gock221B

映画やドラマの感想ブログ 😺🐱 殆どのページはネタバレ含んだ感想になってますので注意 😺 短い感想はFilmarksに https://filmarks.com/users/gock221b おしずかに‥〈Since.2015〉

『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』(2020)/ビルとテッド父娘の善性オーラが凄くて不思議な感動があり泣きそうになった🎵


原題:Bill & Ted Face the Music 脚本:クリス・マシスン、エド・ソロモン
監督:ディーン・パリソット 製作国:アメリカ 上映時間:91分
シリーズ:『ビルとテッド』シリーズ第三作目

 

 


キアヌがブレイクする切っ掛けとなったビルとテッドの大冒険』(1989)では、未来人ルーファスの電話ボックス型のタイムマシンで時間旅行して偉人たちと会ったり画期的なタイムスリップ使いやビルとrテッドのキャラクターやエアギターで人気を博したコメディ映画、続くビルとテッドの地獄旅行』(1991)では死神ウィリアム・サドラー)と手を組み悪者を倒してロックスターになった、そこから29年ぶりの新作。
ビル(アレックス・ウィンター)とテッドキアヌ・リーブス)はロックバンド“ワイルド・スタリオンズ”として活動していたが、30年たった今は人気に陰りが出てきていて迷走気味。中世の時代から連れてきて結婚したプリンセス2人とも愛し合っているが今の生活を不安に思ったプリンセスの提案で4人はカウンセリングを受けている。
だがビルの娘ティアサマラ・ウィーヴィング)とテッドの娘ビリー(ブリジェット・ランディ=ペイン)はパパ達と音楽が大好きで音楽を聴きまくるニート生活を満喫している。
そんなある日、ビルとテッドの前に未来人ルーファスの娘ケリーが現れ「今から77分25秒後に時空が歪み世界が滅亡する」というものだった。つまり、この時点から映画が終わる頃合いに世界が滅んでしまうというのだ。
ビルとテッドは”世界を救う音楽”を完成させて破局を防ぐため懐かしのタイムマシンで新たな冒険に出る。そしてそんなパパ達を見たティアとビリーは……?

という話。

 

 

 

ビルとテッドは”世界を救う曲”を自分たちはまだ作ってないから近未来の自分たちに会いに行き「世界を救う曲つくってたらくれ」とお願いするがタイムスリップすればするほど未来の自分たちは落ちぶれていた。そして老人ホームで年老いた自分たちのところに行くとやっと”世界を救う曲”を完成させていた。ここで老ビルが「がっかりさせてばかりで悪かった」と現在のビルに謝るのが感動的。
キアヌは現在でも有名で、ビル役のアレックス・ウィンターは監督業メインの活動になったのでキアヌがメインだと思いがちだがどっちかというとビルの方が僅かにリーダー格でテッド(キアヌ)の方がぼーっとしてて「ワーオそりゃすげえ」と言ってる2番手の感じなんだよね。
一方、二人の娘ティアとビリーもタイムマシンを使って”最高のバンド”を結成しようとタイムマシンを借りて時間旅行する。二人はジミ・ヘンドリックス、アームストロング、モーツァルト、2千年前の中国の笛の名手リン・ルン、動物の骨でドラミングする原始人グロムなどをスカウトしていく。つまり一作目でビルとテッドがやってたような展開を娘がする。
ジミヘンをスカウトするのが難しいとみるや、過去に行ってジミヘンが尊敬するアームストロングに撮影しておいたジミヘンの演奏を見せてスカウトする、そしてタイムスリップを信じないジミヘンにアームストロングが演奏してみせたら一発で理解してニヤリとするジミヘン……そして皆で過去に行きモーツァルトの演奏にジミヘンがエレキギターを合わせて勧誘……という感じで最高のバンドメンバーを揃えていく。
ビルとテッドも勿論いいが、この娘たちの時間旅行が最高。
このシリーズの魅力は適当でおバカな展開……ではあるがそれよりもビルとテッドの異常にあっけらかんとしたポジティブな善性にあった。
それが娘たちに受け継がれていて、いつも楽しそう。冒頭パパたちが演奏してる迷走曲で皆が呆れてても娘たちだけは一心不乱に踊っていたり、過去の伝説の音楽家を集める時も二人の異常にポジティブな雰囲気が凄い。正直、客観的にはアホなくだりなんだがこの音楽家を集めるくだりで不思議な感動があって泣きそうになった。
ビルの娘ティアを演じてるのは既に売れっ子になったサマラ・ウィービング(ヒューゴ・ウィーヴィングの姪だと今知った)。ビルっぽくしようと口開けっ放しだったり歯茎を見せて笑う、だが基本的にはいつものサマラ・ウィービング。テッドの娘役はブリジェット・ランディ=ペインという……まだ全然知らない子だったが彼女は1、2作目のキアヌ演じるテッドの喋り方や仕草を完コピしていて本当に父娘だって感じが凄い。
そうこうしつつ娘たちが地獄に落ちたのを救いに二作目でおなじみだった地獄旅行にも行き、バンドメンバーにしてたが喧嘩別れした死神とも和解するビルとテッド……。
娘たちを殺した殺人ターミネーターすらも仲間にして現世に戻る一行。
そして真の”世界を救う曲”とは何かに気づき、ビルとテッドは”一度に無限に存在するビルとテッド”となって世界を救う手助けをする……。
という感じでハッピーな終わり方するのはいいが割とゴチャゴチャっとしてる感じ、それより中盤のビルとテッドが老人の自分たちと抱き合うところ、娘たちの大冒険が良かった感じ。
キッド・カディという俳優兼ミュージシャンの人が本人役で出てて、量子論やタイムマシンでどうすればいいか全て知ってるというネタがよくわからなかった。キッド氏は博識で知られてる人なのかな?
今回もやはりビルとテッド父娘のポジティブなキャラクターが輝いていた。
4人だけでなく殆どの登場人物が良い人なんだよね。ビルとテッドとの結婚生活に疑念を抱くプリンセスたちも時間旅行するんだが「やっぱり今の貴方たちが最高だわ」と言うし、テッドの頑固な父親や死神とも愛ある和解するし。今どきの映画にしてはメインキャラが白人ばかりというのが気になりそうなもんだがビルとテッド父娘のキャラの良い奴っぷりが突き抜けていてそんな事を観てる間は気が付かなかった。
とにかく観てると「自分も他人にもっと親切にしよう」というピースフルな気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
でも今のキアヌはやっぱヒゲあった方が良いネ。

 

 

 

そんな感じでした

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映画『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』オフィシャルサイト
Bill & Ted Face the Music (2020) - IMDb
ビルとテッドの大冒険 (1989) U-NEXT

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Amazon: Bill & Ted Face The Music (Original Motion Picture Soundtrack)

『ウィッカーマン』(1973)/恐ろしい風習の島民よりも偏狭で傲慢な信心深い主人公の方に苛ついてしまった🌞


原題:The Wicker Man 監督:ロビン・ハーディ 脚本:アンソニーシェーファー
製作:ピーター・スネル 製作国:イギリス 上映時間:100分

 

 

 

有名な映画だが、今ではアリ・アスター監督がA24の提案で撮って日本でも話題になった映画『ミッドサマー』 (2019)の元ネタ……といった方が有名なカルト映画。
小さい頃に一瞬だけ観て以来観てなかったが住む街住む街のレンタル屋などに、常に置いてなく大人になって一度も観れてなかったが『ピースメイカー』(2022)観るために加入したU-NEXT、ここに旧作が妙に多いことに気づき「あっ!ウィッカーマンあるやん!」と、やっと観れた。心の中の「そのうち観る映画リスト」に20年以上記載されてたが観れてなかったものをやっと観れてよかった。一番下にリンク貼っといた(最近は配信にないと映画観ない人が増えたのでこれからは配信へのリンクも貼ることにした)。
ボンヤリとネタバレあり

