。このヤォヤォ・ディンドン大柄は同じ台詞を繰り返すRPGの村人モブのように一生ヤォヤォ・ディンドンを要求するためだけに生きている、そんなレイキャビクのクリーチャーなのかも。
ちなみにこのページの前半で「この大会はクールな音楽やってるアメリカ&韓国が参加してないから俺らも知らんのだろうな」みたいなこと書いたが、本編中に両者とも出てくる。韓国人は「ファイア・サーガの人間味溢れる曲をクールにし過ぎて魅力を落とす音楽P」として、そしてラリーに何度も遭遇するアメリカ人大学生男女も何度も出てくる。ラリーはアメリカ人が嫌いらしく、彼ら彼女らに「バカのアメリカ人は壁でも作っとれ!」「観光地に来てもスターバックスに行くアホども!お前らはスタバでも行っとれ!」などと罵詈雑言を浴びせるがアメリカ女子大生は「えっ!スタバあるの?どこ?」と顔を輝かせる。一進一退の攻防。
ネットでの評判は2時間超えの長い本編が仇となり「普通」「平凡」という評価が多いようだ。だが俺は最初から最後まで楽しめたし、最近アメリカエンタメ映画どれも同じだな……と映画鑑賞率が下がってたのでクライマックスを2回繰り返してまでラリーの問題に向き合う本作に好感を持った。何よりもユーロビジョン歌合戦やアイスランドへの興味も高まったし主人公2人の純粋さに暖かい気持ちになった。
これは久々にかなり良作コメディだと思ったワ。
これ読んで興味を持った人は観てみてください。俺を信用して俺を!

 

 

 

そんな感じでした

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『スケアリーストーリーズ 怖い本』(2019) /全体的に平凡だったが大柄女性怪異と結末が良かった📕

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原題:Scary Stories to Tell in the Dark 製作&原案:ギレルモ・デル・トロ 製作国:アメリ
監督:アンドレ・ウーヴレダル 原作:アルヴィン・シュワルツ 上映時間:108分

 

 

 

作家アルヴィン・シュワルツが全米各地の「怖い話」を集めてまとめ上げ、全米の子どもたちにトラウマを植え付けたベストセラー児童文学シリーズをギレルモ・デル・トロが製作・原案を務めてアンドレ・ウーヴレダルが監督したホラー映画。
1968年という古い時代が舞台で、いじめられっ子の子供達が怪異に立ち向かうという『IT』を始めとするスティーブン・キング作品とか『ストレンジャー・シングス 未知の世界』を思わせる、全米の子供たちとそのアラフィフくらいの親達がターゲットな感じ。ジュブナイル・ホラーっていうの?好ましいとは思うけどアラフォー中年男性の僕はターゲットから外れてるせいか「ホラーっていうほど怖くはないし……自分が子供だったり、自分に子供が居て観せるには丁度いいかも……」と、あまり盛り上がらないことが多い。それと原案のデル・トロ作品は好きなものが殆どないというのもあるのだが監督は、めちゃくちゃ面白かった『トロール・ハンター』とか普通に面白かった『ジェーン・ドウの解剖』のアンドレ・ウーヴレダルなので、監督目当てで観ることにした。
完全にネタバレあり。
しかも内容ほぼ全部書いてしまう最低の感想なので観てない人は読んだらだめです。

 

 


1968年のハロウィンの夜、父と二人暮らしでホラー小説家を目指す眼鏡少女ステラは、いつも一緒のお調子者と色白ノッポの友達と、偶然知り合った褐色イケメン浮浪児と、お調子者の姉などと一緒に町外れにある町で有名な幽霊屋敷に忍び込み地下室で一冊の〈怖い本〉を見つけ持ち帰ってしまう。
その〈怖い本〉は、その家で魔女と呼ばれ監禁されていた女性が書いた短編ホラー小説が多く書かれていた。すると本のまだ書かれていない白紙ページに、ステラの周囲の子供を主人公とした新しいホラー小説が血のインクで書かれ、その主人公として登場した子供に物語と同じ出来事が起こり次々と行方不明になっていく……。
そんな話。
まず最初は、いじめっ子。家の仕事を手伝わされてる彼は田舎を出て兵士になって活躍する事を夢見てたので実家の畑に立ちっぱなしで虫がたかってる冴えないカカシは軽蔑の対象だった。それなのにいじめっ子はそのカカシに襲われ、終いには自分が忌み嫌うカカシにされてしまう。
お調子者の姉は気になってたニキビがどんどんデカくなって終いには毛が生えてきてそれを抜いたら中から蜘蛛の大群が出てくる……という思春期の女子にとって最悪な出来事が一気に起こる醜形恐怖症っぽい怪異。
色白ノッポの友人はシチューにオッサンの死体の足の親指が入っており、それを吐いてたらその死体が家の中に侵入してきてベッドの下の亜空間に引きずり込まれる。ホラーで子供が絶対覗き込んでやられてしまうベッドの下……もうジェームズ・ワン制作ホラー映画だけでも10回くらい観た。アメリカの子供はベッドの下に衣装ケースを入れてスペースを埋めるのが重要だ。とにかくアメリカの子供はベッドの下とクローゼットの中を見たら終わり(ちなみにクローゼットの場合、中には居なくてホッとして顔を上げると実はクローゼットの上にいた悪霊に襲われがち)。
お調子者は病院で「全ての通路から同時にゆっくり歩いて来た色白黒髪で水死体のような大柄ボディの中年女性に全方向から優しく抱きしめられて」この世から姿を消す。
ジュブナイル・ホラーあるあるだが子供達は生理的嫌悪感を抱いてる怪異に襲われる。たとえば「汚い」「醜い」「病気」「世捨て人」「狂人」「年寄り」「そして自分がそういった醜い者になるのではという恐怖」何故それらが嫌なのかと言うと死へ近づくから。要するにホラー映画を突き詰めれば殆ど全て死への恐怖だ。あと「虫などのキモい生き物」「ベッドの下やクローゼットの中」とかそんなとこか、そういった子供が怖がるものオンパレードが本作。
物語的にも描写的にも一定以上のクオリティはあるんだけど、大人の自分としては「キッズ向けホラーだな」「もう飽きたな、この昔が舞台のジュブナイルホラー」などと思い正直イマイチな気持ちで家事しながら観てたが、全方向からお調子者をゆっくり襲う大柄女性の怪異は子供じゃなくても怖いインパクトある映像で、この映画の中で一番良い怪異だった。ここは家事の手を止めてじっと観た。このオバサンのバケモノ、なんか怖いんだけど少し可愛くも見えるし、やってる事もお調子者にゆっくり近づいてそっと抱きしめてるだけだし、あまり邪悪に見えない。何だかお調子者は勝手に恐怖して勝手に自分でこの世から消えたように見えなくもない。
ステラと美少年浮浪児2人だけになってしまった。
次に書かれたのは浮浪児の物語。全身バラバラの首や四肢がデタラメな方向に合体して俊敏に走り回る死体に追いかけ回される。90年代の恋愛ばっかりしてる弁護士ドラマ『アリーMYラブ』でアリーと長い付き合いだったビリー役の人演ずるレイシスト警察官はあっさり殺された。だが浮浪児はステラを助けるため、自分が囮になってそのバケモノを引きつける!かっこいい。
ステラは幽霊屋敷に戻り〈怖い本〉を作者の女性の霊に返し騒ぎを止めようとする。
すると次の瞬間、ステラは屋敷の住人が全員生きていた過去の屋敷にいた。そしてステラは、かつてこの家で、アルビノだった為に魔女と呼ばれ虐げられていた〈怖い本〉作者となっていた。
そんでまぁステラは過去の世界で色々頑張って怖い本の作者の霊を鎮めて現世に帰還する。
ステラはホラー小説を目指してるし陰キャだしで、メタ的な意味で怖い本の作者と同一人物みたいなもんですよね。だから、単純に言うとまぁホラー小説家を目指す陰キャ少女が自分の中で己に打ち勝つ話だったと言える。ラストバトルの前に父親と、居なくなった母についての会話で心が通じ合ってトラウマを払拭したのも勝利へ繋がった一つの光の道だったんだろう。
それで本作は割と全編明るい童話的なテンションで描かれてるので、怖い本に襲われた子供たち……特に最低でもステラの親友たちは現在〈怖い本〉亜空間に囚われてて「事件が解決したら現世に戻ってくるだろ」と当然のように思い込んで観てたら解決しても戻ってこない行方不明のまま映画が終わったので凄くビックリした。
ステラと元気になったお調子者の姉は2人で「彼らを助ける方法はきっとあるはず」とか希望に満ちた笑顔で言って終わったので「もし続編があったら彼らを助ける話なのかな?」とか思ったが、しかし原因である〈怖い本〉の作者を浄化しても親友を帰還させる事ができなかったのでもう無理そうだよね。この「子供たちは返ってこない」っていうのは多分、原案デル・トロのアイデアだと思う。デル・トロの映画はあまり好きじゃないものが多いが彼の作品内では子供であっても容赦なく悲劇が起こってしまうところは好きな部分だわ。「子供だから助けてあげよう」っていうのはフィクション的な嘘だからね。だから子供たちが戻ってこないのは悲しかったが物語的には今時珍しい誠実さだと思った。
基本、子供向けホラーなので全体的には平凡な印象だったが、大柄女性モンスターと親友が生き返らなかったとこだけは心に残った。
子供たちが生き返らなかったのは可哀相だったが、そのおかげで心に残った。それがなかったらもっとどうでもいい印象だっただろう。
自分で書いといて何だが、こういう一から十まで起きた出来事を列挙して本当の感想は数行だけ……みたいな感想嫌いなので今後はこんな事ないようにします。何か特に感想書くことないくせに「せっかく観たんだから更新したい」と思いながら書いてるうちにこういった酷いページになってしまった。申し訳ない。