 

 

 

ヘブリディーズ諸島にある孤島サマーアイル。領主のサマーアイル卿クリストファー・リー)が治めておりキリスト教以前のペイガニズムが信仰されるこのサマーアイル島に一人の男が飛行艇でやって来た。
その中年男性はスコットランドの警察巡査部長ニールエドワード・ウッドワード)。
彼は「行方不明になった少女を探してほしい」という匿名の手紙を受けて来た。
サマーアイルの島民は太陽を信仰し性に奔放で蛙を口内に入れる民間療法や全裸で焚き火を飛び越えたり仮装行列など……奇妙な風習や儀式を行っており、敬虔なクリスチャンであるニールはそんな島のペイガン(異教徒)たちに激しい嫌悪感を抱く。
そして島民達は示し合わせたように行方不明の少女について何かを隠していた、そう確信したニールだったが、木で出来た巨大な人形”ウィッカーマン”を燃やして豊作を願う五月祭が近づいてきていた――

という、あらすじで大体ストーリーの全容が想像つくと思うが実際その通りに進む。
ホラー映画ではあるが、超自然的な存在や異教徒が襲いかかってきたり凄惨な死体や流血などは一切出て来ず、笑顔で穏やかだがどこか不気味な島民と彼らとのカルチャーギャップに驚くニールを描いてるのが特徴。田舎が舞台のホラー映画の一部だけでなく映画のほぼ全編がこんな感じのホラーはなかなか珍しい。だから『ミッドサマー』 (2019)のような映画を他人に説明する時は皆「『ウィッカーマン』みたいな映画」と本作がよく引き合いに出されるのだろう。

 

 

 

中年なのに結婚するまで童貞を貫いているほど敬虔なクリスチャンにとってキリスト教徒じゃないってだけで腹立たしいのに、この島民たちの信仰は女性がやたらと性に奔放だったりするのでニールは余計に苛立ちを隠せない。
この映画がターゲットとする観客は当然イギリスや欧米などのクリスチャンなのでクリスチャンのニールに感情移入そして肩入れして観て「なんて奇妙な島の連中なんだ」と感じるべき映画だったんだと思うが、特にクリスチャンじゃない自分からしたらニールも島民も大差なく見える。
いや、むしろ文化の違う人様の島に来てキリスト教を振りかざすニールの尊大な態度の方が腹立たしく感じた。あからさまな悪人キャラは別として、別に悪い事してなくて正しいことをしてるキャラにこんなにムカつくのは自分でも自分が珍しかった。
感じの悪いニールと比べ、島民は(表面的にだけだが)穏やかだし奇妙な儀式も性に奔放なところもむしろ楽しそうなので余計にそう思えてくる。特に旅館の女性が隣の部屋から全裸でドアをリズミカルに叩いて誘惑してくるのがエキゾチックで良かった。土着的で陽気な感じ。

まぁもちろんニールは最終的に島の殺人儀式でブッ殺されるのを知ってて観てるのだが、それをわかった上で観ているにも関わらず、イエスを”トゥルーゴッド(唯一神)”と呼び島の神を認めようとしないニールに対しては神がいっぱい居る日本の自分はムカつくものがあった。
ニールはクリストファー・リー演じる領主に「そんな荒唐無稽な信仰じゃなくキリスト教を子供たちに教えないんですか!?」と激怒するが、観てる僕からしたら「キリスト教とこの島の太陽信仰、どっちも荒唐無稽じゃん」と思ったところで同時にクリストファー・リー領主が「イエスを産んだマリアは処女だったそうだけど父親は幽霊ですか?」とキリスト教の無茶苦茶さを指摘し、ニールは何も言い返せなかった。
完全にラスボスとシンクロしてしまった。
そんな感じで「行方不明の少女を探す、熱心で信心深い男が孤島の異教徒どもに生贄にされて恐ろしい儀式で殺されてしまった!」というニールの悲劇に絶望すべき映画だったんだろうが、最初から最後までニールに苛ついて観ていたがために結末でむしろスッキリしてしまった。
制作意図と違うであろう、こんな感想で良かったのかという気はするが、楽しかったし色んな風景や室内が可愛い孤島も見れたし映画を何十年も観たかった気持ちが解消できてよかった。
とはいえ、もっと10代20代の、本当に観たかった時に観たかったな。

 

 

 

そんな感じでした

本作に影響を受けた映画
『ミッドサマー』(2019)/普通に面白いけど、この監督の新作だという事を踏まえるとスウェーデン行って以降の平凡な内容ではとても満足できない🌼 - gock221B

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The Wicker Man (1973) - IMDb
ウィッカーマン(洋画 / 1973) - 動画配信 | U-NEXT 31日間無料トライアル

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『THE BATMAN-ザ・バットマン-』(2022)/今までで最も原作っぽいバットマン映画で雰囲気も良いが上映時間が長すぎる…🦇


原題:The Batman 監督&脚本&制作:マット・リーヴス 脚本:ピーター・クレイグ 原作:DCコミックス 製作国:アメリカ 上映時間:175分 音楽:マイケル・ジアッキーノ 劇中歌:ニルヴァーナ「Something In The Way」 シリーズ:『ザ・バットマン』シリーズ第1作目。DCエルス・ワールド

 

 

新しいエモいバッツがやってきた。
最低でも週に一回は更新したいブログなのに一ヶ月半も間が空いてしまった。映画やドラマは観てるんだが、ちょっとした感想はFilmarksに書くようになったせいかも。
どういうわけか最寄りの映画館に来ないので来るまで待ってたが一向に来ないので仕方なく今頃遠くに観に行った。
DCEUとの繋がりがなくなり、かといってDCEUとは別の世界を舞台にした『ジョーカー』(2019)とも特に繋がっていない独立した世界の話。MCUみたいなのがもう一個あったら何か心の中が忙しいからDCはこれでいい。
クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)とか、『ぼくのエリ 200歳の少女』のアメリカ版リメイク『モールス』(2010)とか、猿の惑星リブート三部作の2と3の『猿の惑星: 新世紀』(2014)とか『猿の惑星:聖戦記』(2017)マット・リーヴスが監督。このマット・リーヴス作品はどれも面白くない作品は無く、むしろしっかりしててこれといった欠点はないのだが個人的にバシッと刺さるものもないという印象の監督。
で、主演がロバート・パティンソン。彼がブレイクしたヤングアダルト原作映画『トワイライト・サーガ』……は興味ないので全く観てないが僕の中ではデヴィッド・クローネンバーグ監督作『コズモポリス』(2012)で凄く印象に残ってました。空虚な大富豪役だったので本作のキャスティングの人が「ブルース・ウェインっぽいな」と思いキャスティングしたんじゃないか?と推測した。本当のところはよく知らない。
ストーリーのネタバレはないけど一部ネタバレあり

 

 

 

犯罪が蔓延る大都会ゴッサム・シティ
幼い頃、犯罪者の凶弾に両親を奪われた億万長者ブルース・ウェインロバート・パティンソン)、ブルースは毎夜コウモリのスーツに身を包んだ”バットマン”となり犯罪者たちと闘ってイヤーツー(2年目)のクライムファイター。
ブルース、バットマン双方の面倒を見るのは元スパイの執事ルフレッド・ペニーワースアンディ・サーキス)。
ゴッサム市警察ジェームズ・ゴードン警部補ジェフリー・ライト)もバットマンの協力者。
ある日、市長や検事などゴッサムの大物ばかり殺害され事件現場にはリドラーポール・ダノ)を名乗る男からの挑戦的なリドル(なぞなぞ)が残されていた。
リドラーを追い捜査を進めるバットマンとゴードンは、女性と同棲している好きの女泥棒のセリーナ・カイルゾーイ・クラヴィッツ)、”ペンギン”の異名を持つナイトクラブ”アイスバーグ・ラウンジ”経営者オズワルド・コブルポットコリン・ファレル)、ゴッサムの裏社会を牛耳る大物、カーマイン・ファルコーネジョン・タトゥーロ)らと出会う―