 

 

 

そんな感じでした

『ジェーン・ドウの解剖』(2016)/アンドレ・ウーヴレダル/解剖して体内を暴くのとシンクロして闇に踏みいってゆく👩🏻 - gock221B
『ギレルモ・デル・トロの驚異の部屋』 (2022) 全8話/ギレルモ・デル・トロ関係の作品でこれが一番好きかも🧠 - gock221B

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Scary Stories to Tell in the Dark (2019) - IMDb

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スケアリーストーリーズ 怖い本 ギレルモ・デル・トロ&アンドレ・ウーヴレダルの世界

スケアリーストーリーズ 怖い本 ギレルモ・デル・トロ&アンドレ・ウーヴレダルの世界

  • ギレルモ・デル・トロ, リチャード・アシュリー・ハミルトン & 阿部清美
  • アート/エンターテインメント
  • ¥4,000

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『クリスティーン』(1983) ジョン・カーペンター/Evil Carに魅入られて暗黒面に堕ちた陰キャを親友のイケメン陽キャが愛で殺す🚗

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原題:Christine 監督&音楽:ジョン・カーペンター
原作:スティーヴン・キング 
製作国:アメリカ 上映時間:110分

 

 

スティーブン・キングの同名小説を出版と同時に長編映画化して公開したもの。
子供の時に金曜洋画劇場とかで観たことあるけど自分が自我を持って以降観たことなかったのでジョン・カーペンターファンとしてもっかいちゃんと観ときたいと思ってはいたがBlu-rayとかわざわざ買ったり借りてまで観たくはなかった間に数十年経過してしまったがNetflixで配信されたので丁度いいわと思って観ました。原作は読んでない。ネタバレあり。
最初にあらすじをざっくり言わせてもらうと、内気な少年が呪われたクラシック・カーを買って「クリスティーン」と名付けて「彼女」の修理をしているうちに彼女の影響を受け、傲慢・暴力的になっていき連続殺人を行い破滅する青春ホラー。「気弱な少年が大きな力を手にして豹変してしまう系の青春映画」の一つと言える、作品によって、その「大きな力」は超能力だったり銃だったりモンスターだったり巨大ロボットだったり……様々だが昭和の映画や少年漫画の定番だったと言える。スパイダーマンはその「大きな力」を良い事に使った例だが、悪い方に触れてしまったのが本作。
クリスティーンは破壊されてもベコベコッと自己修復する。それを活かして車体をボコボコに自損させながら狭い路地に無理やり入ってきて殺人を行う。漫画家・荒木飛呂彦が『ジョジョの奇妙な冒険』第三部の敵スタンド〈運命の車輪(ホイール・オブ・フォーチュン)〉でパクった。『クリスティーン』とスピルバーグの『激突!』を足したようなスタンドだった。荒木先生は映画や漫画など色んな先人から物凄い数のパクリをしてるのだが何時の間にか完全に自分のものにして描いてるせいかあまり非難されない(僕の想像では、荒木先生は描いてるうちに自分がパクった事を毎回マジで忘れ、本気で自分が思いついたと思って描いてるんだと思うので独特の、パクリを指摘する気にならない雰囲気が生まれるのではないかと推測)。

1972年、カリフォルニア。内気な高校生アーニー(キース・ゴードン)は、親友のアメフト選手デニス(ジョン・ストックウェル)と帰宅の途中で、放置されてるボロボロの'58年型・赤い車体のプリマスに一目惚れ。拘束衣みたいな『時計じかけのオレンジ』みたいなビジュアルロックバンドの衣装みたいな「何なん?その服」と言いたくなるカッコいい服を着たカッコいい風貌をした老人から購入。
その前にこの主人公、アーニーは眼鏡をかけたオタク風の風貌……と言っても演じてる俳優は実はイケメンで、見事な演技で空気が読めないアーニーや呪いで傲慢な若者に変貌したアーニーまでを演じているに過ぎない。オタクキャラもしくはガリ勉キャラのように見えるアーニーだが、特にオタクとかガリ勉といったキャラ付けはされておらず、母親と仲が良すぎて女子に奥手で若干空気が読めない絡まれやすいメガネでしかない。
一方、親友のデニスだがイケメンだしアメフトのスター選手なので日常的にクラスメイトの金髪女子に言い寄られている。
そんな感じでデニスはスクールカースト最上位、アーニーはいけてない認定されてる感じなのだが(デニスの友人はアーニーを馬鹿にしている)、デニスはそんな身分の差おかまいなしでアーニーの親友だ。原作読んでないからわかんないけど多分「幼少時から親友でそのまま大きくなって身分は違ったがデニスが良い奴なので親友のまま」ってパターンだろう。アーニーは精神的にも幼いのでおかしな事を言いがちだがデニスは嫌な顔しない。アーニーがナイフを持った不良生徒3人に絡まれた時も、デニスはやられるの覚悟で立ち向かってアーニーと共にボコボコにされた。めっちゃ良い奴やん。こんなナイスガイは滅多にいない。
話を車に戻すが、アーニーはクリスティーンを見た瞬間にひとめぼれしてしまいデニスや両親がいくら止めても買うと言う。しかもクリスティーンの持ち主だったという老人の弟は車を入手すると人が変わったようになり女房にも逃げられて車内で死んでいたというではないか。
クリスティーンは動くのがやっとのボロボロ車なのでアーニーは自動車工場へ持っていき廃車の部品を利用させてもらい連日、修理に出かけた。
この工場長、ここの撮影で素晴らしい陰影が顔に出来てるのも含めて暗黒街の顔役的なめちゃくちゃ良い面構えをしている!この工場長もさっきの中古車売ってくれた老人も、妙に良い顔だなと思って調べたら名優だった。かつての名優を脇役にするのジョン・カーペンター映画によくありがちですよね。
最初は「俺はガキが嫌いなんだ!」とアーニーを疎んでた工場長も、アーニーの熱心さと彼の技術に惚れ込んだようで「うちの仕事を手伝ってくれたら……廃車の部品を好きに使っていいぞ!」とデレた。しかしアーニーはコミュ障なので工場長のデレが伝わらず気のない返事。工場長は「くそっ!ガキにデレて損した」といった表情。
その後、アーニーは綺麗になったクリスティーンに乗りハンドルに愛おしそうに持たれかかる。それをフロントガラスの向こうから撮ってる。何とも言えず良いシーン。
アーニーは呪いの車の影響で少しづつ気が強くなってるのだが、この時点ではただ前より自信が着いただけに見える。正直ここで終わってれば「親離れできてなくてアーニーが始めて自分の意志でやりたい事をやり自信が着いた」ってだけの只の良い話。

 

 