みたいな話。
バットマンお馴染みのヴィランリドラーをゾディアックキラーに見立てて(見た目もコミックとは違いゾディアックキラーみたいな不気味な格好している)、イヤーツー(2年目)の若いバットマンが彼の連続殺人を追っていく探偵ものの流れで進んでいき、ブルースの内面や若いセリーナやペンギン等おなじみのキャラクターと出会っていく。

 

 

 

このイヤーツーのバットマンが主人公というのが絶妙で、『バットマン・ビギンズ』(2005)のようなイヤーワンならバットマンになるための流れやバットマン登場!やゴードンとの出会いなど描く必要があるが、イヤーツーなのでバットマンの事は知られてるしゴードンとも信頼関係が出来上がっている。だからオリジンなしでバットマンの捜査を描くことが出来る。バットマン関係の映像作品やゲームが出る度にブルースのオリジンとして両親が路地裏で撃ち殺され呆然としたブルース少年が膝から崩れる……、スパイダーマンのベンおじ以上にこの光景をあまりに観すぎた。で、両親が撃たれたら大抵ママの真珠のネックレスが路地に飛び散る、この光景をあまりに観すぎたせいで哀しいどころか真珠がころがる度に爆笑するようになってきたわ、だからもういい。
それでいて本作のバットマンはまだ若いヴィジランテなので、チンピラなどをボコボコにするが殴りすぎてしまったりチンピラにもある程度殴られたり撃たれたりと戦闘が荒削り。そしてメンタルも揺れやすい。美形のパティンソンが目の周り黒く塗って前髪垂らして思い悩んだりするので元々エモいキャラであるバットマンがかなりエモくなっている。バットマンといえばコミュ障気味だが本作ではブルースの状態でもコミュ障……いやむしろバットマンの時の方がまだ喋る方かもしれない。
今までのバットマン映画と差別化できるところは「探偵としてのバットマン」を強く打ち出してるところ、原作のバットマンは戦闘でヴィランをボコりもするが、それがメインというよりは捜査してて邪魔するヴィランを流れでボコるって印象あくまでメインは推理や分析や捜査ってイメージなので、これは凄く期待してたところ。それとゴードンの出番が多いのも嬉しいところ。アルフレッドは危ない目に遭うので一瞬焦ったが数十秒後には入院してたので安心した、どうも最近はメイおばさんとかアルフレッドなどの絶対死なない安全地帯サブキャラが危険な目に遭うことが増えてる。セリーナ(キャットウーマン)は浅黒くて女性と同棲してるベリーショートの怪盗……っていうのがフランク・ミラーの『バットマン イヤーワン』っぽくて良い。バットマンとの淡い恋愛描写も良い。実際に二人がキスしたりするところよりむしろセリーナに装着したカメラ付きコンタクトで彼女を監視したり録画済みのセリーナの映像を繰り返し観てアルフレッドに見られて焦るシーンなどの方がフェティッシュで良かった。
ペンギンはコリン・ファレルが特殊メイクで薄毛の大柄中年男性コブルボットになっている。正直「最初から大柄薄毛の俳優を雇えばいいじゃん……」と思うのだがコリン・ファレルのハイテンション演技が上手くハマってるので特に文句はない。ペンギンは続編にもちょいちょい出てきて欲しい。ファルコーネはゴッサムの他のキチ○イ犯罪者達とは違って現実に居ても違和感ない正気のギャングのキャラだが本作では凄く重要な役として出てくる、これも珍しい。正直ペンギンよりデカい役で出てくるとは思わなかった。
そういえば画面にハッキリ出て来ないがジョーカーらしき犯罪者も出てくる。恐らくイヤーワンのバットマンと戦いアーカムにブチ込まれたようだ。その過程でバットマンとゴードンの繋がりも生まれたんだろう。バットマンの最初のヴィランは「ジョーカー、ペンギン、キャットウーマンリドラー」の四人なので、後の三人が本作に出てくるってことはジョーカーもチョイ役で出るだろうなと思ってた。多分、完結編の三作目で戦うんだろう。

 

 

 

バットマン役のパティンソンはバットマンオタで監督も多分そう。そのせいか原作ファンが喜ぶバットマン要素を抑えてきてるなと思った。
ストーリーも文句なし。監督がカート・コバーンっぽく描いたというエモ・バッツや映像も良い。僕が14~19歳とかならなら凄く好きだったかもしれん。自分が高校の時めちゃくちゃ聴いてたニルヴァーナの曲も流れるので一瞬、エモかった少年の自分にも戻れたし。映像もデヴィッド・フィンチャー映画みたいな雰囲気で路地は当然すごく濡れてる感じ。戦闘中も画面が異常に暗いが、バットマンの場合は暗くて構わない。むしろ暗くないとバットマンという現実に居たらちょっと荒唐無稽なキャラクターが間抜けに見えてしまう。これくらい画面暗くして御伽噺っぽい雰囲気を出さないとバットマンが成立しないのでこれでいい。闇にまぎれて戦いチンピラのマシンガンのマズルフラッシュで一瞬だけバットマンが見える戦闘とか良かった。正直バットマンは顔とマントだけ見えて身体の細部などはあんまり見えない方がカッコいいので暗くていいのよ。キャプテン・アメリカとかは逆に明るくしてほしいけどねバットマンは暗ければ暗いほど良い。「なんか黒いのが動いてチンピラが吹っ飛んだ、バットマンがしばいたんやな」程度でいいのよ。
好きな戦闘はペンギンとのカーチェイスかな。本作の普通の車両っぽいバットモービルも良かった(でも御伽噺っぽい雰囲気だから次からは如何にもな羽の付いたモービルのほうがいいかも)。
そんな感じでストーリーもキャラや描写も原作っぽくて全体的に良い。
ただ記事タイトルにも書いたように映画が長過ぎる!!
そういえば、この監督の猿の惑星も同様に「いい映画だとは思うが長いな……」と思った覚えがある。ひょっとしてこのエモバッツ映画最高!とシンクロしまくった大学生とかなら全然長く感じないのかもしれない。ちょっと僕は長かったですね……画面が暗いのは全然OKむしろ良かったけどねデヴィッド・リンチのファンだし……。
同じように三時間ちかくある上映時間の長いアメコミ映画といえば『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)とか『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)などがあったが、エンドゲームはぶっちゃけ短い映画が3つ連なったような構成だし最後は10年分のキャラが大集合する、スパイダーマンNWHも後半で大きなサプライズ展開が始まるので長いとは思わなかったのだが、本作の場合「なかなか面白いし良い雰囲気」とはいえ冒頭から同じ様なノリのまま三時間続く、だから長いと感じたのかな?別に腹は立たないしつまらないわけではない、むしろ良い感じ、しかし長すぎる!2時間ちょっとくらいが丁度よかったと思う絶対に。
バットマン好きのパティンソンは「次は〈梟の法廷〉と戦いたい」と言っていた。
はっきり言って僕はバットマンヴィランの中でジョーカーなんかよりも梟の法廷が一番面白いヴィランだと思ってて、絶対に話も面白くなるし映像映えもしそうだし他に替えの効かない敵だし何でワーナーは映画のヴィランにしないんだ?とずっと思ってたから続編の敵はパティンソンの言う通り梟の法廷にしてほしい(ちなみに来年出るゲーム『ゴッサム・ナイツ』(2023)のヴィランは梟の法廷)。
だが次からはもっと短くして欲しい……。

 

 

 

そんな感じでした

マット・リーヴス監督作〉
『猿の惑星:聖戦記』(2017)/感情を理性で乗り越えた者だけがこの惑星の覇者となる🐵 - gock221B

 

『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)/2時間以上我慢して観ればカッコいいワンダーウーマンが数分間観れるのが良かった🦇 - gock221B
『Batman: Arkham City - GOTY Edition』(2012)/瘴気溢れる街全体と闘う統合失調症になった感覚になる傑作キャラゲー🦇 - gock221B
『Batman: Arkham Origins』(2013)/面白すぎて爆弾抱えた肩が完全に死亡‥だけど目はまだ死んでないです🦇 - gock221B 
『ジャスティス・リーグ:ダーク』(2017)/楽しかった。付き添いの父兄みたいなバットマン🦇👻 - gock221B
『ジャスティス・リーグ』(2017)/ニチアサ感が強い。ワンダーウーマンのケツばかり映すのやめろや - gock221B
『アメコミ・ヒーロー大全』(2017) 全2話/小学生みたいな邦題から繰り出された神番組!アメリカ近代史とヒーロー80年📚 - gock221B
『ニンジャバットマン』(2018)/ストーリーや論理的な積み上げ無しでキルラキル的過剰演出によって少年漫画的な根性パワーアップを延々と続ける‥というノリをバットマンに持ち込まないで欲しい🗾 - gock221B
『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』(2021)/ザックと思えんほど各メンバーの役割分担が渋くて良いしサイボーグ最高✂️ - gock221B

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The Batman (2022) - IMDb

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『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)/どの映画にも一つある「この良い場面1個あったからまぁ良かった」と思うような良いシーンが全編続く映画👩👱🏻‍♀️👩🏻‍🦰👱🏻‍♀️

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原題:Little Women 監督&脚本:グレタ・ガーウィグ 製作国:アメリ
原作:ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』シリーズ(1868-1869)  上映時間:135分

 

 

 

単独監督デビュー作『レディ・バード』(2017) がめっちゃ評価された女優でもあるグレタ・ガーウィグの三作目。そんで僅か三作目にして第92回アカデミー賞で作品賞、主演女優賞(シアーシャ・ローナン)、助演女優賞(フローレンス・ピュー)、脚色賞、作曲賞、衣装デザイン賞の合計6部門にノミネートされた、……が、若い監督の三作目なので衣装デザイン賞しか受賞しなかった(アカデミー賞はそういうもの)。だが三作目でこれだから凄い。彼女の恋人ノア・バームバック監督も似たテイストの映画を撮る早くから売れた監督だが2作だけで既にグレタの映画の方が面白い。なんかノア映画よりグレタ映画の方がキャッチーで言いたいことがハッキリしてる印象。グレタ監督の映画は女性により刺さる内容だと思うが、それにも関わらず男性の僕もグレタの方がおもろいと思わされてますね。

原作はルイーザ・メイ・オルコットが書いた半自伝的小説『若草物語』四部作(1868-1869)。何度も映像化されてるし日本でも何度も映像化や漫画化とかされてるようだが、原作読んでないし映像化作品もどれも観たことないのでよく知らない。だから原作と比べてどうこう言うような感想はできん。Wikipediaを見た限りだと四姉妹の少女時代『若草物語』、主人公ジョーがNYに引っ越したりベスが難病に伏せる『続 若草物語』、そしてラストは『第三若草物語』の冒頭……くらいで終わる感じ?知らんけど。本作が面白かったので『若草物語』の電子書籍を購入した。
ネタバレあり。

 

 

 

マーチ家の四姉妹や周囲の人々の暮らしを描いた物語。時系列がシャッフルされている。ここがかなり良いところ。
1860年マサチューセッツ州に暮らすマーチ家の四姉妹。父親は南北戦争に行っているので後半まで出てこずマーチ家は女性メインの映画になってる。

👱🏻‍♀️主人公は次女ジョー・マーチシアーシャ・ローナン)。ジョーは野心を秘めており異性にもたれて生きることを良しとせず独立心旺盛、物語を書くことが好きな彼女は家を出た後、ニューヨーク作家になる。主演は『レディ・バード』(2017) の主演でもあったシアーシャ・ローナンシアーシャ・ローナンは監督のグレタによく似てる。監督と常連主演俳優が似るのはデヴィッド・リンチカイル・マクラクラン黒沢清役所広司……とかよくある。監督が自分の言いたいことをシアーシャ演じるキャラと肉体に込めている……か、どうかは定かではないがどうしてもそんな気にさせられるのは仕方ない。素直に監督の分身だと思って観た。あと昔の恋人に雰囲気が凄く似ていた。隣人のローリーと仲がいい。

👩長女は美しくお淑やかで優しいが保守的な性格のメグ・マーチエマ・ワトソン)。演じることが好きらしくジョーに「女優になるべき!」と言われるが、隣人ローリーの家庭教師だったジョン・ブルック先生と結婚して家庭に入る。家が裕福だった頃の虚栄心が残ってるのか貧しいブルック先生と生活苦に悩んでる場面もあるが全体的には幸せそう。演じてるエマ・ワトソン本人は多分ジョーっぽい性格なんだろうが一番保守的なメグ役をやってるのが面白い。

👱🏻‍♀️三女はピアノが好きで愛情深いが病弱なベス・マーチ(エリザ・スカンレン)。彼女は顔や全体的な雰囲気が幼いので今Wikipediaで確認するまで末っ子かと思っていた。最も純粋で儚い雰囲気で演出されていた。ピアノを通じて隣のローリーの祖父である老ローレンスと友情が芽生える。老ローレンスはベスを幼くして死んだ娘に重ねて見ていた。実際に病で亡くなった原作者ルイーザの妹がモデルらしい。

👩🏻‍🦰四女は美術の才能があり気性が激しくジョーと何度もぶつかるエイミー・マーチ(フローレンス・ピュー)。演技がデカすぎて何の作品に出ても目立ちまくるフローレンス・ピューが演じてるので本作でも目立ちまくる。そんなピュー氏が甘えん坊の少女を演じてるので泣き喚いたり騒いだりととても楽しい。漫画みたいな表情やアクションで、もう顔中が顔まみれという印象。監督はピュー氏にもっともっとと演技を大きくしていったらしい。自分が結婚するくだりではシリアスな胸の内を見せる。

🏡父ボブ・オデンカーク)は映画後半まで出征しており留守なので家に居るのは優しく娘たちの自主性を重んじるローラ・ダーン)と女中のハンナ(ジェイン・ハウディシェル)。ときおり出てくるお金持ちで独身の毒舌家マーサ伯母さんメリル・ストリープ)も出てくる、親族は女性ばかり。女中のハンナはなかなか自分を出すシーンがないがベア教授が来た時に「イケメンだわぁ」と急に自分を出したので驚かされた。マーサ伯母さんはメリル・ストリープが演じてるのでとにかく圧が凄い。マーサ伯母さんだけで映画一本作れそう。一時、エイミーは伯母さんと住むのだが濃い2人やで。