アメフトの試合中、デニスがふと観客席を見るとメンテナンスが終わって綺麗になったクリスティーンの前に立つアーニーが学園一の美少女リー(アレクサンドラ・ポール)とキスしている!
あまりの衝撃に、相手選手のタックルを喰らい気絶するデニス。それどころか打ちどころが悪く「二度とアメフトはできん。もう少しで下半身不随になるところだった」とか言って思いのほか大事になっていたのだが「自分も落とせなかったリーがアーニーなんぞとキス!?」というショックの余り失神はおろか死にかけたように見えて草なんだ。
アーニーはクリスティーンとリーという両方に花を手に入れ、別人のように自信満々になっている。だが親友デニスの意識が戻らない間、何度も見舞いに来てるし大怪我の話を聞くとマジでショックを受けた表情をするしデニスへの友情は消えてない模様。
かくして陰キャのアーニーと人気者デニスは以前までと立場が逆転した。
一方、アーニーと付き合い出したリーはアーニーが自分よりも夢中なクリスティーンに嫉妬し、クリスティーンの方もリーを呪いで殺しかけたりして暗雲立ち込める。
その後、冒頭の不良達がクリスティーンを破壊して恐らくここが、アーニーが完全にダークサイドに落ちるきっかけだろう。クリスティーンはアーニーの目の前で復元(多分ここが一番の見せ場)、そして不良達を一人づつ惨殺する。
俺が好きなハリー・ディーン・スタントン演じる刑事もアーニーを疑い始める。
アーニーに優しかった工場長をクリスティーンが殺害したり、アーニーが冒頭では仲良かった母親と仲悪くなったりするのは単純に悲しくなった。
その後、退院したデニスが豹変したアーニーを見て「優しかったアーニーが変わっちまった!もうアカン」となって、リーと共にアーニー&クリスティーンを退治するラストバトルになる……。
陰キャが大きな力を手に入れ、自信を付けたのは良かったが増長してダークサイドに堕ち、親友が愛のある引導を渡す……という話だった。
正直なところ、アーニー役の俳優がどんどん暗黒面に飲まれていく演技は見ごたえあったが後半のホラー部分よりも、前半のアーニーとデニスの学園生活やアーニーが車を手に入れて修理してるといった何てことない地味~な北の国から的な青春描写の方が面白かったかも(正直大柄の不良を殺したところくらいで完全に飽きました)。
読んでないけど原作は上下巻の大作らしく、きっとアーニーその他のキャラの心理描写がこれでもかとあったかと思うんだが、この映画にはそんなのないので「リーは何でアーニーと付き合いだしたんだろ?」とかリー絡みが不可解で盛り上がらなかった。
デニスの葛藤や心情は、彼はアーニーと堅い友情を育んでたからよくわかるけど、リーの場合、彼女が付き合ってた時期のアーニーって只の空気読めない傲慢で呪われた少年でしかないので、何でリーがアーニーを好きだったのか何でアーニーを心配したりするのとか凄く不思議ですよね(というかリーは、アーニーともデニスともろくに心の交流してないからドライブインシアターの時、クリスティーンに殺されてた方が良かった気がする。映画のキャラとしてね)。
陰キャがやっと自信を付けたのはいいが呪いのせいで暗黒面に堕ちて周囲との人間関係が全部だめになって殺人鬼になってしまい(アーニーの直接的なせいではないが間接的な理由で)夢を絶たれた陽キャが、陰キャを殺す哀しい話だった。
この何とも言えない寂しい……ダウナーな哀しさがあるから今まであまり観なかったのかも。あんまり盛り上がらないからね。だけど、自分が狙われてるわけじゃないから普通の奴だったらアーニーなんか放っといただろうに、デニスの場合わざわざ責任持って自分の手で殺しに来てくれるんだから、デニスって本当に優しいなと思った。クリスティーンに魅入られたごくごく短期間しか幸福感を感じてなかったであろうアーニーだが、デニスに殺された事は最後の幸せな事だったのかもしれないと思った。

 

 

 

そんな感じでした

ジョン・カーペンター監督作品】
『マウス・オブ・マッドネス』(1994) ジョン・カーペンター/ジョン・カーペンター映画大好き📘 - gock221B
『ハロウィン』(1978) ジョン・カーペンター/初めて観たけどクラシックだが堅い造り確かな味わいで楽しめた🎃 - gock221B
『姿なき脅迫』(1978) ジョン・カーペンター/サイコパス知能犯に見せかけた単なる荒いオッサンの犯行だったとは👀 - gock221B
『ザ・フォッグ』(1980)/妙に具体的な設定の亡霊。さすがに古いのでホラーなのに旅番組みたいに観た🌁 - gock221B

 

 

スティーブン・キング原作映像作品】
「IT/イット (1990)」後編はイマイチだが前編とペニーワイズは最高🤡 - gock221B
「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(2017)」子供達と日常パートは昔より良いが、ペニーワイズは昔の方が良い🤡 - gock221B
「ダークタワー (2017)」異世界で屈強な黒人と‥。全体的にかなり面白くないが終わり方だけ異常に良い映画 - gock221B
「ジェラルドのゲーム (2017)」手錠でベッドから動けなくなったセクシー熟女が状況と自己のトラウマに立ち向かう👩 - gock221B
「1922 (2017)」死ぬほど地味で暗い話だがS・キングっぽさが出てるしクトゥルー神話っぽい陰惨な雰囲気に妙に惹き込まれた🐭 - gock221B
「スティーヴン・キング ビッグ・ドライバー (2014)」一本道すぎるけど蘇ると別人になるわけじゃなく本人が暴行魔に復習するのが気持ちいいレイプリベンジもの🚚 - gock221B
「スティーヴン・キング ファミリー・シークレット (2014)」おしどり夫婦の夫が連続殺人鬼。ビッグドライバー、1922と併せて観たい👫 - gock221B
「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。(2019)」🤡 - gock221B
『ドクター・スリープ』(2019)/中盤までの遠隔サイキック・バトルが凄く面白かったのでホテルには別に行かなくてよかった🐈 - gock221B

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