👨‍🦳👦隣に住むローレンス家。舞踏会でジョーと仲良くなる裕福な美少年セオドア・ローレンス通称”ローリー”(ティモシー・シャラメ)、ジョーだけは彼を”テディ”と呼ぶ。ローリーを演じるシャラメは主演シアーシャ・ローナン同様に『レディ・バード』(2017)でも印象的なイケメンを演じていた。本作のシャラメ演じるローリーは神秘的な美少年という感じではなく楽しいことが好きな気取らない若者で、自由なジョーを好きになる。ローリーは毒舌で恐れられてるマーサ伯母さんにシッシッとあしらわれても何度も果敢にまとわりつくところも良かった。凄く友達になりたいタイプの好感持てるキャラだった。若いイケメンというところを長所に感じない自分のような中年男性の自分が凄く良いと思えるんだからローリーの魅力はすげぇなと思った。
ローリーの祖父でベスとピアノを通じて仲良くなる老ローレンスクリス・クーパー)、彼は物語的には後半まで父が出てこないマーチ家の父親的なポジションにいる。後にメグと結婚するのはローリーの家庭教師ブルック先生(ジェームズ・ノートン)、優しいハンサムだが凄く昔の人間といったキャラクターで何だかいつも泣きそうな顔している。皆それぞれマーチ家と仲良くなる。ローリーの両親がいないのは何故だろう。原作読めばわかるかも。マーチ家が女性ばかりなのに比べローレンス家は男性ばかり。
他には、大人になったジョーがNYで作家として暮らす現在の時間軸で、ジョーに好意を寄せるベア教授ルイ・ガレル)。原作ではもっとおじ(中年男性)だったらしいが映画では監督の好みで若いイケメンになった。確かに本作のジョーがおじとくっついてしまうと「強がってたジョーも強い男の保護が必要なんやな」という雰囲気になってしまう、だからベアを若くしたのはグレタ監督の好みだけでなく必要な事だったのだろう。常に微笑してジョーを助けようとする、少女漫画のヒーローっぽい雰囲気がある。メインキャラクターはこれくらい。

 

 

 

👩👱🏻‍♀️👩🏻‍🦰👱🏻‍♀️1869年、ニューヨークで家庭教師として糊口を凌ぎながら作家活動をするジョーの”現代”パートから始まる。
映画の冒頭はジョーが出版社に持ち込みする場面から始まる。そして映画の最後は、本作の本編を書いた『Little Women(若草物語』の製本が終わり誇らしげに胸に抱いて終わる。という事からもわかるように本作は、少女時代の思い出や現在の出来事を回想するだけでなく、ジョーがそれを総括して書いてモノにした話……つまり自分の人生を男など他人ではなく自分で運用していく物語だということがわかる。
ジョーは女性の自分が書いた事を隠して持ち込む(が、編集者には誰が書いたのか最初からバレている)。彼女が書きたかった”道徳的な要素”は好まれず、編集者の注文で刺激的なエンタメ作品を書かされる。更に「女性主人公は最後に結婚して終わらなければならない。女性主人公が結婚しないなら殺すように」と言われる。編集者(社会)に押し付けられる女の幸せ……どうやらこれに抗うのが本作のテーマのようだ。
彼女に好意を寄せるベア教授はジョーのエンタメ小説を読み「僕これはあまり好きじゃないな。これは君が本当に書きたいことなのかい?」といった感じの、建設的な批判をするのだが批判に慣れていないジョーはブチギレてベアと絶交してしまう。
四女エイミーは毒舌家マーチ伯母さんとパリに住んでおり、子供時代の隣人だったローリーも来ている。ローリーはどうやら長年好きだったジョーにプロポーズしたが振られたらしく酔っ払ってはパーティで荒ぶっている。
地元でローリーの家庭教師だったブルック先生と結婚して家を構え家庭を育んでいる長女メグ、彼女は愛する夫や子供たちに囲まれて幸せだが華やかな世界が忘れられず夫の給料に合わない高価なドレス生地を買ってしまい思い悩む。
病弱な三女ベスは大きくなっても健康になっていないが、隣の老ローレンスのお宅にお邪魔してピアノを弾いている。老ローレンスは娘を早くに亡くしておりベスが弾くピアノが響くのは幸福な時間。

だがそんなベスが猩紅熱(現代で言う溶連菌感染症)に罹り倒れる。ジョーは三女ベスの病状の悪化を知り実家に帰る。
そこから四姉妹の七年前の少女時代の回想が始まる。
この過去の楽しい回想は本当に楽しいのだが全体的に楽しいので、良い部分を書いてたらあらすじ全部書くことになってしまうので書くのはやめておく。観た方が早い。「この映画はまぁまぁだったな、だけどあの良い場面が一個だけあったから低評価にはしないでおくか」と思うような場面それが最初から最後まで続くのが本作。
回想の間にも時折、現代の出来事が入る。この過去と現代のシャッフルの塩梅が絶妙、暖かかったり、そしてそれ以上に妙に意地悪。グレタ監督作は三作目で今まではよくわからなかったが「きっとこれがこの監督の個性なのかも」と思った。

👩たとえば少女時代、綺羅びやかな屋敷の華やかなパーティで踊る美しいメグ!だが次のカットは現代のメグと夫のブルック先生の暗い食卓……。ブルック先生とは愛し合ってるのだがメグは「貧しい生活は嫌」と、つい口に出してしまい優しいブルック先生は「ドレスも満足に買わせてあげられない解消なしでごめんよ……」と謝るものだからメグは自己嫌悪MAXになり夫に謝る。この落差の画は凄い。カットが現代になった時の食卓の照明や雰囲気の暗さは『ヘレディタリー / 継承』(2018)みたいで思わず笑ってしまう。「愛する家族と一軒家持ってるんだからドレスくらい買えなくてもいいやん」「生活できないわけじゃないんだから贅沢言うな」などと言ってはいけない。僕も貧困だがそんな事は思わなかった。以前のメグの世界には当然あったものがなくなっている、それがメグの貧しさなんだから、ここは”メグが生活苦で苦しんでる場面”だと素直に見るべきだ。「年に一度は旅行に行けてたが行けなくなった」「いつでもマクドナルドが食べれてたが月一しか食えなくなった」など、自分に当てはめてメグの悩みを掬い取るべきだ。
この時系列シャッフルによるコントのような落差、これは他にも何度かあった。これまた一々挙げてたらキリないので書かないが、このメグの貧富の落差カットが一番鮮烈だったのでこれを挙げた。どれも効果的。長い原作を一本の程よい長さの映画にするにはこの方法がベストかもしれない。
メグと言えば、僕は本作を見る前、デビューした時からファンのフローレンス・ピュー演じるエイミーが楽しみだった。エイミーは良いのは勿論なのだが、観ていくとやはり物語のテーマを背負ってる主人公ジョーがやっぱ良いな!と思った。女性の自立を背負ってるのだからヒーロー度が最強だからね。そんで2、3回観ていくうちにメグも好きになってきた。美人だが保守的な彼女は今後は古い存在となっていくばかりのキャラクターで、本作では割と損な役回りと言える。エマ・ワトソンがやってるから勿論すてきなキャラクターではあるのだが、本作を観る限り同性がメグに憧れたりカッコいいと思う事は少ないだろう。そんな古風なキャラクターをフェミニストエマ・ワトソンに演じさせてるっていうのが何とも味がある。またメグは家計のやりくりに四苦八苦しているが演じてるエマ・ワトソンは大人になるとっくの前に自分の才能で一生遣いきれないギャラを手にしてしまった大スターだというのもまた味わい深い。そんな感じで、最初は四姉妹で一番どうでもよかったメグが何度も観ていくうちに好きになった。

👩🏻‍🦰👱🏻‍♀️四姉妹の中で最も純粋で心の優しいベスは結局、猩紅熱で亡くなってしまう。
ある朝、ベスと添い寝して看病していたジョーが目覚めると隣にベスが居ない。「まさか、ベスの命が!?」と大慌てで階下に降りたジョーは朝陽の中、ママと女中ハンナと食事しているベスを見つけ安堵のあまり抱きつく。
後日、ジョーが目覚めると再び隣にベスが居ないので先日のように階段を降りるジョー。同じ場面を二回も繰り返す意味はない、そして朝陽が屋内に降り注いでオレンジ色だった前日の朝と違い今回は屋内が寒色、真っ青になっている。もう既に結果を見なくてもベスが既にこの世に居ない事がどうしようもなくわからされてしまうシーン。そして階下に降りると、前日は朝陽の中でママと女中ハンナと食べ物に囲まれたベスが居た、だが今回は何もない暗いテーブルに消沈したママが座っているだけだった。死ぬ時や死んだベスではなく彼女が死ぬ前後の周囲を丁寧に描いてるのが良かった。昔から泣き顔に定評のあるローラ・ダーンの泣き顔……それ以前に階段を降りてる時点で「ベスは既に……」と明らかな演出が素晴らしい。ベス自体は演じてる俳優も他の豪華出演人と違い有名ではない初めて見る女性俳優なんだが、死ぬ少し前ベスとジョーが思い出のビーチで過ごすシーンが印象的だった。幼い頃からずっと病弱で「人生=病」であるベスは既に死を受け入れている。そんなベスはジョーに「書き続けてね。私が居なくなっても」と言いジョーを哀しくさせる。ベスは抗いようもなく間もなく病で死ぬがジョーに自分の分も生きろと言っている。Ζガンダム風に言うなら「ジョー、私の命を吸って!」という意味だ。実際にジョーのモデルである原作者ルイーザが、実在した原作者死んだ妹のことをベスとして描いたからこそ若くして死んだ少女は物語の中で生き続け、小説のファンだったグレタ監督が映画化したからこそ100年後の日本の中年男性の俺がベスの事を知ってるんだからジョーは見事にベスを著作の中で生かした。こうしてみるとベスを演じた俳優だけ無名で儚い感じの人にしたのも良かった。
そしてベスが死ぬシーンの直後は、少し前にメグがブルック先生と結婚するエピソード。この時はまだベスが生きてるので姉の結婚式に元気に出席している。毒舌家のマーサ伯母さんに愛ある皮肉を言われながらもメグは上目遣いの微笑みを浮かべブルック先生の手を引いて新居に招き入れるシーンでこのメグ結婚パートは終わる。ここは上品だけど物凄くSEXを感じさせるシーン。死の後に生の場面を持ってきてるから凄く効果的。

👱🏻‍♀️ローリーは舞踏会で出会った時からジョーが好きで、遂にジョーに愛の告白をする。しかしジョーはローリーを親友としてしか思っておらず「私達が一緒になったらぶつかりあってだめになってしまう」と振ってしまう。グレタ監督は三作目にして「自分に似たシアーシャ・ローナンを主演にしてシャラメ演じる美少年と不思議な絡みさせ続けてるな」というのがだんだん可笑しくなってくる。別に自分の分身っぽい主人公と素晴らしいシャラメを素直にくっつけるみたいな単純な事じゃなく、ひねくれた絡みばかりさせるのが本当に味がある、次回作にもシャラメ出てきたらそれだけでもう笑ってしまう。
またジョーに必死で告白する時の美しいシャラメは髪がグッシャグシャになる。本作は一つのシーンに1ヶ月もリハーサルするくらい緻密に撮られてるらしいのでローリーの髪がぐしゃぐしゃになるのも絶対わざとだろう。断られるのを予感しつつ必死でなりふり構わず告白するシャラメをくしゃくしゃにする、そして振る……これまた監督の複雑な性癖を感じずにはいられない。
しかし本作は”自分に夢中なシャラメをスルーしてご満悦”っていうサム・ライミ的な性癖だけではない。
ローリーを振ってしまったジョー。
ジョーは「女には美しさや優しさだけでなく魂も野心もあるのに『女は愛される事が一番の幸せ』と言われるのが許せない!」という男中心社会への激しい怒りをママに明かすジョー。しかし、そう思ってるにも関わらず他者を求める心が唸りをあげ「たまらなく寂しい」ジョー。”野心”や”自由”を優先させて生きてきたからといって「女性である自分としての幸せ」が無いわけではない。むしろ振り子のように野心の反作用エネルギーがジョーをたまらなく寂しくさせているのか。
「もう一度ローリーにプロポーズされたらイエスと言うかもしれない」と言うジョー。しかし「今は他者に甘えたくなっているだけ。それにローリーを付き合わせていいの?」とママに看破されてしまう。それにしても、このローラ・ダーンは娘たちを好きなようにやらせつつ絶妙に導いても居て本当に良いママだね。ローラ・ダーンが演じるキャラで好きなキャラあまり居なかったが、このママ役が一番好きかも。
そうこうしつつ、ジョーとローリー、エイミーとローリー、ジョーとベア教授、などの顛末も目が離せないのだが何もかも抜き出して書いても意味ないので省略しよう。

👱🏻‍♀️📕本作が原作と一番違うのは結末近く『Little Women(若草物語)』を書き上げ、編集者に再びああしろこうしろと言われ「本当はベア教授と結婚してないので結婚しない結末にしたが、編集者に‪『女性主人公が結婚しないとかダメだと言ったやろ!』‬と言われたから仕方なく結婚させた」という部分。グレタ監督は「私がその気持ちを100%理解している原作者ルイーザは絶対ジョーを結婚させたくなかったはず。未来人の私がかわりにやってやるわ」と思い、こうしたらしい。”とろけそうな”顔になったことを関係者全員にツッコまれたジョーが汽車に乗るベア教授を追いかけドラマチックなキスをした場面も、現実なのかジョーが書いた私小説『Little Women(若草物語)』の、作られた結末なのかどうかがよくわからない。ジョーとベア教授は駅で本当にドラマチックな再会したのか?しなかったのか?キスしたのか否か。本当に結婚したのか、それとも恋人同士のままだったのか?といった部分が全て曖昧なまま物語は終わり明らかにされない。
マーサ伯母さんがジョーに残してくれた屋敷を学校にしてメグとブルックの夫婦も働くラストがある。社会通念によって女優の道を諦めたメグが少女たちに演技指導しているのもまた監督のしたかった事だろう。そこにはベア教授の姿もあり子供を教えている、関係は良好だ。陽光が降り注ぐ中、お花も咲き乱れケーキもあり、それでいて『Little Women(若草物語)』を製本する時のデヴィッド・リンチタランティーノみたいな妙にフェティッシュなカットもたまらない。製本マニアは興奮するシーンだ。何だか全体的に夢みたいな「世の中すべてこうあって欲しい」と思わせる幸福なラストだ。ベスが健在ならここでピアノを弾いていたんだろう。
話は戻りジョーとベア。色んな解釈できると思うが、僕の場合こう考えた。
「ジョーとベアは、書かれていた通り駅でドラマチック再会してキスもした、何なら結婚もして皆と一緒に学校で幸せに暮らしている」のではないか?
ジョーは別に「男に興味ない」とか「結婚なんか一生しない」なんて事を思ってるわけではない。ジョーが思ってるのは「女には美しさや優しさだけでなく魂も野心もあるのに『女は愛される事が一番の幸せ』と言われるのが許せない!」「幸福は他人(男)に与えられるものではなく自分の力で掴み取ってもいいはず」という事。だからジョーが”主人公を結婚させたくない”というのは物語の結末での事なんだと思う。だが編集者は「主人公を結婚させないと出版できない」と言う。これは編集者一個人の台詞だが”現時点の男社会の総意”でもある。原作者ルイーザの分身でもあるジョーは『Little Women(若草物語)』を出版できないと困るので著作権を渡さない代わりに主人公(ジョー)を結婚させた。契約成立。グレタ監督は「原作者ルイーザは絶対にジョーを結婚させたくなかったはず」と思ったらしい。だから自分が監督したこの『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』では「ジョーはベアと結婚してない」とジョーが言う(しかし真相はわからない)ラストにしたのだろう。実際のところジョーとベアは愛し合ってるし同じ方向を見てるしベアはジョーの思想を重んじてくれそうだし結婚しない理由は全くない、最後も仲良く一緒にいたし。だがどうしてもジョーは「主人公としての私とベアは結婚!幸せなキスをして終了……」という結末にはしたくなかったのだろう。「ジョーとベアは相性バッチリだし愛し合ってるから実のところ結婚した!だが、そう描くと『あぁ、やっぱ強がってたジョーも結婚だけが女の幸せだよねええ?』みたいに編集者(男社会)に思われてしまう。だから結婚したかどうかは曖昧に描かせていただく!」と、そういう事なんじゃないかと僕は思った。俺が言いたい意味わかる?……なんか上手く説明できなかったな、ここは後で推敲して書き直すかもしれん。
まぁジョーとベアが結婚したか又は恋人同士のままなのか、真相はどっちでもいい。してもしてなくても同じことだからだ。
この映画は本当に全編好きだったわ。何度も観たしNetflixにも来たけどメイキングとか観たいからBlu-rayとか欲しくなった。そんな事思う映画って滅多にない。

 

 

 

そんな感じでした

グレタ・ガーウィグ監督作〉
『レディ・バード』(2017)/”レディ・バード”という仮面が生まれて消えるまでの一年間。そのレディ・バードが消えた場面が好き👩🏻‍🦰 - gock221B
『バービー』(2023)/面白かったし良作だったが最後に台詞で映画のテーマを全部まくしたててしまう場面だけ醒めた。ミームを始めとする映画外の話題の方が長くなった👧🏼👱🏼 - gock221B

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Little Women (2019) - IMDb

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『悪魔のいけにえ -レザーフェイス・リターンズ-』(2021)/サリーの台詞や惨殺アイデアとかエルシー・フィッシャーの魅力とか良い部分もあるけど、さすがにもう飽きました…🏠

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原題:Texas Chainsaw Massacre 監督:デヴィッド・ブルー・ガルシア 制作会社:レジェンダリー・ピクチャーズ 原作:トビー・フーパー 製作国:アメリカ 上映時間:81分 シリーズ:『悪魔のいけにえ』シリーズ

 

 

 

あまりに傑作すぎてマスターフィルムがスミソニアン博物館に永久保存されてる『悪魔のいけにえ』(1974)の直接の続編。つまり2以降の続編をなかった事にした「1の続き」。
9年前の『悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲』(2013)もまた「一作目の直接の続編」だったのだが本作もまた別の「一作目の直接の続編」というややこしい作品。
僕はというと一作目は勿論、傑作……。一作目の監督自らが若干コメディ化した『悪魔のいけにえ2』(1986)も楽しい作品で好きだった。
あとはリメイクの『テキサス・チェーンソー』(2003)、『テキサス・チェーンソー ビギニング』(2006)、前述の一作目の直接の続編『悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲』(2013)も変わった内容だがそれなりに楽しかった。
その他のは観てない。2018年に前日譚があったらしいが、別にレザーフェイス誕生の秘密とか何の興味もないし。
自分が観た範囲内だとどれも一定以上の面白さはあるし、一作目のカリスマ性の湯気のようなものは嗅げるので続編やらリメイクやらも楽しんでたが、もう正直完全に飽きた感はある。続編やらリメイクやら形は違えど全部同じ内容なので自然とそうなる。
そして『悪魔のいけにえ』シリーズは一作目が、映画自体の出来もさることながら荒い粒子の映像やら時代との結びつきやら全てが合致し、あまりに完璧すぎて続編やリメイクなど何をやっても、それなりには楽しいが絶対に一作目を超えられないし些細なアイデア以外に新しいものも特に打ち出せないことが決まってるシリーズでもある。
本作はNetflixで配信されたので無料だから観たって感じ。
結論を先に言ってしまうと本作もまた、それなりに楽しいが、その代わり新しいものは無い、観ても観なくても割とどっちでもいいタイプのまぁまぁな映画だった。
そんな低温度な印象だが良いところもあったので本作で初めて悪いけ観た人なら大好きになる可能性もゼロではない。
Netflix配給ではあるがNetflix制作オリジナル映画ではない。配給権をネトフリが買っただけ。
ネタバレあり。

 

 


一作目の約50年後、レザーフェイスは捕まらずテキサス田舎町で隠れ棲んでいた。
その施設は、もうやっておらず立ち退きを要求されている。そこに住む老婆が一般人を装うレザーフェイスと暮らしていた。
レザーフェイス以外の殺人一家はどうなったのかよくわからない。正直、レザーフェイスが暴れだすところまで吹き替え流しっぱなしで殆ど観てないという不真面目な態度で観ていた……というかオーディオドラマみたいに聴いてたり聴いてなかったりしてたので正直、説明を聴き飛ばしたかもしれん。だが他の殺人一家は一人も出てこないので正直どっちでもいい。とにかく「一作目の50年後のレザーフェイス」一本槍のホラー。
で、そのレザーフェイスの家に踏み込んだ若者たちが惨劇に遭うといういつもの流れ。
若者たちは、殺人事件に巻き込まれたPTSDに悩んでる少女ライラ(エルシー・フィッシャー)や、その姉メロディを含むグループ(ライラに何があったのかはよく観てなかったのでよく知らん、多分銃撃事件のようなものに巻き込まれた生き残りらしい)。
彼女らはこの田舎町で「より良い世界のため」にビジネスを始めようとしており保安官のおっさんにカルト扱いされる。この辺よく観てなかったが彼女らは今どきのビジネス系コミューンを作ろうとしてた感じ?それを地元民が煙たがる。これは一作目でテキサスにやって来た被害者達がヒッピー風の(当時の)現代的な若者たちでガソリンスタンドのテキサス民が白い目で見てたのを現代風にした感じか。
この老婆とレザーフェイスの住む建物に白人至上主義の旗があったので、主人公グループの黒人青年メンバーは反感を抱き、警官たちを突入させ「何かの間違いよ、ここは確かに私達の家のはずよ……?」と困惑する老婆に圧力をかけ、老婆とレザーフェイスは強引に連行されてしまう。
この圧迫が老婆にプレッシャーを与え、老婆は連行中に心臓発作で亡くなる。
ここまでの劇中では只のおとなしい知的障害者だと思われていたレザーフェイスの悪魔の血が怒りで蘇り連行中の車の皆を惨殺。人の皮でマスクを作って被り連続チェーンソー殺人鬼”レザーフェイス”が復活する。
このニュースを知ったのは一作目のサバイバー被害者少女だったサリー。初老女性となった彼女は一作目の後、レザーフェイスを倒すためにレンジャーになっていたらしい。レザーフェイスが復活した事で50年間止まっていたサリーの時間も動き出した(ちなみにサリー役をしていた俳優マリリン・バーンズは2014年に亡くなってるので別の俳優が演じてる)。
この「一作目のヒロインが年老いても殺人鬼への復讐を胸に懐いてワイルドな戦士になっており、殺人鬼の復活と同時に活動を再開する」という展開は、同じく古典スラッシュホラー『ハロウィン』(1978) の”直接の続編”だった『ハロウィン』(2018)の展開と全く同じもの。あまりに同じ過ぎてパクリと言ってもいいくらいなのだが、結末は『ハロウィン』(2018)のローリーと本作のサリーとでは大きく違う。

 

 

 

復活したレザーフェイスは”心は子供、ボディは超人”といった、モンスターとして描かれる。銃撃や刃物による攻撃などは効いてるのか効いてないのかわからない。何しろショットガンで何発も撃たれてるのに平気で走り回るのだから、ほとんど超常的なフィジカルを持った怪物と言ってもいい。まるでゲームのキャラみたいに撃たれてもカットが変わればほぼ全快してる。ハロウィンのマイケル・マイヤーズみたいなもん。
で、他の殺人鬼とは違うレザーフェイスの独自性と言えば、チェーンソー……は勿論だが一作目でも顕著だった「そんなバケモノが超然としておらず、めっちゃ焦ったり動揺してる」っていうのがある。そして、それは別に「あ、こいつ完璧なバケモノじゃなくて人の心があるんだ」という感じでバケモノに人間ドラマをやらせたいのではなく「……そんな人の心があるのに、他人をバラバラにしたり皮を剥いで被っちゃうんだ」「人の心があるって事はそんな恐ろしいレザーフェイスと俺は地続きの同じ生き物なんだ」と思わせ、それが怖いと思わせる効果があると思う。
現実の殺人犯が普段は凄く善人として知られる人物だったりしたら「バケモノじゃなくて自分と同じ生き物なんだ。……という事は自分の中にも、一つのボタンの掛け違いで他人をぶっ殺す怪物性があるんだ」と思わせて怖い。それと似た恐怖を与える要素だと思う。戦争や災害などの異常事態下で起きた酷い事件とかを知った時に「自分も、この集団に居たら促されて暴行や殺人を犯してしまうのかも?」「そして実際にどんどんそれを行って快感を感じる人間だったらどうしよう?」という恐怖。僕自身はそんな状況になっても酷いことしないとは勿論思ってるが「そういった怪物性は自分の中にあって、それが目を開かない保証はない」と思ってます。そして全人類が自分のことを客観的にそう認識する事こそが、悲惨なことを行わないために大事だと昔から思ってます。集団で暴行とか殺人とかはずみで犯しそうな人らって普段から”絆”とかめっちゃ大事にしてそうなイメージありますわ。
話を戻そう、それにつけてもレザーフェイス
本作でレザーが見せる人間性は「若者たちのせいで死んでしまった、自分を愛してくれた今は亡きおばあちゃんのワンピースの匂いを嗅いで哀しむ」というシーンだった。
そして、立ち退きを要求されてた老婆の家は「本当に老婆のものだった」事を証明する書類をメロディが見つける。
つまり、死んだ家族が白人至上主義の旗を掲げているので違うとは言ってるが本人もレイシストなのかもしれない老婆や、殺人鬼レザーフェイスを匿っていた真実は置いといて……老婆がこの屋敷に棲んでいた事自体は間違いではなかった。間違いは老婆を追い立てて殺した主人公メロディ達と警官達だった。そして老婆の死を哀しむレザー。だがそんなレザーは既に主人公グループの女の子や警官たちをぶっ殺して皮を剥いだ後……という誰を応援して良いのかわからない複雑な状況。この揺さぶりは本作の良いところでした。
だけど理由なき殺戮が良かったレザーフェイスに「おばあちゃんを殺した余所者が許せん」という復讐の目的を与えてしまった事自体はレザーの魅力を落としてるとも思ったけど。
老婆は”伝説の剣”みたいにチェンソーを家の壁の中に封印していた。それがすぐ動くんかい、とか捨てろよとか思わないでもないが、まぁ「老婆が愛でレザーの殺人衝動を抑えて只の大柄として抑えてた、そのタガあ外れて怪物が目を覚ました」って事のメタファーなんだろうけど。
レザーは、レイブパーティみたいなノリで若者達が乗ってるギュウギュウ詰めのバスに乗り込み逃げ場のない若者たちをチェンソーで殺しまくる。
アホそうな男のケツから突っ込んで下腹から男性器のようにチェンソーの先が突き出て、それを女性の下腹部に突っ込むというSEXに見立てた殺しや、窓から外に出ようとする女性の胴体を輪切りにして「頭は車外、胴体は車内」状態にするなど色々なオモシロ惨殺を見せる。
もはやメロディとライラ姉妹だけになってしまった。
ちなみにライラ役を演じてるエルシー・フィッシャーとかいう俳優かわいいなと思って調べたら『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(2018)で有名になった子役だった。タイプ的には『ゲーム・オブ・スローンズ』〈シーズン1-8〉(2011-2019) で少女剣士アリア・スターク役を演じたメイジー・ウィリアムズみたいな、赤ちゃんみたいな童顔の俳優で凄く可愛いかった。
とにかく追い詰められた姉妹を駆けつけた車で救ったのは老サリー。「早く走らせて!」と懇願する姉妹だが、サリーはドアにロックをかけて車から降りる。レザーフェイスを一騎討ちで倒さぬ限りサリーの止まってしまった人生の時計は再始動しない。この瞬間のために生きてきたサリーは姉妹の命より自分の復讐を優先させる。彼女もまた今やレザーが生んだ怪物なのだ。
サリーを出す意味も、途中までは「ハロウィン2018のパクリやん」と思ってたところがある。しかも演じてる俳優が違うのだから別にサリーじゃない別の被害者でも良かった気がする。 の場合は同じ俳優が演じたからこそ時間の重みがあったが、本作は違う俳優なわけだしマリリン・バーンズが演じてないと意味ないだろうとおもってたけど……逃げようとするライラに「逃げるな!」とレザーを仕留めるところが良かった。「逃げたら最後、あいつに死ぬまで取り憑かれる」と言う。『ハロウィン』(2018)の老ローリーもそうだったがサリー自身がそうだったのだろう。まともな人間関係も築けず、レザーフェイスへの復讐に備えるだけの人生「今逃げたらライラ、あんたもそうなるよ」というメッセージ。犯罪被害者にそんなメッセージを強く言えるのは同じ犯罪被害者サバイバーだけ。だからこのシーン観たら「サリー出した意味あったかも」と思えた。ホラー映画など観てもヒロインが助かったら「良かった、助かったー」と思って終わりだが『ハロウィン』(2018)や本作は「逃げたら生き永らえる事はできるが精神は死ぬ」と、サバイバーのその後を厳しく描いたところ、これは「助かりましたとさチャンチャン」で済ますより優しいなと思った、逆に言えば「ホラー映画はサバイバーを40年近く放ったらかしてた」とも言える。
と思いがけず長い感想になってきたから止めるが、正直なところ本作の面白さや良さは「まぁまぁ面白い」という54点くらいのものだった。最初は「大したこと無いからfilmarksに2、3行で感想書けばいいや」と思ってたからね。書き出したら、やる気成分が脳から出てきたのでブログに書くことにしただけ。
レザーとサリーのメッセージとゴア描写、それらは良かったけど、せっかく『悪魔のいけにえ』の続編なのに、それ以外(殺人一家とか)は全部捨てかいとか文句もあるし。
それにしても最初にも書いたが、悪いけやハロウィンの続編やらリメイクどれも、それなりには面白いけど全部それなりだからもう飽きましたよね。タダだから観たけど正直もう悪いけは作らんでいいだろう……。ハロウィンにも思うがもうレジェンド殺人鬼たちはやることもないし、もう蘇らんでいいだろ。

 

 

 

そんな感じでした

『悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲』(2013)/2とは別の世界線での1作目の続編。珍作だが割と好き - gock221B

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Texas Chainsaw Massacre (2022) - IMDb

www.youtube.com

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